第99話 三沢【16】
文字数 787文字
【16】
調査ノートと展示パネルを見比べながら進んでいくと、基地内に点々と並ぶ退避所のような区画に駐機している一式陸攻が、炎上し黒煙を上げている写真が目に留まった。
〈ああ、これがそうか……〉
それは、昭和二十年七月十四日の三沢空襲の際のものだった。
写真には、
【三沢基地の援体壕で第38任務部隊の艦載機によるロケット弾攻撃を受けて炎上する一式陸攻】
というキャプションがつけられていた。
〈この空襲で、剣号作戦が頓挫したわけか〉
剣号作戦のために、最終的には六十機の一式陸攻、三百名の搭乗員、六百名の陸戦隊員らが海軍三澤航空基地に集められ、前代未聞の「空挺ゲリラ特攻」の訓練が行なわれていたのだ。
それは日本陸海軍が組織的に企図した最大で最後の特攻作戦だった。
〈搭乗員三百名のうちのひとりが、ジイちゃんだったんだよな……〉
祖父の経験した事実が、白黒の映像となって自分の目の前にあった。
たったそれだけのことだったが、眼前に海軍飛行兵曹長であった祖父の姿がすくっと立ち上がったような気がした。
剣号作戦のことを調べていて驚いたことがあった。
私の幼い頃の記憶である、「いったい、園田さんは何をしてるんだ」という祖父の口癖の訳が、四十年経って分かったからだ。
その「園田さん」とは、当時外務大臣を務めていた園田直 のことだった。
内閣官房長官・外務大臣・厚生大臣を歴任し派閥の領袖ともなった政治家だが、戦時中陸軍空挺部隊の中尉であった彼は、剣号作戦の陸戦隊指揮官として三沢基地に配属されていたのだ。
もちろん彼も一式陸攻に乗ってサイパンに特攻出撃する予定であった。
その彼と祖父に当時面識があったかどうかは分からない。
しかし、祖父の方には「同じ釜の飯を食った戦友」という意識があったのだろう――。
〈三沢空襲がなければ、祖父も園田さんもサイパンの土くれになっていたんだろうな……〉
調査ノートと展示パネルを見比べながら進んでいくと、基地内に点々と並ぶ退避所のような区画に駐機している一式陸攻が、炎上し黒煙を上げている写真が目に留まった。
〈ああ、これがそうか……〉
それは、昭和二十年七月十四日の三沢空襲の際のものだった。
写真には、
【三沢基地の援体壕で第38任務部隊の艦載機によるロケット弾攻撃を受けて炎上する一式陸攻】
というキャプションがつけられていた。
〈この空襲で、剣号作戦が頓挫したわけか〉
剣号作戦のために、最終的には六十機の一式陸攻、三百名の搭乗員、六百名の陸戦隊員らが海軍三澤航空基地に集められ、前代未聞の「空挺ゲリラ特攻」の訓練が行なわれていたのだ。
それは日本陸海軍が組織的に企図した最大で最後の特攻作戦だった。
〈搭乗員三百名のうちのひとりが、ジイちゃんだったんだよな……〉
祖父の経験した事実が、白黒の映像となって自分の目の前にあった。
たったそれだけのことだったが、眼前に海軍飛行兵曹長であった祖父の姿がすくっと立ち上がったような気がした。
剣号作戦のことを調べていて驚いたことがあった。
私の幼い頃の記憶である、「いったい、園田さんは何をしてるんだ」という祖父の口癖の訳が、四十年経って分かったからだ。
その「園田さん」とは、当時外務大臣を務めていた園田
内閣官房長官・外務大臣・厚生大臣を歴任し派閥の領袖ともなった政治家だが、戦時中陸軍空挺部隊の中尉であった彼は、剣号作戦の陸戦隊指揮官として三沢基地に配属されていたのだ。
もちろん彼も一式陸攻に乗ってサイパンに特攻出撃する予定であった。
その彼と祖父に当時面識があったかどうかは分からない。
しかし、祖父の方には「同じ釜の飯を食った戦友」という意識があったのだろう――。
〈三沢空襲がなければ、祖父も園田さんもサイパンの土くれになっていたんだろうな……〉