第46話 カセットテープB面【12】

文字数 981文字

【12】

 そのとき、分隊士であった機長のS中尉が、私に向かって「そのときは自分が指示します。磯崎飛曹長、あなたのようなベテランが、こんな敵もいないところで死んではいけません。つまらんじゃないですか」と静かな口調で言ったのです。
 S中尉の私に向けたその微笑を目にして胸を衝かれる思いがしました。
 そして中尉は皆に向かって「飛べるところまで飛んで墜ちるならそれでよし! 今は生還をのみを考えよ。
 命有らばこそ、また奉公の道もある! 命も機も無駄にするな!」と一喝し、「夜間の渡洋飛行は航法こそ命だ。偵察員はしっかりと航法せよ」と私に向かって言い、「自分が副操として補佐する」と機長席から副操席に着いたのです。
 皆は奮い立ちました。
 Yはまなじりをけっして操縦桿を握り直しました。
 私は自分の弱気を羞じ、進路を誤らぬよう必死に夜間航法を続けました。
 硫黄島の擂鉢山が明け方の空にかすかに見え始めたとき、燃料計はほとんどゼロを示しておりました……。
 あのときS中尉は、私の心のうちを感じ取っていたのかもしれません。
 私はあの頃、トラックから自分だけが帰ってきたという罪悪感に苛まれておりました。
 トラックでの自問自答から戦争というものに心身ともに疲れ果て、自暴自棄になっていたのです……』

 ――気がつくと、テープを聞いている私が大きく息を継いでいた。

『奇跡的に硫黄島の基地に帰還した機体には、後で数えると大小五十箇所以上の弾痕がありました。
 胴体の被弾孔は頭が入るほどでしたが、それよりもなによりも、尾部の破損が酷く、尾翼の損傷は間一髪免れていたものの、その直下の尾部銃座の風防が、丸ごと吹き飛ばされておったのです……。
 敵の高角砲弾に被弾したのです。
 Nの遺体は機体のどこにもありませんでした……。
 Nは、一式陸攻の尾部銃座ごとマリアナ沖の闇の中に消えたのです。
 無残な愛機の姿を呆然と眺めながら、私は「Nの胸のオオムラサキも、小さな手帳の中の蝶たちも、Nと一緒に南洋の闇夜に飛んでいってしまった……」そう思いました。
 そしてその時、私はハッと気づいたのです。
 「ああ、俺たちはNに救われたんだ」と……。
 Nが飛行機から降りてくれたからこそ、私たちは硫黄島に辿り着くことができたのです。
 Nが降りてくれた分、機体が軽くなったことが一式と私たちを救ってくれたのです……』
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