第100話 三沢【17】

文字数 856文字

【17】

 その七月十四日の空襲を行ったアメリカ海軍第38任務部隊のことは、事前に調べていて調査ノートにまとめていた――。

 第38任務部隊は、空母七隻、軽空母六隻、戦艦八隻、巡洋艦・駆逐艦七十隻以上を擁する大艦隊であった。
 十四日・十五日の二日間にわたり、北海道全域及び本州北部の主要な工業都市と軍関連都市の空襲任務にあたったが、これは、来たるべき日本本土侵攻作戦を前にして、日本の工業力と陸海軍の戦力を壊滅させることを目的としていた。

 その空襲でアメリカ海軍は、艦上戦闘機と艦上攻撃機を合計八百機以上を出撃させ、四波から五波にわたる波状攻撃を実施、両日で六百トン以上の爆弾を投下し、三千発以上のロケット弾を発射したという。
 これはB-29による空襲ではなかったものの大規模かつ広範囲に及ぶものであり、不意打ちを喰らった日本側の被害と戦力の損失は甚大であった。

 この空襲にB-29が参加しなかった理由は、爆弾を満載した場合のB-29の航続距離では、最前線基地であるサイパンから北海道までの往復ができなかったことにあった。
 往復できる限界が本州北端の青森市と八戸市であったらしく、現に青森市は、七月十四日の艦載機による空襲で青森港と青函連絡船を破壊された二週間後、七月二十八日にはB-29六十二機により、焼夷弾八万本にも及ぶ大規模な爆撃を受けている。

 この空襲では、従来型に黄燐を加え、より延焼力を高めた新型のM74焼夷弾が実験として初めて使用され、青森市は東北では最大の被害と犠牲者を出した。
 その戦果から、米国戦略爆撃調査団は「M74は青森のような可燃性の都市に使用された場合有効な兵器である」と結論付けたという。

 その「青森大空襲」を寺山は自叙伝にこう書き記している。

【一九四五年の七月二十八日に青森市は空襲に遇い、三万人の死者を出した。私と母とは、焼夷弾の雨の降る中を逃げまわり、ほとんど奇跡的に火傷もせずに、生き残った。翌朝、焼跡へ行ってみると、あちこちに焼死体がころがっていて、母はそれを見て嘔吐した。】
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