第112話 足跡を辿って【1】

文字数 1,120文字

【1】

 ホテルの近くの中華料理店で食事をして、まだ宵の口に部屋に帰ってきたのだが、たった瓶ビール一本に酔ったのかそのまま転寝(うたたね)をしてしまい、目が覚めると九時を過ぎていた。

『検査中に、女房にCDプレーヤーを持ってきてもらって、検査が終わってすぐにCDを聞いた。
 ジュンよ、あんまり俺を泣かすな……。
 俺の現役時代の姿とF―1をお前のジイさんに、見て欲しかった。
 俺も病気には負けんぞ! お前も俺も、ジイさんに感謝だな』

 携帯に青地のメールが入っていた。
 病室はもう消灯の時刻だろうと思い、返事は明日にまわした。

 そして、あわてて『ミサワ航空史』の表紙をめくった私は、眠気も失せ時間も忘れて読み耽っている――。

【本土決戦を覚悟した大本営は、船舶330隻、陸軍225万人、海軍130万人、特別警備隊25万人、国民義勇隊2800万人、という膨大な人員を根こそぎ動員して、米軍に備えたのである。
 東北地区の防衛には、第11方面軍が当たることになり、その指揮下に第11軍(軍司令官・陸軍大将 藤江恵輔 仙台)と50軍(青森)が置かれた。
 その任務として、「軍は主力を持って八戸地区から小川原湖北方地区に至る太平洋沿岸地区の防衛を堅固にして、一部をもって大間崎、竜飛崎の領域を確保するために、第157師団を三本木、第308師団を野辺地に配置し、八戸地区には混成第95旅団を置くことにした。】

〈国民義勇隊二千八百万人ってのは、途方もない数字だな……〉

 戦前の日本の人口は七千二百万人前後だったらしいから、国民の四割近くが戦闘配置に就く計画になっていたことに正直驚いた。
『私はそのとき、「こりゃ、負けなければ国が滅ぶ」と思いました……』
 祖父の言葉が脳裏をよぎった。

【青森県・県南地方には、約3万人の本土防衛軍が配置されていたが、三沢海軍飛行場には、約8千人の軍人軍属と徴用工がいた。その部隊名と隊員数は、

藤部隊(斉藤海軍大佐)   
1000名
保全部隊(佐久間海軍大佐) 
1000名
伊藤部隊(伊藤海軍大佐)   
500名
剣部隊 (山岡海軍大佐)   
400名
土木関係(隊長 小長技官) 
1400名
厨房関係(隊長 長崎准尉) 
隊員数不明
青森刑務所服役中囚人     
400名
朝鮮人労働者         
500名
動員学徒・徴用工員     
2000名  
が配属されていた。】

〈剣部隊は四百人……、中隊規模ってとこか。当時としては大規模な作戦だったんだろうな。
 しかし、終戦直前の時期に三沢基地に八千人もの人員がいたとはな。
 しかも動員学徒と徴用工員が二千人とは……。 
一億玉砕は掛け声だけじゃなかったんだな……〉 
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