第151話 エピローグ【8】

文字数 850文字

【8】

 生まれたばかりの彼らがもし空襲で命を落していたら、その後の世界を変えたビートルズは誕生していなかっただろうし、とすれば、私も英語を齧りこうして生業(なりわい)にすることもなかっただろう。
十八の私が、英語をやりたいと言い出したのは中学生からかぶれていたビートルズのせいだった。

 ビートルズに少しでも近づきたくて、ビートルズの曲をすらすら歌ってみたくて、それなら英語を本格的に勉強しようと、まことに他愛のない短絡的な理由で言い出したことが家中の大騒動になって、鶴の一声で大騒動に決着をつけ、私の背中をドンと押してくれたのが祖父だった。

 そんなことを思っていたら、たった一度だけ、自分の専攻が祖父の役に立ったことを思い出して独り笑いしてしまった。
 祖父はプロ野球が好きで、なぜか阪急ブレーブスがご贔屓だった。
 地元のフランチャイズ球団でもないのに、なぜあんな地味な球団が好きなのか、と若造の私は常々不思議に思っていた。
 「順一、ブレーブスってどんな意味だ?」大学生の私に祖父がそう聞いた。
 私が即座に「B.R.A.V.E.Sで、ブレイブの複数形だから、勇者たちって意味だね」と聞かれもしないスペルまで言って得意げに答えると、祖父は「やっぱりな」と頷きながら満面の笑みを浮かべた。

 あの頃「なにが、やっぱりだよ」と思ったが、今になってようやくあの笑顔の意味が分かったような気がする。
 そういえば、玄人ファンに受けた阪急ブレーブスの全盛期の監督と祖父の面影が重ならないでもない――。

 祖父はインタビュー当時の若き日の部長さんに、Nさんを重ねていたのだろうか? 
 そして、もしかしたらMA-1を得意気に着回していた十八の私にも? 
 そんなことを考えながら、私は、今年二十歳になる息子の顔を思い浮かべた。
 夫婦の身勝手で幾度となく悲しい思いをさせてきたはず息子なのに、思い浮かぶ彼の顔はいつも笑顔だ。
 息子は笑顔のいい男なのだ。
 二十七の祖父が見た十八歳のNさんの笑顔も、きっと、あんないい笑顔だったはずだ。 
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