第124話 足跡を辿って【13】

文字数 1,130文字

【13】

 調べると、日本軍は戦争終盤の頃にはロケット弾を開発して徐々に戦線に投入しており、零戦と「彗星」という最新鋭の艦上攻撃機を主力とし、彗星にロケット弾を搭載して出撃していた「芙蓉(ふよう)部隊」という夜間戦闘部隊があった。

『沖縄戦の際、鹿屋基地から夜間出撃していた我々の攻撃飛行隊は、その夜戦部隊と何度か鉢合わせしたことがあるので知っているのです。それは終戦まで特攻を行わなかった海軍唯一の戦闘機部隊だったのです』

 祖父の話に出てきたその夜戦部隊こそ、「終戦まで特攻拒否を貫いた戦闘飛行隊」だと知って少なからず驚いた。
 富士山の別名である芙蓉峰が由来である芙蓉部隊の隊長は、美濃部正という当時二十九歳の少佐だった。

『その飛行隊長は私とそう歳の違わん人でしたが、すでに少佐でしたから優秀な人だったのですな。
 軍人が軍の命令に異を唱えるというのは軍法会議にかけられてもおかしくないことですから、――』

 祖父がそう語っていた美濃部少佐は、海軍士官の中で突出した硬骨漢だったようだ。
 史料によれば、昭和二十年二月木更津基地第三航空艦隊司令部で開かれた、連合艦隊主催の次期作戦会議において、末席についた美濃部少佐は、海軍首脳部が提示した「全機特攻方針」に対してただ一人強硬に異を唱え、最終的には自身の率いる芙蓉部隊だけは特攻から除外され、夜戦部隊として沖縄の菊水作戦に参加することになったのだそうだ。
 その菊水作戦の最中、夜間雷撃に出撃していた祖父の攻撃飛行隊と、同じく夜間出撃していた芙蓉部隊が鹿屋基地でクロスしていたようだ。

 作戦会議において美濃部少佐が「昼間攻撃では、敵の十重二十重の防御網を突破することは不可能。全力特攻のかけ声ばかりでは勝てないことはフィリピン航空戦で証明済み。死に甲斐のある戦果をあげるためにも、精神力一点張りの作戦ではなく、同じ死ぬなら成算のある手段を立てていただきたい」と噛み付いたのが、祖父が「特攻作戦の首謀者の一人」と名指ししていた黒島亀人軍令部第二部長だったのだ。

 連合艦隊参謀・航空隊幕僚・部隊長ら参加者八十名が沈黙する中で、抗命罪をも怖れずただ一人公然と異議を唱える美濃部少佐に、たじたじとなった黒島部長は、「それならば、君に具体策があると言うのか」と代案を求めたという。
 芙蓉部隊が唯一特攻編成から除外され夜戦部隊として認められたのは、先立つフィリピン沖航空戦において戦果をあげていた夜戦部隊の活躍もあってのことだったようだ。
 美濃部少佐は、操縦員・整備員ら総勢千名の隊員を率い、終戦までに八十回以上出撃し、戦艦・巡洋艦を撃破、米軍基地を空襲し艦載機六百機近くを破壊、ロケット弾による敵機撃墜など、特攻をしのぐ戦果をあげたという。
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