第123話 足跡を辿って【12】

文字数 937文字

【12】

 手記の中に出てきたロケット弾とは、「五インチ・ロケット弾」と云って、日本本土攻撃を念頭に置いたアメリカ軍が、昭和十九年八月頃から戦闘機に装備した空対地兵器である。
 その破壊力は戦闘機の対地攻撃能力を飛躍的に向上させ、攻撃機や爆撃機に頼らずにロケット弾を装備した戦闘機だけで有効な地上攻撃が可能となった。

 サイパンやテニアンから来襲するB-29の射程から少しでも離れた場所へと、残存する海軍航空隊は三沢基地へ疎開したわけだけれども、終戦直前の頃には、その本州の最果ての地にまで、空母から発進する艦上戦闘機F6Fがロケット弾を積んで来襲するようになっていたのだ。
 そして、その破壊力は手記にもあるように、一発で一式陸攻を爆発炎上させ得るものだった。

 米軍は、ロケット弾の装備と同時に「ナパーム弾」という、凄まじい火力を持ち、投下地点を瞬時に焼き尽くす新型焼夷弾もF6Fに装備するようになり、日本全土がその射程内に入ることになった。
その後日本は、B-29とF6Fの両機による水も漏らさぬような空襲によって、完膚なきまでに叩きのめされるのである。

〈戦争の後半、F6Fに搭載され対地攻撃の主力兵器となったロケット弾は、日本では開発されていなかったのだろうか?〉

 そんな疑問を持った私は、その兵器について検索してみた。
 ロケット弾自体は原理や構造がそれほど複雑なものではないだろうし、製造についても、当時既に「桜花」や「秋水」というロケット機を開発していた日本にとって特に困難なもののようには思えなかった。
 もし日本軍がロケット弾を開発し有効に活用していたなら、戦闘機や特攻兵器による特攻、陸上攻撃機による雷撃などの、無謀な消耗作戦に代わる兵器になっていたのではないかと考えたからだ。

 青地の「日本の空自は、独自に開発した世界でも指折りの優秀な対艦ミサイルを持っている」という話を聞いてから、
〈太平洋戦争当時、ロケット弾だけでは空母を沈めることはできないとしても、艦上の艦載機に対して、可能な限り遠距離からロケット弾を発射して誘爆させる攻撃を波状で実施すれば、それなりの戦果があげられ、特攻という無謀な作戦も防げ得たのでないのか?〉
 などと、素人考えを巡らしたりした――。
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