第37話 カセットテープB面【3】

文字数 983文字

【3】

『その九ヶ月が本当の地獄だったのですよ……。
 帰国者には、横須賀基地で次の赴任先が申し渡され、私は木更津基地で新編成となった攻撃飛行隊の配属となりました。
 横須賀に一泊し翌日木更津に向かいましたが、その日の朝から体調の悪かった私は、木更津基地に着いたとたん高熱でぶっ倒れてしまったのです。
 気がつくと私は基地の宿舎のベッドに寝ていました。
 ちょうどそこに入ってきた若者の顔を見て、私は自分の目を疑いました。
 そこに死んだはずの弟が立っているように思えたのです。
 それがNでした。
 デング熱と診断した軍医は、入院の必要なしとして宿舎での療養を指示し、宿舎の先客であったNが、同室となった私の世話係を命じられたと後で聞かされました。
 Nはそれから五日ほど勤務のかたわら、ひたすら私の額を冷やしながら、私の身の回りの世話をしてくれたのです』

『Nさん……、珍しい苗字ですね』

『ええ、なんでも東北にある苗字らしいですわ。
 私には十六で病死した弟がおったのですが、Nの顔立ちが死んだ弟にそっくりでしてねぇ。
 Nは物静かで人見知りするように見受けられましたが、こちらが話しかけると、それほど嫌な顔もせずポツリポツリと話を返してよこしましてねぇ……。
 そのうちお互いの身の上話などもするようになりました。
 あ、そうそう、Nは予科練に入る前は、新聞社の給仕をしておったのですよ』

『あのー、給仕というのは……』

『給仕とは、簡単にいえば雑用係のアルバイトみたいなものです。
 昔は役所や大きな会社、新聞社には、高等小学校を卒業したばかりのような少年の給仕がたくさん雇われ、目端の利く者は社員に取り立てられもしたのです。
 で、Nの話によれば、家はもともとは裕福でNも中学に二年までは通っていたが、父君が病死してから家が零落して中学にも通えなくなり、中退してからは家計を助けるために新聞社の給仕をしていたんだそうです。
 しかし、どうにも新聞社の雰囲気に馴染めず、とても自分は新聞記者にはなれないと諦め、毎日毎日が鬱陶しいし、どうせ今に徴兵されて陸軍に取られるよりなら、海軍に志願して飛行兵になりたいと、母親の反対を押し切って、十七の誕生日を迎えてすぐ昭和十八年の四月、予科練に志願したんだそうですわ。
 二人の姉に母親を託して出てきた、と言っておりました』

『十七歳で志願したんですかぁ……』
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