第80話 検索【8】
文字数 1,448文字
【8】
私は、今でも部屋に掛けてある、祖父直筆の色紙に目をやった。
私が社会人になるときに、祖父から送られたもので、兄たちもそれぞれ持っているはずだ。
【やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。】
そのとき「山本五十六元帥の言葉だ」と祖父に言われたがまったくピンとこなかった。
ただ、「おまえは、これから若い人たちを教える立場になるのだから、特に最初の言葉は肝に銘じておきなさい」と言われたことは守ってきたつもりだし、それが身を助けることになったと祖父には感謝している。
兄たちは、「事業を継ぐ者として、二行目、三行目は絶対に忘れるな」と祖父に厳しく申し渡されたそうである。
今思えば、祖父は色紙の格言を地で行く人だった。そして稀代の教え魔だった。
もし、インタビュアーが知識の十分にある中堅記者だったら、祖父があそこまで話すことはなかっただろう。
素直で学校で習ったことしか知らないあの若い記者だったからよかった、彼が祖父の気持ちを引き出したのだ。
私には分かるような気がする――。
学生を依怙贔屓するつもりは毛頭ないのだが、私はどうしても、いわゆる「できない学生」の方が気になり、なんとかしてやりたくなるのだ。
授業でも、教えたい気持ちが次第に強くなってついつい脱線してしまう。
学生の方も心得たもので、上手く脱線させるようにしむけ、私はうかうかと乗ってしまう。
思えば、青森の市民セミナーだってそんな感じだった。
祖父の語り口を今改めて聞いてみて、私は、〈ああ、俺は似てるんだ……〉そう感じていた。
そんなことを思っていると、私の脳裏に赤黄男の句がふと浮かんできた。
蝶墜ちて大音響の結氷期
赤黄男の代表作とされる句だ。
赤黄男の句はシンボリズムであって意味を求めてはいけないという見方もある。
実際、この蝶の句などは門外漢の私にとっては理解の範疇を超えるものだった。
しかし、祖父の話を聞いた今、それは明確なリアリティを持って私の心に迫ってきた。
その句は、隔壁扉のなくなった一式陸攻の尾部にぽっかりと開いた真っ黒い穴を目にしたときの、そこにNさんの姿が無いことを知ってしまったときの、祖父の心境とぴったりと重なるように思えた。
そのときのショックは、まさに心臓が凍り付くほどの「大音響の結氷期」というべきものだったろう――。
南国のこの早熟な青貝よ
豹の檻一滴の水天になし
ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる
軍艦が沈んだ海の老いたる鷗
めつむれば祖国は蒼き海の上
鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり
試しに、赤黄男の句を抜き出しこうしてノートに書き写してみれば、帰還の道が閉ざされた絶海の孤島に閉じ込められ、諦念と餓えを抱えながらも生き延びた祖父の心境が代弁されているように感じられてならなかったし、真っ白な砂浜にしゃがみ込んで蒼天と碧海の交わる水平線をじっと見つめ、人生や戦争の意味を問い直している――、そんな祖父の姿や表情が鮮やかな映像となって甦るように思えた。
赤黄男の句は、兵士として戦争を体験した世代には、比喩や暗喩ではなく明確な具象の句として映るのかもしれない。
そう考えれば、寺山の句も私たちにとってはひとつのリアリティを持つ。
寺山の世代からこれまで、我々は「身捨つるほどの祖国」を持つことができなかった。
これまでは――。
私は、今でも部屋に掛けてある、祖父直筆の色紙に目をやった。
私が社会人になるときに、祖父から送られたもので、兄たちもそれぞれ持っているはずだ。
【やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。】
そのとき「山本五十六元帥の言葉だ」と祖父に言われたがまったくピンとこなかった。
ただ、「おまえは、これから若い人たちを教える立場になるのだから、特に最初の言葉は肝に銘じておきなさい」と言われたことは守ってきたつもりだし、それが身を助けることになったと祖父には感謝している。
兄たちは、「事業を継ぐ者として、二行目、三行目は絶対に忘れるな」と祖父に厳しく申し渡されたそうである。
今思えば、祖父は色紙の格言を地で行く人だった。そして稀代の教え魔だった。
もし、インタビュアーが知識の十分にある中堅記者だったら、祖父があそこまで話すことはなかっただろう。
素直で学校で習ったことしか知らないあの若い記者だったからよかった、彼が祖父の気持ちを引き出したのだ。
私には分かるような気がする――。
学生を依怙贔屓するつもりは毛頭ないのだが、私はどうしても、いわゆる「できない学生」の方が気になり、なんとかしてやりたくなるのだ。
授業でも、教えたい気持ちが次第に強くなってついつい脱線してしまう。
学生の方も心得たもので、上手く脱線させるようにしむけ、私はうかうかと乗ってしまう。
思えば、青森の市民セミナーだってそんな感じだった。
祖父の語り口を今改めて聞いてみて、私は、〈ああ、俺は似てるんだ……〉そう感じていた。
そんなことを思っていると、私の脳裏に赤黄男の句がふと浮かんできた。
蝶墜ちて大音響の結氷期
赤黄男の代表作とされる句だ。
赤黄男の句はシンボリズムであって意味を求めてはいけないという見方もある。
実際、この蝶の句などは門外漢の私にとっては理解の範疇を超えるものだった。
しかし、祖父の話を聞いた今、それは明確なリアリティを持って私の心に迫ってきた。
その句は、隔壁扉のなくなった一式陸攻の尾部にぽっかりと開いた真っ黒い穴を目にしたときの、そこにNさんの姿が無いことを知ってしまったときの、祖父の心境とぴったりと重なるように思えた。
そのときのショックは、まさに心臓が凍り付くほどの「大音響の結氷期」というべきものだったろう――。
南国のこの早熟な青貝よ
豹の檻一滴の水天になし
ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる
軍艦が沈んだ海の老いたる鷗
めつむれば祖国は蒼き海の上
鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり
試しに、赤黄男の句を抜き出しこうしてノートに書き写してみれば、帰還の道が閉ざされた絶海の孤島に閉じ込められ、諦念と餓えを抱えながらも生き延びた祖父の心境が代弁されているように感じられてならなかったし、真っ白な砂浜にしゃがみ込んで蒼天と碧海の交わる水平線をじっと見つめ、人生や戦争の意味を問い直している――、そんな祖父の姿や表情が鮮やかな映像となって甦るように思えた。
赤黄男の句は、兵士として戦争を体験した世代には、比喩や暗喩ではなく明確な具象の句として映るのかもしれない。
そう考えれば、寺山の句も私たちにとってはひとつのリアリティを持つ。
寺山の世代からこれまで、我々は「身捨つるほどの祖国」を持つことができなかった。
これまでは――。