第2話 人間にも動物にも魂はない?(ラ・メトリの人間機械論)

文字数 3,997文字

近代になって自然科学が急速に発達すると、さまざまな事象を「原因によって結果を証明する」という方法で説明しようとする、機械論の立場が生まれました。

その先駆者がデカルト(1596年-1650年)です。

「近代哲学の父」と呼ばれる、あのデカルトですね!
デカルトは「自然的な事物にかかわるかぎり」その生成変化に神または自然そのものの意志が介入することを否定しました。

このような立場を機械論的自然観と言います。

因果関係によって自然現象を説明するとなると、自然の一部で無生物でも植物でもない人間は、どう考えるんですか?
デカルトと言えば、心身二元論だって授業で習いましたけど。
そう、デカルトは人間を延長実体と思惟実体から成るものとして考えました。
その「延長実体」というのが僕たちの身体、「思惟実体」というのが心とか魂とかを指しているわけですね。

心と身体が別々に存在していて、切り離し可能なものだと考えるから、心身二元論なんだよ。
デカルトは「人間は、人間の発明しうるいかなる機械にもまさって、驚くべき運動をその内部にもつところの、一つの機械である」と言っています。
デカルトの考えでは、「延長実体」としての人間は自動機械と何ら変わらない存在なんですね。
そう、思惟実体として存在することによって、人間が初めて人間となりうるとデカルトは考えました。
人間の本質を理性をそなえた精神、つまり考えることにおいたんですね。
「Cogito,ergo sum」(我思う、ゆえに我あり)ですね!

コギト・エルゴ・スム!

なんか呪文みたいで格好良いな。

ウィンガーディアム・レヴィオーサっぽい?
デカルトは、理性をそなえた精神は神によって人間に与えられたものであると説明しました。

理性の導きで「我思う」(私の存在を疑う)ことを通して、神の存在が証明されると考えたのです。

そもそも人間の心と身体を分けて考えることは正しいんですか?
デカルトが考える、思惟実体としての人間を否定し、独自の人間機械論を論じたのが、フランスの唯物論者ラ・メトリです。
ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー

(1709年 - 1751年)

医師、哲学者で、啓蒙主義におけるフランスの最も早い唯物論者の一人であった。

著書『機械としての人間』(L'homme machine)が最もよく知られている。

ラ・メトリの人間機械論は、デカルトの動物機械の概念を人間に拡張したものです。
え、動物が機械だって考えたんですか!?

デカルトは「動物は機械のメカニズムに似ている」と考えて、動物とは機械のように意識や思考を欠いた部品と歯車の集合体である、と説明しました。

動物には「思惟実体」が無くて、「延長実体」だけが存在していると考えて、単なる自動機械だと主張したわけですね。
動物が意識や思考を持っていないなんて、わたしは思いませんけど!

意識や思考を「魂」と言い換えれば、分かりやすいわ。

「動物には魂がない」と考える立場は、17世紀に生きていたデカルトにとっては、アリストテレス以来の哲学的常識だったでしょうけど、現代の動物の権利論者が聞いたら怒りそうよね。

デカルトの考えでは、人間の身体は自動機械であるにもかかわらず、神から与えられた理性的精神をそなえている。

理性があるか無いかで、人間と動物を区別しているんですね。

動物には魂がないけど、人間には魂がある、とデカルトは言っているんですね。
一方、ラ・メトリは魂の実体性を否定し、精神を脳の働きと考えて、デカルトの動物機械論を人間にまで拡張させました。
ラ・メトリの考えでは、人間と動物の差はほとんどなく、人間にも動物にも魂がない
医者であったラ・メトリは、自分の目で見たもののみが真理であるという、経験科学を大切にしていました。
デカルトの言う「思惟実体」は、「実体」と呼んでいるけど、目で見て観察したわけではないですからね。

心身二元論を否定したラ・メトリは、唯物論的な一元論である言えます。

デカルトとラ・メトリ、どちらの主張が説得的だと思う?

わたしは人間も動物も魂を持っていると思います。
魂は目に見えないから存在が証明できないってのは分かりますけど、人間に理性を与えた神を否定するなんて、その当時、許されたんですか?
そう、18世紀に唯物論者であることは無神論者を意味していたので、ラ・メトリはさぞ生きづらかったでしょうね。

ラ・メトリの著作はスキャンダルを引き起こし、医師としての地位を失い、議会で非難され、公に焚書された。

ヴォルテールやディドロといった啓蒙主義の思想家たちをも愕然とさせ、比較的寛容だったオランダさえも激怒させた。

そのため、ラ・メトリはフランスを脱出し、ベルリンへ移住する。プロイセンのフリードリヒ大王はラ・メトリを歓迎し、医師として開業させるだけでなく、宮廷読書家に任命した。

理性を与えたのが神でないなら、道徳や良心はどこから生まれるの?
デカルトは理性を神から与えられたものと考えたけど、ラ・メトリはそのような理性を否定したんですね。
ラ・メトリは「経験のみが福音書を真実に解釈する」と言っていて、道徳や良心を創るのは神ではなく、自然であると考えました。
人間は単なる自動機械だって言っているのに、自然に理性が芽生えてくるなんて矛盾してる気が……
自動機械でしかない人間が、倫理的な行動をすることは可能なんですか?
そもそも倫理的な機械というのが意味が分からないし。

ラ・メトリの著作が「道徳不要説につながる」と反発された理由が分かるかも。

「神がいなければすべてが許される!」とか言って、人殺しを正当化するやつが出てくるよ、ぜったい!
それ、まんまスメルジャコフだから。
ラ・メトリによれば、神に依らない道徳や良心とは「己の欲せざるところを人が施してくれては困るので、自分でもしてはいけない。そのしてはいけないのが何かをわたしたちに教えてくれる感情」なのです。
自分が殺されたら困るから、他人を殺してはいけない、というのはたしかにその通りかも。
誰かを殺すなら、自分だって誰かから殺されることを受け入れなきゃいけないんだね……
ラ・メトリが言う、自然に生まれてくる道徳や良心って、つまり自己保存の感情を指しているんですね。
ラ・メトリは、精神は感覚であると考えて、理性は感情にすぎないと考えたんですね。
一人ひとりの人間が自己保存の感情を持っているから、個々人の幸福追求のためには共同体の秩序の維持が必要不可欠で、自然の必然性として道徳や良心が生まれてくるというリクツね。
神の存在は否定できても、道徳や良心を不要なものだと否定することはできないんだなぁ……
あらゆる超越者(神)を否定する唯物論においては、功利主義(行動の結果主義)の倫理だけが残ったと言えますね。
魂の存在を信じない唯物論者たちって、自分の死後はどうなると思っていたんですか?
魂の不滅を否定するわけだから、死んだら無しかないよ。
無って……怖くないのかな。

唯物論者のディドロは、無神論者であるにもかかわらず「魂の不死」を主張しています。

ここで言う「魂の不死」は、実体のある魂ではなく、死後の名声という意味です。

ディドロは、後世における名誉を求めることを自己の幸福追求と考えわけですね。

「殺されたくないから、殺さない」という必要最低限のとこから一歩進んで、死後の名声のために、より利他的な行動をとるよう導いているんですね。

後世における名誉を求めることは現世の行動の規範となり、社会の形成や秩序へ貢献するようになるという考え方は、功利主義(結果主義)として面白いわね。

ディドロの考え方は、現代の世代間倫理に通じる考えかも!
でも、「魂の不死」と言えるほど、永遠不滅の名声なんてあるのかな?
キュロス2世とかアレクサンドロス3世とかマルクス・アウレリウス帝のレベルになれば、2000年くらい語り継がれてるよ。
まあそうだけど、そんなすごい人は例外中の例外じゃん!

そうね、兼好法師は『徒然草』のなかで、次のように書いています。

 飛鳥川 あすかがは淵瀬ふちせ、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李たうりもの言はねば、たれとともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。


 京極殿きやうごくどの法成寺ほふじやうじなど見るこそ、志とどまり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿みだうどのの作り磨かせ給ひて、庄園しやうゑん多く寄せられ、我が御族おんぞうのみ、御門みかど御後見おんうしろみ、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門だいもん金堂こんだうなど近くまでありしかど、正和しやうわころ、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院むりやうじゆゐんばかりぞ、その形とて残りたる。丈六ぢやうろくの仏九体、いとたふとくて並びおはします。行成かうぜいの大納言の額、兼行かねゆきが書けるとびら、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華ほつけだうなども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしきいしづゑばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

 されば、万に、見ざらん世までを思ひおきてんこそ、はかなかるべけれ。

(徒然草 第二十五段より)

兼好法師のように「どんなに偉大な人物や権力者であっても、永遠に続く死後の名声などない」と考えれば、ディドロの言う「魂の不死」は成立しないわね。

「諸行無常の響きあり」ですね!

初出:2022/3/26(日記ブログ「有機交流電燈」より)

2023/4/21 加筆してチャット版にリライトしました。

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登場人物紹介

南津海(なつみ)ちゃん


社会科研究部の部員。好奇心旺盛。

寿太郎(じゅたろう)くん


社会科研究部の部員。南津海ちゃんとは幼なじみ。

せとか先生


社会科研究部の顧問。専門は世界史。

みはや先生


専門は音楽。せとか先生と仲良し。

考えるカエル


『バイブル・スタディ・コーヒー』から出張

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