第15話 節分の鬼と豆

文字数 4,448文字

今日は節分ですね!!

「節分」というのは、本来は「季節の変わり目の前日」のことなのよ。

節分って、2月3日の豆まきイベントじゃなかったんですか?

立春・立夏・立秋・立冬の前日のことで、大昔の「節分」は1年に4回あったの!

ええと……今年の立春は2月4日。

だから、2月3日は立春前日の「節分」なんですね!

昔の人びとは、立春を新しい年の始まりと考えていたから、立春の前日は大みそかに相当したのよ。

大みそかだったから、年に4回ある「節分」のうち、立春前日の「節分」だけ特別扱いなんですね。
今日は、五来重『仏教と民俗 仏教民俗学入門』を読みながら、節分行事の由来を見ていきましょう!

五来 重

(1908年 - 1993年)

明治41年3月7日、茨城県久慈郡久慈町(現:日立市)に生まれる。東京帝大印度哲学科、京都帝大史学科を卒業し、昭和15年高野山大教授、昭和30年大谷大教授。

柳田邦男の民俗学の視点を日本仏教の研究に取り入れ、仏教民俗学の分野を開拓。修験道や霊場の研究で知られた。

紀貫之の『土佐日記』では、「なよし(鯔)の頭と柊を門口に挿していると記されていて、鬼も豆も登場しないのよ。
元日、なほ同じとまりなり。

白散をあるもの夜のまとてふなやかたにさしはさめりければ、風に吹きならさせて海に入れてえ飮まずなりぬ。芋しあらめも齒固めもなし。かやうの物もなき國なり。求めもおかず。唯おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押年魚もし思ふやうあらむや。

今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。

(紀貫之『土佐日記』より)

なんと、平安時代の元旦のしめ縄には「なよし」の頭と柊の葉がワンセットでした!

お正月飾りと節分飾りがひとまとめだったの。

なよし……?

イワシじゃないんですか?

「なよし」(鯔)というは、ボラの若魚のことね。

なよしの頭と柊の葉は、昔から魔除けアイテムだったわけ。

わたしたちにとってお正月と節分は別行事ですけど、紀貫之が生きていた頃の節分はお正月行事の一環だったんですね。

江戸時代中期の浮世絵「節分」

画:鈴木春信(1725年 - 1770年)

この絵を見ると、江戸時代では柊の小枝にイワシの頭を刺した「柊鰯」(ひいらぎいわし)を節分に飾っていたことが分かるわね。

(なよしがいつの間にかイワシになってる……)

節分の鬼はいつになったら出てくるんですか?

平安時代には、方相氏の追儺(ついな)はあったけど、豆をまいて鬼を追い払う行事はなかったの!
え、鬼に豆をまかないんですか!?

平安時代の末の『中右記』に、大治5年(1130年)正月の円宗寺修正会鬼走(しゅしょうえおにはしり)として、鬼が出てくるそうよ。

「次第如常、龍天・毘沙門・鬼走廻之後、受牛玉印」(『中右記』大治五年正月十四日、円宗寺修正会結願行事)


「龍天手、自東西出舞、次毘沙門手、自東出舞、次鬼」(『兵範記』仁平二年正月十四日、法勝寺修正会結願)


「次龍天、在乱声、次毘沙門、次鬼手、法呪師副廻之」(『兵範記』仁安三年正月十一日、円勝寺修正会結願)

へー、鬼とともに龍天や毘沙門天も走ったり、舞を踊ったりしてたんですね。
ここでの「鬼」は、龍天や毘沙門に近い役割を担っていたと言われているわ。

災害や病気をもたらす悪霊を追い払う、呪術的な意味がこめられていたのよ。

節分の鬼というのはこの仏教年中行事の、修正会と修二会の呪師(しゅし)芸からおこった。この鬼はべつに悪者ではなくて、逆に悪魔払いや厄払いの修法をしたのである。今日のように鬼を追い払ったら、悪魔がはびこって手がつけられなくなる道理である。

(五来重『仏教と民俗 仏教民俗学入門』より)

え、鬼を追い払うんじゃなくて、鬼がわたしたちを災いから守ってくれるヒーロー!?
奈良県五條市の念仏寺に今も伝わる「陀々堂の鬼はしり」(だだどうのおにはしり)では、災厄を取り除いて福をもたらしてくれる善い鬼が登場します!
「陀々堂の鬼はしり」(平成20年)

制作:奈良地域伝統文化保存協議会(奈良県無形文化遺産映像アーカイブ)


地域の除災招福を祈る年頭行事。大般若経の転読、昼の鬼はしり、紫燈護摩、夜の鬼はしりが行われる。阿弥陀如来に仕える父鬼、母鬼、子鬼の三人の鬼が出て、松明を手に堂内をまわる。15世紀制作の鬼面が現存。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

うわー、三人の鬼たちが燃える松明を手に持って見得をきるところが、力強くて格好良いですね!!
昔から全国各地のお寺で、大般若経(だいはんにゃきょう)を読んだり、お堂をたたいたり、堂内を走りまわったりする年頭行事を行っていたそうなの。
お堂を力のかぎり叩いたり、大声を出したり、荒々しいイベントですね。

大きな音って魔除け効果あるのかな?

こうしたお正月行事は、お寺では修正会(しゅしょうえ)または修二会(しゅにえ)と呼ばれていて、近畿・中部・中国地方では「オコナイ」と呼ばれることが多いそうよ。
じゃあ、鬼っていつから追いはらわれる悪役になったんですか?
鎌倉時代になると、鬼の意味に変化が見られるの。


『勘仲記』では修正会の鬼走り行事を「追儺」(ついな)と記していて、龍天や貴族、参詣人などが鉾や杖で悪鬼を打って、追いはらうという形式になっているわ。

「龍天進、次毘沙門、次追儺、予於凡僧床以杖打鬼、追儺以前東南両面扉閉之、為無狼藉也、前々追儺之時以飛礫打入堂中」(『勘仲記』弘安二年正月十四日、御堂修正会)


「次龍天、自左右参進、予催促之、次毘沙門、次追儺、鬼三人三匹、龍天持鉾追之更還仏前取餅退下」(『勘仲記』正応二年正月十八日、蓮華王院修正会)

うわー、杖で打たれたり、石を投げられたり、鬼役がかわいそう……。
追儺(ついな)は中国から渡来した文化で、奈良時代から宮廷の疫鬼払い行事として行われていたことが『続日本紀』に記されているの。


平安時代の『蜻蛉日記』では「儺やらひ」「鬼やらひ」とも呼ばれているわ。

ここでの「鬼」は疫病をもたらす悪い鬼なんですね。
奈良県の法隆寺の西円堂修二会(しゅにえ)では、追儺会(ついなえ)と呼ばれる「鬼追い式」が今も2月3日に行われています!

弘長元年(1261年)から伝わる古い行事なのよ。


同じく奈良県の薬師寺の修二会花会式(しゅにえはなえしき)でも毎年4月5日に、暴れる鬼を毘沙門天が退治する「鬼追い式」を行っているわ。

宮廷行事だった「追儺」(ついな)が、お寺の行事に取り入れられて、今のように民間の行事にまで広がっていったんですね。
能楽図絵「狂言 節分」

画:月岡耕漁(1869年 - 1927年)

壬生狂言「節分」(平成31年)

制作:京都市文化観光資源保護財団(京都をつなぐ無形文化遺産普及啓発実行委員会)


節分の夜に後家さんが一人で暮らしている家に鬼がしのびこむ。後家さんは酒をのませて鬼を酔いつぶし、打出の小槌と隠れ蓑を取り上げる。そのあげく、豆を打って鬼を追い出してしまう、という喜劇。

鎌倉時代から伝わり、約700年つづく。重要無形民俗文化財に指定されている。

京都の壬生寺(みぶでら)の「節分会」(せつぶんえ)では、毎年2月2日に狂言「節分」が無言で演じられるのよ。


動画17:45あたりから、後家さんが泥酔した鬼からこっそりかくれみのを奪い、目覚めた鬼に豆を打って追い出すクライマックス!

あはは、ようやく節分の豆が出てきましたね!
「豆を打つ」というのは、室町時代の『花営三代記』の応永32年(1425年)の記事に記されているわ。
「節分大豆役、昭心、カチグチ打、アキノ方、申と酉ノアイ也。アキノ方ヨリウチテ、アキノ方ニテ止」(『花営三代記』応永三十二年)

京都の近郊では十九の厄年の娘は大豆二十粒を紙につつんで体をなで、厄を豆にうつして、深夜人にみられぬように、道の辻へ捨ててくる。私は今年もまだやっているだろうかと興味をもって、節分の翌朝はいつも辻へでてみるのだが、まだまだこの習俗はなくなりそうにない。

(五来重『仏教と民俗 仏教民俗学入門』より)

「節分の豆」は厄をうつし払うものだったそうなの!
えー、豆が自分の厄をうつす身代りであるなら、節分の豆を食べてはだめなのでは!?


なんで今は「節分の豆を年の数だけ食べると健康長寿」って言われてるんだろう?

五来重がフィールドワークしていた当時は、厄をうつした節分の豆を道の辻や村境へ捨てる風習が見られたそうだけど、今でも残っているのかしら?


昭和44年のお話だから、もう消えてしまったかな……。

たしかに、京都や近郊の女のひとたちに聞いてみたいですね。

昔の「節分」は年越の行事だったことを思い出してね。


『徒然草』十九段には、大みそかに先祖の霊が鬼の姿で訪れたことが書かれているの!

晦日つごもりの夜、いたうくらきに、松どもともして、夜半よなか過ぐるまで、人の、かど叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足をそらに惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残なごりも心ぼそけれ。亡き人のくる夜とてたま祭るわざは、このごろ都にはなきを、あづまのかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

(『徒然草』第十九段より)

ここでの「鬼」は「先祖の霊」を意味しているんですね。
鬼を先祖と伝える但馬香住町(現・兵庫県香美町)の旧家である前田家では、節分の夜に「鬼むかえ」という行事をしていたそうよ。


奥座敷の床の間で「鬼の膳」をそなえ、「鬼の寝床」をしいて先祖の霊をお泊めしたの。

節分の鬼も、実は先祖の霊のおとずれであった。じつは先祖の霊が子孫の祭をうけにくるのであった。

(五来重『仏教と民俗 仏教民俗学入門』より)

節分の夜におとずれる「鬼」が「先祖の霊」であると考える背景には、中国から渡来した「鬼=死者の霊魂」という文化があったの。

「節分の鬼」はひと言では言い表せない、さまざまな意味と役割を担っていたんですね!
「鬼」というのは、魔除け・厄除けをしてくれる頼りになる存在でもあり、疫病・災害をもたらす恐ろしい存在でもあって、先祖の霊でもあるわけね。
今の節分行事では、先祖の霊をむかえまつる意識はもう残っていないですよね。

今日の節分行事の鬼として一般的なのは、疫病や災禍をもたらす疫鬼、わたしたちにとって追い払わなければいけない鬼ね。

もし先祖の霊が、子孫の厄を払ってあげようと節分の夜におとずれたとしても、わたしたちは豆をなげて、ご先祖さまを追いはらっちゃってるかもしれないですね!

2023/02/03


参考

五来重『仏教と民俗 仏教民俗学入門』(角川ソフィア文庫)収録

 「正月のオコナイ」(初出:昭和28年)

 「節分の鬼と豆」(初出:昭和44年)


中村茂子「民俗行事・民俗芸能に見る鬼の形態」(東京文化財研究所、1996年)



日記ブログ「有機交流電燈」2022/02/03掲載記事を大幅に加筆し、チャット版にリライトしました。

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