第14話 巨大猫の民話②(物知りな学者猫)
文字数 3,546文字
射手アンドレイがバユン猫と出会う場面を、別の絵本の挿絵でも見てみましょう!
≪Поди туда - не знаю куда, принеси то - не знаю что≫

児童書、特におとぎ話の挿絵が高く評価され、1965年にソビエト連邦の名誉芸術家の称号を授与された。
真冬の森の中での両者の戦いは、より厳しいものになりそうですね。
偉大なる詩人プーシキンは、物語詩『ルスランとリュドミラ』のプロローグで、バユン猫から着想を得たキャラクターを登場させています。
その名も、кот учёный(コット・ウチョーヌィ)です。
ロシア語でучёныйは「学者、研究者、学識のある、教養のある」という意味です。
つまり、кот учёныйは「学識や教養のある学者猫」なのです!
(1799年 - 1837年)
存命中からロシア最大の国民的詩人と評され、近代ロシア文学の創始者とされている。
父方は由緒ある貴族の家柄、母方の曽祖父アブラム・ガンニバルはアフリカ生まれの黒人奴隷でありながら陸軍大将にまで出世し、ピョートル大帝に忠実に仕えた。
農奴制を批判する詩を書いたことで追放刑となる。
追放生活の間に、農奴出身の乳母アリーナの語るロシア民話にふれ、インスピレーションを得る。
1820年に『ルスランとリュドミラ』を発表。
1837年、妻ナターリアに言い寄るフランス人士官と決闘を行い、37歳の若さで死去した。
物語詩『ルスランとリュドミラ』は、悪魔にさらわれたリュドミラ姫を騎士ルスランが救出する英雄冒険譚です。
物語を語り始める前に、プーシキンはこんな前置きをしています。
プーシキンがとある海辺へ行くと、緑の樫の木のところに人間の言葉を話す猫がいました。
物知りの猫は、金の鎖で樫の木につながれていて、木の周りをぐるぐると歩き回りながら、歌をうたったり、おとぎ話を語ってくれます。
プーシキンは樫の木の下に座って蜂蜜酒を飲みながら、鶏の足の上に立つ小屋に住む魔女バーバ・ヤガーや不死身のカシチェイ王などのおとぎ話に耳を傾けます。
そうやって学者猫から聞き取った物語のうちの一つを記録したので、これから読者に語り聞かせますという体裁で、『ルスランとリュドミラ』の物語が始まるのです。
それでは、ニコライ・コチェルギンが描いたヴィンテージ絵本の挿絵を見ながら、プーシキンの名詩を読んでいきましょう。
水の精ルサールカや魔女バーバ・ヤガー、魔王カシチェイなど、ロシア民話に登場する人気キャラクターたちが次々と現れますよ!
作者:アレクサンドル・セルゲーヴィチ・プーシキン
絵:ニコライ・ミハイロヴィチ・コチェルギン
出版:1956年、レニングラード

『ルスラーンとリュドミーラ』
川端 香男里訳(プーシキン全集1、河出書房新社、以下同)
その樫には金の鎖がかかっていた。
昼も夜も物知りの馴らされた猫が
鎖につながれてそのまわりを絶えず歩きまわる。
右に歩いては歌をうたい、
左に行ってはお伽噺を語る。

水の妖精ルサールカが枝に座る。

そこには知られざる小道の上に
奇々怪々の獣たちの足跡がある。
窓もなく戸もないちっちゃな小屋がひとつ、
鶏の脚の上に立っている。
そこでは森も谷も幻にみちている。

波がどっと打ち寄せて、
いと美しき三十人の騎士たちが
明るい波のなかよりつぎつぎと、
その海の守役ともども現われる。

恐ろしい王様をとりこにする。

森を越え、海を越えて
魔法使いが勇士を運んで行く。

栗毛の狼が忠実に王女に仕えている。

ひとりでに動き、そろそろと回る。


そこに私は行って、蜂蜜の酒を飲んできた。
海辺で私は緑の樫を見た。
その下に坐ると、物知りの猫が
私に自分の物語を語ってくれた。
その物語を一つだけ覚えている――
その物語を私は今世に伝えよう……
コチェルギンが描いた学者猫は、知性を感じさせる目をしていますよね!
魔女と言えば箒にまたがって飛ぶイメージがありますが、バーバ・ヤガーは臼に乗って、箒でこぎながら飛びます。
海辺の緑の樫の木の下に、プーシキンと猫が並んで座っている場面の挿絵が美しいですね。
«У лукоморья дуб зелёный» (入江には緑の樫の木があった)という名句から始まる詩は、長年にわたって読者から愛されてきました。
ソビエト時代には、『ルスランとリュドミラ』から切り離して、プロローグだけで独立した詩として絵本になっていたほどでした。
ご紹介した絵本は現在でも人気があり、コチェルギンの死後も再版されています。
モーツァルトの『フィガロの結婚序曲』や、ロッシーニの『ウィリアム・テル序曲』なども序曲だけでコンサートで演奏されることが多いですし、本物の名作とは序章だけ抜き出しても名作なのかも。
≪Пойди туда — не знаю куда, принеси то — не знаю что≫(あそこへ行け— どこか分からない、あれを持ってこい— 何か分からない)の中に登場するバユン猫は、魔法の声で旅人を眠らせて死に至らしめる、巨大な人食い猫でしたね。
プーシキンは、そんなバユン猫の恐ろしさよりも、人語を解しておとぎ話を語り聞かせる賢さに着目して、「物知りの学者猫」という新たな魅力を引き出しました。
バユン猫は人食いの怪猫から、おしゃべりで人懐っこい猫へと生まれ変わったと言えます。
魔法の声で幻想的なおとぎ話を語り、若者の心を魅了する存在というのは、プーシキンの乳母アリーナのイメージが重ねられているのかもしれませんね。
乳母アリーナに対して、プーシキンは生涯、家族のような愛情をもって接していたそうで、彼女に感謝の詩をささげています。
脚本:エドゥアルド・ウスペンスキー、ゲンナジー・ソコルスキー
監督:ゲンナジー・ソコルスキー
制作:1981年、ソユーズムリトフィルム
ソビエトアニメ『ピオネール宮殿のイワシカ』(1981年)は、おとぎ話に出てくるようなシチュエーションで、現代(当時)のピオネールの少年が繰り広げる冒険譚です。
『チェブラーシカ』の原作者として知られるエドゥアルド・ウスペンスキーが脚本を手がけていて、同じスタジオが制作しています。
魔女バーバ・ヤガーは、近くのピオネール宮殿(子どもたちの課外活動用の公共施設)からイワン少年をさらってきました。
誘拐されたイワンは、持ち前の機知でもって命の危機を切り抜け、バーバ・ヤガーと魔女の仲間たちをこらしめるというストーリーです。
このアニメ映画の中に、バーバ・ヤガーの友人としてバユン猫が登場します。(動画4:24あたりから)
作:エドゥアルド・ウスペンスキー、ゲンナジー・ソコルスキー
絵:エリザベータ・ジャーロヴァ
出版:1983年

バユン猫の姿が二足歩行でのそのそ歩く、ふとっちょの巨大な猫として、非常にコミカルに描かれていますね!
こちらのヴィンテージ絵本は、映画公開後に出版されたもので、映画本編の美術監督を務めたエリザベータ・ジャーロヴァ自身が挿絵を描いています。
こうして絵本の挿絵を見比べてみると、バユン猫のイメージの変遷がよく分かって、とても面白いですね。
古いおとぎ話の中では人食いのモンスターとして恐れられたバユン猫ですが、森が切り開かれ、開拓が進んだ現代では、もはや恐怖の対象ではなくなったということなのでしょう。