塩の姫君②(ユダヤ民話)

文字数 4,310文字

グリム童話の「泉のそばのがちょう番の女」と同じタイプのお話が、ユダヤ民話にも伝わっています。
ええと、ユダヤ教を信仰する人々のことをユダヤ人と呼ぶんですよね?
そう、ちょうど4月22日から29日まで、ユダヤ教の三大祭日のひとつである「過越しの祭り」だったのよ。
「過越しの祭り」というのは、奴隷にされていたユダヤの人々がモーセに率いられてエジプトから脱出した出来事を記念したお祭りなんですね。
それ、出エジプト!!

リドリー・スコット監督の映画『エクソダス:神と王』(2014年)を観たことあるよ!

同じくモーセを主人公にした、ドリームワークスのミュージカルアニメ映画『プリンス・オブ・エジプト』(1998年)も有名ね!

へー、モーセってじつは王子さまだったんですね!?

そんなユダヤの人々の民話を集めた『お静かに、父が昼寝しております――ユダヤの民話』(岩波少年文庫)から、「父への愛は塩の味」を紹介するわね!
「父への愛は塩の味」(ユダヤ民話)


【あらすじ】

ある国に三人の美しい姫君がいた。あるとき、王は、父親である自分に対して娘たちがどのくらい愛情をいだいているか、たずねた。

上の姫君は「この世界すべての大きさと同じくらいに」と答え、中の姫君は「大好きなお砂糖と同じくらいに」と答え、末の姫君は「大事な塩と同じくらい、大切に思っております」と答えた。

王は末の姫君の答えに腹を立て、王宮から追放するように命じた。王妃は秘密の蔵を開け、末の姫君に金や銀や宝石類、食糧を布にくるんでわたした。そして大臣は、末の姫君を満月の夜に野原に置き去りにしたのだった。


野原を歩いていた姫君は、ナツメヤシの木の根もとで寝ころんでいる若い男と出会う。男はがっしりした体つきで、美しい顔立ちをしていた。

「ここでなにをしているのですか」とたずねると、若者は「働くのが嫌いだ」と答えた。姫君は「いっしょにまいりましょう」と言って、若者の手をひき、歩き出した。

歩きつづけるうち、美しい丘を見つけ、姫君はあの丘に家を建てて、若者と住むことに決めた。


姫君は、その丘を所有している族長のもとを訪ね、丘と畑地を買った。それから大工たちを雇い、王宮に似た小さな館を建てるよう頼んだ。

館の工事中、姫君と若者は丘のふもとにテントを張って暮らした。

姫君は騎兵を招いて、若者に乗馬を教えてやってくれと頼んだ。

そうこうしているうちに、朝から日暮れまでごろごろ寝そべって過ごしていた若者のなまけぐせは、少しずつだが直っていった。

館ができあがると、姫君は職人に絨毯や家具、カーテンを注文し、庭園をととのえた。

姫君と若者は婚礼の祝宴をひらいて結婚し、しあわせな日々をすごした。


乗馬をおぼえた若者は、毎日のように狩りに出かけた。

あるとき若者は、狩り場で高貴な人とその従者たちと出会い、友情でむすばれていった。その話を聞いた姫君は、夫が親しくなったのは父王だとわかった。

姫君は夫にその友人を招くよう頼み、王は招待を受けて、若者の館を訪れた。

姫君は、父王の好きな料理を作り、どれもふた皿ずつ用意した。テーブルもふたつ。ひとつには塩味のきいた料理をの皿をならべ、もうひとつには塩抜きの料理の皿をならべた。

すべての準備をととのえると、姫君はついたてのうしろで待った。


塩味のまったくない料理を口にして、王の目から涙がこぼれ落ちた。王は、自分が末娘に対してどんな愚かな仕打ちをしたかを語った。

若者は、王の言う末娘とは自分の妻のことだと直感して、ついたてを払いのけた。

王は末娘の姿を目にすると、駆け寄って抱きしめ、悲しみの涙は喜びの涙に変わった。

今度は全員で、ほどよい塩味の料理がならんだテーブルを囲んだのだった。

王は末の姫君と花婿を王宮につれて帰り、みな豊かにしあわせに暮らしたのだった。


参考:『お静かに、父が昼寝しております―ユダヤの民話』(母袋夏生訳、岩波文庫)

ぜんぜんメルヘンじゃない……

真珠の涙は? 魔法使いのおばあさんはどこへいっちゃったの?

ユダヤ民話では、追放されたお姫さまは誰にも保護されず、自分の言葉で族長と交渉し、自分のお金で土地を買い、職人を雇って屋敷を建てているわね。

ユダヤ民話の姫はすごい行動力だな!!

結婚相手の選びかたもぜんぜん違ったわね?

グリム童話のお姫さまは心やさしい青年貴族と結婚しますが、ユダヤ民話のお姫さまは道ばたで寝ていた無職の若者が結婚相手です。

ユダヤ民話の方は、顔はいいけど無職の男に姫がひとめぼれして、そいつを叱咤してなまけぐせを直し、乗馬を習わせ、勇敢で立派な男に鍛えあげています。
えー、お姫さまの結婚相手が路上生活者でいいのかな?

もっとふさわしいお相手がいると思うけど……

最初は無職だったとしても、最終的には姫にふさわしい立派な男に成長するんだから、いいんじゃないの?

ユダヤ社会では、夫を良き伴侶とするのは妻の手腕という考え方なのかもしれないわね。

たしかにこの物語から、自分が夫に選んだ男性が怠け者の無職であるなら、その夫が改心して立派な働き者になるよう、支えなければならないというメッセージを感じます。
はじめから理想の夫を探し求めたりせず、お互いに助け合って夫婦で成長していく話だと考えれば、すごく自然じゃないかな。
グリム童話の場合、姫君のお相手として伯爵子息を見定めたのは、魔法使いの老女なのよね。

背負ったものがだんだん重くなるエピソードがあったでしょ?

伯爵の息子が家柄だけのごうまんな男じゃなくて、心優しく我慢強い青年だったから、おばあさんは彼の人柄を信頼して、お姫さまの身元を明かす品を渡したんですよね。
ユダヤ民話の姫は自分で結婚相手を選んだけど、グリム童話の姫は保護者が選んだ相手と結婚したわけか。
そして、ユダヤ民話の姫君は夫に父王との友誼を結ばせ、夫婦の屋敷へ招いて、塩を使わない料理でもてなすことで、父王がかつて娘を追放した過ちに自ら気づくよう仕向けました。
こうして比較してみると、ユダヤ民話の方が追放された姫が主体的に行動していて、男性との関係も積極的なんですね!

ユダヤ民話からは、自分が窮地の時に都合よく助けてくれる親切な魔法使いはいない、自分で自分の道を切り拓かなければならないというメッセージを感じます。

自分で自分を助けるためには、女性であっても個人資産や男性と対等に交渉する能力が必要だ、とも伝えていると思う。

魔法よりも、お金とコミュニケーション能力かぁ……
グリム童話の姫君は塩袋だけを持たされて追放されたけど、ユダヤ民話の姫君は金銀や宝石や食糧をたっぷり持たされてから追放されています。
それの違いって、母親である王妃が追放される娘に対して、何らかの手助けをしたかどうかですよね。
たしかにグリム童話の王妃さまは、泣いたり祈ったりするばかりで、金銭的なフォローはしていないよね。
ユダヤ民話の王妃が娘のために開けた「秘密の蔵」というのは、国家予算とは別の、王妃が自由に使える個人資産だったのかもな。
この「父への愛は塩の味」の原典は、イラクに伝わるユダヤ民話だそうよ。

じゃあ、お姫さまを「満月の夜に野原に置き去りにした」のは、お姫さまが生き残れるようにという、大臣のやさしさだったのかな……?

そう、若者がナツメヤシの木の根もとで寝そべり、実が落ちるのを待っていたわね?

ナツメヤシの収穫時期は8月から9月だから、日中は40度を超える暑さなのよ。

姫をわざわざ夜に追放するなんて嫌がらせかと思っていたけど、逆だったのか!

もし炎天下の荒野に置き去りにされていたら、熱中症で命を落としていたかもな。

追放されるとき、グリム童話ではお姫さまの涙で真珠の道がどこまでもつづいたけど、ユダヤ民話のお姫さまはいっさい涙を見せず、満月の野原を歩いて行きます。

この追放の場面を読むと、二人の姫君の性格の違いがよく分かるわね。

ユダヤ民話の姫は、追放後も自分の不遇を泣くことなく、自活に邁進して、ついには父親に自分の正しさを認めさせさえしました。

塩入りの料理と塩抜きの料理を両方作っておいて、父親である王さまをもてなす場面は、お姫さまの聡明さを遺憾なく発揮してるね!
ユダヤ民話の姫は、追放前も後も性格に一貫性があって説得力がありますね!
世界各地に離散したユダヤの人々が、それぞれの土地で差別や迫害を乗り越え、生き抜いてきた知恵が民話として伝えられていると言えるわね。
そもそも、なぜ王さまは「塩と同じくらい大切だ」と娘から言われて、あんなに腹を立てたんでしょうか?
「塩」という答えに王が激怒して、姫を王宮から追放するという基本的な筋書きは、グリム童話もユダヤ民話も共通しています。
「塩」は聖書の多くの箇所で語られているのだけど、呪いや神罰と関係するエピソードがとりわけ有名なのよ。
主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。

(創世記19章24-26節)

あちゃー、「塩」という答えが呪いの言葉のように思えたから、「父親をまったく愛していないのか!」と娘に腹を立てたんですね……
グリム童話の王が「返礼」だと言って、姫に塩袋を背負わせて追放したのは、いわば呪い返し的な意味合いがあったのかも……?
もちろん、聖書の語る「塩」の意味は、呪いだけじゃないわ。

神との契約という意味でも語られているのよ!

これは、主の御前にあって、あなたとあなたと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である。

(民数記18章19節)

塩は時間が経っても腐敗しないから、神がその民を永遠に守ることを約束した象徴として、「塩の契約」と言っているのよ。

「塩」は「永遠の契約」の象徴って、これ以上ないぐらい良い意味で書いてあるじゃないですか!?
あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。

(マタイによる福音書5章13節)

そして、イエス・キリストは弟子たちに対して、こう語っています。
お姫さまの「塩と同じく大切だ」という答えには、料理の味つけ的な意味を超えた、深い意味がこめられていたんですね。
と言っても、王には姫の意図がまったく伝わらなくて、追放されてしまったけどね。
うーん、ネガティブな意味の言葉の方が、記憶に残りやすいんじゃない?

良い意味の言葉は、意識して覚えないと、すぐに忘れちゃうのかも……

2024/5/17


参考・引用:

『お静かに、父が昼寝しております―ユダヤの民話』(母袋夏生訳、岩波文庫)

『旧約聖書』『新約聖書』新共同訳
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登場人物紹介

南津海(なつみ)ちゃん


社会科研究部の部員。好奇心旺盛。

寿太郎(じゅたろう)くん


社会科研究部の部員。南津海ちゃんとは幼なじみ。

せとか先生


社会科研究部の顧問。専門は世界史。

みはや先生


専門は音楽。せとか先生と仲良し。

考えるカエル


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