第6話 いま見ておくべきドキュメンタリー(サンクチュアリ教会①)
文字数 4,295文字
『カルト集団と過激な信仰』(Cults and Extreme Belief)
アメリカのテレビ局A&Eが2018年に制作したドキュメンタリー・シリーズ。エミー賞を受賞したジャーナリスト、エリザベス・バーガスが当事者たちにインタビューする。
第5話「世界平和統一聖殿(World Peace and Unification Sanctuary)」で、ペンシルベニア州ニューファウンドランドのサンクチュアリ教会が取り上げられている。
サンクチュアリ教会は統一教会の分派となる組織である。
サンクチュアリ教会の指導者ショーン・ムーン(Sean Moon)は、統一教会の設立者サン・ミョン・ムーンの息子である。
ショーンは自らを「父の後継者」だと主張している。
テディは、「サンクチュアリ教会はキリストを語るが、キリスト教の組織ではない」と語る。
テディはムーン家の近隣に生まれ、統一教会の環境下で育った。
統一教会の会員であることは、ムーン家を信奉することを意味する。
ムーン夫妻は人類を救済する「真の父母」であると教えられ、実親以上に愛するよう指導された。
実家の壁には家族よりもムーン家の写真ばかり飾られていて、「監視されている気分だった」とテディは語る。
1950年代にサン・ミョン・ムーンが統一教会を設立。
ムーンは、若い頃にイエス・キリストの啓示を受けたと主張する。
ムーンは「人類のメシア」、「イエスの再臨」、「イエスが果たせなかった使命を成し遂げた王の中の王」であると自称した。
会員は、ムーンの霊的祝福(spiritual blessing)こそ天国への唯一の道であると信じる。
1970年代、統一教会は合同結婚式をヤンキースタジアムで開催。
合同結婚式では縁のない人同士が夫婦となるため、洗脳だと非難の声があがった。
「ムーン思想の拡大」にメディアの関心が集まり、キリスト教への新たな見解が論争の引き金になった。
ムーンの影響は財政界にも拡大し、ムーン家の事業は海産物の流通、自動車、武器製造など、およそ30億ドル相当におよんだ。
番組では、ムーンの息子でありショーンの異母兄サミュエル・パク(Samuel Pak)が取材に応じていた。
サミュエルも統一教会の環境下で育った、元会員である。
サミュエルによれば、ムーンの使命はイエスが果たせなかった「罪の汚れなき血統を作る」こと。
ムーンは妻のハク・チャ・ハン(Hak Ja Han)との間に多くの子を残した。
彼が作り上げた家族は「理想の家族とされ、原罪を持たない」と見なされた。
テディによれば、統一教会では会員が自ら出費して天国への道を得る。
精神を高める祝福のような儀式には常に参加料が必要で、対価を払う者のみが参加を許される。
信者は精神的な幸福を得るため、支払いを惜しまない。
1970年代当時の統一教会に対する抗議デモのプラカードには、
「ムーンは詐欺師」「ムーンは反キリスト」と書かれていた。
抗議デモに参加していた元会員の女性は、
「独裁的で疑問は許されなかった。お金を支払うことで神に尽くせると教えられた。
結局信仰心は金もうけと勧誘に利用されただけ」と語る。
元会員のクリストファー・エドワーズは、
「人はいずれ死を迎えるから、現実の生活に意味はない。天国は永遠」という教えに従い、
「ムーンが殺しを命じれば、僕は抵抗なく実行しただろう」と語った。
番組では、ジャーナリストのエリザベス・バーガスが「統一教会が当初からカルトとされていたのはなぜか?」と質問した。
社会学者でカルト専門家のステファン・ケント博士(Stephen Kent, Ph.D.)によれば、
統一教会がカルトとみなされた理由は、ムーン思想の本質が全体主義だからである。
若者たちに改心を要求し、すべてを投げ出して一日中、教団に尽くし、ムーンの教えに従うようにした。
ニューヨーク・タリータウンには、ムーン家の豪邸がある。
テディによれば、
ムーン家は大豪邸に住む一方、会員は財産を寄付して貧しい生活だった。
最終的に生活が続かず、退会を余儀なくされる。
2000年、テディが22歳の時に、テディと彼の両親は退会した。
キリスト教では、お金を含め、地上にあるすべてのものは人間のものではなく、神のものである、と認識している。
そして神はそれらの財産を管理する大切な役割を人間に与えてくださった、と考える。
ふつう、信託管理人が任されている財産に手を付ければ横領になる。
しかし神は、任せた財産の九割を人間が自分の必要のために使ってもよい、と言われた。
その上で、任せた財産のうち十分の一だけは神に返しなさい、と言われている。
さらにマラキ書3章6節-12節で、神は「十分の一の献げ物」を守った者に対して「祝福を限りなく注ぐであろう」と記されている。
「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。」(マタイによる福音書23章23節)
レビ人とは、古代イスラエルにおいて祭司として神に仕える人々であり、土地からの収入を持たなかった。
そのため、神は十分の一のささげものをレビ人を養うために使いなさい、と言われた。
さらに神はレビ人と同様に、十分の一のささげものを寄留者や孤児、配偶者を失った女性など、社会の中で弱い立場の人々を養うために使うべきである、と命じている。