第12話 アイスランドに伝わる恐怖のクリスマス猫
文字数 4,186文字
もうすぐクリスマス。今日は、アイスランドのクリスマス・ソングを集めた珍しいアルバムを紹介するわね。
アルバム:Hvít Er Borg Og Bær作曲:Ingibjörg Þorbergs
リリース:2006年(1987年収録)
アイスランドで1950年代に活躍したインギビョルグ・ソルベルグス(Ingibjörg Þorbergs)の楽曲を取り上げたアルバム。アイスランド国内のさまざまなアーティストが参加している。
アイスランドは北大西洋に浮かぶ小さな島国なんですね。面積は北海道と四国を合わせた程度で、人口は約34万人。
東京の中野区とか、埼玉の越谷市と同じくらいの人口だね。
一番のおすすめは、アルバムの8曲目、"Jólakötturinn"(ヨーラコットゥリン)。
まずは実際に聴いてみましょう。
歌詞の意味はわからないけど、聴いてて、なんだかゾクゾクする。イントロの楽器はハーディ・ガーディ……?
この曲のヴォーカルは、収録当時21歳~22歳だったビョーク・グズムンズドッティルなの。
そう、今や世界的歌手である、あのビョークが歌っているのよ!!
ビョークと言えば、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が有名ですよね!
歌の題名の"Jólakötturinn"(ヨーラコットゥリン)は、英語で言うと"Yule Cat"(ユール・キャット)、つまり「クリスマスの猫」を意味するのよ。
アイスランド語では「クリスマス」のことを jól(ヨゥル)と呼ぶ。
これは英語の Yule(ユール)と同じ語源の言葉である。
加えて、アイスランド語で köttur(コットゥル)と言えば、「猫」を意味する。
へー、クリスマスのことを北欧では「ユール」って言うんですね。
「ユール」は歴史的に、キリスト教が伝来するよりもはるか昔からゲルマン民族が守ってきた伝統で、冬至を境に太陽が再び長くなり始めるのを祝うお祭だったの。
キリスト教伝来以降は、この冬至祭の習慣にキリスト教的意味づけが加えられていきました。
もともと「ユール」と「クリスマス」は別の文化だったけど、今では「クリスマス」を表す言葉として「ユール」が使われているんですね。
冬至を祝うお祭りだったのが、キリストの降誕を祝うお祭りに意味が変わったのって、多くの人がキリスト教徒になったからですか?
アイスランドの文化は、元宗主国であるノルウェーやデンマークの影響を受けているの。
現代のアイスランドは、人口の約80%がプロテスタントのキリスト教徒で、そのほとんどがルター派のアイスランド国教会に属しているそうよ。
アイスランドのクリスマスは、僕らが知っているクリスマスとは違うんですか?
赤い服を着た白いひげのサンタクロースが赤鼻のトナカイの引くソリに乗ってプレゼントを配って回るクリスマスとは違う文化なんじゃない?
わたしたちが知っているサンタさんは猫飼ってないし……
アイスランドの民話には、クリスマスの時期に山から町へ降りてくるモンスターたちがたくさん登場するのよ!
サンタさんじゃなくて、モンスターがやって来るんですか!?
アイスランドのクリスマスを紹介する絵本を見てみましょう。
”The Yule Lads: A Celebration of Iceland's Christmas Folklore”
by Brian Pilkington (Author, Illustrator), 2001.
アイスランドのユールにやってくるのは、サンタクロースではなく、13人のトロールたちです。
「13人のトロール」たちは、アイスランド語でJólasveinarnir(ヨーラスヴェイナル)と呼ばれている。
英語で言うと、Yule Lads(ユールラッズ)である。
現代では、12月12日から一夜に一人ずつ山から降りてきて、クリスマス・イヴに13人全員集合し、また翌日から一人ずつ山へ帰るというストーリーになっている。
13人のユールラッズたちは、羊をおどかしたり、ヨーグルトを盗み食いしたり、肉やソーセージをくすねたり、キャンドルを盗むなどの悪さをしながら、良い子どもにはささやかなプレゼントを、悪い子どもにはジャガイモを贈ると言われているわ。
勝手に食べたり、盗んだり、はた迷惑な野郎だなぁ。
こんなのが13人も毎日順番に家に押しかけてくるのか……?
このユールラッズたちが、黒猫ちゃんを飼ってるんですよね?
ユールラッズたちの母親が、恐ろしい女巨人Grýla(グリーラ)なの。
さっきのアルバムの5曲目が、グリーラについての歌”Grýlukvæði”だから、聴いてみましょう。
この曲は、アイスランドの国民的歌手であるMegas(メガス)が歌っているの。彼は1945年生まれなので、収録当時は41歳~42歳。現在は77歳です。
ビョークはメガスを心から敬愛していて、彼のアルバムのバック・コーラスを務めていました。
彼女がバック・コーラスとして参加したメガスのアルバムは、なんと3枚もあるのよ。
この女巨人は、子供たちを誘拐して食べちゃうんですか!?
現代のグリーラは、クリスマスの時期に山から降りてきて、町を探して悪さをする子どもたちを狩り、巨大な袋に入れて持ち帰って、シチューにして食べてしまうというストーリでよく知られている。
グリーラの夫であるLeppalúði(レッパルージ)は怠け者の巨人で、妻が仕事に出ている間、ほとんど住処の洞窟で留守番しているという。
グリーラは、13世紀頃に書かれた『スノッリのエッダ』に登場する女巨人なのよ。
グリーラがクリスマスと結びつけられるようになったのは、17世紀以降なのだとか。
キリスト教改宗以前の北欧神話とクリスマスが習合した物語と言えるわね。
女巨人グリーラと怠け者の巨人レッパルージが、13人の息子たちと大きな黒猫と一緒に暮らしているというわけですね。
「ユール・キャット」は、こんな恐ろしい巨人ファミリーの飼い猫なんですね。
先ほどの絵本の中で、Jólakötturinn(ヨーラコットゥリン)、英語で言うと"Yule Cat"(ユール・キャット)を説明しているページを見てみましょう。
”The Yule Lads: A Celebration of Iceland's Christmas Folklore”より
「ユール・キャット」は牛のように巨大な猫で、クリスマスの時期に新しい羊毛の服を着ていない人々を食べてしまうの。
ビョークが歌っていたのは、こんな恐ろしい黒猫の物語だったんですね。
ビョークが歌った楽曲の歌詞を書いたのは、アイスランドで最も愛されている詩人のひとりである、Jóhannes úr Kötlum(1899年 - 1972年)です。
Jóhannes úr Kötlum(1899年 - 1972年)
その美しく流れるような言葉は、多くの音楽家たちにインスピレーションを与え、彼の詩に基づいた歌曲が200曲以上作られているという。
彼は、詩「Jólakötturinn」(ヨーラコットゥリン)の中で、クリスマスに全員に新しい服を与えるよう注意すれば、恐ろしいユール猫に捕まることはないだろうと書いている。
歌詞にある「新しい洋服を着なければいけない」というのは、羊毛業がアイスランド人の生活にとって重要な位置を占めていた現実を反映している。
かつて、羊毛の刈り取りは老いも若きも家族全員が取り掛かる仕事で、アイスランドではクリスマス期間の前に羊毛取引が行われていた。
自家製の毛糸を紡ぎ、冬を迎えるためのセーターや靴下やミトンなどを家族総出で編んで、クリスマス前に一生懸命働いた者たちだけがようやく新しい洋服を着ることができた。
そんな厳しい生活の中で、子どもたちの怠惰をいましめ、積極的に家内の仕事をさせるために、恐ろしいユール猫の民話は生まれたのだろう。
ちなみに、現代のアイスランド語は、千年以上前から文法構造がほとんど変化していない、超古風な言語なのだそうよ。
日本語で考えるなら、紫式部や清少納言が使っていたのと同じ言葉を、現代のわたしたちが話しているようなものだから、アイスランド語って奇跡ですね。
「ユール・キャット」の歌を、別の歌い手さんでも聴いてみましょう!
ヴォーカル:Ragnheiður Gröndal
収録アルバム:Vetrarljóð, 2004年
Ragnheiður Gröndalはアイスランド出身の1984年生まれ。
アイスランド国内では2006年に年間最優秀歌手に選ばれている。
最初に聴いたビョークの荒々しい歌声も味わい深いですけど、こちらの透き通った歌声は真冬の凍てつく寒さを感じるようで、また違った魅力がありますね。
「13人のユールラッズ」は、最近では「13人のサンタクロース」とも呼ばれているの。
もともとサンタクロースとは全く関係ないにも関わらず、赤い帽子をかぶり、白いひげを生やし、子供たちにプレゼントを配る姿で描かれるようになったそうよ。
だんだん僕らの知ってるサンタの姿に近づいているんですね。やっぱりアメリカ文化の影響なんでしょうか?
今や世界中でサンタクロースと言えば、赤い洋服を着て赤い帽子をかぶり、白いひげを生やした恰幅のよい男性というイメージだが、これは20世紀にコカ・コーラが自社商品の宣伝を通して広めた姿である。
近年のアイスランドでは、冷戦時代にアメリカ軍が駐留していたためか、アメリカのクリスマス文化の影響も強く受けるようになっている。
その地域に固有のクリスマス、あるいはユールを祝う文化が忘れ去られて、全てがコカコーラ・レッドのサンタに取って代わられたら、さみしいと思うわ……
「ユール・キャット」の歌は、昔ながらの言い伝えをもとに詩が書かれ、その詩に曲がつけられて、1980年代後半にビョークが歌ったわけですね。
その歌が忘れ去られてしまわずに、今でも若手歌手によってカバーされてるって、ステキだと思うな。
クリスマスの時期になると山から町へとやってくる、恐ろしい巨大な黒猫の歌。
これからも歌い継がれていってほしいものね。
2020/12/252024/04/05 チャット版にリライトしました。
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