第20話 台湾に行きたいわん!③(士林夜市&中正紀念堂)

文字数 5,037文字

台北101/世貿駅から淡水信義線に乗り、剣潭駅で降りて、士林夜市」(シーリンイエシー)へ!

台北市内で最大のナイトマーケットよ!
わあ、すごい活気がありますね!
左奥の水色の看板に「豪大大鶏排」という文字が見えるかしら?
お店の前に行列が並んでいますね。
この「豪大大鶏排」では、顔ほどの大きさがある巨大フライドチキン、大鶏排」(ターチーパイ)が食べられるの!
巨大フライドチキン!!
揚げ立てで、口の中が火傷しそうなほど熱々の鶏排だったわ!

大きすぎて食べきれなくてね、持ち帰ってホテルで夜食に食べたの。

何でもない日に、お祭りの日のような屋台が出ているんですね!?
そうそう、細い路地に屋台がぎゅうぎゅうに並んでいてね、軽食を食べたり、雑貨や衣料品を買ったり、景品つきのゲームが楽しめるわよ!
上野のアメ横商店街みたいな雰囲気ですね!

にぎやかで好きだな!!

カットフルーツの屋台で、釈迦頭(シュガーアップル)が飾られていたの。

屋台のおじさんに「これ食べたいです」と頼んだら、「これは食べられない」と断られてね、目の前にあるのにカットしてくれなかったのよ。

釈迦頭っていう南国フルーツがあるんですね!?

日本のスーパーでは一度も見たことないです。

理由をたずねると、屋台のおじさんから「二日か、二週間か待って」と言われてね。

よく分からないけど、今は旬の時期じゃないのだな、と理解したの。

店頭に飾っていたやつ、よくできた食品サンプルだったんですかね?

あきらめて帰ろうとしたら、おじさんが「ちょっと待って」と、何かのフルーツのカットを入れた容器を奥から持ってきて、「これあげる」と差し出してきたのよ。

「お代は?」と聞くと、「いらない」と言われてね!

え、プレゼント!? 売り物なのに??
「いや、払うよ」と言っても、「いいからいいから」と押しきられちゃって、そのままもらって帰ったの。

何の果物かわからなかったけど、甘くておいしかったわよ!

おっちゃん……

マジでなぞすぎる……
そのもらったフルーツって、釈迦頭だったんですか……?

洋梨みたいな白い果肉に黒い種のあるフルーツだったの。

ネットの写真で見た釈迦頭に似ている気がするけど、断定はできないわね……

でも、旬の時期じゃないのはたしかなんですよね?
冷凍していた釈迦頭をカットしたものかもしれないですよね!
8月頃になると豊洲市場に台湾産のフローズン釈迦頭が入荷するそうです。

豊洲で買って食べてみれば、真相が明らかになるはず!

夜市が開かれている士林区は、もともと平埔族が暮らしていた土地で、かつては八芝蘭」という地名で呼ばれていたそうよ。
艋舺と同じで、八芝蘭も平埔族の言葉にちなんだ地名なんですか?
このあたりで蘭の花を栽培していたんじゃない?
平埔族の言葉で「温泉」を意味する「パッツィラン」に、発音が似ている「八芝蘭」という漢字が当てられたそうなの!
え、この近くに温泉があったんですか!?
清の康熙帝の時代の役人だった郁永河が記した『裨海記遊』という道中記があるの。

郁永河は、火薬の原料となる硫黄を採掘する目的で、台湾に上陸したのよ。

硫黄を採掘できる場所があるってことは、当時から温泉がわいていたんですね。
『裨海記遊』は、郁永河が見聞きした平埔族の人々の様子や文化、台湾の地形が記録されているの。

現在の士林にあたる土地には「麻少翁」と呼ばれる集落があったと記されているわ。

台北市内には「紗帽山温泉」「北投温泉」という温泉街があるそうです。
北投温泉が湧き出る「硫黄谷」と「龍鳳谷」は、清の時代からの硫黄採掘場の跡地なんですね。

清朝末期に「八芝蘭」から発音の似た「士林」に改名されたの。

公務員試験に合格する優秀な人材を多く輩出したため、「学者の森」を意味するそうよ。

学問が盛んな地域が、どうして屋台街になったんですか?
屋台と屋台の間にお寺のような建物があるのが分かるかしら?
暗くてよく見えません……

こんな屋台に埋もれたところにお寺があるんですか?

わあ、たくさんの赤い提灯が幻想的ですね!!
正確に言うと、ここはお寺ではなくてね、航海の女神である媽祖を祀る「慈誠宮」なの。

「士林媽祖廟」とも呼ばれていて、1796年に建立されたそうよ。

古くからこの地域の人々の信仰の場となっていたんですね。
参拝にやってきた人々を目当てに、廟やお寺の門前に露店が集まり、屋台が並んでにぎわうようになったのが、夜市の始まりと言われているの。
浅草寺へつながる仲見世通りや、伊勢神宮前のおかげ横丁みたいな感じですね。
士林では日本統治時代、慈誠宮と向かい合う位置に公共市場が設けられて、参拝客と買い物客が相乗効果となり、屋台街がどんどん発展していったそうよ。
士林市場は100年を超える歴史を持っているんですね!
慈誠宮周辺は、士林夜市の発祥の地なんですね!
龍山寺で見てきたように、慈誠宮でもお米やお酒がたくさん奉納されていてね。

地元の人々の媽祖に対する信仰心をひしひしと感じたわ!

この子は、慈誠宮の境内で出会った黒猫さん!
わあ! しゅっとして凛々しい猫ちゃんですね!

次の日、再び台北101/世貿駅から淡水信義線に乗りこみ、中正紀念堂駅で下車!

国立中正紀念堂は、蔣介石を記念するメモリアルホールで、「中正」とは蒋介石の別名なのよ。

青い屋根にかがやく白い壁!

台湾の国旗「青天白日満地紅旗」の紋章の色ですね。

うわ、でっか!!!
蔣介石は中華民国の初代総統で、国共内戦の中で、1949年に中国国民党を率いて台湾に渡り、台北を中華民国の臨時首都としたそうです。
蒋介石の巨大なブロンズ像を、衛兵が直立不動で守っているってのは、何ていうか……個人崇拝を強く感じますね。
中華民国の歴史において、蔣介石は最も長く在位した国家元首で、初代から第5代までの総統を務めたの。
ええ、多選しすぎじゃないですか!?
中正紀念堂は蔣介石の死去から5年後の1980年に完成した建物だから、彼が「神格化」されていた時代の名残りがあるわね。

でも、みんなに見てほしいのは、この巨大な像じゃないのよ!

観光ガイドには、イケメンぞろいの儀仗兵さんたちの交代式が見どころって書いてありますけど?
「自由的霊魂VS.独裁者 台湾言論自由之路」って……!?
この独裁者って、蔣介石を指しているんですか!?
そう、現在では蔣介石の評価の見直しが行われていてね、彼が功罪ある政治家であったことがよく分かる展示になっているのよ。
蔣介石の功績をたたえるだけじゃないんですね。
蔣介石の遺品を展示した「蔣中正総統文物展視室」と常設展示「蒋介石総統と中華民国」は、彼の功績を伝える内容だったわ。

もう一つの常設展示「自由の精神VS.独裁者 台湾における言論の自由への道」は、彼が人権を不当に抑圧した独裁者であったことを明らかにする内容だったのよ。

自由の精神VS.独裁者 台湾における言論の自由への道


第一部:言論統制体制の形成

第二部:1945年~1949年 台湾マスメディアの大惨事と四六事件

第三部:1950年代 『自由中国』と省籍問わずの戦い

第四部:1960年代 言論窒息に屈しない民主運動家の姿

第五部:1970年~1980年代 党外反対運動の挫折と突破

第六部:1987年~1992年代 最後1マイルの犠牲と衝突

結語:新しい時代の挑戦

台湾では過去に国家ぐるみの人権侵害問題がおきていたんですね……!?

日本の敗戦後、GHQに代わって台湾を接収した国民党政府は、1949年から1987年まで38年間にわたって戒厳令を発令し、一党独裁体制の中で言論を厳しく統制しました。

戒厳令だとどうなるんですか?

戒厳令とは、国家の非常事態に国民の行動を制限する法律で、発令された場合、国の統治権の全部または一部が一時的に軍のものになるの。

軍事独裁政権によって、国民の自由と権利が制限されるわけですね。

そんな戦時体制を38年間も……!?

戒厳令下の台湾では、特務機関、軍関係者、憲兵、警察などが「政治犯」を捕まえる目的で、疑いをかけた市民を逮捕し、尋問や拷問にかける権利を持っていたのよ。

「政治犯」として逮捕されたのは、どのような人たちだったんですか?
「政治犯」として捕まった人々の中には、政府を批判するジャーナリストや有識者たち、民主主義運動を行っていた活動家、読書会に参加しただけの学生など、その数は台湾全土で数十万人以上と言われているの。
そんなことで逮捕されちゃうんですか!? 怖い……
国民の思想・言論・集会・団結の自由を侵害することが、法律で許されているなんて、おかしいですよ!

戒厳令下の台湾において、国民党政府が反体制派とみなした人々に対して行った政治的な弾圧のことを「白色恐怖」(白色テロ)と呼ぶそうよ。

白色テロって初めて聞きました……
テロリストって言うと、反体制派をイメージするけど……

白色テロは国家主導の暴力、恐怖政治を意味するんですね。

展示の第四部のタイトルに掲げられた「言論窒息」という言葉が、当時の状況をリアルに表現していると思ったわ。

言論の自由がなければ、精神は息ができず、真実は窒息死する、という感じですね。

自由っていうのは、失ってはじめて息苦しさに気づく、空気のようなものなんだ……
展示では、白色テロの被害者の記録や被害者遺族の証言、当時の新聞や雑誌などの史料が公開されていたの。

台湾の現代詩人である向陽が書いた、人権抑圧の時代を象徴するが掲げられていたわ。

現在では、白色テロ時代の真相究明や、不当に逮捕された被害者の名誉回復が行われているんですね。

第六部の展示は、衝撃だったわ……

雑誌『自由時代』の編集長で、「100%の言論の自由」を目指した鄭南榕は、逮捕される直前に自ら火を放って抗議の自殺をしたそうなの。
抗議の焼身自殺!!??
その火事の痕跡が生々しく残る編集長室が復元され、公開されていたのよ。

イタリアの現代彫刻家アロン・デメツの"Burning"と名付けられたブロンズ像がすぐそばに展示されていて、まるで遺体のように見えたわ。

台湾が自由な国になるために、命をかけて闘ったんだ……

鄭南榕が焼身自殺した実際の編集長室は、今も事件当時のまま保存されていて、鄭南榕紀念館となっているそうよ。

記憶を風化させないために、遺構を残しているんですね……

鄭南榕の葬儀の日、総統府前までデモ行進した葬列を警察が阻止しようとして、同じく民主活動家の詹益樺も焼身自殺したそうなの。

1980年代の民主化を求める市民運動が、それほど壮絶な闘いだったなんて……

1990年代に国会の全面改選と総統直接選挙が実現し、台湾は自由の国となりました。

イギリスの雑誌『エコノミスト』の調査部門が発表した「2022年民主主義指数報告」では、167の国・地域のうち、台湾は世界10位に入ったのよ!

「2022年民主主義指数報告」によると、日本は16位、アメリカは30位、ロシアは146位、中国は156位なんですね。

僕たちにとっても他人事じゃない。

戦前・戦中の特高警察とか、国家による人権侵害の苦い歴史を忘れてはいけないよ。

自由や民主主義は、空気のようにあって当たり前に感じていたけど、本当はそうじゃないんだね……

気がついたら、息ができなくなっているかもしれない……

今回の旅でいちばん心に残ったのが、この展示「自由の精神VS.独裁者 台湾における言論の自由への道」だったから、どうしても伝えたかったの。

ううううう、事実が持つ圧倒的な力に打ちのめされた感じです。

今度、台湾で話題の映画『返校』(2019年)を観てみようかな、と思いました。

しんみりした空気のままで終わらないわよ。

最後の目的地へ向かって、つづく!!

2023/06/17


追記(2023/07/11)

台湾在住の南ノ三奈乃さんがカットフルーツ屋台のおじさんについて教えてくださいました。

釈迦頭は熟れるのが早いため、通常、店頭ではまだ熟れてない状態で売っているそうです。

観光客の場合、数日置いてから食べるものだと知らず、買ってすぐ食べてしまうのではないかと心配し、屋台のおじさんは「まだ熟れてないから食べられません」という意味で断ったのだろう、ということでした。

ここで、あえて売らなかったというのが、おじさんの誠実な対応だったということです。その上、親切になにか別のフルーツまでサービスしてくれたのでした。

あのときの屋台のおじさん、どうもありがとうございます!!


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登場人物紹介

南津海(なつみ)ちゃん


社会科研究部の部員。好奇心旺盛。

寿太郎(じゅたろう)くん


社会科研究部の部員。南津海ちゃんとは幼なじみ。

せとか先生


社会科研究部の顧問。専門は世界史。

みはや先生


専門は音楽。せとか先生と仲良し。

考えるカエル


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