第5話 ソビエト映画『チェブラーシカ』②(ペレストロイカとエコロジー)

文字数 4,676文字

わたしがチェブラーシカ・シリーズを初めて映画館で観たのは、2008年のことなの。

『ワニのゲーナ』(1969年)

『チェブラーシカ』(1971年)

『シャパクリャーク』(1974年)

『チェブラーシカ学校へ行く』(1983年)

この全四部作が、三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー提供作品として劇場公開されたのよ。
三鷹の森ジブリ美術館!

行ったことあります!!

これが、劇場公開当時に映画館で押した記念スタンプ!
もともとDVDで観ていて、大好きな作品だったから、大画面で観ることができて感激だったわ。
チェブかわいい!

チェブラーシカとワニのゲーナは、ロシア国内でもっとも人気のあるキャラクターなの。

アネクドート(小噺)でもよく登場するのよ。

ゲーナがトイレのなかに落っこちてしまい、叫んでいます。

「チェブラーシュカ、縄を投げてくれ」

チュブラーシュカは鎖を引っぱって

「これのこと?」

という、ソビエト時代のばかばかしいアネクドートがあるわ。

当時のトイレは、鎖を引っぱって水を流す仕組みが一般的だったそうよ。

え、じゃあゲーナはトイレに流され……
「アネクドート」って、ロシアン・ジョークなんですね。

日本とは笑いのツボが違うなあ。

全四部作のうち、わたしがいちばん名作だと思うのは『シャパクリャーク』(1974年)よ!
パペットアニメ映画『シャパクリャーク』(1974年)

ロマン・カチャーノフ監督、レオニード・シュワルツマン美術監督

原作:エドゥアルド・ウスペンスキー『ワニのゲーナの休暇』


ゲーナとチェブラーシカは、モスクワ発ヤルタ行きの列車で海に出かけます。

ところが、いじわるなシャパクリャーク婆さんに切付と財布を盗まれてしまい、二人はモスクワから200km離れた駅で降車し、歩いて帰ることに。

その道中で、ゲーナとチェブラーシカは地元の子どもたちと協力し、森や川をきれいにするため、工場や密猟者と戦います。

この映画の中で、公害の問題が取り上げられているのよ。

(上の動画10:20頃から)

川遊びをする子どもたちに、ゲーナが「なぜそんなに汚れてるんだい?」と尋ねます。


ゲーナは、製材工場から流れ出た廃水によって川の水が汚染されていることを知って、工場長に会いに行き、直接抗議するのです


ゲーナの抗議を受けた工場長は、ゲーナが執務室から出て行ってすぐに、排水管が外から見える状態だったのを、埋設するよう指示します。

外部から見えないよう隠して、廃水を垂れ流し続けたのです。


抗議を無視した、悪質な工場をこらしめるため、ワニのゲーナは川に潜って……。

工場の廃水が川の水質汚染の原因だとはっきり描いているんですね。
ゲーナから抗議を受けてすぐ、工場長が隠ぺいを指示するところがすごくリアルですね。
問題を先送りにしているんだ。

悪質だなあ。

環境問題について協議する世界で初めての国際会議、国連人間環境会議がストックホルムで開催されたのは、1972年のことです。

この映画『シャパクリャーク』が公開されたのは、1974年。

その国連人間環境会議から、わずか2年後なんですね。

ソビエト国内で環境問題の解決に向けた取り組みが公式に始まったのは、ゴルバチョフのペレストロイカの時代になってからなのよ。

1988年、ソビエト連邦最高会議が「国の自然保護の抜本的な再構築について」の決議をし、その決定に従い、「ソ連の自然保護のための連合共和国国家委員会」(Госкомприроды СССРが新しく設立された。※1
それより10年以上も早くに、映画のなかで環境問題を真っ正面から描いているんですね!!

公害の事実があっても、それをまだ国家が認めていない時代に、環境汚染に対する批判をはっきり描いたというのは、とても勇気がいることだったでしょうね。

実はものすごい勇気がいることだったんですね!
1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故が契機となって、ソビエト当局の環境に対する政策が変わったと言われているわ。※2
わりと最近、HBO制作のドラマ『チェルノブイリ』(2019年)を見ましたよ。

エミー賞やゴールデングローブ賞を受賞していました。

1949年から1967年にわたって、チェリャビンスクに位置するマヤーク核兵器生産コンビナートにおいて、高レベルの放射性廃棄物による汚染事故が何度も発生していました。
ええ、チェルノブイリ原発事故が起こるずっと前から、放射能汚染問題があったんですか!?

1948年に稼働が始まったチェリャビンスク核兵器生産工場は、中レベルおよび高レベルの放射性廃液を1949から1956年までの間、テチャ川、イセト川、トボル川に垂れ流していた


テチャ、イセト、トボル川周辺の住民12万4千人が外部被ばくとともに内部被ばくも受けた。テチャ川を飲料水源としていた2万8千人の住民は、特に高い被ばくを受けたと言われている。


1957年には、同じチェリャビンスクの再処理施設で、高レベルの液体放射性廃棄物貯蔵タンクの爆発事故が起こり、テチャ川の下流にあたるチェリャビンスク州、スヴェルドロフスク州、チュメニ州などを300kmにわたって汚染した。

この事件はキシュテム事故、あるいはウラル核惨事などと呼ばれている。

いくら当時の技術が未熟だったとしても、放射性廃液を自然の川に垂れ流しだなんて、おかしいですよ!
テチャ川の汚染問題を解決するために、1951年からカラチャイ湖に液体放射性廃棄物が投棄されました。
今度は自然の湖に垂れ流し……
自然湖を放射性廃液の開放貯蔵所として使用するなんて、意味がわからないです。

1967年にはカラチャイ湖が干上がり、湖底の泥に沈着していた放射性物質が乾燥して飛散した。

放射性エアロゾルによる汚染地域は2700平方キロメートルに広がり、4万1500人の住民が被ばくを受けた。


湖にはセシウム137とストロンチウム90を含む、長寿命の放射性核種の約1億5000万キュリーが蓄積していたと推測されている。これはチェルノブイリ6基分に相当する。

1986年からカラチャイ湖の埋め立て工事が始まり、つい最近の2015年までかかって、ようやく完全にコンクリートブロックで覆われたそうよ。
うわあ、つい最近まで工事がつづいていたんですね。
でも湖の水を浄化したわけじゃなくて、放射性物質が飛散しないようにコンクリートで覆っただけだよ。
日本ではあまり知られていないけど、1980年代後半になって、ソビエト連邦内で環境汚染に対する抗議活動が行われるようになったのよ。
日本で公害反対運動が盛り上がったように、ソビエト連邦内でも住民たちがついに声をあげたんですね。

バイカル保護運動は、ソビエト連邦で最も大規模で有名な環境運動のひとつと言われているわ。

「バイカルは我々の魂」と書かれたプラカードを掲げる住民たち。
「バイカルとイルクートを守ろう」と書かれた横断幕を掲げるデモ行進。

バイカル保護運動

1966年から操業していたバイカル製紙コンビナート(БЦБК)は、バイカル湖の最大の汚染源として多くの科学者や地元住民の抗議を引き起こした。


1987年11月22日、ソビエト連邦の歴史で最初の大規模なデモがイルクーツクで起こった。

バイカル製紙コンビナートからイルクート川に産業廃水を投棄するためのパイプラインに対して、10万7千筆の抗議署名が集まり、約5千人がデモ行進した。※3

バイカル湖は「聖なる海」と呼ばれて、地元の人々から親しまれていたんですね。
抗議運動にもかかわらず、バイカル製紙コンビナートの操業は2013年まで続きました。
1987年のデモ行進が、バイカル湖を救うための長い闘いの始まりだったんですね。
半世紀にわたって蓄積された、620万立方メートル以上の産業廃棄物を除去するプロジェクトは、2018年から始まって、現在も処理が進められているそうよ。
『アガニョーク』1923年から2020年までモスクワで発行された写真報道週刊誌。

1989年1月の第3号には「祖国の煙」と題した大気汚染特集記事。

「町にきれいな空気を」と書かれた横断幕を掲げるデモ行進。
「エコロジー・グラスノスチ、ペレストロイカ」と書かれたプラカードを掲げる人々。
ペレストロイカの時代では、政治だけでなく、エコロジー分野におけるグラスノスチ(情報公開)もホットなトピックだったのよ。
「グラスノスチ」とは情報公開の意味なんですね。
水や大気の汚染に関する情報公開は、わたしたちの命にかかわる大事なことだと思います。
自分の体調不良の原因が分からなければ、適切な治療を受けられないし、汚染されていない地域に移住する判断もできないですよね。

1957年のキシュテム事故は、現代の国際分類によるとチェルノブイリ原発事故や福島第一原発事故に次ぐ危険度だったのにもかかわらず、長い間、国家によって事実を隠されていました。

どうして政府は重大な事故を隠していたんですか?
なぜかと言うと、事故が起こったマヤーク核兵器生産コンビナートは「65番の町」という暗号名でのみ呼ばれる、地図にのらない秘密都市にあったからです。

ああ、映画『テネット』の回でやった「閉鎖都市」のことですね。

たしかにそこに町があるのに、地図や公式文書には一切名前がのらない秘密都市……

映画『テネット』の回では「40番の町」のドキュメンタリーを一緒に観ましたけど、今回は「65番の町」なんですね。
そう、キシュテム事故についてソビエト連邦最高会議で初めて公式に報告されたのは、1989年のことなのよ。
キシュテム事故はチェルノブイリ原発事故よりもずっと前に起こっていたのに、情報公開されたのは、チェルノブイリ原発事故よりも後なんですね。
ペレストロイカの時代になって、ようやく情報公開されたんですね。
日本もそうだけど、ソビエト連邦の歴史を振り返ってみると、産業廃水を川や湖に垂れ流す事件がいかに多かったかが分かるわね。
映画『シャパクリャーク』でも描かれていたように、公害が起きた事実それ自体よりも、その事実を隠ぺいしようとする人間の心の方が問題だと思います。

ホント、あの工場長は象徴的なキャラクターだよね。

当時の技術や知識が未熟だったせいもあると思うけど、やっぱり、公害の被害者たちの声を無視しつづけていたから、被害が拡大したんだと思う。

国家による逮捕や投獄を恐れず、大気や水や土壌の汚染に苦しむ人々が抗議の声を上げた公害反対運動は、その後の政治的変動に火をつける役割を果たしたのです。

バイカル湖を守るためのデモ行進は、ペレストロイカの時代を象徴する画期的な出来事だったんですね!

2022/7/13 書き下ろし

(読書ブログ「真空溶媒」2008/10/02掲載記事を大幅に改稿、加筆しました)

2024/2/21 チャット版にリライトしました。


※1 Экология и освободительная Перестройка Горбачева.

※2 Яковлев Григорий Андреевич, Экологическая политика в СССР в 1986–1991 годах, Национальный исследовательский университет «Высшая школа экономики», 2020.

※3 Первая в истории СССР массовая демонстрация протеста. Иркутск. 22 ноября 1987 года.

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登場人物紹介

南津海(なつみ)ちゃん


社会科研究部の部員。好奇心旺盛。

寿太郎(じゅたろう)くん


社会科研究部の部員。南津海ちゃんとは幼なじみ。

せとか先生


社会科研究部の顧問。専門は世界史。

みはや先生


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