第1話「勧進能」

文字数 17,572文字

  勧進能


                  一


 天文一九年(1550)正月。
 甲斐国府中の躑躅ケ崎館で新年の祝を終えた小山田出羽守信有は、その席に招かれた猿楽一座とともに郡内へ向かっていた。
 甲斐国中から郡内へ行く主要道は、律令の古から官道として整備された御坂路である。しかし、彼らが向かうのは、道幅も狭く荒れた笹子峠だ。
「谷村様、思ったより刻を費やしてしもうた。とんだ寄り道をさせてしまい……」
「儂にも必要なこと。無駄にあらず」
 猿楽一座の主は、諸国を旅する大蔵太夫十郎信安。甲斐に通って、もう永い。武田晴信とも入魂の関係であり、諸国の戦国大名とも交わりがある。小山田信有との関係は、もう一〇年近くになろうか。
「雪がちらついてきた。急ごう」
 駒飼からは馬を降り、かれこれ半刻(およそ1時間)は歩いて息急く信有が、ゆっくりと振り返った。
「猿楽衆、じきに峠じゃ。峠さえ越せば、あとは下るだけぞ。こういう道じゃ、もうしばらく我慢してくんにょ」
 信有より少し離れたところから、小林宮内助が大声で叫んだ。
「造作なき。大きな荷は大善寺に置いてきたから、身軽なものじゃ」
 大蔵太夫十郎信安が手を振った。
 彼らが御坂路を逸れて笹子峠を目指すのは、勝沼に立ち寄る理由があったからだ。大蔵一座は、武田晴信から、ある要請を受けていた。
 勝沼大善寺勧進能。
 その下見を兼ねて、ほんの三日前、甲斐入りをした。
 大蔵太夫十郎信安が甲斐に馴染んだのは、先代国主・信虎の頃だ。大蔵信安の父は春日大社で奉仕する金春流猿楽師、伝統を重んじる一族である。そこから独立して大蔵流を立ち上げた信安は、その芸能ゆえに諸国へと顔が利いた。〈武田晴信お抱え猿楽師〉という一面を持つ彼らは、比較的自由な存在でありながら、とどのつまりは〈芸能間者〉という顔を持つ。
 無論、武田だけの間者ではない。
 そういう漂白民(わたり)にも似た彼らの立場を理解する晴信だからこそ、大蔵一座を束縛もしないし、云いたくはないことを強いて問い質さない。時には武田の情報も少しは握らせてやる。それで、他国における大蔵一座の立場を守っているのだ。
 晴信の気遣いは、誰にも真似のできることではない。
 ゆえに大蔵信安は武田が好きだった。
 このたび、彼らは勧進能を催すため甲斐にきた。興業はまだ先だが、色々とすることも多い。興業の場となる勝沼大善寺は、国中の盆地を東より見下ろす高台にある。行基ゆかりの古刹だが、代々武田家の庇護が厚い。
 ここで勧進能を催すのは、一〇年ぶりになろうか。
 能奉行に任じられている小山田信有にとっても、この寄り道は決して無駄ではない。すること定めることは多く、能の場を直接把握することは大事なことだ。予定が遅れたのは信有の用件が多すぎたためである。
 大善寺に舞台道具を留めて、一座の者は郡内に向かった。
 猿楽の者たちは大善寺に留まってもよかったのだが、新年早々、一座を労いたい。小山田信有の気遣いだ。道が難儀なものでも、その心遣いに、一座は感謝した。
 勝沼からの最短の道は、けもの路である笹子峠。この道を選択したのは、大善寺からの要請による。本来ならば馬で越せる御坂峠が、楽な行程だった。大善寺の依頼は、表向き笹子狼煙番への差入れだ。別の意図も含まれるが、それは武田家と大善寺の間のこと、信有はただ用を頼まれたに過ぎない。
 笹子峠には関所はないが、狼煙台があり、番役が交替で詰めていた。先発の小者の報せで、狼煙番の若い衆が迎えに降りてきた。
「相変わらず道が悪い」
 小山田信有は息が上がりながらも、そういって笑った。そこから峠まで半刻、風は冷たい。やがて、尾根を切り下げた地形を生かした笹子峠の柵が見えてきた。
「谷村様、どうしたこんで」
 番衆の頭がじきじきに出迎えた。
「大善寺の住持から頼まれたのだ。正月なのに御苦労じゃな、冷えるから程々に」
 そういって、小山田信有は小林宮内助から渡された徳利と密書を、番頭に差し出した。
「これは、有難えこんで」
 番頭は、狼煙という特殊技術者を統括する。これは武田家のトップシークレット、重要機密のひとつだ。薬品の調合次第で、彼らは様々な色の烽火を炊き上げる。その色や煙の形状で、あらゆる情報が一瞬のうちに晴信のもとへ届く。晴信は技術者の育成については一切を惜しまなかった。
「特に、何か変わったことは?」
「何もねえので、退屈ずら」
「なんの、退屈であることは、いいことだぞ」
 信有の言葉に、彼らは大笑いした。
 笹子峠は山の頂上ではない。街道の左右は急角度の斜面に挟まれ、狼煙番たちの詰小屋がこれを見下ろしている。有事には街道を封鎖できる構造だ。この先は下り道で、視界には連なる山並みが幾重にも広がっていた。
 雪は、まだ風花程度だが、次第に強く舞い始めている。
「郡内、積もりそうです。お急ぎを」
 番頭の言葉に、信有は手を上げて応えた。
 後世〈矢立の杉〉と呼ばれる弓修練の大木脇を無言で過ぎ、追分まで辿り着いた頃に、雪は本降りとなった。黒垈(のちの黒野田)の笹子川畔には谷村館からの迎えの兵がいた。正しくは初狩から郡内領になるが、黒垈で兵たちに迎えられたことで、小山田信有は安堵した。
「大蔵一座にも馬を」
「心得てござる」
 手際の良さに、信有は満足した。初狩口役所で白湯を口にしたあと、一行は桂林寺への山越えを急いだ。雪が積もる前に、谷村に着きたかった。近ケ坂峠より中津森を過ぎて、彼らが谷村の屋敷に着いた頃には、陽はすっかり落ちていた。
「客人を持てなすべし」
 出迎えた小林和泉守房実に、信有は促した。
「既に支度を」
「さすがは和泉守である。宮内助は、まだまだ父に及ばぬようだ」
 傍らの小林宮内助は悪びれもなく
「年の功にて」
「口だけは達者じゃ」
 小林房実は、信有に随行した宮内助の父にあたる。河口船津に本拠を構える小林和泉守家は、小山田四長老家のひとつ弾正家と縁戚関係にあり、信有の頼れる家臣であった。
 寒い夜の風呂は、最上の馳走である。これに酒肴が振る舞われることは、稀なる賓客に等しい。このたびの大蔵太夫十郎信安一座は、そういう立場にあった。


                  二


 勧進能の話は、昨年の秋に決まった。
 元々は大風で屋根が壊れた大善寺檜皮の葺替え資金とするため、天文九年に半勧進を行った。その残り半分をいつにすべきか、留保されていたのである。無理もない。そのときの甲斐国主は  先代・武田信虎。
 翌年、晴信は父・信虎を駿河へ追放した。この代替わりが、半勧請を後回しにしていたのだ。
 やっと、晴信は小山田信有に能奉行を任じた。この時期に勧進能を行うことには、理由がある。二年前の〈上田原合戦〉で、武田晴信は両腕とも頼む家老・板垣信方と甘利虎泰を失った。兵の士気を高める、何かしらの興業が欲しい。そもそも勧進能を催すべしという献策は、ほかならぬ小山田信有のものだ。なればこそ、能奉行に任じられることは、自然な成りゆきと云えよう。
 その夜、大蔵信安は信有に能の演目を打診し、これが定まらず、有耶無耶のうちに床に就いた。
 大蔵流は狂言方として一派を興している。しかし、金春流シテ方だった過去から、能演目を演じる素養も持っていた。今回は公の興業ゆえ、遅れて来る保性太夫に能のシテ方を任せる予定だ。それまでに狂言方の演目が定まれば、保性太夫も演目の組み合わせが易いだろう。
 大蔵信安の考えは、そういうことだった。

 郡内小山田家は、甲斐の東国境から富士山麓にかけて勢力を有する一族である。
 甲斐源氏の武田家が国中に勢力を拡げた平安末期にやや遅れ、鎌倉時代に有力御家人としてこの地に根を張った。以来、時代の波に応じ、時には武田氏と盟し、時には反目もしながら領土を存続してきた。
 同盟とは、対等の関係を意味する。
 しかし、現在の武田を率いる晴信は大器だ。甲斐国内にこれ以上の大器はない。ゆえに、自然と家臣のような位置づけに収まって久しい。このことに不満を持つ者もいる。しかし、武田に弓引くよりも、共存と引き換えに自己主張をすることが得策だった。
 小山田信有とて、武田の家臣になったつもりはない。しかし、状況に抗うつもりもなかった。少なくとも郡内の独立は保持され、武田の定めた法度とは別の独自法も認められている。このことは、武田晴信の支配領域で特別の待遇だ。同族穴山氏の南部河内でも認められていない。その意味でいえば、小山田信有は郡内が独自同盟なのだという建前を、武田家から勝ち得たともいえる。
 独立した存在でありながら、従属する矛盾。
 この矛盾を理解した上でなければ、この戦国期における小山田家を語ることは出来ない。

 雪は浅く積もった。昼には溶けてしまう程度だが、日陰は根雪となる。
 しかし、慣れた人々の生活は些かも変わりがない。
 気の利いた民衆は、進んで街道の雪を掻き、経済の流通も滞るところがなかった。
 谷村館の離れに滞在する大蔵太夫十郎信安一座は、演目はさておき、日課となる舞と囃子の修練を朝食前に行っていた。大蔵一座は狂言方であるが、修練は敢えて能を選ぶのが、大蔵信安なりのこだわりだった。
「新之丞、手をもう少し上げよ」
 大蔵信安は長男・新之丞の癖を窘めた。
 今度の勧進能の演目次第で、新之丞は子方を務めることにもなる。子方とは、声変わり前の子供が演じる役だ。信安にはもう一人男子がいるが、こちらは五歳の童、修練も足りないし子猿で用いる場も期待できない。
 五歳の藤十郎は退屈だ。
 離れを抜け出し、館の内より東の白木山を仰ぎ見た。陽は山の稜線にあり、丁度逆光である。
「おい」
 眩しさに眼を細める藤十郎は、呼び止める声に首を傾げた。
「おい、猿楽の子」
 声のする方へ首を巡らせると、歳の頃なら一〇だろうか。ひとりの身形が良い少年が、涼しげな笑みで立っていた。訝しげに、藤十郎は身構えた。
「おれ、ここの子だ。怪しい者じゃないぞ」
「小山田の、若さま?」
 五歳とはいえ分別のつく利発な藤十郎は、片膝をついて頭を下げた。
「いいよ、そんなこと。それよりも、猿楽の稽古をしているんだろ?おれにも見せてくれないか」
「は?」
「観たことがないのだよ。ちゃんとした能を。だから、観たいのだ」
 屈託のない笑みに、藤十郎は少年を離れへと案内した。
 離れでは丁度、大蔵太夫十郎信安が修練していた。演じているのは〈翁〉の一幕である。大蔵信安はすぐに気配を察し、舞の手を止め平伏した。
「これは、藤乙丸様。斯様な場へ足を運ばれるとは」
 藤乙丸と呼ばれた少年は、不作法な所作で大きく手を振りながら、照れ臭そうに苦笑いを浮かべた。
「修練をやめないでおくれ。いやな、今度の勧進能では、おれも父上の手ん伝う(手伝い)ずら。能も知らぬのに手ん伝うちゅうは、随分な仰せずら。それでな、ちと見聞させて欲しい」
「構いませぬが、退屈ですぞ?」
「厭きたらとぼれる(消える)けえ。おれに構わず、続けてくんにょ」
 さればと、大蔵信安は囃子方を促した。
 一呼吸置いて、囃子方が口上を発した。

  総角やとんどや
  尋ばかりや とんどや
  坐して居たれども
  参ろおれんげりや とんどや

 その口上に合わせるように、大蔵信安は滑るような所作で立ち上がり、舞を続けた。
「本来ならば、鼓もあるのですが」
 そっと、藤十郎が耳打ちした。
「荷物を勝沼に置いてきたと聞く。その分の御苦労というわけだな」
 世継ぎでない御曹司・藤乙丸。
 そのことが、ふと、藤十郎の心に理由なき好感を覚えさせた。他ならぬ藤十郎とて、大蔵座の跡を継げぬ次男である。次男は常に日陰にあって、陽のあたる嫡男を支える立場でしかない。
心は晴れぬことも多いが、これは天命ゆえに仕方のないことだ。
 が、藤乙丸から発せられるこの陽気は、なんだというのか。気儘な開き直りとは異なる、強い自我すら感じさせる陽性。いつしか藤十郎は、この不思議な御曹司に気を許していたのである。
 どれほどの刻が過ぎただろう。
 舞を終え、大蔵信安はふわりと座した。
「如何でござりましたかな、藤乙丸様」
「退屈だった」
「正直でございます」
「勧進能は三月だろ。この正月舞は季節外れずら」
 藤乙丸は欠伸をしながら呟いた。
 大蔵信安は一瞬、言葉を失った。
「能を観るのは初めてと仰せですが?初めての観覧で、賀詞の舞と見抜けぬ筈はございますまい」
「すまん。浅間神社の奉納舞を観たことがある」
「三月の舞は難しいのです。が、これはあくまで修練にて、勧進能で舞うものではございません」
「そうか、大変だな」
 そう応えると、藤乙丸はすくと立ち上がり、離れを辞した。
 新之丞が立ち上がり、藤十郎に駆け寄った。
「稽古に部外者をお連れするなど、慮外であるぞ」
 激しく叱責され、藤十郎は項垂れた。
「まあ、そう責めるな。それよりもな」
「それよりも?」
「小山田の次男は変わり者と噂に聞いていたが、あの若様、何とも底が知れぬな。いやはや、今のこと、まるで狂言みたいなやりとりだわ」
 嬉々とした表情で、大蔵信安は笑った。
 
 小山田信有が大蔵信安を召し出したのは、昼過ぎのことであった。
「うちの馬鹿が朝から邪魔したそうな。申し訳ない」
「いえいえ、楽しませて頂きました」
「ん?」
「藤乙丸様は〈翁〉を御存知なのでしょう。大したものです。保性太夫の舞も、ぜひ御覧頂きたいものじゃ」
「買い被るな」
「いや、藤乙丸様はとんでもない器にございますぞ」
 もうよいと、信有は手を上げた。
「ところで、大善寺に設けられている稚児堂な。あの広さで演じることになるが?」
「はい。囃子方をすべて楽堂に据えても、シテ方には些か狭うござる」
「さりとて、あれ以上は」
「演目が中々に難しゅうござりますな」
「如何にも」
 小山田信有はここで話題を変えた。
 三年前の志賀城攻めで、信有は城主笠原清繁室を恩賞に賜った。美貌の女だ。それゆえに寵愛しているのだが、いまだに心を許さない。女はそれくらいが華よと、信有は思った。いまは駒橋の一庵に押し込めている。
「これに手を焼いているのだ」
という小声に、大蔵信安は頷いた。
「慰めて参られよ、との仰せですな?」
 駒橋の屋敷にいるその女は、寝ている以外は対岸の法林寺で過ごすという。
「狭い寺じゃ。大善寺稚児堂の糸口になればいいのだが」
 都合のいい口実だ。
 美妃を寵愛しても、それは躰と欲だけのこと。その心まで摑めない、牡の苛立ちが信有にはある。
(懸想されない男とは、何とも可愛いものだ)
 大蔵信安はつい、ほくそ笑んだ。
 とまれ都合のいい口実を纏う〈大人の云い訳〉だ。が、従うことも浮世の事情である。一介の猿楽師は、そういう処世術を弁えていた。
 岩殿城東にある臨済宗宝林寺。ここに、女はいる。
「さっそく昼にでも下見に」
「三日後の晩にでも披露しておくれ。儂も用がないので、丁度いい」
 昼刻、大蔵信安は宝林寺の境内に立った。
 成る程、たしかに、雪を掃き出せば、大善寺で舞う稚児堂ほどの空き地はある。この広さで出来る狂言は何か。
 大蔵信安は〈柿山伏〉を演じようと定めた。
 ふと、視線を感じた。細面な女性が、物陰から怪訝そうに覗っている。さては件の御寵愛に相違ない。大蔵信安が一礼すると、女は足早に去っていった。
「気にしなくていいよ」
「?」
 声の主は、藤乙丸だった。
「気配を感じませなんだ。悪い御方じゃ、尾けておいでか?」
「尾けてはいない。岩殿山への使いの帰りに見かけたのでな。知らぬ振りをして欲しかったか?」
「いえ、話し相手が欲しかったところです」
 小山田家では読み書きさえ出来れば子供でも使いに用いる。庶子とは厳しいものだなと、大蔵信安は思った。が、藤乙丸の表情は明るい。外に出歩ける自由が心地良いのだろう。この若君には武家らしくない気風がある。
 藤乙丸が言葉を継いだ。
「あの女、おれはどうも好きになれないが、連れてきたのは親父だからな。追い出す訳にもいかないし、かえぎ(可哀想)な気もする」
「その御方を御慰めする舞のため、下見に来たのです」
「御苦労だな。で、どんな狂言をするんけ」
 ふと、戯れに大蔵信安は問いかけた。
「藤乙丸殿ならば、これほどの狭き間に恰好の能を御存知か?」
 まともな答えなど期待していない。
 が、藤乙丸は真面目に思案しながら
「子供に尋ねる問いではねえずら。でも、おれなら〈石橋〉を選ぶな」
 意外な答えだ。
「狭くて、狂言方の縁者には合舞が難しゅうござる」
「どうせ広い舞台など、そうそうあるまいて。それをやってみせるのが、芸だあら」
「どうして、〈石橋〉を?」
「あの女を慰めるなら、丁度いいだろ。親父に連れてこられる前は、ちゃんと城殿がいたんだろうし、その供養だってしたいと思うぞ。これは、鎮魂ずら」
「鎮魂」
「勧進能だって、それがいいんじゃねえか?」
「なぜ」
「どうせ観るのは近在のもん(者)ずら。上田原で身内がたくさんおっ死んだもんばかりだで。鎮めの舞は観てるもんが嬉しいだろう」
 はたと、大蔵信安は手を叩いた。
 大事なことを思い出したのだ。
 そう、この勧進能は観客を楽しませるものにあらず、武田家にとっての鎮魂でなければいけないのだ。小山田信有も含めて、大蔵信安は、目先に囚われてそのことを見失っていた。
「藤乙丸殿、畏れ入った」
「ただの子供の戯れ言ずら。世継ぎにもなれぬ気儘な厄介もんの、戯れだで」
 このとき、大蔵信安は確信した。
 藤乙丸の物事を見通すその才覚は、小山田家で燻らせている。
(谷村様はこの若を嫌うておるようだし)
 勿体ない話だ。庶兄ゆえに、家督は弟が継ぐという厄介の身。
(その器、いっそ武田家で用いるべきだ)
 それも、晴信の傍で働かせるべきだと考えた。
 直観である。
 珍しく、藤乙丸に情が移ったのだろう。このようなことは珍しいと、驚いたのはほかならぬ本人だ。ならば、藤乙丸のためになればと、お節介のひとつもしたくなる。
 谷村へ戻った大蔵信安は、その心情を文に綴ると、武田信繁へそれを発した。いきなり晴信では畏れ多いし、人物の鑑定に長ける者にこの想いは託したい。武田信繁なら申し分はなかった。武田家でも指折りの、聡明な人物と見込んでのことである。
 さて、三日後。
 宝林寺にて〈柿山伏〉を披露した大蔵信安に、信有は機嫌よく褒美を手渡した。
 猿楽など口実だ。頭の中は寵姫を抱くことしか考えていない。その目の色が、例えようもなく淫靡に輝いていた。
(さりとて、無駄なことなし)
 このとき大蔵信安は自らシテを務めた。狂言方でありながら、舞った演目は〈石橋〉だ。ここで舞いながら、間取りの見積もりを躰で測るためである。舞台に必要な三.三間(六m)四方には程足りないものの、やってやれぬことはない。
 藤乙丸の眼力は、大したものだ。
 その藤乙丸は、この日、所用を云いつけられて船津にいる。小山田信有に従ったのは、嫡子・鶴千代丸だ。病弱で身体の弱いことを差し引けば、聡明で優秀な男子である。歳は藤乙丸と同じ。つまり、生まれた腹が異なる、同い年の兄弟だ。胤の付いた腹が異なる、ただそれだけの違いで、この兄弟は持った運命をも違えた。弟ではあるが、鶴千代丸は幼少より期待と責任感に縛られ、兄の藤乙丸は放任のなかで個性を磨いた。武家を継ぐ者として、鶴千代丸は当然のようにその運命を受容れ、藤乙丸も腹違いの弟を立てることだけを強いられたまま、粗野で無頼を装いつつも、決して分を冒さなかった。
「それが、不自由だ」
などという野暮を、大蔵信安には云えた義理がない。
 猿楽の世界も同様だ。後継者は正嫡子であり、弟は断じて宗家を冒すことはない。大蔵信安の跡を継ぐのは新之丞であり、幼い弟の藤十郎は日陰の生涯を強いられる。
 これを秩序という。武士も猿楽師も、人の本質は一緒である。
 つと、鶴千代丸が頭を下げた。
「よき舞を堪能した」
 大人びた表情は事務的にも映る。が、そう育った鶴千代丸には、自然な所作であった。
「若様も、御役目大儀にございます」
「藤乙丸も観たかっただろうに。父上は、わざと御用を……」
「藤乙丸様の助言が、この演目につながりました」
「やはりな。兄には、凄い才覚があるんだ。でも、父上は頑なに認めようとはしない。何故だろうな」
 柔軟な発想と行動力。
 藤乙丸から感じた印象は、接する相手の心を無意識に掴む温かさがある。これは人たらしの才であり、天賦のものだ。恐らく信有はそれを感じているのだろう。己より優れた子を邪険にするのは、武家の世界では常なることだ。
 九年前、武田家でも同様のことがあった。幸い藤乙丸は家督を継ぐ者でなく、かつ、その野心すらない。それでも父の生理が、頑なに子を拒絶しているのだ。
 が、口にするのは無粋である。
「大人になれば、わかることもありましょう」
 大蔵信安はそういって、笑った。


                  三


 躑躅ヶ崎に出向いた小山田信有は
「勧進能の演目は〈石橋〉に」
と、武田晴信に提言した。これは大蔵信安の言に応じたものである。
 晴信は文化に明るい人物だ。
「随分と、渋い演目じゃな」
「鎮めの能という意味も」
「鎮め?」
 演目選定の理由は、大蔵信安からの受け売りだ。上田原で辛い想いをしたのは、晴信だけではない。兵のひとり一人である。晴信はその口上が気に入った。
「シテは保性一座だ。これが府中にきたら、儂からこのことを申し渡そう」
「ありがたい」
「なんの、儂からの、たっての願いと云おうか。鎮めは、我が願いでもある。板垣や甘利だけのことではないぞ。すべての犠牲は、我が不徳ゆえのことじゃ」
 晴信は上田原の敗因を噛み締めていた。
 小山田信有は言葉もない。
「能で供養してやらねば、誰もが浮かばれまい。出羽守、能奉行の大任を期待しているぞ」
「は」
 小山田信有は鼻が高かった。

 漂白民(わたり)と呼ばれる民がいる。どの土地にも流れ来る、傀儡子や鋳物師といった、〈上ナシ〉の連中だ。もっとも猿楽衆とも紙一重なところもある。強いて異なるとしたら、この〈上ナシ〉という点だ。猿楽衆は武将の権威を背景に芸の昇華を求めた。しかし漂白民は如何なる権威にも従わない。
 異様な風体はそれだけで異端に映り、市井にあって異彩を放った。彼らの心情はただひとつ、〈公界人〉に徹したことである。
 公界とは、私事に対する〈公〉を意味する。
 社会や世間一般に反し、その支配者たる権力者の支配を受けない存在だ。その公界は無支配の処、すなわち河原や港といった、誰のものでもない世界を指す。そして唯一、公界を統べるのは絶対者である帝―すなわち天皇だけであった。漂白民は天皇にのみ服し、極めて同族意識の強い、〈上ナシ〉思想の移動民族である。
 これを手懐けた武士は、有史以来、きわめて稀であった。それほどまでに彼らは面倒臭く、いっそ介入もせず通り過ぎることが、この時代の暗黙の常識だった。
 この頃、郡内に漂白民が入り込んだ。
 印地と呼ばれた連中だ。ところによっては、これを印地打ちや印地使いとも呼んだ。礫で猟をしながら漂白する連中である。これが、初狩口で目撃された。彼らがどこから来たものか、詮索することも出来ない。漂白民に関わらなければ、お互い無縁である。これが、世間の暗黙だった。
 しかし、小山田信有はその一方で、漂白民を装う他国の間者という疑念も抱いた。
 信州塩尻峠の合戦に勝ったものの、上田原敗戦の痛手は武田家に深い。そのことを探る諸国大名がいても、決して不思議ではなかった。疑うことは、自然である。
 二月五日、大蔵信安一行は勝沼へ去った。猿楽の党は馬でも越せる御坂路より国中へと入った。一方で、小山田信有は塩山から四日市場の往還を監視するよう初狩口宿所中に命じた。これは警護を増やす名目である。この名目で、印地を、遠巻きに監視させた。
 関わらなければいい。
 何をして、どこへ行くのか。
 ただ、それだけ分かればいいのだ。
 信有の懸念を他所に、印地たちは何処吹く風だ。笹子川の河原に腰を下ろして、関心もなさげに、遠巻きに監視している番所を、むしろ高みから眺めるばかりであった。
 困ったことが起きた。
 なんと、藤乙丸が印地の連中と輪になって、同じ鍋の飯を食っていたのである。印地の礫が偶然馬を打った。馬上の藤乙丸は謝る彼らを尻目に、礫の飛距離に目を輝かせて、色々と話し込んでいる間に、気が付いたら、すっかり打ち解けてしまったのである。
 同じ鍋をつついて笑い合っている本人はいいが、困ったのは御供の衆だ。
 とにかく関わりたくもない漂白民である。にも関わらず、藤乙丸は彼らと大笑いしているのだ。
「藤乙丸様!」
 報せを聞いて駆けつけた小林宮内助が、声を荒げた。
「家人を困らせてはなりません」
 その言葉に、悪びれもなく藤乙丸は額をぴしゃりと叩いた。
「お互い面倒な垣根があるずら。縁があればまた話そうぞ」
 そう云って、藤乙丸は立ち上がった。
 見送る印地たちの目は温かい。敵意など微塵もなかった。対する小林宮内助等こそ、目の色には畏れが翳っている。
「このこと、殿には内緒にしておきます。番屋の者にも口止めしておきました」
「なぜだ、別に構わないぞ」
「御供のこともお考えあれ」
 信有が知れば藤乙丸を激昂するだろう。いつものことだから、どうということはない。しかし、罰せられるのは御供も同様だ。藤乙丸は、そのことに気がついた。
「すまなかった」
 藤乙丸は思慮の浅さを反省した。


                  四


 勝沼大善寺。
 行基ゆかりの開創伝説があり、甲斐でも古い寺社のひとつだ。葡萄を持った薬師如来像は極めて珍しく、後世、勝沼葡萄郷の基となる。戦国における武田統治時代、大善寺は深い帰依のなかにあり、晴信の叔父・信友は勝沼氏を称し崇敬された。郡内への裏街道口であり、いまは小山田家も帰依が厚い。
 天文九年の半能より、九年が経つ。その年の半能は、小山田家も目まぐるしかった。まだ先代・越中守が壮健で、この年にふたつの腹から子も誕生した。鶴千代丸と藤乙丸である。壊れた猿橋を修築したのもこの年のことだ。
 晴信が家督を継ぎ、信有も小山田家を相続し、次世代となったのちに行われるこのたびの勧進能は、感慨一入である。
「御館様の御成り」
 晴信の脇に従うのは弟・信繁である。
今回の勧進能、保性太夫が能演目のシテ方を務める。大蔵信安は能に関して一切の助成無用が決し、今回は狂言のみである。
 能舞台である稚児堂。
 薬師堂を背にすると、正面背後に重厚な楽屋堂がある。これらは薪にて、きっと鮮やかに映えることだろう。そしてやや右手に目を移せば、漆黒の闇に満天の星が煌めくのである。陽のもとでは国中の広大な盆地を眼下にするその空間は、薪能となれば、星空を無限に演出するに違いない。ここに稚児堂を配した匠は、そこまで考慮していたのだろう。
 武田晴信の座は、幅の広い薬師寺の縁側に設けられた。幾段高い場所は稚児堂舞台をやや見下ろし、その芸能を堪能する上等の座だ。
「大蔵太夫十郎とて金春の系統。さぞや〈石橋〉を舞いたかっただろうな」
 武田晴信は涼やかに、小山田信有へ呟いた。
「相手が悪うござる。保性太夫は観世の直系にて、座の格式とは、武家の我らが思うよりも厳しいものかと」
「さすがは能奉行よ。よく知っているな」
「滅相もない」
 その間、続々と観覧に赴く民衆は、晴信に気付き、ひれ伏す。
「構わぬ、無礼講じゃ」
 武田信繁の声に、それでも遠慮がちに、彼らは持参した筵を広げて腰を下ろした。その筵も、やがては押し合いへし合いの混雑となる。勧進能とは、庶民にとってもそれほどの娯楽だ。ましてや保性太夫と大蔵太夫、この二枚看板だけでも、おいそれと拝める興業ではない。
 ここに集ったのは国中の諸侍は勿論、貴賤・上下・道俗・男女などが群をなし、互いに足の踏み場もない状態と記録にある。兎にも角にも娯楽に飢えた民衆にとっても、生涯二度と見ることの出来ない興業だった。観覧は、豪農や商人もくる。彼らは心得たもので、興業に惜しみなく銭を落とした。これが、勧進能の真骨頂だ。興業収益は、すべて大善寺修復に用いられる。
 夜にはまだ早い。
 鶴千代丸と藤乙丸は、薬師堂内の仏像を見上げていた。
 見事なまでの彫刻だ。金箔も鮮やかである。この金は、甲州で採掘されたものである。
「藤十郎、こっちにこいよ」
 急ぎ足の藤十郎に、藤乙丸は声をかけた。藤十郎も仏像を見上げた。この光彩はすべて甲州の金なのだという藤乙丸の言葉に
「私には猿楽の才はございませぬ。いっそ匠でも志した方がよいものかと、ついつい考えさせられます」
「ならばずっと甲斐におられるな」
「はい」
「そうせい、それがいい」
 不躾な藤乙丸を、鶴千代丸が窘めた。
「出羽殿の倅か?」
晴信に従ってきた金丸筑前守虎義が、その言葉を洩れ聞いた。
「有難い御仏の前では、大声を慎むがよい」
「申し訳ございません」
 鶴千代丸が頭を下げた。
「童っぱ、聞いていたぞ。まことに匠となるのなら、儂が引き受ける」
「ぜひに」
「すぼけが。真に受けるな」
 冗談だと笑い飛ばす金丸虎義ではあったが、わずか十年ののち、藤十郎は猿楽者の道を捨て、彼を介して武田家蔵前衆で働くことになるのだから、世の中とは分からないものである。

 陽が暮れた。
 篝火が赤々と燈る。
 座して見上げる者は目を輝かせて、今か今かと興業を待つ。小山田信有のもとへ、支度の整った報せが耳打ちされる。
晴信へ一礼ののち、信有は響く声で
「能、始めませい」
 能奉行の掛け声が、興業の始まりである。
 最初に演じるは、大蔵一座の狂言〈靱猿〉である。大蔵信安演じる猿引きと、新之丞演じる子猿。愛嬌と無垢を演じるこの狂言に、観衆は心和ませた。楽屋堂下の石段でこれに耳を傾けるのは、興業の雑用を任されている藤乙丸だ。鶴千代丸は信有に従い、高いところで観覧している。能奉行として、信有は兵五〇〇で大善寺を警護していた。ただし街道の往来は自由である。勧進する銭さえ持っていれば、領民の観覧は許されていた。
「藤乙丸様、ご苦労様です」
 同じく雑用を仰せつかっている藤十郎が、楽屋堂から言葉をかけてきた。
 藤乙丸は手招きして、観覧の衆人を指した。
「稚児堂の真ん前にいる百姓、わかるか?」
 藤乙丸の視線の先には、浅黒い初老の農夫がいる。
「あいつ、こないだ船津でみた顔だ」
「いつですか」
「ほら、宝林寺で狂言やっただろ。あのとき、俺は船津の小林尾張守のところにいた。そこで見た。そのときは、あいつ、足柄から来た商人だと云ってた。でも、いまは百姓の形だ。おかしいと思わないか?」
「足柄といえば」
「ああ、北条の乱波だろう」
 どうするのかと、藤十郎は動揺した。
 藤乙丸は涼しげに、捨て置くと呟いた。
「もう、大人の耳に入れた。子供のすることなんか、なんもねえずら」
 剛胆というべきか、藤乙丸は大きな欠伸をしながら、〈靱猿〉の調子に耳を傾けた。
 演目は進む。
 狂言方としての務めを終え、大蔵太夫十郎信安は衣装を改める間もなく、楽屋堂に戻って保性太夫一座の〈石橋〉を観覧した。新之丞も脇に従った。これが一座の長と惣領の自然な姿だ。その間にも藤十郎は大蔵一座の演目片付を、休むことなく行っていた。嫡子と庶子の格は、斯の様に大きい。
 武田晴信の耳元に、若い近習が耳打ちしていた。
 晴信は信繁へ打診し、信繁も後ろの重臣に指図を行った。
 傍から見ていた藤乙丸にも、それが浅黒い初老の農夫に対する対応だと理解できた。勿論、当人とて察知のことだろう。が、この男は平然と観覧を続けた。平然とすれば、内々に処理したい武田側の思惑に反する。なんといっても、これは勧進能であり、興業は万事無事に達成しなければならない。
「癖者め」
 薬師堂より男をじっと見下ろす晴信は、愉快そうに呟いた。
 保性太夫は観阿弥世阿弥直系の猿楽座である。この洗練された技は、能の芸術といってもよい。それを、この甲斐で、勧進能として興業する。その意味は大きい。
 鎮魂という意味を込めた舞。
 かくの如き凄惨な上田原の負け戦は、晴信にとっても、失いしものが計り知れなかった。
 武田家の筆頭家老を〈職〉という。二人いたので、これを〈両職〉と呼ぶ。いわば晴信にとっての父とも頼む老臣だ。この両職を、上田原で失った。板垣駿河守信方は傅役であり、晴信にとって育ての親に等しい。甘利備中守虎泰も古い甲斐の豪族の裔として、家中の要だった。
先代からの武田の柱石を、あの戦さで失った。
(悔いても足りぬ)
 晴信が悼むように、あの敗け戦さで肉親を亡くした兵も多い。
 すべての鎮魂。
 それがこの能に込められた想いだ。
 保性太夫の卓越した舞は、すべてを浄化し昇華させる幻想と恍惚を秘めていた。何ということはない、大蔵信安さえも見惚れる程の達者だ。
 やがて、すべての能演目は終わった。
 群衆はゆっくりと、満悦の笑みを浮かべて、大善寺の石段を降りていった。ただ、浅黒い初老の農夫は、座したまま薬師堂に向いていた。それを捕らえようとする手を、晴信が制した。
「北条の者だな」
「はい」
 農夫は臆さず答えた。
「武田様が今川と手切れになりました暁には、ぜひ北条と盟約を交わして頂きたき。主、相模守の仰せにて」
 今川義元に嫁いだ晴信の姉は、先年病没している。今川家との婚姻による縁は、切れていた。北条側の云い分は、それを示唆している。
「よくも云う。北条家は似たような使いを、今川にも出しているのではないか?」
「滅相もござりませぬ」
「で、返答次第では、我が御級を手土産とするか」
 くっくくと、農夫が笑った。
「印地が三人、我が背を狙ってござる。恐ろしいことです、公界人を手懐けておいでとは」
 なんのことだと、晴信は質した。
「勧進能を血で汚す無粋は好みませぬ。今日のところは、主が意を伝えるまで」
 農夫は、ふっと笑った。
 瞬間、礫が農夫めがけて弾けた。その瞬きする程の暇、農夫は跳躍し、闇に消えた。
 いったい何が起きたのか。
 居る者たちは首を傾げた。
「出羽殿」
 武田信繁が立ち上がり、小山田信有を探した。
 すわ手配かと急く信有に
「藤乙丸を呼んでくれ」
「は?」
「そなたの倅の藤乙丸じゃ」
「あやつが、何か粗相を?」
「さにあらず」
「あのような雑仕者に」
「いいから、呼んでくれ」
 信繁は小山田信有を促した。
 程なく、藤乙丸が招かれた。
「のう、出羽殿。この倅、武田で預かりたい」
「なんと?」
「どうせ庶子であろう。困ることはないと思うぞ」
「こやつは小賢しく、雑で気も利かず、何かとご迷惑をおかけします」
「癖者こそ、楽しい」
 ならばと、信有は同意した。
「父上!」
 鶴千代丸が声を荒げた。
「こういうことは、四長老家の協議を……」
「よい。むしろ、安堵じゃ。儂は藤乙丸をどう扱っていいか、困っていたのだ。武田家に引き取って貰えるなら、こんなに有難いことはない」
 薄情な言葉だ。
 これが、血を分けた父の放つ言葉なのか。
 が、藤乙丸は清々した表情だ。その涼しげな表情から放たれた言葉が、辛辣に信有に突き刺さった。
「どうぞ囲い女にはお気をつけ召され」
 瞬間、信有は藤乙丸を張り倒した。
「そこまでじゃ。御館様が御覧である」
 信繁の言葉に、信有は動揺を抑えて晴信へと一礼した。
 晴信は顔色を変えることなく、微笑んだ。
「能奉行、大儀であった」
「は」
「今日のよき日に、小山田の倅どもへ名を与えようと思う。いつまでも幼名では可哀想だ。そうだろう、出羽守」
「もったいなきかな」
 鶴千代丸も呼ばれた。こちらは作法に明るく、神妙に頭を下げた。
「鶴千代丸は小山田の次代ゆえ、本日より代々の仮名である弥三郎を名乗るがよい。出羽守が家督を譲るときに、その諱も譲るべし」
 有難き幸せと、鶴千代丸は大声で答えた。
「さて、藤乙丸だが」
藤乙丸は慌てて姿勢を正した。
「お前を左馬頭(信繁)の采配に任せるからには、若衆らしい名前で呼ばなければいかぬ。本日より、そなたは弥五郎を名乗れ」
「弥五郎ですか」
 信有は即座に、御礼を申し上げろと差し挟んだ。
 晴信は愉快そうに大笑いした。

 同い年ふたりの兄弟は、晴信に名を与えられた。
 が、信有は嫡子の礼こそ陳べたが、庶子には冷淡な態度を示した。

 こうして、勧進能の祝儀となる後座敷である勝沼五郎信元の屋敷へと、一行は移った。保性太夫一座は勿論、大蔵太夫十郎信安一座も、これに招かれた。
 大役を終えた以上、彼らは賓客であった。


                  五


 勝沼五郎信元は武田晴信の従弟にあたる。大善寺の山門より西へ凡そ三六町(約八〇〇m)、満川段丘の上にあるが標高差から見下ろせる位置に屋敷はある。
 盛大な篝火は、晴信を迎え入れる標でもあった。
 勝沼信元は勧進能の間、観覧もせずに宴の采配をしていた。だから広間で簡単な催しを披露するよう、晴信は保性太夫に命じていた。
 もとより戦国武将の宴に、芸は付きものである。
 ましてや賓客として相伴に預かる以上、保性太夫には断る理由などない。
「されば、略式にて」
 立派な能は出来ずとも、扇子だけで出来る舞はある。

   又何よりも切なりしは
   大雪ふつて寒かりしに
   秘蔵せし鉢の木を切り
   火に焚きあてし志をば
   いつの世にかは忘るべき
   いで其時の鉢の木は
   梅桜松にてありしよな
   其返報に
   加賀に梅田
   越中に桜井上野に松枝       
   合はせて三箇の庄
   子々孫々に至るまで
   相違あらざる自筆の状

「これはお見事」
 勝沼信元は感嘆の声を挙げた。
「これは、なんという演目か」
 一座は勝沼信元の言葉に、一瞬静まり返り、大笑いになった。
「なんじゃ、知らぬのに喜んでおったのか」
「申し訳ございません。御館様はご存じで?」
「あたりまえじゃ」
「笑っていた鬼美濃殿も?」
「無論じゃ」
「鬼美濃殿でもわかる演目か」
「失敬な」
 鬼美濃と呼ばれた原美濃守虎胤は武骨の象徴だ。それすら知っているとは、なんたることか。勝沼信元は顔を蒼くしたり赤くしたり、そっと小山田信有をみた。
「出羽守、教えてやれ」
 晴信の言葉に
「鉢木にて」
と、信有は即答した。
「もう忘れぬ。鉢木な、忘れぬ」
 その軽妙なやりとりで、座は大いに盛り上がった。

 この宴は、一座の者を慰労するとともに、能奉行たる小山田信有を賞する場だった。

 が。
 武田信繁はここにいない。
 藤乙丸も、いない。二人は大善寺薬師堂にいた。
 もう一人いた。山本勘助晴幸である。
「印地を配したのは、お前だな」
 信繁の言葉に厳しさはない。
 ただ、すべてを見通している超越感に満ち、隠し事の出来ぬ圧倒的な威厳があった。事実、大蔵信安の書状を得てよりのち、信繁は山本勘助に一切を任せた。勘助は乱波を多く繰出し、藤乙丸の行動をすべて観察させた。初狩での印地との戯れも、すべて見られていたのである。
「漂白民と親しむとは、なかなかに面白かった」
「漂白民とは」
「印地じゃ」
「ああ、はい」
「忌み嫌われる者どもゆえ、よくも平気だったものよ」
「何も考えておりませんでした。敵意がなければ、どんな民とも仲良くすべし。これが母から教えられた心情にて」
 勘助はじっと藤乙丸をみた。
「家中の者に窘められたのちも、二度、会うたな?」
「はい」
「家中に迷惑をかけるとは思わなんだか?」
「ごめんなさい」
 勘助は言葉に詰まった。生意気な子供が、素直に謝るのは意外である。信繁も思わず笑いを漏らした。
「漂白民を手懐けることは、策士でも難しい。それを子供のお前がやってみせるとは、大したものじゃ。のう、勘助」
 信繁は終始微笑んでいる。山本勘助は無愛想に、上目遣いに藤乙丸を見ていた。
「どうやって、印地に警護をさせた?」
 勘助の問いは率直だ。兵五〇〇の目を盗んで、礫の狙い定まるあの位置に三人もの印地を配することは、容易ではあるまい。
 が、藤乙丸は首を振った。
「印地たちは郡内から国中へきていた。能の最中、門前で会った。これから佐久へ行くというので、別れの挨拶をした。そのときに、あの足柄商人のことを話した。みんなは何も云わずに、そいつを見張ってくれた」
「そやつらはどこに」
「公界の民は、去るときも人知れず消えるんだ」
「もう、ここにはいないというわけか」
「挨拶は済みましたゆえ」
 勘助は大きく溜息を吐いた。
 信繁はじっと藤乙丸を見ながら
「父親に云った言葉は、どういう意味か?」
「さて」
「囲い女にお気をつけ召され。お前はたしかに、そう云った」
 藤乙丸は固い表情だ。
「あの女、宝林寺に囲われながら、油断も隙もありません。おれは、見た。あの女、岩殿山に生えている鳥兜を侍女に摘ませている」
「間違いないか」
「はい」
「誰にも話していないのか」
「おれのいうことなんか、誰も聞いてはくれません」
「出羽守は毒を盛られているのだな?」
「知りません。おれは嫌われているから、何を申しても詮なきことゆえ」
 ああ、これは、とんでもない一〇歳だ。
 この歳で肉親の薄情を弁えつつ、上手に対処する生来の術を持っている。かつて晴信がそうだった。肉親の薄情に対し上手に振舞うことがいかに難しいか、弟の信繁は肌身に感じて知っている。
「お前、可哀想な奴だな」
 信繁は本音を吐いた。
 子供らしく泣いたことなど、もう何年もないのだろう。肩肘張りながら、大人に弱みを見せないために、ずっと気を張り、そのために立ち振る舞いの術さえ計算しながら生きてきたのだ。そう思えば、藤乙丸は哀れなだけの、ただの子供に過ぎない。
 大善寺で、信繁は態と吐いた言葉がある。
「どうせ庶子であろう。困ることはないと思うぞ」
 小山田信有は否定しなかった。
 肉親の情がそこには存在していない。と同時に、藤乙丸にも現実を突きつけた。しかし藤乙丸も眉ひとつ動かさなかった。双方が、互いに、肉親の情を求めていない証だ。
 こののち小山田に置いても、藤乙丸は育たない。やがては厄介者として処分されるだろう。ひとりで世を生きていくための〈強さ〉を教える者が必要だ。
「勘助、藤乙丸に兵法を教えてやれ」
「まだ子供です」
「そうは思うていまい」
「子供のくせに油断ならない。生意気な小僧にござる」
「そういう子供が、これからの武田には必要なのじゃ」
 信繁の真意は他にある。
 小山田家は、厳密にいえば家臣ではない。国中と郡内は同盟関係であり、独自の法度が許される唯一の存在だ。この同盟者を支配に置くためには、このはみ出した庶子を手懐けることが必要だった。山本勘助もそれを承知していた。
「小僧。あの農夫、誰だと思う?」
 勘助は藤乙丸をじっと見た。
「あれな、風魔小太郎よ」
「風魔?」
「滅多にお目にかかれぬ大物じゃ」
「あれが、風魔の親玉か」
「その大物に冷や汗を与えたのだぞ。お前、強くならないと、いつか小太郎に消されるからな。覚悟しとけよ、小僧」
 藤乙丸は胸を張った。
「弥五郎にござる」
 信繁は、思わず笑った。
 この度胸のある童を育てることが、武田にとって必要なのだと、心底思わずにいられなかった。
 この夜のうちに、藤乙丸あらため小山田弥五郎は、躑躅ケ崎館の近習溜り小屋へと案内された。近習衆のなかでも覚えめでたい春日源五郎という若者が、言葉丁寧に弥五郎を迎え入れた。

 弥五郎は翌朝より、慣れぬ出仕生活に励むこととなる。

                                  つづく

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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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