第24話「傾(なだ)れる人々(前)」

文字数 11,384文字


傾(なだ)れる人々(前)


                  一


 天正八年(1580)を迎えた頃、勝頼は側近衆を集めると
「いまから、織田弾正忠との和議は適うかのう」
と呟いた。
「何を弱気な」
 長坂釣閑斎が失笑した。
 しかし、他の者の貌は蒼褪めていた。その決断が二年遅かったことを、彼らでさえ承知していた。しかし、それを口にする者はいなかった。
「大炊介が戻り次第、交渉を始めるがよい」
 勝頼に意見できる者はいなかった。
 その頃、跡部大炊介勝資は越後から岩櫃城へ向かっていた。真田昌幸は不在だったが、叔父にあたる矢沢薩摩守頼綱が在城していた。昨年、正式に結ばれた〈甲佐和与〉により佐竹次郎義重との折衝が多く、この日も昌幸は箕輪城に赴いていた。
「忙しいことは有難いことだ。それが勝ち戦さなら尚のことよ。安房守(真田昌幸)殿が羨ましい」
 跡部勝資の言葉は、半ば悋気も含んでいた。
「御苦労なことです」
 矢沢頼綱はその辺りを察し、駿河遠江方面の戦況を伺った。芳しくない応えに相槌を打ちながら、上州方面の戦況を簡潔に報告した。勝資は長居することなく、佐久路より甲斐へ急いだ。翌日夕刻、躑躅ヶ崎に着いた勝資は、勝頼の口から思いも寄らぬ決定を耳にして、仰天した。
「織田との和睦など、とうに機を逸してござる。釣閑斎殿も、その場ではっきりとお伝えしなければ、駄目だろう」
 側近衆を前に、跡部勝資は激昂した。
 しかし、勝頼は先見の明がない。
「やってもみないで、何をいう」
 まずは秋山信友が捕縛した人質・御坊丸を信長に返し、武田御親類衆筆頭格の信豊養子に迎えるのだと断じた。それほどの厚遇なら、信長も無下には出来まい。そう息巻く勝頼に、側近衆は賞賛した。
 ただ、跡部勝資だけは憂慮した。
 これで恩を着るほど、信長は甘くない。なぜそれが解らないのだろう。今更ながら、長篠以前の宿老たちが苦慮した意味を噛み締めていた。しかし、後には引き返せない。これが武田の現実だった。
 人質返還は、このとき実現されなかった。
 勝頼の決断の遅さもあったが、甲越同盟でこのことが縛りになっていたからだ。もし、織田との同盟に及ぶときは、越後に確認をする約束になっている。それを無視することは出来ない。
 ところが、三月に入ると上杉景勝側から苦言があった。
「武田は織田と講和交渉を行ったのでは?」
と疑念を質されたのである。これが糾弾された理由はただひとつ、勝頼が、誰にも内緒で動きを示し、そのしくじりを察知されただけだ。
 上杉との取次を任じられていた小山田信茂にしてみれば、面白くもない。
「そのこと、敵の虚報にて、踊らされることなかれ」
 信茂はそう繰り返し、どうにか上杉側の疑念をうやむやとした。無駄な徒労である。もう、こういう無駄は勘弁して欲しいものだと、信茂は勝頼を糾弾した。
 二月一四日、小山田信茂は河口御師・渋江善四郎に、騮ヶ馬場における小屋一軒分の町役銭二〇〇文赦免した。この民政尽力はすべて郡内が国境の地であるがゆえのことだ。民政を尽くし民意を味方に付けなければ、この厳しい局面を乗り越えることは出来ない。武田の重臣である以上に、信茂は郡内の国人棟梁である必要があった。
 この努力は、地道だが堅実だった。
 勝頼はそのことを顧みることなく、目先のことに縛られて、深慮遠謀を忘れた。そしてこれを諌める者さえ、遠くに置いた。結果として、身分が下になればなるほど、勝頼への信頼を喪失していったのである。
 武田家はこのとき、一部においては信望を損ねていた。
 その中間にいる者へ寄せる庶民の信頼だけで、辛うじて組織は維持されていた。それを自身の威光であると、勝頼は勘違いしていた。愚かしい現実だ。
 
 駿河に侵攻する北条勢を察知した勝頼は、三月に出陣した。
 武田水軍を動員したこの合戦に、小山田信茂は従っていない。どこの家でもそうだが、このとき、小山田家中では武田家への不信感が問題視されていた。長い間、武田との協調を保っていたし、それを是とした信茂の言葉に誰もが従った。
 四長老家は領内の防備優先を久しぶりに強調した。大老名・小山田弾正有誠が明言したら、棟梁である信茂でも逆らうことが出来ない。これが小山田家累代の掟である。掟である以上、信茂は駿河へ出陣できぬことを
「北都留に北条勢が攻め寄せている由、防ぐため出陣したい」
などと適当な口実を設けて、勝頼に届け出た。小煩い者がいないからと、勝頼はこれに応じた。
 そのうえで、小山田家中にはあらためて
「郡内はいまもむかしも武田の同盟にて、互いに支え合うことも必要なり」
と説得した。勝頼は頼りないが、武田家そのものへの不信感があるわけではないと、ようやく四長老家も得心した。
「駿河へ遅参されるか」
 小林家親の問いに、信茂は首を横に振った。
「当代の顔はみたくない。面倒なことにならぬよう、儂は余沢にでも行くずら。加賀守(奥秋房吉)を連れていくで、留守は任せる」
 信茂は武蔵国境が不穏につき、小菅五郎兵衛の支援をすると称して余沢へ出陣した。方便ではあるが、事実、この辺りは甲武国境で緩衝地帯。難しい場所であること、誰もが知るところだ。
 突然信茂が現れて、驚いたのは小菅五郎兵衛や一党である。
「郡内の棟梁が前触れもなく参るとは、なにごとか」
 信茂は下馬すると、小菅衆に笑いながら手を振った。
「いったい、何事か?」
 小菅五郎兵衛は再度、質した。
「小河内に北条勢が詰め寄せている」
「そのような報せはないが?」
「と、いうことにして駆けつけた」
「はぁ?」
「仕方あるまい。当代の出陣に従わぬのだから、谷村にいたら格好悪い。いい機会だで、国衆の皆と誼を深めたい」
「それは……しかし、急は困るなあ」
「今の武田は人を大事にしておらぬ。せめて都留や郡内だけは、きちんと信頼でまとまりてえのよ」
「つまり、酒宴をしてぇんだな?」
「それも、無礼講だで。心配するな、荷駄に酒を積んできた」
 信茂はにっこりと笑った。邪気のない笑みだ。
「呆れたものだ」
 小菅五郎兵衛は失笑した。
 余沢御番所に行きたいという信茂の要望に応え、所用のない領民すべてに宴の触れを発した。幸い昨年の収穫で蓄えはある。無礼講というからには、老若男女がこれに参加する許しが出された。郡内領主直々に、誰もが恐縮したが、その飾らぬ姿勢に、次第に皆は打ち解けて云った。
「谷村様、めた(たくさん)食えし。今年は野良のもんがでぇこ(たくさん)採れたで」
 すっかり酔っ払った老婆が、椀に野菜汁を持ってきた。周囲の者は冷や冷やだったが、信茂は怒ることなく、にこにこと話しかけた。これは有難い殿様だと、老婆が笑った。その光景は、まさしく絵に描いたような無礼講だ。この夜、集った小菅衆の誰もが、信茂の器に感銘し心酔した。
「こういうことをしなければならぬほど、こののち厳しいことになると?」
 小菅五郎兵衛がそっと耳打ちした。
 信茂は言葉にしない代わりに、二度ほど、小さく頷いた。
 その夜は小菅五郎兵衛の屋敷で就寝し、翌日、信茂は西原へと向かった。谷村から一宮神社奉納名目で、昨夜のうちに酒樽が運ばれている。西原武田丹波守有氏は、突然の信茂来訪に仰天した。この晩も無礼講で酒宴となった。山芋に味噌をつける肴に、信茂は舌鼓を打った。後年、当地の郷土食となる〈せいだのたまじ〉は、当時まだ存在しない。山間の地は山からの収穫が主体で、畑と呼べるものは猫の額ほどに少なかった。
 西原は古甲州道を抑える要衝の境だ。ここを扇の要に例えれば、左右に小菅や上野原といった国境の尾根を網羅できる。このような北都留の事情など、同じ甲斐でも、勝頼は知らないだろう。
 かつて山縣昌景が存命中の折は、縁戚である小菅五郎兵衛を通じて様々な施策がこの山間にも齎された。長篠敗戦以後は、それもない。ひょっとしたら、勝頼は国中の東のことなど、念頭にすらないのではあるまいか。それだけに、小山田信茂が現れたことは、素朴な民にとって、大きな励みにもなった。
 多くの者が、暮らしの不自由さを口にした。しかしそれは、陳情ではない。聞いて欲しい、知って欲しいという、この土地の者の純粋な想いからだった。信茂にはそれがよく分かる。だから、終始笑顔を絶やそうとはしなかった。
「西原峠には番小屋でもあるのか」
「槇寄山に小屋が」
 西原有氏は、何か懸念でもと質した。
「明日にでも見ておきたいが、近いのか」
「屋敷の裏からなら、一刻も登れば峠ずら」
「ならば、今宵は程々に楽しもうぞ」
 信茂の脳裏には、谷村で刻み込んだ主要な路の絵図が叩き込まれている。小菅側は小河内への備えが出来ている。小菅五郎兵衛は経験も知略もあるから問題ない。が、西原武田氏は在地の防備を主とする一族で、限られた知恵と経験しか持っていない。もしも相手の軍略が勝れば、知略においてもひとたまりもないだろう。
 翌日、信茂一行は西原有氏主従の案内で、早朝から山を登った。
 標高がある尾根は入小沢ノ峰より端を発し、浅間峠や三国峠を経て陣馬山に至る。すべてが北条との国境線だ。古甲州道は直接甲州に至る路であり、ここが脅かされれば、信玄以来、他国に踏み入られたことのない歴史が変わる。それほどの重要な場所だった。西原峠は気持ほどの窪地が広場のようになって、尾根路との交差点のようだった。
 槇寄山は尾根路をやや登った先にあり、そこから西原峠の窪地を見下ろせる。粗末な小屋には年寄が詰めていた。小屋の警備は薄く、尾根路を封じる関門すらない。壮健な者ならば十を数えぬ間に山上から峠へ駆け下りることが可能だが、それは攻めに弱いことも露呈している。
「ここが戦場になったら、ひとたまりもないな」
 この指摘に、反論できる者はない。
「先代御館以来、この峠では戦さなどござらぬ」
「これまでは、そうだった」
「いまは、心配にて」
 たしかに信玄以来、この峠での戦闘はない。砦のはずだったこの小屋は、長いこと山菜収穫の休息場だった。これでは寡兵でも制圧されてしまうだろう。
「丹波殿、ここはすぐに改修すべし」
「どのようにすれば」
 懐紙を出すと、信茂は矢立でさらさらと書き記した。
「番小屋の周囲に壕を深く掘るべし。山の反対側には間道があるようだが、そこを兵糧確保に用いるべし」
 具体的な指図だ。
「左衛門大夫殿は、ここが戦場になると?」
「なる」
 信茂は厳しい口調で断言した。
「ここを奪われたら西原も戦場になる。小菅と上野原の連絡が遮断されたら、国中にも郡内にも救援が呼べなくなるだろう。そうなれば、ここが北条に侵される。それだけは防がねばならない」
「そんな、恐ろしいことが」
「そうなんねえために、備えるずら。やりすぎてもいい、わかるな?」
 西原峠の反対麓は秋川沿いの集落であるが、租税の代わりに兵役に就く村人であることは想像に易い。西原の民が山に精通しているように、相手も山を得手としているのだ。
 北条は信用能わず。その支配にある者への油断は、命取りである。
 この日から西原峠には人が入り、槇寄山小屋の周囲に柵が設けられ、弓と槍が備えられた。交替で詰める者も、年寄りから若い者三〇名に代わった。これが交替で北条領への監視を行った。
「番小屋の周辺に壕、これは絶対に忘れるな」
 信茂の指図を、有氏は領民に厳命した。しかし、久しい重労働で、彼らは、壕までは億劫だと手を抜いた。
 西原を発った小山田信茂一行は羽置城に寄り、上野原の諸将を励ましたのち、谷村へと引き上げた。
「嫌味を云われたずら」
 留守居の小山田八左衛門は、駿河出陣を怠ったことで、勝頼の使いから散々と苦言を被ったことを告げた。予想通りのこととはいえ、留守居とは辛いものだ。さりとて四長老家のこともあれば、仕方がない。
「八左衛門、厭な務めで済まぬな。今日は出仕に及ばず、ゆっくりと湯にでも浸かって酒でも呑んでくれ」
「そうします」
 留守中、特には難しい事がなかった。花押を二、三枚記して、訴状もさっと目を通すと、各々の奉行の一存に任せた。夕刻、小林尾張守家親と桃陽が谷村を訪れた。
「待っていたずら」
 酒肴を整えさせると、信茂は人払いした。
「あのな、弥三郎殿の十三回忌も無事に済んだで。あらためて内々の精進落しをと思って、今宵は招いた」
「ああ、たしかに、昨年の十三回忌法要は、立派でしたなぁ」
 小林家親も相槌を打った。
「あのな。自分の法要に参じるなんて、いい気分ではねえずら」
 桃陽が口を尖らせた。法要の最中、誰が気付くか、生きた心地がしなかったと、真っ赤な頬で息巻いた。
「まあまあ、飲めし」
「云われんでも」
 桃陽という学僧の存在は、もはや地域に定着した。死んだ弥三郎信有が実は彼だったなどと、もう誰の興味にもない。信玄亡きあとの政情を客観視すれば、弥三郎だった桃陽には、とても任に堪え難かっただろう。
 信茂はよくやっている、桃陽は感心していた。
「ひとつ、申し上げる」
「なんなりと」
「弥五郎殿のことだ、もう手を打ってあるだろうが、道留を早くやっておく方がいい。武蔵守(北条氏照)は英邁ずら。後手に廻ったら、面倒になる。いいことはない」
「桃陽殿のお言葉は有難いものだ」
 信茂は笑った。
 その笑みに、既に信茂が抜かりなく手配りしていることを、桃陽は悟った。恐ろしい洞察力だ、やはり信茂の器は違う。
 桃陽は、ふと、義信のことを思い出した。
「若殿が失脚せなんだら、もう少し、武田はまともであっただろうかのう」
 滅多なことをと、小林家親が制した。
「当代よりは、よかったかも知れんなぁ」
 信茂は即答した。
「谷村殿も!お止めなされ、誰かの耳に入ったら、何となさる」
「どうせみんなも、そう思っているんだろ」
 その言葉に、ふと、小林家親は固まった。
「哀れなもんずら。当代のことを、誰も信頼していねえ。小菅からぐるりと廻って知りたかったのは、境場にいる者の気持だった。みんな、当代のことを敬っていねえずら」
「なぜだ?」
 桃陽の問いに、信茂は当然だと云わんばかりに
「お互いが知らぬ者だからじゃ」
「は?」
「先代様は姿こそ見せずとも、信頼の意をきちんと伝えた。下々はそれに応えたのだ。これが、武田の強さだった。当代はそれを怠った。誰も慕っていねえ。だから儂が皆の心に応えてきたのだ。皆はな、ただただ儂のためにだけしか働くまい。それが〈人の情〉というものじゃ」
 桃陽は、再び、義信が存命ならばと、呟いた。
 もう、どうすることも出来ない現実だった。
「郡内がこの様ずら。先方衆はどうしたもんかのう」
 信茂は音を立てて酒を干した。
 信濃も駿河も、武田家への信頼が揺らげば家臣団の心は浮つく。せめて郡内だけはと思うのだが、それだって絶対ではない。
「北条と敵対しているものの、どこかで繋ぎを残しておきたいものだ。武田が倒れても郡内の結束だけは崩れないことを、信じたいものだ」
 このままでは武田の先がない。そのことを、信茂は洞察していた。


                  二


 閏三月一一日、信茂は助右衛門尉に対し、荒倉の甚右衛門尉が所持していた田地他五四〇目を抱えることを許すとともに、相応の奉公を行うよう仰せつけた。郡内の内政は順調だった。離散する者がいないことが、その証だ。
 四日後、深沢城を北条勢が囲んだという報せが谷村に届いた。深沢城には小山田弾正家の兵が詰めている。見殺しには出来ない。既に勝頼もそれを知り、穴山信君に対応を命じたばかりだった。信茂は使番として小山田八左衛門を躑躅ヶ崎に差向け、援軍として発つことを報じた。勝頼はそれを承認した。
 籠坂峠で軍勢を休めると、信茂は陣幕裏で小便を放った。その最中、独り言のように呟いていたが、これは山中の山窩と会話をしているだけに過ぎない。
「ほう、件の弥右衛門の子は毛利攻めの総大将になったのか。織田弾正は気前がいいな、埒外も者でも侍大将にするんだな」
「代わりに、やばいのが出張ってきた」
「やばい?」
「丹波の山窩だ。あれに襲われたら、儂らは瞬く間に殺されてしまう」
「何しに出張ると?」
「北条への念押しじゃ。まずは風魔小太郎をびびらせるためだな」
「念の入ったこんずら」
 丹波の山窩は、乱裁道宗(あやたちみちむね)という。中途半端に〈あちら側〉を知る信茂だから、その名前くらいは承知していた。術に長け、暗殺にも長ける丹波山窩の長である。弥右衛門の子は、この男すら操るものかと、信茂は感嘆を禁じ得なかった。
「籠坂峠がやばいと思ったら、どこでもいい。とにかく逃げよ」
 信茂に云えるのはそれくらいだ。
 陣幕の内に戻ると、穴山信君の使番が控えていた。
「当方は本日夕刻に御厨着陣である。同陣されたしとの、主の仰せです」
 信茂はこれに応じ、小山田勢は直ちに御厨へ向け進軍した。そうこうしている間に、武田信豊の軍勢が追いつき、籠坂峠をゆっくりと下り始めた。ふと、彼方に白煙が認められた。果たしてそれは、北条勢の御厨焼打ちの煙だった。深沢城が堅固であるため、城下を焼き払ったのである。
 夕刻前に信茂は穴山勢と合流した。東海方面の苦衷の愚痴と、勝頼への不信を、信君は切々と信茂に吐き出した。溜まった鬱憤を吐き出せる相手を選ぶくらいの理性は、まだ信君には残されていた。
 現実問題として、駿河を支える穴山信君は心身ともに疲れ果てていた。内政・外交・合戦、その何れも、勝頼は支援や助成をすることがない。時おり合戦のときだけ現れて、好き勝手をしていくだけなのだ。
「当代には、年頃の娘がおったのう」
 ぼそりと、信茂が呟いた。
「人の話を聞いておらなんだか?」
「聞いてるよ。聞いてる。だからさ。で、なぁ、娘がおったよな」
 信茂の妙に明るい口調に、信君は面食らいながらも
「ああ、いる」
「たしか、玄蕃頭殿は勝千代君の婚約相手にと御所望とか」
「むかし口約束しただけで、決めたわけでは」
「ならば、きちんと固めなされ。これで穴山家も、腹が決まりましょうぞ」
 確かに、縁戚ともなれば、信君も覚悟を決めることになろう。武田を支えるべきか、徳川に降って独立すべきか、それほどまで追い詰められていた感情は、幾分か和らいだ。
「弥五郎殿は不思議な御方じゃ。儂の胸を空く一言を、いつも唐突に吐いていく」
「ご迷惑か?」
「感謝しているのだ」
 深沢城の膠着は程なく解けた。
 勝頼から穴山信君宛てに指示書が届いたのもその頃だ。北条氏政が足柄城にいるという情報を掴んだ勝頼は、その動向を伺い、氏政が退くのを待ってから兵を下げろとのことだ。そのうえで、善後策を練るため、躑躅ヶ崎へ出仕せよとの指図である。
「いい方に流れている。ものは考えようずら」
 信茂の言葉に、信君は大きく頷いた。
 ここで、武田勝頼は大きな過ちを犯した。外交下手はもはや拭うまでもないが、組織の結束を乱す失策を、立て続けに重ねた。その最たるものが、穴山家との縁談拒否だ。勝頼は信君という人間を好いていない。
 甲府で戦況報告ののち、あらためて穴山信君は縁談のことを申し入れた。しかし、縁戚となることを勝頼は望んでいない。むしろ、厭味の口数が少ない従兄弟の典厩家との縁談を望んでいた。
「口約束でしかないが、当方はそう考えておった」
「所詮は口約束にて」
 勝頼の心底を読んだとき、信君は自然と冷静だった。
 繋ぎ止めていた心の何かが切れてしまったのだと、そのときは考えもしない。全くの冷やかな他人の視線に切り替わったと云ってもよい。
「そんなことより、駿河のことよ」
 勝頼は事もなげに急いた。信君もそれに応じた。
 その夜、穴山屋敷は騒然となった。
「勝千代のこと、四郎殿より武田の血は濃い。これと結ぶことこそ、武田家が一枚岩となる証というに。あの諏訪の妾子め、忌々しい」
 口汚く信君の正室が罵倒し、激昂を吐き出した。勝頼へ向けた罵詈雑言は、聞くに堪えない。その悔しさを露わにする様を見るうちに、信君の頬を涙が零れた。
「武田は終まいじゃ」
 その呟きに、正室は大声を挙げて泣いた。
 穴山信君の母・南松院は信玄の姉である。信君の正室は信玄の次女で正室腹、血筋の濃さでいえば、信君は紛れもない武田の親族筆頭だ。勝頼とは比べものにもならぬ。その尊厳は大きい。
ゆえに、封じていた、静かな怒りが込み上げてきた。
 信君は笑い顔を浮かべながら大粒の泪を溢し、しかしその血走った目で、思い詰めてきた決意を口に出した。
「武田は滅びぬ」
 地の底から響くような呻き声に、正室はギョッとなり信君を見上げた。そして、その言葉の意味をすぐに悟った。
「格好の侍女がおります」
 聡明な彼女は、信君が云う前に、意図することを口にした。信君は頷きながら
「我が養女とする。時期がきたら、徳川に送ることとする」
 信君が勝頼から本当の意味で決別したのは、まさにこの瞬間だった。
 勝頼を滅ぼして、信玄の血を引く勝千代に武田家を相続させることこそ、御家生き残りの術だった。幸い娘を御聖道こと龍芳に嫁がせている。信玄の嫡流となる血筋は掌握していた。それと、我が子。このふたつの血脈は勝頼の比にもならない。
「四郎殿と比べれば、あれ以上の最悪はなし。きっと武田の後継者であると、甲斐の者なら誰もが納得しよう」
 異を唱えるならば、勝頼とともに滅べばいい。
 その時期を早めるため、勝頼の軍事・財政・民政を破綻させる必要があった。そのための策を、ずっと心に秘めていた。もはや隠す必要もない。
「二年の間に、世は大きく変わる。奥も、信玄公の御息女なれば、じっくりと召され」
「すべてをお任せします」
 信君の妻は、大きく頷いた。
「大事が決するまでは、家中にも伏す。今は二人だけの秘め事ぞ」
「あい」
 翌日、穴山信君は再び勝頼を訪れた。もう娘の事は終わった話だと、邪険な態度の勝頼に対し、信君は冷静だった。
「なに、城を築くと?」
「如何にも」
「躑躅ヶ崎ではいかぬのか?」
「この府中は軍事の面で甘いのです。織田弾正の軍勢は兵農分離の成されたものにて、農閑期に動ける我が軍とは比べものにもなりません」
 そのとおりだ。
 商工業の栄える府中は、城塞と呼べるものではない。強いていうなら要害山城くらいだが、信玄以来、国内の戦さが行われていないことを考えれば、その保全機能にも問題があった。
「何を躊躇うのです。江尻にも設けた天守閣を、武田の城にも設けるべきではござらぬか」
「天守閣か……天守閣な……うん」
 勝頼は迷った。迷ったときの勝頼は、興味に心が揺れている。その心理を信君は巧みに操った。決断力のない勝頼は、次に側近衆を呼ぶ。その側近衆は日和見ばかりだ。跡部勝資さえその気にさせればいい。
「場所は七里ケ岩。ここなら釜無川が天然の濠となる。」
 具体的な道筋を示すと、感情論に支配されぬ跡部勝資は実現性の可否を思案するのだ。後押しする一言を、ここで吐く。
「城の縄張は広大であれば防備もよい。小田原よりは小さいが、天然の濠と断崖は城を守るでしょう。立地に最適な我が管理地である、穴山領を差出そう」
「穴山領を?」
 実現性の可否は、ここで飛躍する。
 じっと一同を見つめる信君は、不思議と、一人ひとりの思惟を読むことが出来た。城の縄張に長けた者は誰かと、勝頼が呟いた。この瞬間、移転ありきの話題へと、切り替わった。それを確信した信君は、二名を推挙した。
 原隼人佑貞胤、そして真田安房守昌幸だ。
「陣馬奉行の隼人佑なら分かる。しかし、なぜ真田を?」
 跡部勝資は質した。
 穴山信君は即答した。
「先代の眼と称された安房守である。さぞや勝機に結ぶ縄張をするものと思うが、如何?」
「さて、それは」
「信州は山本道鬼入道殿や馬場美濃殿の手掛けた城が多い。真田家は信濃の雄、さぞや目も肥えておろう。さぞや甲州造と称される普請に長けた者と思えるが」
「そうだろうか」
「そうであろう」
 そう云われてくると、そういう心理になる。
 結果、すべては穴山信君の描いた通りとなった。公式の城普請決定はこののちのことだが、新府中韮崎城と仮称されたそれは、跡部・長坂・穴山三者で実踏し、おおよその築城場所を見出すところまでに至った。このことは家中でも秘事とされ、指名された真田昌幸でさえ、間際までそのことを知らされなかった。
 府中を新たに設け、そこに城を構える。
 どの国の、どの大名でも、当たり前に行っていることだった。城下もそっくり動かせばいい。信君の言葉に勝頼は頷いた。
 それが、どれほど民意を揺さぶることか、このことを、勝頼は軽く考えていた。
 
 四月九日、石山本願寺が織田信長に降伏した。
 宗教戦争は面倒臭い。そのことを知る信長は、本願寺のあった石山より退去を命じただけで、顕如を討とうとはしなかった。討てば信徒の心中で、顕如は絶対の神になる。そうなったら面倒だ。信仰とは、信頼失墜だけで簡単に地へ落ちるもの。生かして無様を晒すことで、顕如は神から人へと堕ちるのである。
 信長はそれを目論んだ。本願寺が、こののち分裂し諍いを重ねたことは、まさに信長の慧眼であろう。
 武田家にとっての軍事同盟を結ぶ最大勢力が、これにより喪失した。
 四境ことごとく敵。
 そう例えて憚らぬ渦中で、穴山信君の献策による城普請。この情報は、信君から徳川家康へ、家康から織田信長へと齎された。長年の密約交渉もあり、穴山信君はこのことで信長の信頼を得た。
 勝頼を滅ぼしたうえは
「なにとぞ武田家の名跡を相続したい」
 このことなど、信長にとっては大した問題ではない。武田を弱体化させる経済破綻の鬼手である城普請。その功績を思えば、望む名跡を与えるくらい、何でもなかった。
 家康はどこか穴山信君を好きになれなかった。
 これは、好き嫌いの感情だ。根拠などはない。ただ、信長が信君を気に入った以上、それに倣うしかなかった。
 武田家はもう長くない。そのことを、三者は確信していた。
 その前にするべきことがあった。高天神城攻略。信長の指図は、城兵の皆殺しである。勝頼は城を救援することなく、無残にも見捨てたのだ。そういう状況を演出し、世間に流布することが、信長の狙いである。
 六月、高天神城包囲の付城は、おおよそ完成した。
 高天神城の補給路を断った。あとは城攻めの時期を待つだけだ。
「徳川のための生贄だがや」
 家康は、そっと呟いた。
 その頃、勝頼は北条勢に翻弄され、遠江へ出る機を失っていた。長期戦に臨めないのが武田の現実だった。出兵したくとも、兵糧が乏しく軍費の捻出も厳しい。租税を上げても儘ならず、むしろ民衆からは恨まれるだけだった。
 消耗戦という言葉があるならば、まさしく武田家の現状こそ相応しい。攻めるために消耗し、守るために消耗する。得るものを維持するためにも消耗するのだから、これは堪ったものではない。
 不幸は続く。武田を支えた金山も、この頃には採掘量が減っていた。いくら掘っても金脈に当たらず、掘れば掘るだけ無駄が増えた。大蔵藤十郎は国内から駿河や河内へと採掘の主体を変更するよう、武田家首脳陣に訴え続けた。
「怠けているからだ、黒川金山はまだ出るだろう」
と、その意見は却下された。黒川金山はもっと産出するという、根拠なき意見を突き付けられた。
 その話を聞いた龍芳は、大蔵藤十郎が気の毒でならなかった。
「山から下りてきたのだ。慰労せよ」
と、龍芳は屋敷に大蔵藤十郎を招いた。直接政務に関与しない御親類衆である龍芳は、海野の諜報網により情報だけは豊富に得られた。舅である穴山信君の噂も知っている。
(あれは、よもや背信するものか)
と、早くから勘潜っていた。ならばこそ、先々を考えねばならない。
「大蔵藤十郎とやら。そなたのお頭に密書を託す」
 龍芳は盲ており、近臣・山下又左衛門尉に書かせた口述書を用意していた。田辺太郎左衛門と龍芳は、隠し事のない間柄だった。その内容を知らず、大蔵藤十郎は二日の後に黒川千軒に着くと、田辺太郎左衛門へそれを手渡した。
「お前はこのこと、知っているのか?」
「いえ」
 そうかと呟きながら、田辺太郎左衛門は密書を懐にしまった。
                                つづく
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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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