第7話「伊勢 高野」

文字数 23,455文字



伊勢 高野


                  一


 永禄四年(1561)一〇月。
 小山田信茂は旧知の印地、四人の漂白民とともに、伊勢を目指した。といっても、彼らは傍目から観て、埒外のそれだから、民百姓は些かの関与を示そうとしない。漂白民は元来、名を持たぬ者もいる。名を持つことで地域や団体に縛られることを嫌うからだ。形式的に群れの要や長老を〈長〉と呼んだりするが、それとて固有名詞に程遠い。信茂が困ったのは、そのことだ。どう呼んだらいいものか。彼らは名を持たず、どう接しているものか、注視したところで見当もつかなかった。
「どう呼べばいいか困るから、おまん等のことを勝手に呼ぶら」
 印地は〈イシ〉、大柄な傀儡子は〈グツ〉、小柄で小太りは〈マル〉、若いのは〈ワカ〉、鋳物師は〈テツ〉。信茂の勝手な命名に、彼らは無関心だった。名前など、彼らには大した意味などない。
 一行は諏訪へ出で、深志へ向かう路あたりの、湖畔に近い神武社に腰を下ろした。そこは無格社で土地の者も手入れをしない。その代わり、旅をする漂白民が焚き火を囲み、夜を過ごす場所になっている。諏訪の神仏は一統されていると信じていた信茂は、無格社という存在をはじめて知った。
 こういう漂白民の群れには、一定の決まり事がある。無縁であること、同族であること、干渉しないことである。
「まずはその土地の長に、よくよくお願いしなければなんね」
 印地の〈イシ〉は、傀儡子の〈グツ〉とともに、信茂の境遇を説明し、一夜の輩にと頼んだ。この土地の長は、武田が支配することで埒外も平穏になったことを評価していたから、承知をした。いまは上ナシの暇者なれば、拒む理由はない。
「俗世よりの客が参らせた。血の半分はこっちのもんじゃて、同族じゃん」
 そう宣言すると、漂白民たちは信茂を焚き火の傍へと招き入れた。大鍋には、獣肉やら鳥肉やら得体の知れぬものが煮込まれて、灰汁が浮いていて脂のきつそうな外観だが、匂いだけは妙に空腹を刺激した。椀によそわれ差し出されたそれを、信茂は〈イシ〉へ不安そうな視線を送った。〈イシ〉は頷き、信茂はそれを口に運んだ。
「うまい」
 無意識に言葉がこぼれた。漂白民たちの固い表情が、この瞬間、解けた。大鍋を囲む連中は、途端、奏で踊り出した。信茂が受け容れられた瞬間だ。長が、横に腰を下ろした。
「武士として生きるか、公界のモノとして生きるか、許される中で考えなされませ。同族となれば我らは輩として助け合う。武士を選ぶなら、印地ともこれきりにしなければいけない。在世と埒外は共存できない」
「考えます」
「まあ、呑め」
 きつい濁酒だ。このような酒は、口にしたこともない。が、きついのに口当たりがいい。信茂はすぐに酔い潰れて寝込んだ。

 このように、路の先々で、信茂は埒外の群れに交わり、彼らの掟や心情を理解していった。その気風も土地それぞれである。諏訪から天竜川沿いに歩を進める彼らは、やがて遠州街道から豊川方面へ向かった。途中、野宿の先で
「ポンツクから譲られたで」
と、竹籠を翳す若い木地師の会話を耳にした。ポンツクとは、三河あたりの者が山窩を指す言葉だ。山脈の連なるあたりは、山窩の棲み家になっている。ときどき里へ下りては、調味料や生活に必要な細々したものと交換していく。基本的に世俗と交わることを嫌っているが、漂白民同士の情報交換は行われる。
 豊川は稲荷社で有名だが、この〈豊川稲荷〉は後世のもので、当時は〈円福山豊川閣妙厳寺〉という。稲荷信仰というのは建前で、荼枳尼天が本尊である。この荼枳尼信仰は外法として忌み嫌われ、同時にその効験も絶大だ。欲に眼が眩んだ輩を虜にしていた。信茂たちが豊川に至ったのは一〇月末、枯れた田圃に氷見鏡を見る季節である。羽織る鹿の毛皮も二枚になるほど、季節は冬の厳しさを増していた。
 豊川の荼枳尼信仰は、当時、熱烈な信徒により維持が約されていた。岡崎城主・松平次郎三郎元康である。今川義元庇護下のこの社を、今は松平元康が維持に務め、かつ信仰していた。先月の〈藤波畷合戦〉勝利にあたり、松平元康と家臣団は供物を献上していた。
 寺社門前には、道々の輩が芸を売っていた。信茂に同行する傀儡子たちは人形芸をし、鋳物師は鍋の修理をしていた。その後ろですることもなく、信茂と〈イシ〉はぼんやりと往来を眺めていた。
 武士の立場なら、このような光景を見ることもない。不思議なものだと、信茂は思った。
(自由とは、やっている本人だけじゃなく、観ている側にもあるんだな)
 あくせくした刻とは無縁だ。誰にも縛られず、誰も縛らない。これが漂白民だった。
 そのときだ。
 彼方で罵声が上がった。漂白民の芸には、賽の目という博打もある。多くの者がこれで身包み剥がされるのだが、このとき賭けに興じたのが、なんと松平元康だった。この寒空の下、賭けに興じて身包み剥がされ、家臣が慌てて自身の衣類を宛がう姿が映った。
「あれ、三河の殿様じゃん」
 ぽつりと〈イシ〉が呟いた。真っ赤な顔をして激昂する松平元康と、それを宥めながら引き摺る家臣たちが滑稽だった。しかし、一国の当主にこのような事をして、大丈夫なのだろうか。
「松平の殿様も〈阿弥衆〉の裔じゃて、弥五郎と同じずら」
「武士の血と、漂白民の血が、半分なのか」
「もともと松平なんて家は、〈阿弥衆〉の遊行僧から出た家系だしな」
 東海には変わった武士がいるものだと、信茂は頷いた。
 松平元康は当時無名。桶狭間のどさくさで今川から離反したというだけの世評しか伝わっていない。このとき元康以外にも多くの者が今川を離れた。水野藤四郎信元も早々と離反し、織田信長と〈織水同盟〉を結んで今川に抵抗していた。このとき松平元康はどことも同盟を結ばず、今川から独立したことだけに酔い痴れる一匹狼だった。
 たしかに一匹狼という言葉に、元康は酔っていた。しかし、酔ってはみたものの、裏を返せば不安要素でもある。先の〈藤波畷合戦〉は、今川氏真の怒りを買ったという。そんな風聞が漂っているからこそ、いつ攻め込まれるものか気が気ではない。一刻も早い後ろ盾を探さなければ、先行きが不安だった。
 松平元康とは、そのような小さい存在だった。

 三河から伊勢に赴く行程は二通りある。海商に幾許かの銭を払い、伊勢湾を渡る方法。そして尾張を廻る方法。もっとも漂白民は何事にも無縁である。無縁とは他人の力を借りず自力本願に他ならない。よって信茂等は陸路を進むこととなる。おかげで、噂の桶狭間と呼ばれる今川義元が討たれた地を通った。このような無防備なところで、信玄さえ畏敬の念を傾けた海道一の弓取りが討たれたのは、摩訶不思議だった。
 戦場とは、魔性である。
 僅かな差で戦局は揺らぐ。現に川中島では、信玄が討たれても不思議ではなかった。運と地の利は紙一重。その紙一重の魔性が、義元の命運を絶った。その義元の死によって、信玄はあらたな策謀を描いていることを、信茂も薄々気付いていた。
 熱田神宮の門前でも漂白民が芸を売っていた。
 ここの傀儡子は余所者に厳しい。幾度もここで嫌がらせを蒙った〈グツ〉は、先を急ぐよう促した。旅人は多い。世俗も埒外も雑多の混み様だ。この人混みのなかで、信茂等はただの塵芥にも等しい。
「そこの」
 頭上から声が響いた。
 茶筅髷に着流しの侍が、馬上から信茂を見下ろしていた。その姿は仕官しているとは思えぬ程だらしのない着こなしで、しかし馬には長けているのだろうか、鞍も置かずに安定した物腰だ。
「旅は急ぐものではねえでよ。小山田弥五郎」
 信茂は立ち止まった。その名を知るということは、武田の者だということも承知だろう。そしてここは尾張国、一切の交流がない、敵地同然である。が、足掻いたところで意味もない。運は気紛れだということを、ついさっき、桶狭間で思ったばかりだ。なるようになれと、信茂は馬上の侍を見上げた。
「上総介だがや」
「ご冗談を」
「冗談などいうものか」
 信茂は目を丸くした。この傾奇者が、今川義元を討った尾張の主・織田信長だというのか。俄かに信じがたいと、信茂は頭を振った。
「たわけ。そちも埒外の形で、誰が武士と思うか」
「されど、なぜ?」
「そちが甲斐を出たときから知っていたと云えば、満足か?」
 織田信長が笑った。
 あながち嘘ではないのか、いや、戯れているのかも知れぬ。その表情は飄々と薄ら笑いを浮かべていた。
「のう、越後は強かったか?色々と聞きてえでや」
「あいにくと、今は無縁の身にて」
「漂白者はな、そんな刀を佩いてねえら。一緒にいる奴らをみれば分かるだろう、山刀だがや。知ってて教えないとしたら、供連れも意地悪だで」
 信茂は〈イシ〉をみた。決まり悪そうに、〈イシ〉は苦笑いを浮かべた。
 熱田の杜も出口が近い。信長は執拗に絡んできた。
「今は上ナシずら。誰の指図も受けねえし」
 信茂は最後まで信長の誘いに応じなかった。
「いい根性だ、気に入ったで。次は武士のお前ぁさんと話をしてやらあず」
 信長は大きく手を振った。熱田の杜の出口に座する野武士が、道を開けた。信長は神域だろうがお構いなしで、下馬もせずに俗物を引き込むようだ。信茂に苛立ちを覚えれば、信長は彼らを嗾けて、きっと流血沙汰も厭わなかっただろう。
 熱田を過ぎると、ずっと口を噤んでいた〈グツ〉〈マル〉〈ワカ〉〈テツ〉等が、大きく息を吐いた。極度の緊張感の正体が、信茂には分からない。
「熱田に集う埒外の連中、みんな上総介の手下だ」
「上ナシだろ?」
「どうやって手懐けたか知らねえが、間違いなく手下だ。いつ襲われるか、生きた心地もしなかったで」
「殺意は感じたが、てっきり上総介の家来かと思うていた」
 信茂と公界人との感覚は、どうやら違う。殺気に怯えない信茂は、間違いなく武士の肝が据わっていた。
「この刀、本当に場違いだったのか?かなり無銘の汚れ物を持ってきたんだけどな」
 信茂は擦り切れた柄巻を撫でた。そうでもないと、〈イシ〉は答えた。
「侍崩れも埒外には多い。落ちぶれて身寄りのないものが、こっちに転がる場合もあるしな。そういう連中は、いい刀をぶら下げていることもあるら。弥五郎は間違っていねえ、けど、不釣合いと云われりゃあ、その通りだで」
「難しいな。山刀と取り替えてくんかな」
「いいじゃん、それで。今まで困らねえんだから、いいじゃん」
 そういうものか。
 信茂は納得しない表情で、強く頭を掻き毟った。長く風呂にも入らず、すっかり垢塗れだ。いまが夏なら痒くて堪らないのだろうなと、信茂は呟いた。
 尾張の海岸沿いは商工業地帯だ。豪商は廻舟で大きく商いをし、組合は結束しながら、為政者とは敵せず狎れずの関係を構築している。その扱う品は、堺や博多から来るものもあり、時として名も知らぬ遠い海の果てからもくる。山育ちの信茂には見慣れぬものばかりだ。
 遠江に至り初めて海を見たとき、ただの果てない池のように思っていたが、こういう使途に用いるなら、海とはなんと有益な存在か。舟さえあれば、遠国とも見知らぬ品同士の交易が適う。ずっと甲斐にいたら気付くことのない感覚だ。
 朽ちた社で野宿をする暇も、〈マル〉と〈ワカ〉は時折遠くの闇を気にしていた。きっと、織田信長の監視だろう。このまま尾張を出られものだろうか。信茂には不思議と恐怖はなかった。この緊張感を楽しむ感覚がどこかにあった。
「印地を教えてくれし、〈イシ〉」
 ふと、信茂は大声で叫んだ。
 闇の先には、川面がある。石を打っても問題はない。その川辺りからこちらを伺う気配を知ってて、信茂はわざと大声を上げたのだ。
「遠くに飛ばすだけでねえし。的に当ててこその印地ずら」
 立ち上がった〈イシ〉は、五間(約9m)ほど先の梅の木を指した。闇にぼんやり浮かんでいるそれを狙えと、〈イシ〉は呟いた。
 信茂は上手で投げたが、見当違いの方向に礫が飛んだ。
「違うら。横投げするといいずら。それから、石は平たいのを握る。ほれ、こういうの」
 厚みの薄い小ぶりの、丸みを帯びた石を〈イシ〉は差し出した。
「ぶん投げやすいな」
「下手糞はここから修練してくんにょ」
「当てればいいんだろ」
「ほうじゃ」
「当ててやる」
 云われるまま、横投げで礫を放った。当たらなかったが、投げた向きは梅の木に近い。
「これに当てたら、次を教えてやる」
 信茂はこの夜、とうとう木に当てることが出来なかった。しかし、闇夜からの視線を散らすことだけは出来た。これが尋常な振舞いでないことは、傍目に映ることだった。それでいいと、信茂は考えていた。乱心と思われれば、尚更よい。
 今の信茂は、一己で自在に道を思い描く自由があった。
 武田のための策もなく、郡内のための知恵も不用だ。この先を進むために、何処へ、何をして、どう振る舞えばいいか、選択する自由があった。印地もそのひとつだ。結果、監視を追い払うことが出来た。逆に襲撃されて野垂れ死にする自由もあった。その表裏があってこその自由だと、はっきりと識った。
 この瞬間、信茂は紛れもなく公界の住人であり、上ナシの漂白民であった。


                  二


 北条氏康の要請で、武田勢が関東出陣を敢行したのは、永禄四年一一月のことである。他でもない。越後勢が越山し、関東へ侵攻したためである。この年に行われた合戦がある。〈生野山合戦〉と呼ばれたそれは、先の小田原侵攻で奪われた松山城奪回を視野に含めた北条氏康采配による一戦だった。形式的に隠居である氏康が、当主を差し置いて指揮を執る。それだけでも重要な戦いであると理解できる。
 生野山は、現在の埼玉県本庄市・児玉郡美里町に相当する位置にある。寄居の鉢形城よりも上州寄りに位置し、ここを制せば上州国境まで支配権を回復出来た。氏康も必死であった。
 この戦いに上杉政虎が不在だったことは、氏康に幸いした。
 一一月二七日、両軍は激突し、北条勢が上杉勢に勝利した。上杉勢は下野方面へ退き、北条勢は秩父高松城を奪回した。しかし松山城は遂に取り戻すことが出来なかった。
 政虎が動けなかったのは、武田信玄襲来を警戒していたためである。このとき信玄は湯治に徹し、総大将は弟・刑部少輔信廉が務めた。信玄不在を知って、ようやく政虎は古河御所へと移り下野を転戦した。
 関東の豪族は政虎が近付くと城門を開いて敬い、去ると北条に靡くといった、したたかさを示した。関東管領などという肩書は、今や畏れるべき権威ではなかった。彼らは越後勢の精強さだけを畏怖した。戦えば勝てぬから、体面上、屈するだけだった。心底敬う者などいなかった。それが北関東の現状だった。その代表が、佐野小太郎昌綱だった。後年に至るまで、彼ほど上杉政虎へ逆らい、降伏し、再び逆らい続けた者はいない。この変節が、関東を象徴した。上杉が来れば臣従し、去れば北条に臣従する。これが関東の豪族の処世術だった。
 関東出兵した武田勢のなかに、小山田勢はない。弥三郎信有は北都留郡の動向を指揮しつつ、内政に奔走していた。例えば、御師・刑部隼人佐の要請により、翌年、刑部の檀那二百人に限り富士参詣希望者として役所を通過させる決定を下したのもそうだ。相模駿河との関係が良好なればこそのことといえよう。御師・猿屋宝性が谷村に赴き
「仁科織部殿、領中勧進につき来年には意に添うとお約束して来ました」
と報告したのも、この頃のことだ。仁科織部盛政は安曇郡森城主で、信濃先方衆として川中島合戦の折、信玄から軽視された一人である。とは申せ、彼にも真田一徳斎同様の意地がある。戦後処理に尽力すべく、春日弾正忠虎綱に物心ともに助成していた。そのため、富士信仰の民を郡内に送り出すことが困難だったのだ。猿屋宝性の講中にあった仁科盛政は、本来なら今年のうちに富士権現へ寄進として、猿屋宝性を通じ領中五文の勧進をすることになっていた。
「織部は信用能う者だろう。応えて上げたらよい」
 弥三郎信有はそう呟いた。
 事実、一年遅れて仁科織部盛政は五文の勧進を為した。この仁科織部盛政、通説では川中島以前に越後に内通し処断されたことになっている。しかしこのやりとりを記す『甲斐国志草稿』、のちの起請文にあたる『紙本墨書生島足島神社文書』に氏名があることから、少なくとも永禄一〇年まで生存が確認される。
「猿屋よ」
「はい」
「当方の兵も川中島で傷を負った者もいる。恐らく御師の縁者にもいるだろう。湯治は御館様より許されたものゆえ、望む者あらば遠慮なく申し出るがよい」
「谷村様のご配慮忝なし」
「他の御師衆にも伝えておくれよ」
「は」
 川中島合戦のことは、叔父・弥七郎から聞いていた。同陣していた河村治部左衛門房秀と牛田善右衛門真綱からも報告を受けている。
(弥五郎殿のお手柄と、皆が口にする。あの合戦で郡内衆の論功があったのだから、本当なのだろう。彼らは、すっかり弥五郎殿に懐いてしまった)
 弥三郎信有は少し悋気も隠せない。
 確かに信茂は合戦が巧みなようだ。戦場で兵の心を掴むのは、信頼を得るに足る武威や知略があってのことだろう。しかし、領地を統べることなく信玄の使い番だけの人間なら、それだけを研鑽することなど造作もない。こちらは内政外交に加えて合戦をしているのだから、比較されることすら腹立たしく覚えても仕方のないことだった。しかも、聞けば今は行き方知れずの旅に出ているという。
 面白くないと云えば、嘘になる。
 だから努めて意識をしない。そのことこそ意識になるが、弥三郎信有はそれにも気付いてはいなかった。
「谷村様」
 声がした。
 帰ったと思われた猿屋宝性が、そこに控えていた。
「如何したか」
「言伝を忘れておりました」
 猿屋宝性は懐から書状を差し出した。差出人は、武田太郎義信である。
「承ったとお伝えあれ」
「はい」
 猿屋宝性のもとには、飯富虎昌を介して義信から書状が届く。義信は三国同盟の輪を重んじ、相模取次役である小山田家と駿河取次役の穴山家に緊密な連絡を求めてくる。少なくとも、この外交熱心な御曹司は信玄後継者として誰もが信頼を寄せていたし、弥三郎信有も好意を寄せていた。
 書状には、義信が関東出兵より一時帰国する旨が記されていた。
 義信は信廉の脇将として関東にいた。川中島の激戦で些かの手傷を負ったが、若い義信の治癒は早い。ここで一時帰国したのも、大事をとるよう信玄から指図があったからだ。
 義信は、二之宮美和神社で気の置ける者たちと酒宴をするつもりだ。信玄もそのことを河浦湯で了承している。この席に、弥三郎信有は招かれたのだ。
 師走も近い。
 国中とはいえ御坂の山塊に程近い美和神社は寒い。この社に対する義信の帰依は、日頃から厚い。その聡明で賢い義信を慕う若者は、この当時、多かった。義信は次代を担う者として、純粋に甲斐の将来を想い希望を燃やしていた。その青い志に若者は惹かれた。老骨もまた、薫陶の成果に酔い痴れた。云わずと知れた飯富虎昌その人である。
「今宵は無礼講であるが、節度を持たれよ」
 酒席のはじめに飯富虎昌は口上した。
「爺、無粋である」
 屈託のない義信の笑みは、眩しかった。
 虎昌は思った。二〇年前、領民は戦さに疲れ、先代・武田信虎を駿河に追い出し信玄を国主に据えた。今にして思えば、なぜ信虎を追放しなければいけなかったのか、よく判らない。ただ、信玄の代になってからは国内に戦さはなく、国外の版図は拡大した。暮らし向きも多少はよくなり、釜無川や万力の堤を普請したことで水害も減った。あの代替わりで戸惑う家臣団を、信玄は若々しい勢いで引っ張った。あの頃の眩しさを、近頃は義信に重ねることもある。
(耄碌したのだろうな)
 飯富虎昌はそう思うことが増えた。若い世代は、二〇年前のことを直接知らない。知る必要もないのだと思う。あのようなことは、二度とあってはならなかった。
 程々で飯富虎昌が退散すると、血気盛んな若者たちは、当然羽目を外す。義信は無礼講に徹し、如何なる下品な言語にも眉を顰めない。その懐広い器に、若者たちは惚れ惚れと見上げる。
「余興がござる」
 立ち上がったのは、穴山彦八郎信嘉だ。披露したのは、新当流演武である。この剣術流派は塚原卜伝が今川氏真に教授したことをきっかけに、駿河で広まった。今川の取次役である穴山家にもその影響を与えた。穴山信嘉も駿河を往還して、熱心に新当流を学んだ。そもそも新当流演武など、穴山信嘉が口にしているだけで、実際には型を披露するだけのただの余興だ。
「彦八郎、酔って己を斬るなよ」
 義信は笑顔で手を振った。
 塚原卜伝の名は聞いているが、義信自身、面識はない。しかし諸国廻遊の際に甲斐を訪れたことがある。信玄は対面し、剣技に感嘆したらしい。山本勘助と卜伝は旧知だったとも聞いているし、原美濃守虎胤も入門していたと耳にしている。
「治部大輔(今川氏真)殿は卜伝より免許皆伝だとか。そうだの?」
「はい」
「彦八郎も励まねばな」
「この剣を戦場で生かすため、精進あるのみです。若殿が家督をお継ぎの頃には、きっと免許を得てみせます」
「頼もしいぞ。しっかり励め」
 穴山彦八郎信嘉は兄・信君と異なり側室腹の生まれだから、家督を得ることは難い。独立するためには、こうして次期の武田家当主に属するしかなかった。
「弥三郎よ」
「はい」
 小山田弥三郎信有は、唐突な呼びかけに驚いた。
「彦八郎の兄・左衛門大夫(穴山信君)はそなたの腹違いから槍を教わっていたと聞くぞ。弥五郎という者は、さほどに武芸達者であろうか」
「弥五郎とは一〇歳より離れて暮らしております。直接それを視た訳ではござりませぬ。いまは軽々に申し上げることは憚られます」
「ああ、父上の近習に取り立てられたのだったな。色々噂は聞くが、父上の衆道には染まらなかったらしい。可哀想に、お手つきは皆、城持ちにして貰うておるのにな」
「今は御館様の御用にて、どこかへ行脚の由」
「戻ってきたら、是非とも彦八郎と手合わせ願いたいものだ。儂も武芸に興味を持ちたいと思っているずら」
 義信の言葉は、傲慢なものではない。むしろ達者な者同士の研鑽を快く思い、切磋琢磨を願うものだ。その腕を競わせることが是ならばと、手合わせを望んでいたのである。日蔭になるならば、信茂を取り立ててもいいと考えていた。
 探求心旺盛な武田の後継者は、次世代を担う若者にとって、実に眩しい存在だった。

 その夜、飯富兵部少輔虎昌は、弟・源四郎の屋敷を訪ねていた。源四郎の屋敷には、言四郎の相備衆・相木市兵衛がいて、何やら軍議の最中であった。
「兄上、お聞きでしたか。長野信濃守(業政)が没したことを」
「おお、昨日に御館様より」
「長野信濃守さえなくば、西上野も容易くなる。相木市兵衛は真田一徳斎と入魂ゆえ、加勢に遣わそうかと」
「真田も喜ぶだろう。市兵衛殿、励んで参れ」
「は」
 相木市兵衛が退室すると、源四郎は兄の来訪理由を質した。このように、予め報せのない訪問は、珍しいことだった。
「兄上は、若殿と一緒にいるものかと」
「年寄がずっといても仕方あるまい。それよりもな、そなたの考えを聞きたかったのだ」
「内々のことですか」
「今川のことなのだ」
 飯富虎昌は、声を潜めた。公言の出来ぬ秘密を得たときの癖だ。今川のこととは、義信にも関わることなのだろう。だから、退席したのかと、源四郎は考えた。
「当家の小者が、偶然、今川の間者から奪った密書じゃ」
「密書?」
「今川から越後へ向けたものじゃ。間抜けな間者でな、塩田の湯にゆるりと浸かっていたそうじゃ。密書を抜き取られたことに気付かず、途方に暮れていたところを取り押さえた」
「拝見仕る」
 源四郎は一瞥して、絶句した。今川氏真から上杉政虎へ向けた、密盟の誘いである。しかも、共に武田を討とうというものだった。
「偽物ではあるまいか?」
「別の間者も捕らえてある。やはり、同じ密書を持っておった」
 取り出したもう一通も、確かに同様の文だった。差出人は、最初のものは朝比奈丹波守元長、後のものは関口刑部少輔親永、ともに今川家の縁戚にある重臣だ。
「信じられぬ」
 源四郎が目を疑ったのは、武田を包囲するため織田信長に向けた交渉役の存在だ。そこには、松平元康の名が記されていた。桶狭間ののち、今川を見限り三河で独立したとされる小名の名くらいは、源四郎も知っている。政虎に宛てた書面には、元康独立は仮初めで、織田信長への同盟交渉を密かに命じているのだとある。今川・織田・上杉で包囲すれば、武田を討つことも不可能ではない。そう促しているのだ。
 この二人の重臣は、今川縁戚でありながら松平元康にも深い関わりがあるのだと、飯富虎昌は呟いた。すなわち関口親永は元康正室の実父であり、朝比奈元長は義元存命中のときの元康後見人だという。そこまで調べれば、この一連に唐突性は感じられない。
「しかし、織田上総介は父親を討った仇であろう?その仇討ちも出来ぬ腰抜けと、世間では嘲りをしておるではないか」
「父が死んだことで思いのままに振る舞えると、安堵しておるのではないか」
「兄上、考え過ぎじゃ」
「うつけを装うのは、織田上総介とて同じであろう」
 ううむと、源四郎は呻いた。
 もしこれが真実だとしたら、幾重にも放った密書のひとつは、もはや越後へ達したと考えてよい。幸い政虎は関東出陣中、すぐには何もできぬ。
「御館様へは?」
「まだじゃ。明るみになれば、若殿が悲しむ」
「謀ったのは、先方。こちらに何の遠慮があろうか。兄上、共に参る。このことを御館様に申し上げるべし」
 虎昌は迷った。
 義信は愛妻家だから、義兄である今川氏真を心から慕っている。このことが判明したら、どんなに悲しむことだろう。しかし、現実問題として、武田家にとって憂慮すべき事態であることに違いない。
 迷った挙げ句、両名は河浦湯へと赴いた。
 湯治中の信玄は、すぐに面会に応じた。虎昌の差し出す密書を何度も目で追いながら、やがてそれを置いて、大きく息を吐いた。表情は変わらない。ああ、実は知っていたのだなと、飯富虎昌は察した。
「変だと思うだろ?」
「は?」
「今川家が尾張を捨て置くこと。出奔した松平を成敗しないこと。すべてがおかしいと、誰でも思うよなあ」
「今川の先代が立派すぎて、当代が腰抜けだと、世間では評判でござる」
 飯富源四郎が即答した。
「なら、とっくに今川は分裂しておる。血筋は当代ばかりではないゆえ、腰抜けならばとっくにすげ替えられておるわ。あの当代は父親以上の食わせ者よ。じわりと他国に信奉者を拡げて、国を乗っ取る支度をしておるのだわ」
「まさか」
 飯富虎昌は狼狽えた。
 その信奉者とは、後継者である義信のことではあるまいか。その豹変した顔色を見透かすように、信玄は言葉を継いだ。
「穴山の舎弟が今川へ傾倒している。今宵もそんな素振を、太郎のいる宴で振る舞っておるのだろうな。儂とて駿河へ間者を放っておる。駿河の父からも、そのようなことが伝わってくる」
 父とは、先代・武田信虎だ。
 信虎は今川氏真の狙いが甲斐だと見抜いている。攻められる前に攻めろとも、強く訴えている。氏真が越後に内通したくらいでは、何も変わるものではない。しかし、織田信長と通じれば、武田家は大きく包囲されてしまう。そうなったら、元も子もないのだ。
 信虎の危惧は、信玄も納得していた。
 しかし、今川を攻めるには、大義名分が必要だ。仮にも同盟関係にあるものを、いきなり攻めることは出来ない。口実が必要だった。飯富虎昌の持参した密書くらいでは、まだまだ不足だった。
「飯富兵部は太郎が今川に深入りせぬよう、よくよく教授せよ」
「心得て候」
「源四郎は太郎の近臣どもの交遊を見定めるべし。怪しい輩はすべて報せよ。ただし、手出し無用」
「泳がせるので?」
「確たる証拠を握るため、他の者を用いる所存」
「一条殿ですな」
 源四郎は一条右衛門大夫信龍が、近頃浪人を多く抱えていることを知っている。その浪人は遠江方面から流れてくる者が多いとも聞いていた。〈藤波畷合戦〉の浪人だ。藤波畷合戦浪人の多くは今川に属す吉良家の浪人たちだ。表向き今川家は、吉良を攻めた松平への報復を囁くが、現実には行っていない。馴れ合いだからだ。面白くないのは吉良の家中である。本来、足利将軍家に事あれば、吉良が幕府を継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ。足利源氏である吉良家の落ちぶれは目に余るものだった。その浪人の声は、今川領内の本音に等しい。
 信玄は多くを語らない。
 源四郎は賢い人物だ。無言の信玄をじっと見、その腹を知って頷いた。源四郎は飯富虎昌の弟だから、義信近臣には目立ちすぎる。人の流れさえ分かれば、深入りしない方がいい。その点、武田御親類衆であり、変わり者で通っている一条信龍なら格好の人材だ。何をしていても、強く咎められるものではないし、変わり者という評判は都合がいい。人から煙たがられ、かつ胡散臭い。当代ではこのような者を傾奇者というが、とかく反権力の輩と思われがちだ。それも、都合がいい。まさか傾奇者が信玄と密な関係だと、誰が思うだろうか。
 この年、越後と駿河を多くの商人や行者が往還した。それでも情勢が変わらないのは、上杉政虎が不在であるためだ。
 この年師走、京の将軍・足利義輝は、政虎へ一字を賜った。
 以後、政虎は名を改め、上杉輝虎と称した。


                  三


 永禄五年(1562)正月。
 小山田信茂は〈イシ〉たちと分かれて、伊勢御師のもとへ向かった。埒外の世界は自由であるが、すべてにおいて自己責任である。その過酷な群のなかで生きていくことの厳しさを、この数ヶ月で思い知らされた。忌み嫌う者もいるが、決して〈漂白民〉は別する存在ではない。野の獣の如く、適度な距離を置いて共存できることを、あらためて信茂は知った。
 知ったからには、決して権力や為政の都合に彼らを巻き込んではいけない。
 信茂はもう自覚していた。
 己は、血こそ引いているのみで、武士の世でなければ生きていけない側に身を置いているのだ。心の何処かでは、もう承知していた。承知のうえで、敢えてこのような冒険を試みた。そうすることで、そろそろ一己の大人としての覚悟を定めたかったのだ。
 腹は、固まった。
 やはり、〈漂白民〉にはなれない。血の奥底でなにかが騒ぐことがあっても、決して越えられない一線がある。今度の旅で、信茂はそれを知った。
 伊勢は神領である。
 この意識は、古今東西、倭の民が共通することだった。八百八の神々のなかで最も尊き天照の聖地として、伊勢はある。その御師は、郡内の富士御師とは異質だ。伊勢龍大夫と呼ばれる者は、幾度となく甲斐に往還している。甲斐だけではない、関東一円にその足を伸ばし、信仰と引換に巧みな商いの橋渡しも行っていた。
「名乗って下さらねば、小山田弥五郎様と分かりませなんだ。見事に化けたものでござるなぁ」
 伊勢龍大夫は躑躅ケ崎で幾度も信茂と顔を合せている。その旧知でなければ、信茂は宮社の領界に踏み込むことも出来なかっただろう。身を清め、衣類を宛がわれて、ようやく信茂は武士の姿に戻った。
「母が埒外の者ゆえ、血の導きに身を置いてみた。しかし、我が在るべき場ではなかったことを思い知らされました」
「よもや、出奔を?」
「いやいや、御館様より視察を命じられたのじゃ。ただし、やり方は任されていたゆえ、こういう真似をしてみたずら」
「古来より武士の出自で、埒外の腹から生まれることは珍しからず。源平や南北朝の頃は、そんな武将がゴロゴロしておったと聞いております。しかし、こうまでも公界の民になりきった御方は、弥五郎様くらいなものじゃろう」
「ははは」
 信茂が伊勢で知りたいことは、ひとつである。今の世の流れを、知りたかった。すべての情報は、神職の頂点に集約される。このことを理解する大名は、多くの寄進を以てその恩恵に肖った。今の信茂には、汚れた竹の杖くらいしか持ち物はない。
「御免」
 信茂は刀を抜くと、その竹に切れ目を入れた。その切れ目を裂き割ると、金色の棒が出てきた。正確には、竹の芯を抜き、純度の高い甲州金を流し入れたのである。含有量において絶大な甲州金の値打は高い。信茂の求めるものを満たすだけの対価としては、申し分なかった。
「如何なる情報を?」
「広く深く、多くのものが欲しい。そのためには、もっと甲州金が必要ではないか?」
「それは、まあ」
「勧進聖に会いたい」
「なんと」
「富士御師とて多少は情報を拾う。絶えていた遷宮の復興を望む聖がいることを、聞いたものでな」
 このことは、事実だ。
 永享六年(1434)の第三九回式年遷宮を最後に、戦乱を理由に伊勢神宮は遷宮が出来なかった。これを憂慮する神官は多い。以来、せめて橋だけはと勧進する聖はいたが、遷宮に至る資金は得られなかった。この遷宮を助成してもいいと、小山田信茂は誘ったのだ。
「武田の恩は大きなものとなる。得た情報は、些かも隠せなくなる」
 伊勢龍太夫は低く呻いた。
 しかし、遷宮は長年の夢だ。願わくば、式年遷宮の御世に戻したい。そのためにも、盛大な遷宮復活を宣伝したいし、そのための資金は多くて困ることなどなかった。
「儂は御館様に働きかけよう。式年遷宮の復活こそ、日ノ本の在るべき姿なり。伊勢を援けられるのは、甲斐国をおいて他になし」
 伊勢龍太夫は人を用い、勧進聖・清順を呼んだ。清順は紀州出身の尼僧であるが、一三年前、宇治橋の架替え勧進を諸国行脚で成し遂げた実績を持つ。このとき甲斐国にも足を運んだ。丁度大善寺勧進能の時期で、金山経営も未だ軌道に乗らず、そのため充分な勧進に応じることが出来なかった。
「あの頃は、我が父が能奉行を務めて、寺社の費用を捻出していた。案ずるに及ばず、今の甲斐は、多少は裕福である」
 信茂は清順を前に、神妙に言葉を継いだ。
「小山田出羽守様にはその折に顔合わせしました。そうですか、出羽守様の御子でござりますか。まことに人の世の巡り合わせには、神仏の采配がござりますな。あのとき出羽守様も、費用工面のため武田殿へ助言を為されたことがある」
「あの父が?」
「そのおかげで、宇治橋の架け替えが適いました。感謝の言葉もございません」
「聖はいま、遷宮復活のため御尽力とか」
「九年前より諸国に求めております」
「応じる者はおられましたか?」
「些かは」
「あと如何ほどの都合を?」
 信茂は躙り寄った。この交渉次第では、甲斐の財政を揺るがしかねないだろう。しかし、朝廷さえ信仰の厚い伊勢神宮との情報密約は、万の弓よりも得がたい。そのことを理解せぬ信玄ではなかった。この独断を怒るとは考え難い。
「武田殿と、直接お話ししたい」
 清順はゆっくりとした口調で応えた。
「弥五郎様は、どこかに足を伸ばしましょうかや」
「されば、高野山に」
「ならば帰りに寄り給え。ともに甲斐へ参じたし」
 信茂はこのことを文と為し、伊勢龍大夫に使いを託した。どのみち武蔵国に用があると、伊勢龍太夫は笑った。行き先は、武蔵国多摩郡杣保だという。
「三田弾正のところか?」
「あそこも北条との戦さが近いそうだ。急ぎの用ゆえ、甲斐はついでとなるが?」
「構わぬ」
 勧進の要請を記し、委細は清順を伴い口述したいと結び文に記した。伊勢太夫はそれを預かると、明日に発つと呟いた。
 伊勢龍太夫が発つとき、小山田信茂も発った。伊勢から高野山への道は、急峻な吉野を経る厳しいものだ。宮川に沿って遡り、途中、東大寺ゆかりの丹生明神で〈イシ〉たちが待っていた。
「やはり、弥五郎はこちら側より武家が似合うずら」
 そう云って、〈イシ〉は笑った。
「血の半分はお前らと同じじゃあ。けど、育ったもんがこちらじゃあ、仕方ねえし。これまでの生き方、くみっこ(交換)出来るっかねえ。へっちゅもねえ(くだらない)こんにつきあわせて、みぐさい(みっともない)ら」
「なにょう、だっちもねえこん。好きで付いてきたんさよ」
「すまん」
 信茂は、頭を下げた。〈イシ〉たちは笑っているだけだ。そして、人家が見えるまでの山中、一緒に行くと告げた。誰も見ていなければ、一緒にいてもおかしくはない。それに、ここからの山道は修験道の行者さえ音を上げる。道連れは多い方がいい。
 常なる者ならば、山犬に食われるか、山賊の餌食だろう。しかし、信茂は彼らの支えで熊野街道と号する吉野の宮瀧まで来ることが出来た。ここからは山中とて人の目は多い。
「ここまでずら」
 信茂は感謝を込めて、彼らひとり一人の手を握った。
「棲むところは違うが、おまんとうは仲間ずら」
 一同は、答えずに、黙って頷いた。
 信茂は背を向けると、振り返ることなく歩き出した。その背を、〈イシ〉たちはいつまでも見守っていた。信茂が高野山麓の九度山に着いたのは、五日後、三月に入る頃のことだった。ここから雪道を登り、成慶院に至りてようやく一心地就いた。
「一杯の白湯が、まことにありがたい」
 小山田信茂の偽らざる心境だ。高野山、この御山を総じて金剛峰寺と称し、弘法大師空海を頂点とする信仰世界を形成していた。嘘のようだが、山上に一己の集落が忽然と存在する。否、集落ではない、これは街であり寺院であり、人の生活も共有する天上世界となり、一種異界にも似た錯覚を稀人に覚えさせる。
 信茂もその一人だ。
 話では十分に聞いていたが、百聞は一見にしかず。
「言葉も出ねえら」
 この集落を司る個々の塔頭が、当時、全国の戦国大名と宿坊契約を結んでいた。これら無数の宿坊は、契約大名の領内にある真言宗徒の宿となる。これを介して信仰を厚くしていたのだが、宿坊は契約大名の祈願所も兼ねていた。すなわち信茂が草鞋を脱いだ成慶院とは、武田家と宿坊契約を結んでいたことになる。ただし、宿坊は一者一件という訳ではなく、時には複数の大名を相手とすることもあった。
 このあたりは宗門のしたたかさであり、綺麗事で済まぬ時代の気風を感じさせた。
 信茂は高野山においては、武田の使者を演じなければならない。信玄が得度の折、ここ成慶院と正式に宿坊契約を結んだ。その挨拶が済んでいない。信玄近習としての、大切な任務といえた。
「武田様には過分の御喜捨を。ほんにありがたいこっちゃ」
 成慶院の住持は柔和に接した。信茂は請われるままに、川中島合戦の様子を見た限りで伝えた。高野山がこのことを知っているのは、上杉輝虎と繋がる塔頭があり、それを通じて山中に話題が流布されたことを意味している。
 ここには伊勢神宮と異なる視点で、全国の情報が集約されていた。
「幕府の御加護も厚いのでございましょうなあ」
 信茂はさりげなく呟いた。
「公方様を支える三好伊賀守(長慶)様にも先年より翳りが見えましてな。今に霜台(松永久秀)様が公方様第一の臣になるのではと、御山では噂になっております」
「つまり幕府は、その霜台殿が支えておるのだな」
「御意」
 顔でも拝んでおきたいものだと、信茂はつい戯れ言を呟いた。
 それはいい、そうなられよと、住持は勧めた。何なら紹介状を書くとまで云いだした。松永久秀は僧籍に人気がある御仁なのだなと、信茂は思った。勧められるまま、信茂は早々に高野山を発った。九度山まで降り、紀ノ川に沿って下ると根来の郷である。ここの僧兵は高野山に連なりながら、石山本願寺とも縁深い。この石山本願寺門主・顕如光佐の妻・如春尼は信玄正室の妹にあたり、おかげで武田家から来た者として、信茂は妙に持て囃された。
「今は先を急ぐ旅にて」
と、慌ただしく入京した頃には、梅の花が咲いていた。
 高野山の紹介状を信茂は猜疑していたが、あっさりと、松永弾正久秀は面会に応じた。それも、将軍・足利義輝の面前である。これには、さすがの信茂も言葉が出なかった。
「上杉は余の頼みとする者にて、仲違いは程々と致すべし」
 これが足利義輝の第一声だ。
 余程に上杉輝虎へ信任厚いものか、この一言が象徴していた。武田を牽制している意図は明らかといえる。永禄元年に一度、甲越調停を実施しているだけに、気持の上で上杉贔屓の棘もあった。
「上杉弾正は先年善光寺において、車懸の陣で信濃守を追い詰めたそうじゃのう?」
「車懸?」
「なんだ、武田はそんなことも知らぬのか。薬師十二神将の得意とする神懸かりの戦術であると、上杉弾正は申しておる。そうか、知らぬのか。そうか」
 車輪のように軍勢を新手となし武田勢を攻めたという陣構え、飢えた兵が陣場を襲った事実を信茂は知っていた。とんだお笑い草だ。が、上杉贔屓の将軍は、少しだけ機嫌がよくなったようである。とにかく、将軍の機嫌を損ねても仕方がない。信茂は畏れ入ったと、神妙に応じるしかなかった。そのうえで殊勝に振る舞うことに徹した。
「武田家も神仏への帰依を忘れておりません。伊勢の清順殿にも、当家から遷宮助成を働きかける所存」
「伊勢神宮か、殊勝なる心懸けじゃ。余とて気にはしておるが、幕府が纏まらねば思うままにならぬことばかり。せいぜい余に変わりて、御寄進あるべしと、信濃守に申し伝えるべし」
「御意」
 義輝が席を外すと、これまで沈黙していた松永久秀は饒舌に語り出した。その言葉の響きは誇大にて不遜。こういう言葉を用いる人物は、信用がおけない。ましてや上座の人間には神妙を装うなど、相当なタヌキではないか。
「いまの公方様は力強いと評判にて、幕府も心強いことと存じます」
 信茂は言葉を遮り、態とはぐらかした。
 瞬間、確かに松永久秀の目の色が泳いだ。
(間違いない)
 高野山では人気だったが、松永久秀は腹の底まで信の置ける者ではないようだ。そのことを気取られたと察したものか、妙に芝居じみた態度に転じた松永久秀である。成る程、機転の利く人物ではあるようだ。しかし、こうとも考えられる。傀儡君主として足利義輝を平素より祭り上げているのならば、神妙な振りは無駄な情報を与えない行為にも受取れる。まさに『孫子』の教えのなかにある統制術だ。今の幕府は義輝という旗を三好長慶が握り、その下に甘んじながら時節を伺うのが松永久秀としたら、仏教界に人気取りの種を蒔くことも不思議ではない。
 信茂は言葉を選びながら、決して隙を見せぬ接し方に転じた。松永久秀にしてみれば、小賢しい振舞いに映っただろう。しかし、この若者の背後には、武田信玄がいる。それは間違いなく脅威だった。
 戦えば、勝てぬ。
 松永久秀はあらゆる情報をもとに、そう自覚していた。今はお互いの顔つなぎ以上は出来ない。この無意味な面会は、しかし、信茂にとって大きな収穫だった。
 幕府において、将軍・足利義輝はこういう輩に囲まれているのだ。出自と肩書きは実力ある者に利用されてしまう。純粋に同情するようなお人よしなど、天下に上杉輝虎ただひとりなのだ。
哀れなものだと、信茂は思わずにいられなかった。


                  四


 四月、小山田信茂は再び九度山に足を運んだ。そして、高野山に登ることなく吉野へと向かった。伊勢から来たときに用いた路は、埒外の者がいるといないとでは、こうも疲れ方が違うものかと、信茂は苦笑した。〈イシ〉から学んだことのひとつに、印地がある。古来より合戦において、礫は立派な武器だった。上級武士が弓矢を習得するためには刻を要する。しかし下級の兵には、こんなに簡単な飛び道具があるのだ。
 甲斐に戻ったら、この礫を兵力として調練しよう。信茂はそう思った。
 峠に出た。片側は切立った崖で、眼下の川は遥かに下を流れる。ここから落ちたら、とても助かるまい。吉野の山々は深山が連なるが、ここだけポッカリと広い空間だ。空が拓けて、とても明るい。
「動くな」
 声が響いた。
 信茂は思わず伏せた。どうやら、山賊に見つかったらしい。相手は野武士崩れだろうか、だとしたら弓を用いて厄介だ。幸い、片側には木が群生している。山に逃げ込めば何とかなるだろうが、地の利もない。どうしたものか。
「伏せても無駄だ。こちらには鉄砲があるぞ」
 信茂は耳をすまし、声の位置を探した。断崖から対岸までは、かなりの距離がある。鉄砲が届く距離ではない。とすれば、見通しのよい至近のどこかだろう。抵抗するよりは、様子を見る方がいい。どのみち頭目さえ倒せば、この手の賊は散り散りになる。
 信茂はじっと動かず、伏せた状態で近づく者の気配を伺った。
 ジャリ。
 石を踏む音が聞こえた。二人ほどの足音だ。信茂は礫を三つほど、素早く懐にしまうと、足音以外の気配を探し、何もないと思った途端、木の茂る山側斜面へ急に飛び込んだ。あっという間のことだが、鉄砲で撃たれることはなかった。木の陰に廻り、一気に登って気配のあった二人を見下ろした。現れたのは、野武士でも山賊でもない。それなりの武具を備えた者たちだ。
(松永弾正の手の者か?)
 賊の仕業に見せかけて、信茂を討つ理由があるとは考え難い。他にも徒党がいるだろうか。注意深く周囲を見回す。
「いないぞ」
「探せ」
 二人は信茂の真下にいる。
「おおい、どこへ行ったか見えたか?」
 一人が大声を上げた。仲間がどこかにいて、信茂の行動を見ていたようだ。その者の向く方向に、やはり身形の綺麗な武士がみえた。その者は大きく身振りして、信茂の居場所を伝えようとした。
 振り返った武士の眉間に信茂の放った礫が命中した。もう一人も慌てて逃げようとしたが、礫は脳天を直撃した。兜のない二人は、即死だろう。木から降りた信茂は、彼方の者を追った。これまでで鉄砲が放たれていないのだから、きっと嘘だと信じた。相手は重い武具を纏っているから、身軽な信茂は追いつくことが出来た。残りの礫を横手投げで放つと、逃げる武士の首筋を直撃した。兜があれば錣で守られた部分だが、剥き出しなのが災いした。武士は気を失っていた。
「印地はやはり武器になるな」
 信茂はぼそりと呟いた。
 懐から紙縒を出すと、倒れている武士を後ろ手に組ませ左右の親指同士を結んで自由を奪った。そのうえで、その頬を殴打し覚醒を促した。気がついた武士は、己が拘束されたことを知り、観念した。
「どこの手か?」
「いえぬ」
「云わねば殺す」
 武士は顔を背けた。恐らく自白するまい。
「さっきの奴らもそうだが、随分と真新しいものを着ているな。最近、手に入れたのだろう。主人は余程の偉い人に取り立てられたんだな。それで、家来もいいものを着ているんだろう」
 信茂の言葉に武士は狼狽え、それでも口籠りながら話題を逸らした。図星だろう。
「お前、儂が越後上杉家の者と知って襲ったのか?」
「違う、武田の者を襲ったのだ。上杉に他意はない」
「信じられぬな」
「南朝の誇りにかけて嘘は申さぬ。我らは楠木の郎党。主君霜台殿の命で、武田の郎党を討とうとしたまで」
「人違いで討たれては適わぬ」
「申し訳ない」
 信茂の虚偽誘導にあっさりと応じたこの武士は軽輩なのだろう。知ってる全てを自白した。足利義輝の命令で松永久秀が追っ手を差し向けたこと。選ばれた楠木二郎左衛門正虎は南朝勢力の末裔で、三年前に朝敵の汚名から解放してくれた恩義ある松永久秀に仕えたこと。最近、松永久秀により将軍に拝謁し衣類武具を賜った楠木正虎よりこれを頂戴したことも白状した。
「なんで武田の者を討つ?戦場で討てばいいだろう」
「上杉は強い。だからそんなことが云える。武田は敵だという上杉の言葉を、将軍は信じておられるのだ。だから闇討ちするしかない。幕府が手を下すことなど、許されぬからな」
「なるほど、将軍個人の身勝手というやつか。高貴な御方の我が儘に振り回されて、お前等も迷惑だな」
「早く解いてくれ」
 信茂は大きく息を吐いた。
「さっき、鉄砲がどうのと脅したな」
「そんな高価な物などあるか。早く解いてくれよ」
「わかった」
 信茂はその者を立たせると、紙縒を切らずに親指ごと斬った。そして、断崖へ蹴り落とした。
その血を拭いながら、京に来て得ることになった、この〈厭な情報〉を噛み締めた。
 楠木という名前は知っている。
 まだ郡内で勝手気儘にしていた頃、琵琶法師の語る『太平記』を耳にした。千早の戦さのくだりだ。戦術の達者な昔の人間がいたのだと、そのときは思っていた。信玄の近習になり、諸国遍歴経験のある山本勘助から、楠木正成の子孫が未だ吉野山中にいると教えられた。それらを、いま、思い出した。
(まだ安心できねえずら)
 少なくとも闇討ちというからには、人が多いところで襲われることはない。それに、他国まで追ってくることもないだろう。この山を急いで抜けることが大事だった。
 幸い、日のあるうちに高見峠まで越えて、木梶の猟師小屋で夜を迎えた。そこから二日ののちに、丹生大師と称される神宮寺へと至った。ようやく人が多い場所に至り、信茂は安堵した。宿坊が多いなか、信茂は強いて外れの荒れた塔頭を選んだ。このあたりは女人高野と呼ばれるだけあり、妙な活気がある。信茂は色々と、これまでの出来事を頭の中で整理した。
 高野山で人気の松永久秀、上杉贔屓の足利義輝、本願寺と密接な根来衆、足利家が傀儡に過ぎぬ幕府……その前にも、色々とあった。熱田の埒外と通じている織田信長、漂白民の末裔である松平元康。もう五月になる。半年以上の放浪をしたが、甲斐にいては見ること聞くことも適わぬことばかりだ。
(御館様には、感謝だな)
 同時に、漂白民の生き方は出来ぬと識った旅でもあった。
 武士として生きていく決意をしたのも、この旅のおかげだ。武田信繁に見出されて信玄近習になっていなければ、今頃どのような生き方をしていただろう。すべては恩人あればのことだ。その恩人たる武田信繁は、もうこの世にない。
 そうだ。
 信茂は神宮寺へと足を運んだ。仁王門をくぐり右手に池を眺めながら進むと、左手に閻魔堂があった。その面前で腰を下ろすと、一心不乱に般若心経を唱えた。せっかく高野山まで足を運んだのに、武田信繁のために何もしてこなかったことが悔やまれてならなかった。せめて女人高野で勘弁して欲しい。そんな後悔が蟠った。
「女人高野か。面白いな、弥五郎らしいぞ」
 信繁なら、きっとそういって笑うだろう。山本勘助や大勢の戦死者についても、併せて祈った。いま出来るささやかな供養は、これくらいしかない。

 翌日、小山田信茂は伊勢龍太夫の屋敷に草鞋を脱いだ。偶然、伊勢龍太夫は今朝ほど東国から戻ったばかりだ。
「よかった。お話ししたいことが」
 伊勢龍太夫は些か興奮気味だった。先ずはと、風呂を馳走になった。旅の埃を洗い落とすと、心なしか身が縮んだ心地がした。下帯をあらため、着流し姿で戻った。
「お待たせした」
 伊勢龍太夫はまず書状を差し出した。信玄のものだ。
「遷宮の助成、武田様は快くお引き受け下さりました」
「よかった」
「しかし、甲斐国は些か不穏とお見受けします」
「はて」
「今川の出入りが多いですな」
「今川?」
 信茂は首を傾げた。盟約がある以上、それは不思議ではない。しかし、その用向きは信玄ではないというのだ。
「若殿と今川殿が、どうも懇意の由」
 それも自然なことだ。三国同盟は武田北条今川の三者が義兄弟という基本で存立子弟居る。信玄抜きで相談することもあるだろう。それに、信玄ほどの人物が、それに気付かぬ筈などない。見て見ぬふりをしているのだろう。
「不穏の意味が、わからぬ」
 信茂は、語尾を荒げた。
「今川は越後と織田へ密書を差し向けております」
 伊勢龍太夫の言葉に、信茂は言葉を失った。それは盟約に反することではあるまいか。いや、甲斐の包囲網を形成していると云っても過言ではない。
 そうか。
 将軍・足利義輝は上杉贔屓だ。この密約のことは、恐らく越後から聞いていることだろう。だから、武田の者である信茂を冷淡に扱ったのか。このことを信玄が知ると面倒だから、松永久秀を通じて追っ手を差し向けたのだ。今川と足利も密接だ。織田信長も永禄二年に上洛し、義輝に謁見しているから繋がりはある。
「甲斐が危ない」
 信茂は本能的に思った。
 少なくとも、清順を同伴して甲斐に行くことは危険極まりない。信玄が遷宮助成に同意した以上は、約束は履行される。いまは急いで甲斐に戻ることが必要だ。
「舟を使いなされ」
「舟?」
「この密約には北条が加わっておりません。小田原に赴き、正室様に伊勢土産を献じるのです。さすれば寄港も珍しくございません。そのうえで郡内を経て、武田様のもとへ」
「かたじけない。清順殿には同伴適わず申し訳なしとお伝えあれ」
 ただいまは梅雨入り時期で海は落ち着かず、三日後の朝、ようやく舟は出航した。
 甲州金の提供を約したことで、伊勢神宮には恩を売った。少なくとも伊勢神宮はその恩に報いるため、暫くはあらゆる情報を武田へと提供してくれることだろう。それはそれで、信茂の望んだ成果に繋がった。
 舟は薄暮の沿岸を尻目に、小田原をめざす。北条氏政正室は信玄の長女だ。輿入を采配したのは小山田家、このことを北条側は今も快く思っている。
「御台様に献上これあり」
小山田家からの土産献上は、些かの違和感はなかった。
 信茂はその日のうちに籠坂峠を越えて山中で休息した。長く行方知れずだった信茂が突然現れて、山中衆は大騒ぎだった。
「まだ用向きがある。府中へ行くで、余り騒いでくれるでねえ」
 信茂はその夜を静かに過ごし、夜明け前に山中を発った。谷村へ赴くことなく、御坂峠を越えたのは夜明け過ぎ。この御坂峠には御坂城がある。御坂路はこの城中を通過する仕組みであり、城門は関を兼ねた。ここに詰めるのは郡内衆だ。彼らは朝早く信茂が現れたことに仰天した。
「府中へ急ぐで。ご苦労じゃな」
 そう労う信茂には、往年の武田家臣の貌が戻っていた。
 躑躅ヶ崎には昼前に着いた。六月初頭、実に八ヶ月近く久しい甲斐府中であった。

「よう戻ったな、弥五郎」
 河浦湯より戻って久しい信玄の声は、往年の張りに満ちている。その傍らには、飯富源四郎が控えていた。近習になりたての頃、春日源五郎ともども信茂をよく指導した先輩だ。今は信玄の側近のように務めているという。
「お前が旅に出ていたことを、伊勢から報せが来るまで知らなかったで」
「どうも」
「御館様の内命とあらば仕方がないがな」
 飯富源四郎は、そういって笑った。
 旅の報せよりも先に、伝えるべきことがあった。
「今川の者が、多く甲斐に」
「太郎のところだな。それだけではない、越後とも往来している」
 やはり信玄は把握していた。
 当然、理由も知っているだろう。信玄に代わって、飯富源四郎が言葉を継いだ。
「雪解けとともに越後に戻った長尾弾正は、今川の申し出に応じるつもりじゃ」
「ならば」
「あとは、織田との折衝だろうな。それを担う松平二郎三郎(元康)という者が、よう分からぬのじゃ」
 松平元康なら間近で見たことを、信茂は報告した。その出自に激情ぶり、すべてにおいて折衝が務まるか疑問だと答えた。むしろ不気味なのは、織田信長だ。
「儂が甲斐を出るところから行動を知られておりました。甲斐には織田の手の者が既にいるのでしょう。それに、漂白民を従えておりました」
 信玄は大声で笑った。
 信玄もその間者を察知していた。知っていて、泳がせたのだ。既に処分はしていると、信玄は嘯いた。信長が熱田の漂白民を手懐けたのは、桶狭間勝利の御礼に立派な築地塀を寄進したためだという。加えて相当の銭をばらまいたことで、手懐けたらしい。
「そんな」
「銭は熱田の商人から矢銭として徴したのだな。そういう財源があるのだ」
 信玄はいつの間に織田信長のことを調べ上げたのだろう。
「問題は、越後でや。長尾弾正め、今川との密命に乗り気ずら。が、今川の小僧が太郎を手懐けようとする意図が、よう分からぬ」
 信玄はそれを掴むため、見て見ぬふりをしているのだろう。が、このことは、きっと伊勢太夫が情報提供してくれるに違いない。伊勢神宮の遷宮助成は、それだけの恩を買える重さがある筈だった。
「疲れただろう、もう休め。この屋敷の詰所で寝るがいい、小山田屋敷に戻らずともよい」
「それでは、警護の者の休息に」
「心配はいらぬ。朝早くに、また話を聞かせてくんにょ」
「はあ」
 信茂はその言葉に従った。詰所は屋敷内警護の当番休憩所で、仮眠のために設けられたのだ。当番に申し訳ないと思いながら、信茂はすぐに睡魔に落ちた。
その夜のうちに、信玄と飯富源四郎は、今川氏真へ密書を送る算段を企てた。その返答次第で、相手の意図が読める筈である。内容は、義元の仇討をするなら、義信を総大将として加勢を送るというものだ。ただし軍勢は独自の行動で、南信濃へ送るというものである。
「三河・尾張に攻めると臭わせるのですな」
「もし織田へ通じるなら、阻止する動きを取るだろう。或いは、この話が尾張に届く」
「若殿を唆し、御館様を害されると?」
「策士なら、そうするな。しかし、今宵より今川と太郎のつながりを断ち切ってみたらどうなるか」
 義信へ今川の密書をもたらしているのは、調べによれば穴山彦八郎信嘉に間違いない。これを上州進軍中の寄騎として差し向け、その兄である信君を躑躅ヶ崎へ出仕させる。
「万沢の関所には右衛門大夫に属す者を秘かに配した。駿河から来る者はすべて捕らえる算段である」
 飯富源四郎は頷いた。
 穴山信嘉さえ不在となれば、義信との連絡も途絶する。氏真は焦るだろう。義信が使えない駒と受け取れば、慌てて松平元康を促すかも知れない。それで織田信長に動きがあれば、こちらの思う壷である。信長を討つ口実にすればいい。そのうえで今川氏真への圧力を掛ければいいのだ。
「しかし、もうひとつ」
「わかっておる、本栖の関だ。小山田弥三郎をよく監視すべし。富士御師にも内々に云い含めているが、源四郎、このことはおまんに一任するで」
 信玄の言葉は、重々しく響いた。

                               つづく
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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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