第5話「川中島血戦(前)」

文字数 10,784文字

  川中島血戦(前)


                  一


 永禄四年(1561)閏三月一六日、上杉政虎が関東管領に就任したその日、ひとつの事件が起きた。すべての儀式を終え、段葛を粛々と馬上に揺られる上杉政虎は、心が絶頂だった。
 権威を得たからには、大義名分も自ずと整う。
 以後は関東も甲信も、権威のもとには我が者に等しい。信玄何するものぞ、北条恐るるに足らず、そんな威勢が胸中に渦巻いていた。
 ふと、目を見張った。段葛に沿う参列豪族は、一様に下馬し頭を下げている。そのなかで只一人、騎乗にて頭を下げる者がいた。権威を自負する政虎には、その不遜な態度が許せなかった。
「その方は如何様に下馬せぬか?」
「此は当家古来のしきたりにて候え。下馬は御大将とともに倣うが心得なり」
 悪びれぬ態度に、政虎はむっとした。馬を寄せると、その者を引き摺り下ろして扇にて打擲した。
「今は関東管領たる己の幕下。古は知らぬが、当代はこれを許さず」
 満座の辱めであった。
 この屈辱に、その豪族は激しく睨み、毅然と云い放った。
「我が家にては下馬することが無礼である。先祖藤原の助高、鎮守府将軍頼義以来の旧例で、今回、鎌倉公方代々の旧例に従ったまで」
「古は知らぬ」
「ならば今関白のお墨付きも、歳月とともに褪せるは必定。慢心、覚えたか!」
 権威を翳す政虎へ、痛烈な一手だった。ここに集う豪族の多くは、不甲斐なき上杉から北条へ鞍替えした者たちだ。しかし、適うなら威光ある上杉の下にいたい。
されど政虎は頼むに足る存在か。
彼らは威光にひれ伏した訳ではない、品定めをしていたのである。その期待を壊したのは、他でもない、政虎本人だった。
 権威を振り翳して人の心は動かぬ。
 この遣り取りに、上杉政虎を疑う者も少なくなかった。
「その方、何者ぞ」
「成田下総守にて、心して覚えるがよろしい。次にまみえるは戦場にて候」
 忍城主・成田下総守長泰はこの場より、ぷいと帰国した。これに倣い、多くの武蔵国の豪族が帰国し、上杉政虎は驚愕した。さても坂東武者の御し難きことか。
 関東管領の威光を以て再び小田原へ攻め入る策は瓦解した。陣営を維持出来ぬ以上は、厩橋に一旦退くより術はない。今川・武田の援軍も随所に潜伏していると聞く。関東の豪族たちもいつ寝返るか、これでは知れたものではない。
「まずは小田原を攻めることは為した。こののちは関東管領として、幾度となく万里を越えて攻め参じよう。北条の輩は、せいぜい首を洗っておくがいい」
 精一杯の威勢だった。
 余人に焦りは見せられなかった。上杉政虎にとって、この遠征は詰めの甘さを露呈したほろ苦いものになろうとしていた。

 報せはすべて、信玄の耳に入っていた。
「そうか、坂東武者に愛想をつかされたか」
 信玄は、愉快そうに笑った。
 諜報の出どころは多様だった。富士御師や在地間者、商人に芸人、あらゆる声のすべてが、鶴岡八幡宮の失態を評するものばかりだった。多摩地方は北条から上杉へ転んだという話だが、その裏付も確認した。西原(現上野原)の武田丹波守は檜原に山を隔てて接しているので情報は確かだ。それに加え、加藤駿河守信邦からは、当麻陣からの報せが届いた。そのうえで、信玄は小山田弥三郎信有を呼び、由井筋の動向を求めた。由井は大石源三の勢力圏である。
「大石入道、上杉の側に立ち勝沼衆と足並み揃えてござる」
「三田弾正か」
「丹波筋にかけて、当方側も小競り合いを想定すべきかと」
「そのこと、既に小菅衆に沙汰してあるわ」
 信玄は弥三郎信有の情報がしっかりしていたことに、満足した。
「それにしても、長尾弾正も愚かなことをしたな」
「成田下総のことにて?」
「人の下心、欲得の歓心を掴みきれぬとは、成る程、権威に平伏すおめでたき輩なり」
 さてと、弥三郎信有は首を傾げた。
 成田長泰はわざと下馬しなかった。その真意を汲めなかった上杉政虎を、信玄は嘲笑した。信玄の諜報は〈羽生問題〉を察知していた。もともと成田氏は北条より羽生城城主・中条出羽守の上位指揮権を認められていた。しかし、越後勢に呼応した広田式部大輔直繁が城を奪ったのである。
 成田一族にとって、羽生城は忍城・騎西城をつなぐ重要な拠点。この問題を解決出来ないようでは、関東の盟主と崇めることなど出来ない。
「北条は己を立ててくれた。然るに長尾弾正は広田式部大輔の側に立った。ならば衆人の面前で大芝居をという訳じゃわ」
「なんと」
 信玄の情報網はこのようなところまで拾っていた。小山田の情報はそこまで円熟していない。弥三郎信有は赤面し、俯いた。
「弥三郎には弥三郎なりの役目もある。恥じるに及ばず」
「は」
「諏訪森の社殿に、近々寄進をしたいと考えておる」
「越後との一戦を?」
「そろそろ面倒は片付けておきたいのじゃ。こののちのためにもな。弥三郎も戦勝祈願をしておくとよい。富士の霊験を五体に宿して参るがよい、頼りにしておる」
「心得て候」
 四月二一日、弥三郎信有は富士浅間神社に戦勝祈願をした。このとき弥三郎信有は諏訪禰宜と、信玄からの寄進について折衝している。既に社側へは、信玄より諏訪森伐採の禁止が達してあった。
「勧請のこと、人に知られぬためと心得ますじゃ」
 諏訪禰宜の言葉に、弥三郎信有は頷いた。この勧請寄進は迅速に進められた。富士権現社と呼ばれるそれは、当時の浅間本社という扱いの勧請だ。このことから、信玄の意欲を窺い知ることが出来る。

 上杉政虎はこのとき厩橋から動けずにいた。
 三国峠の雪解けを待っていたのだが、それだけではない。前関東管領・上杉憲政と関白・近衛前嗣の処遇は頭が痛かった。とりあえずは足利藤氏を古河公方に復した。北条の傀儡公方だった義氏から肩書を取り戻してやったことになる。藤氏と、腹心の簗田晴助は、泣いて感謝した。
「ついては、頼みがある」
 上杉政虎は藤氏に、上杉憲政と近衛前嗣を古河城に迎えるべしと依願した。有無の一戦を決意するためには、まずは身辺を整理しなければならない。しがらみがあっては、戦いに臨むことなど適わなかった。この有無の一戦にと思い描いた相手こそ、武田信玄だった。
 なんということはない。
 関東の失敗を、信濃で取り戻すためである。信濃の豪族を一身に取り込めば、実力を示すことが適う。そのときこそ、再度関東に出陣し、揺れ動く豪族どもを一丸と為して小田原へ攻め入る。信玄の御級を土産に出来たなら、更に申し分はない。
 信濃衆は表向き信玄に復していた。
 しかし、心は揺れている。
 政虎が上洛時に賜った権威に対し、『上杉家文書』曰く、〈御太刀持参之衆〉として信玄支配下の信濃衆が明記されていることから、彼らが武田と上杉を秤に掛けていることは明白だった。
このことを信玄は既に承知している。
 今は糾問もしない。代わりに甲斐譜代や国人を多数善光寺平へと差し向けて、信濃先方衆の助けなど要らぬが如き堅実な軍配を推し進めていた。


                  二


 六月、信玄は信越国境の拠点である割ヶ嶽城を攻略した。凄まじい攻撃でこれを落としたが、原美濃入道清岩が重傷を負った。鬼美濃と呼ばれる武将ならではの戦いだったが、銃弾には敵わなかった。入道清岩はすぐに甲斐府中へ送られた。このように甲斐古参の者が率先して戦うところに、信玄の、信濃先方衆への不審が垣間見える。
 信玄は小山田弥五郎に命じて、原入道清岩の見舞いをさせた。
「信州の世上、鬼美濃の目に如何に映ったか、とくと聞いて参れ」
「は」
 弥五郎にとって学の師が武田信繁なら、原入道清岩は武の師だ。近習として第一に心掛けることは、生きて使いの番を果たすことにある。討ち取られたら情報は途絶え、為に軍勢や城が全滅することもある。ゆえに馬上の武術は必須であり、そこに在るすべてを武器に転じる知恵と知識が要求された。それを教えたのが、原入道清岩だ。
 鬼美濃と呼ばれるだけあって、原入道清岩は修練に一切手心を加えない。彼が小田原へ出奔するまでの数年間、弥五郎はみっちりと鍛えられた。おかげで今は、自己鍛錬のみならず、人に教えることもあった。
 穴山左衛門大夫信君は武の指南に鬼美濃を望んだ。
「一人教えれば足りる。そいつが儂の代わりである」
 このとき原入道清岩は、弥五郎に代役を押しつけたのだ。穴山信君と弥五郎は歳が近い。躑躅ヶ崎の穴山屋敷まで鎗指導に赴く程、穴山信君と弥五郎の親交を深めた。
 弥五郎は研鑽をした。人に何かを教えることは、人の資質の上にいなければならない。近頃それを理解した矢先の、見舞いであった。
「よう、来たな」
 満身創痍という言葉が相応しい、原入道清岩の寝姿であった。世話をするのは、次子・甚四郎盛胤の妻と、初鹿野源五郎忠次に嫁した実娘だ。枕元には客もいた。信州長沼の原立寺住持・栄久法印である。
「客人がお出でなら、出直して参るずら」
「構わぬ。御館様が知りたいことは、承知しておる。こちらの御仁に聞かれたところで、些かも困るものではない。座れ、弥五郎」
「は」
 遠慮がちに、弥五郎は腰を下ろした。
「割ヶ嶽は小城のくせに堅固じゃった。ここを落とされたら、越後まで一息。抵抗は凄まじくて当然じゃわ」
「まさか、越後勢が鉄砲なんぞ持っていたとは」
「違うな」
「違う?」
「儂は背中から撃たれた」
 弥五郎の表情が、強ばった。
 聞きたかったことの確信は、その一言で、充分だった。
 ちらと、栄久法印をみた。
「間者と疑うか?そんなの、面倒さけえ。こちらから御免だらず」
 栄久法印と原入道清岩の関係は一〇年ほどだ。変わった縁のつきあいと云ってよい。発端は、宗論だ。栄久法印は元々空海の教えに従う真言宗の僧だった。原入道清岩と宗論に及び、なんと法華の教えを以て原入道清岩が真言の教えを負かしてしまったのである。以来、栄久法印は熟慮の末に、つい数ヶ月前に改宗し日蓮に帰依したのだ。その改宗の門出を祝った矢先の怪我。信州から原入道清岩に付き添い、寺さえ人に任せてまで、こうして栄久法印がいる。
「法印が間者なら、儂もとんだ素惚けになるな」
 原入道清岩は大声で笑った。
 つまりは、信頼しろと云う意味である。つと、原入道清岩は弥五郎を手招きした。
「論功、誰がどうなった」
「多田淡路守(満頼)殿は武功を讃えられ太刀一振を」
「そうか、怪我さえしなければな。儂は脇差一振だし」
「もうひとり、信州の者が」
「誰か」
「大森掃部助が城を落とした者として、所領安堵」
 そうかと、原入道清岩は呟いた。何か思い当たるようだ。弥五郎はつい質した。
「搦手から浦野民部左衛門允(遠隅)が攻め立てたときな、大森掃部助は儂のうしろにいたのだ」
「それが、なにか」
「奴に撃たれたのではと、思った」
 まさかと云いかけて、弥五郎は口を噤んだ。信州先方衆は信玄さえ信頼を欠いている。このような疑念は、あって然るべきだった。
「信州方面の素波もじきに情報を固めてくるだろう。御館様に断言していい、信濃先方衆は長尾弾正にも通じている」
 原入道清岩は明言した。
 弥五郎は屋敷を辞した。まだ、陽は高い。盆地特有の強い陽射しが、肌に痛かった。帰着すると、弥五郎はありのままを信玄に報告した。
 既に信濃の情報を耳にしているのだろう、信玄は疑いなく頷いた。
「鬼美濃の容態は?」
「口では威勢がいいですが」
「歳だしな」
「はい」
 鍛えられた体躯は、これまでも多くの死線を潜り抜けてきた。その意味では、今度の怪我も安心してよい。しかし、歳を取る者の治癒は遅い。下手をしたら、それが原因で不自由を強いられよう。
「もう、鬼のような姿は、二度と見られないかも知れぬなあ。割ヶ嶽城へ差し向けた儂の責任じゃ」
 信玄は辛そうだった。
 次に越後勢と対峙するときには、信濃先方衆を除外する必要がある。その中核となるべき原入道清岩の脱落は、大きな損失だ。その分、勘助に働いて貰うしかない、信玄は低く呻いた。
「道鬼にござる」
 ふいに声が掛けられた。
 そこには、山本入道道鬼斎がいた。弥五郎は一礼し退出しようと腰を上げた。
「構わぬ、弥五郎もそこにいよ」
 信玄の言葉に、弥五郎は頭を下げた。
「のう、早かったな」
 山本入道道鬼斎はどっかと腰を下ろして、大きく息を吐いた。
「割ヶ嶽は容易に落とせなかった」
「このこと、長尾弾正もやがて知るでしょうな。恐らく、秋には善光寺平まで軍勢を押し出すでしょう」
「海津城は?」
「春日弾正は出来た若ぇ衆です。御館様の仕込みが、実に宜しい」
「素惚け」
「狼煙のことは、周知を終えてござる。越後の動きは、府中まで途切れなく伝わる筈にて」
「御苦労」
 山本入道道鬼斎は、ふと、弥五郎をみた。
「研鑽しているか?」
「多少なりとも」
「確かめたい。庭に出よ」
 山本入道道鬼斎は弥五郎に槍を用意するよう命じた。弥五郎は立ち上がり、調練用に用いる足軽の〈数物〉を二条用意した。調練用ゆえ耐久性は低いが、当たり所が悪ければ大事に繋がった。一条を手にした山本入道道鬼斎は、重さを馴染ませるため、槍を上下に軽く揺さぶった。
「せっかくです。御館様も御高覧召され」
「そうだな」
 信玄も立ち上がり、三人は庭へ向かった。館の庭は玉砂利なので足場は悪い。それが調練には恰好なのである。信玄は縁側に腰をおろし、山本入道道鬼斎と弥五郎は庭へ下りた。
「彦六郎(穴山信君)殿に槍を教えているそうだな」
「とても鬼美濃殿のように教えられません」
「当たり前じゃ。そなたは穴山家の当主を叩きのめす覚悟はあるまい。覚悟なき教えは、真似事に等しい」
 山本入道道鬼斎は、ゆっくりと槍を構えた。
 弥五郎も構えた。
「手加減はせぬ」
「存分に」
 瞬間、片足不自由な山本入道道鬼斎が、俊敏に前へ進み、柄を長く握って脛を払った。弥五郎はそれを後ろへ飛び退き、頭を屈めた。同時に、空を切った脛狙いの槍は遠心力を増して、弥五郎の頭上を掠めた。左右、何れかへ翻すと読んだ山本入道道鬼斎は、更に遠心力を増そうと、両手で槍を持ち大きく振り翳した。
「!」
 弥五郎は思わぬ行動に出た。屈めた身を、大きく前へ踏み出したのだ。懐へ飛び込む跳躍に、山本入道道鬼斎は槍の回転を一瞬止めた。その柄を、弥五郎は狙った。石突にあたる部分を下から突き上げ、山本入道道鬼斎の槍を弾き飛ばした。一瞬の出来事だ。
 信玄も思わず身を乗り出した。
 意外な結果に、当の山本入道道鬼斎は目を丸くした。
「いつも鬼美濃殿から、この技で脇を打たれるのです。今日はそれを真似してみたまで。そうか、こうすればよかったのだな」
 弥五郎は満足気に笑った。
 山本入道道鬼斎は、今一度と呟いた。
 同じように脛、頭上と攻め、両手を持ち変えた。ここまではさっきと同じだ。踏み込んだ弥五郎は、槍の柄へと石突きを突き上げる。瞬間、柄の真ん中を持つ山本入道道鬼斎の手が回り、楯の半回転をした。その石突きが、突き上げている弥五郎の柄を巻き上げた。今度は、弥五郎の槍が弾かれた。
 大人げないと、信玄は苦笑した。
「こうすれば、さっきの技も返される」
「驚いた……槍が吸い取られたのかと思ったずら」
 素直な反応だ。己が考えていたよりも弥五郎が多くを学んでいたことに、山本入道道鬼斎は驚愕した。この槍の使い様は、きっと穴山信君を叩きのめしたことがある。山本入道道鬼斎は満足そうに頷いた。
「これなら、託せる」
 山本入道道鬼斎は低く呟いた。
「でしょうか?」
「素惚け、実戦でこんな槍の使い方が出来るか。これは武芸者の立合いじゃ。戦さ場では叩くことがすべてである」
「心得ました」
 弥五郎が退出すると、山本入道道鬼斎は品定めが合格だと呟いた。合格ならば是非にやらせたい務めがある。山本入道道鬼斎は、そのことを強く信玄に申し出た。
「勘助の思うままに致せ」
「道鬼にござる」
 信玄はわざと云っているのだろう。
 山本入道道鬼斎は苦笑いしながら、善光寺平の図面を拡げた。この一年余の新たな情報が図には書き加えられている。海津城周辺の地形も詳細に描かれ、摘発した越後寄りの間者拠点も書き加えられている。
「軒猿一人を見たら、周囲に五人はいると思え。これが我が持論なれば、ここには、かなりの軒猿が入り込んでいるものと」
 軒猿とは上杉政虎の間諜集団であり、情報収集よりも、間者狩りを主にしている。すなわち武田の素波を狩るために送られたと考えてよい。そう考えれば、表向きは綺麗事を装う政虎とて、裏ではこうして軍事行動を取っていたのだ。
「奴は割ヶ嶽のことを、大義名分とするだろう。儂も挑発の一手と思うておったが」
「御館様の一手、長尾弾正は先んじて読んでいた。故に善光寺平へ軒猿を放っておったのでしょうな」
「勘助、お主は寝首を襲われなんだか?」
「はい。春日弾正も女に襲われたとか」
「軒猿は刺客でもある。用心に越したことはないずら」
 政虎は関東に身を置きながら、既に川中島へ戦略の一手を進めていた。思ったよりも早い行軍が考えられる。軒猿が多いと云うことは、それを通じて、信濃先方衆とも想像以上の繋がりがあるのではないか。
「この次に長尾弾正とまみえるときは、強いて甲州者だけで事に当たらねばと考えておる」
「典厩様も左様に仰せでした」
「奴が襲来したら、まず各城は籠城。落ちそうになったら、速やかに間道を抜け、近くの城へ移ることとする。狼煙を用いて府中までの伝達は、どれくらいを見積もるか?」
「およそ一刻余」
「伝達の翌日に軍勢を発しても、善光寺平までは少なくとも三日は要する」
「海津城なら相当持ち堪えることでしょう」
「越後勢が海津城を囲むなら、甲州からの軍勢はどう攻めようかのう」
「退路を断つ素振りをすれば、浮き足立ちましょう。そのことを小田原で覚えた将兵は、今度も撤退を急ぐ筈」
 信玄は、ゆっくりとした口調で
「長尾弾正を討てるか?」
 この問いに、山本入道道鬼斎も重い口調で
「天運地運、その御加護あれば」
「はっきりせぬな」
「あれが死に物狂いになれば、当方も無傷で済まず。我らはこの後に為すべきことがござります。信用の能う甲州の者を犠牲には出来ますまい」
 ここで政虎を退けることさえ出来れば、信濃先方衆も実利を重んじて武田へと心を定めるに違いない。関東で政虎を見限る者がいたように、信濃でもそういう流れを作るべきだというのが、山本入道道鬼斎の意見である。
「決着を急ぐな、と申すのだな」
「はい」
「考えよう」
 信玄は大きく頷いた。
 
 六月二八日、上杉弾正少弼政虎は春日山城に帰着した。


                  三


 後世、川中島の合戦として広く認知された激戦がある。それが、永禄四年に起きた〈第四次川中島合戦〉だ。
 幕末の思想家・頼山陽は、これを情緒ゆたかに表現している。

  鞭声粛粛夜過河
  暁見千兵擁大牙
  遺恨十年磨一剣
  流星光底逸長蛇

 まさに思想家ならではの心理表現である。戦さから遠く隔たりし時代の、当時の感性がこのような表現を生んだといえよう。それは、よい。無論、現代人の感性さえ如何に能書きを並べたとて、戦国を純粋に評することなど出来はしないだろう。
 当然である。
 同じ日本人だとしても、泰平と乱世、相容れぬ別の倫理観を持っているのだから、分かり合えずして正しいのだ。ひとつ云えるとしたら、我々の思い描くすべてよりも遥かに凄惨で、高度な戦略知略など糞食らえな、生きるためにひたすら貪欲な死生観のなかで、ただただ互いに奪い合った激しい殺し合い。それが、川中島の合戦だろう。
 月並みだが、それは綺麗事ではあるまい。
 筆者もその自覚をしながら、月並みな散文を綴ることとしたい。

 永禄四年八月。春日山城の上杉政虎は軒猿からの情報を精査し、善光寺平の民政が武田に塗り替えられつつあることを知った。信濃の豪族たちは京より戻った折に、挙って太刀を納めて臣従を誓った。それでも多くは表向き、今も武田の麾下にある。
「関東の武者は二枚舌じゃ」
 政虎は呟いた。
「さにありましょう。ゆえに前関東管領殿は越後へ逃れたのです」
 応えたのは長尾新五郎政景である。姉の夫であり、春日山の留守大将として信頼する人物だ。その穏やかな人柄に、政虎は幾度となく救われてきた。
「信濃の衆も、関東の者と同じではあるまいか」
「かも知れませぬ」
「左様か」
「ゆえに、信玄坊主を討ち取ることは、意味がございましょう」
 もし、ここで信玄を討つことが出来たら、信濃安定も出来る。関東の豪族どもも武威に震え、北条から心を変えることになろう。
 今川義元を討った織田信長は、領地こそ取れなかったが世評を手にしている。このことこそ、大事なのだ。
「儂も、出来るかの?」
「出来ますとも」
 当時の上杉政虎は
「毘沙門天に傾倒する」
という宣伝を固めていた。これは信仰を利用した、民衆掌握術だ。
 小田原攻めのときもこれに徹したし、時には弾雨に身を曝して毘沙門天の化身だと訴えたりもした。身体を張った印象操作だ。
 しかし、人の評判はそのまま畏れに繋がる。神懸かりという評判は、武田との一戦には必要だった。
 信玄は上杉政虎を戦さの天才と認めていた。政虎もまた、私的感情を差し引いて、信玄の軍配が巧みであることを認めている。両者とも認めていながら、決して口にはしなかった。口にしたら、そのときは恐れを認めてしまう。勝つことが出来なくなる。
「武田を討つための策は何かのう」
「海津城を落とすというのは?」
「そんなことで、足りるのか?」
「足りぬでしょうなあ」
 そのようなこと、長尾政景に分かろう筈がなかった。
 信玄を討つ。
 それは、信濃も関東も握る最善の方法だ。この思案に暮れ、政虎は激情に任せることなく信濃出兵に刻を要した。善光寺平は越後へ至る道の起点でもある。ここを掌握しなければ、将来に禍根を残す。信玄の御級は、何物にも代え難い必需品なのだった。

 信玄が近習を集めたのは、八月一〇日のことである。その場には、嫡子・太郎義信も呼ばれた。義信は公家である母の血を受け、どちらかと云えばそちらに似たためか、端正な目鼻立ちである。それだけに冷たい印象も隠せない。が、口を開くと気さくな言葉で、その差に戸惑う者も多い。
「近習を揃えたのは他でもない。越後との一戦を想定し、この内より本陣旗本と太郎付とに選りすぐるものなり。また、別儀に用を与える者もいると心得たし」
 信玄の言葉に、一同は頭を下げた。
 信玄の旗本には信濃先方衆の子息が中心に据えられ、甲斐譜代の子息や近習は義信に付けられた。あくまでも今度の合戦に際しての、臨時の措置だ。それに洩れた者は数名いた。そのなかに、小山田弥五郎がいた。
「弥五郎は郡内勢の軍監として同陣あるべし」
 信玄は郡内小山田勢に加われと命じた。弥五郎に異存はなかったが、軍監という意味が理解できなかった。弥三郎信有の助言をする者であれと、信玄は申し添えた。このことは躑躅ヶ崎の小山田屋敷を通じて、直ちに郡内に報された。
「弥五郎殿が同陣なされる」
 弥三郎信有は要職を集めて、そのことを告げた。彼らは一様にそれを喜んだ。兄弟出征など、縁起がいいとも口にした。その讃える声は、弥五郎への信頼で満ちており、どことなく弥三郎信有は不快を覚えた。
「儂は出陣せぬ。陣代は叔父上(弥七郎)に任せる」
 一同は顔を見合わせた。
「それでは御館様も納得しますまい」
 代表して、小山田弾正有誠が質した。
「武蔵の大石・三田の一党、北都留へと手を出しているからには、これを見過ごすことは出来まじ」
「そちらこそ弥七郎殿で間に合いましょうぞ」
「三田は侮れない。西原や小菅の党と連携するからには、儂が留まるべきである」
 そういって、弥三郎信有は意思を曲げようとはしなかった。
 困り果てた一同は、翌日、小林尾張守貞親を使いとして躑躅ヶ崎へ差し向け、弥三郎信有のことを信玄に報告した。信玄は意に介さず
「ならば弥三郎の思うままと為すべし」
と承認した。小林尾張守貞親は責めのないことに安堵した。その足で弥五郎に面会した。
「弥七郎殿は戦さ下手である。助成賜りたし」
 小林尾張守貞親は他人行儀のような口上で頼み込んだ。
「儂とてこれまでは戦場を走り回っていたのみ。軍配は未熟ずら」
「弥七郎殿よりはいい。頼みましたぞ」
 何だか郡内では、ややこしい事になっているのだろうか。小林貞親は躑躅ヶ崎の小山田屋敷に宿泊し、軍備の点検をするという。
 とにかく越後との一戦が近いという空気で、甲斐国内はピリピリしていた。この張りつめた空気が、どうにも苦手だと、弥五郎はこっそりと和田辺りの相川に腰を下ろして、大きな溜息を吐いた。
「大変そうだな」
 声を掛ける者がいた。
 姿は見えない。
「一人だ、出てきてもいいじゃんけえ」
 弥五郎に応えたのは、印地の者だ。初狩以来のつきあいで、彼らも河原の多い国中へ来ていた。
 弥五郎は時々、彼らと会っていた。彼らの自由な生き方に憧れながらも、野垂れ死にすら自由の範疇という厳しさには肖りたくない。やはり弥五郎は、血が共有していようとも、武士なのである。
「何もかんも、ぶん投げちまっていいんじゃねえ?」
「そうだな。でも、その面倒が楽しいんだよ」
「大変だな」
 印地はごろんと草に横たわった。
 武士とは、奪い合い殺し合うための存在だ。その足下で百姓ばかりが苦しむ。上ナシの漂白民と異なり、百姓は土地にしがみつく。生きるために耕し、作物を育て、為政者に年貢も税も納め、ときには身内を戦さに取られる。
「わたやち(俺たち)には、分からない」
 それが普通だ。
 元来、埒外と感情を共有することなどない。小山田弥五郎が異種異様なだけなのだ。
「近いうちに、信州へ行くかもしんね」
「戦さか」
「武士だものな」
 弥五郎も、ごろりと横になった。
 ゆっくりと、雲が流れていく。盆地特有の温暖であるが、暦は秋である。流れゆく雲は正直だ。秋の鰯雲が幾重にも重なる。
 漂白民は雲と一緒だ。
 誰にも縛られない代わりに、誰の扶助もない。生きるも死ぬも己の才覚と運のみで、あとは一族眷属の結束だけが頼りだ。羨ましい反面、境遇の厳しい連中だった。
「なあ」
「ん?」
「印地は戦さで働けるかのう」
 印地は思いがけぬ言葉を呟いた。属したら、その者は漂白民ではなくなる。一族から追われる可能性もあった。確かに投石は鉄砲よりも勢いはないが、命中精度は高いし、技術を要しない。最適な飛び道具として、それは鉄砲の比ではなかった。弓矢ほどかさばらず、武器としても申し分ない。
「ありがとう」
「なら」
「戦さのことは、任せておけし」
 弥五郎はそう云って、笑った。
                               つづく
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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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