最終話「郡内」

文字数 18,820文字


  郡 内


                  一


 三月一一日、武田勝頼は田野で滅んだ。
 かつては天下に近かった名門武田家の、呆気なく、儚い最期だった。この滅亡は、勝頼を憎む土地の者の加勢により達成した。このことは、別して彼らが武田家そのものを恨むことには繋がらない。然るべき者で、武田家を再興されることを民衆は望んだ。それはそれで、民衆とは勝手なものであることを知ることが出来る。
 小宮山友晴の弟で、中山広厳院の僧・拈橋は田野まで赴くことを決した。勝頼に殉じた兄の供養もあるが、僧である以上は、一国の主だった勝頼最期の地を見届ける義務感を抱いたのだろう。その想いに、大善寺の理慶尼も賛同した。彼らは鬼哭啾啾という言葉が相応しい、武田家滅亡の場へ赴き、勝頼一行の遺骸を弔った。死骸には、武具も衣類も装飾品もない。首のない丸裸の死体は、老若男女を問わず、累々と重なっていた。
「人倫にもとること」
 拈橋は痛ましそうに呻いた。
 しかし、これが戦国だ。綺麗事などない。奪うか、奪われるか、その理屈だけが戦国の世の根本だった。
 勝頼は負けた。
 負けたから、名もなき雑兵にすべてを奪われた。ただそれだけだった。

 小山田信茂は武田家滅亡を谷村で知った。
 既に北条氏照の兵が郡内にあり、その略奪をおさえる代わりに治世のすべてを譲渡することを約した。氏照の領へ武田の落人が赴いても咎めぬよう、これも約した。
「もしも陸奥守殿への仕官を望む者がいたなら、適えられたし」
 信茂の要望に、氏照代官の中山勘解由左衛門家範は頷いた。
 先に北条が抑えた体裁があれば、盟約ある織田も徳川も、手出しできない。もしも手を出したなら、それは北条をも攻める意図にも通じる。この捨て身の策は、相手が氏照だから成立した。氏政ならこうはいかない。勝頼の正室である妙は妹である。それを見殺しに出来る男なのだ。当然、信茂の意向を無視して郡内の搾取を急いだことだろう。
「陸奥守殿へ、よしなに」
 そういって、信茂は四大老家を含む家臣一同に、郡内を北条氏照に無血明け渡ししたことを宣言した。分かっていたことではあるが、武田家も滅び、こののちのことを思えば、咽び泣く暇もなかった。
「これにて儂は領主の座を、倅に譲る。あとのことは、頼むぞ」
 信茂の宣言に、家臣団は大声で泣いた。
 まるで信茂が遠くへ行ってしまうような錯覚すら覚えた。不思議なことだった。

 織田信長は悠々と進軍していた。武田勝頼が滅亡したことは、伊那路の途中で知った。
「哀れなものでや」
 世が世なら、信玄の侵攻により信長こそ野辺に骸を曝していただろう。戦国とは、まさにそういう世であった。
「小僧は、何をしているのだ」
 信長は報告役の明智光秀に質した。光秀は苦い表情で
「善光寺にて、殺戮を」
「あれほど自重せよと云うたのに。あのガキ、殴り倒さにゃあならんな」
 既に討たれた者の名に、信長は頷いた。今のところ、生かしておいても意味のない連中だ。しかし、生かして用いる能と才を持つ者もいる。それだけは、死なせるわけにはいかない。
「日向」
「は」
「ガキに云うておけ。小山田弥五郎だけは殺すなよ、殺したら、お前ぁもぶっ殺すでようと」
「必ず」
 明智光秀はこのとき家臣の上席として最上位、これを軽々しく使いにする信忠の軽さが忌々しかった。きっと、光秀は諫言に務めたからこそ、こういう役目を与えて身辺から遠ざけたのだ。
「弥五郎は生かして用いる値打ちがある。禿鼠の下につけてやれば、もっと有益となることでや。絶対に殺させねえ」
 信長は、先を急がせた。
 こうしている間にも、信忠は何を好き勝手にしているものか、知れたものではない。小山田信茂の身柄を早く確保したいと、気持ばかりが急いていた。
 
 勝頼が死んだ日。上野城で奮戦した一条信龍が華々しく討ち死にした。バサラ者として家中の鼻つまみ者だったが、こういう手合いは戦さが上手だ。徳川勢は数に任せて押し寄せたが、一条信龍の戦さぶりは
「天晴れ傾奇ぶりかな」
と、末代までの語り草となった。
 武田の一族で壮絶な戦いの果てに最期を遂げたのは、高遠城の仁科盛信と、この一条信龍だけだった。信玄次男・龍芳。織田勢に捕らえられる前に入明寺にて自害して果てた。盲目ゆえの仕儀である。一子・顕了は野に隠し、御聖道衆もその庇護のために散らした。自身の始末を最も綺麗に終えた人物だった。
 それ以外の親族は、戦わずして逃げた。勝頼を見捨てたといってよい。信玄が生きていた頃にはあり得ない〈現象〉だった。そのなかで、手順を踏んで織田・徳川へ事前に内通した者だけは、安泰の立場だった。
 穴山梅雪。
 武田家も名跡を望む梅雪は、勝頼こそ否定したが、誰よりも武田家の存続を強く望んだ。使命感といってもよい。母は信玄の姉、妻は信玄の娘、梅雪の子は誰よりも武田宗家の血が濃い。使命感は当然だ。裏切り者の誹りは承知のうえだった。志だけが梅雪の心を支えた。
 穴山梅雪は背信を決するとき、最初に小山田信茂の助命をと、信長に望んだ。理由は、信長の見解と同じである。
「有能な者」
であるとともに、郡内という特殊な地域の事情だった。
 甲斐は一国に三領を有している。そのことは、国外に広く知られることではない。三身一体、これが対等に同盟してこその甲斐国である。武田との盟約を廃棄すれば、郡内は穴山梅雪の南部河内と同等になる。すなわち南信州や駿遠の降伏した豪族と、何ら変わりのない境遇だ。
 そのように説く梅雪の言葉は、信長の理解を得た。それこそ、小山田信茂を許す〈口実〉になるからだ。
 しかし、まだ信長は諏訪にも達していない。そして、信忠は血祭りが足りないと、武田の残党狩りを重ねた。密告を奨励し、甲斐の民衆により武田の主だった者を炙り出した。人心の荒廃は、目を覆うものだった。


                  二


 三月一九日、織田信長は上諏訪に着陣した。武田から寝返った者たちは、その安堵を求めて信長のもとへ参じた。彼らは信忠の血祭りを察知し、甲斐へ赴くことを拒んだのだ。真田昌幸も諏訪に出頭した。勝頼を最後まで守ろうと準備したのに、無断で背かれたことが惨めだと、余人は囁いた。
「弥五郎と一緒に安土に来たものだろう。覚えているぞ」
 信長は敵にしたら厄介な者として、昌幸を高く評価した。一切を不問とする代わりに、織田の被官に認めて本領安堵とした。
「その代わり、弥五郎もこっちへ引っ張れ。ええな、有能な奴は生かして使う。これが我が流儀でがや」
「弥五郎殿を生かしてくれるなら、必ず」
 穴山梅雪といい、真田昌幸といい、信茂とは実に漢から好かれる奴だなと、信長は思わず笑った。
 その頃。
 谷村へ織田信忠からの書状が届いた。善光寺への出頭命令だ。
「行ったら、殺されます」
 四長老がこれを制止した。しかし行かなければ、北条氏照が抑えたという建前にも関わらず、織田勢は郡内へ侵攻するだろう。それだけは避けたい。
「出頭の面子が気になります。これは、何か悪いことを考えているのでは?」
 善光寺へ呼ばれているのは、他にも信茂の母と、武田信堯、それに小菅五郎兵衛尉忠元である。まさか、見せしめとして殺すつもりではあるまいか。
「行くことは、やめて下され」
 小山田茂誠が訴えた。若い彼も、今や四長老弾正家の立派な当主である。
「行かなければ、郡内が戦場となる」
 信茂は、あとのことは嫡男・信綱を盛り立てる四長老次第だと、涼しげに笑った。そのうえで、小田原の動きを牽制する必要があった。氏照とともに氏政に会い、郡内の治安維持を確約させなければならない。
「桃陽坊と尾張守がこれを成し遂げよ。出来ねば、郡内が侵略されるだろう。北条にも好きにさせぬ、郡内の自治を守り抜くことは、死ぬより辛いお役目ずら」
「弥五郎殿」
「たのむし」
 元領主だった弥三郎信有以外に、このような外交は託せない。
「儂が織田を死ぬ気で食い止める、そちらが北条から自治を勝ち取る。我ら、都合よく二人居て、本当によかった」
 信茂の言葉に、桃陽は頷いた。
 光と影、陽と闇、背中合わせで二人三脚の、なんとも不思議な縁で結ばれたむすばれた兄弟だった。それもこれも、このときの為にこそならば、きっとこれは、宿命なのだろう。
 信茂の母は随行を承知した。代わりに
「宝林寺へ連れて行ってくれし」
 ここは、父・信有に愛された葛野尼の墓がある。葛野尼は、四年前にこの世を去った。ここ宝林寺へ葬ったのは、他ならぬ信茂だ。途中、三人の山窩が控えていた。〈弥右衛門の子〉に許されたのは、信茂が頼んだおかげだった。それに、信茂の母には元々手懐けられていたようだ。
「おまんら、これからどうする?」
 信茂の問いに、知れたことと彼らは胸を張った。
「弥五郎母子の護衛する」
「宝林寺までかい」
「違う。善光寺まで、山窩も傀儡子も従う。指一本触れさせねえ。おまんは、十分に同族じゃん」
「嬉しいねえ」
 信茂は屈託のない笑みを浮かべた。
 墓前には、母子で立った。思えば葛野尼には、辛い物云いをした、クソガキだったと思う。嫌いなりにも父親を守ろうと、あのときは必死だった。不器用な表現は、子供だったからだろう。
「母上からあのことを初めてはじめて聞いたときは、胸が締め付けられそうでした」
「なにを?」
「トリカブトは侍女が盛って、尼は解毒の草を必死に探していたことを」
「ああ、あれね」
「男と女。大人にならなければ分からないこと。儂は、今になって、様々な形の愛情表現があることを、少しだけは、何となく理解できたずら」
 線香の立ち上る煙が、風もないのに揺れた。
 葛野尼も許してくれただろうか。
「あの人、別におまんを責めてねえだよ」
「はて」
「あんな必死な、小賢しい子供。可愛くて仕方がなかったのだとよう。そう云ってたでよう」
「さて、かなわないな。おんなの掌でしか、男は踊れないものか」
 信茂は大声で笑った。愉快そうに笑った。
 長閑な郡内の空へと、笑い声が溶けていった。

 三月二三日、信茂一行は御坂路にて善光寺をめざした。国中に入ると、武田家ゆかりの寺社の破却が目立った。燃やされて燻るものもあった。
「ひどいものだな」
 武田信堯が呟いた。織田信忠という人物は、余りよく知らない。ただ、父の威を借る我儘という噂だと、小菅五郎兵衛尉忠元が呟いた。
「どっからの噂だ」
 信茂の問いに
「三郎右兵衛殿が、以前そのようなことを」
「そうか、ならば正しいかも知れぬな」
 笛吹川を渡ると、石和に至る。畑は人馬に踏み荒らされて、無残な姿だ。このようなことになると、確かに、人心は民政にしくじった勝頼を恨みたくなるだろう。
 善光寺に近づくにつれ、織田の兵が多くなった。隊列を組んで道を阻む者もいた。
「誰だ、お前ら」
 雑兵が立ちはだかる。小菅忠元が織田信忠からの呼び出しと告げると、顔色を変えて道を開いた。
「へえ、かなり恐がられているようだ」
 怪訝そうに信茂は呟いた。
 酒折宮までくると、身形のしっかりとした武将が待っていた。
「惟任日向守(明智光秀)にて、中将様の命で迎えに参じて候」
「惟任と申さば、弾正殿のご側近か」
「大したことにあらず」
 光秀には、無事に信茂を信長へ引き渡す責務がある。
「筑前守という男は、どういう者かな」
 信茂は唐突に尋ねた。
「筑前殿と、知己でござるか?」
「いや、埒外を用いると聞きました」
 光秀は、足を止めた。その名前は聞きたくもない。それに連なる者はおぞましいとも思っている。光秀は足利将軍家とも近しい武士であり、得体のしれぬ埒外を、激しく嫌悪していた。鬱屈している今ならば、埒外に出会うことがあれば、きっと斬り捨てることだろう。それくらいの嫌悪感を持ち、同様の感情を〈弥右衛門の子〉に向けていた。
「そのこと、中将(信忠)様の前では口にされますな」
 光秀の表情は嶮しい。ああ、〈弥右衛門の子〉とは随分と嫌われているのだなと、信茂は得心した。
 酒折宮から善光寺までは、すぐの場所である。武田家が崇拝する寺社であろうと、信忠にとっては、ただの建築物なのだろう。かつて信玄と見上げたあの善光寺を、織田の兵は土足で歩き回っていた。
 信忠は、信茂一行が来たことを知り、大股歩きでやってきた。
「小山田出羽守とは、お前か」
 信忠はじろりと睨んだ。凄んでみせても、威を借る張り子の虎のように感じる。ああ、ガキだなと、信茂は思った。
「武田の親族も家来も、大したことはなかったな。みな命乞いをして、泣き騒いで、首を斬られたのだ。お前はどう泣き叫ぶつもりだ。聞かせてくれ」
 信忠は腰を下ろした。
 それを合図に、信茂たちの背後を甲冑武者が取り囲んだ。信茂の母親は落ち着いた様子で、その甲冑をしげしげと眺めては
「見た目より安物かねえ」
と呟いた。信茂は、ぷっと噴き出した。
「お前ら、どういう立場が分かっているのか?」
 信忠は不快感を露わにした。
 光秀が割って入った。殺したら、信長は何をするか知れぬと繰り返した。それが小癪で、信忠は光秀を蹴り倒した。
「よし、小山田の一党を斬れ」
 信忠が号令した。
「やめよ、上様が激怒する」
 光秀は、甲冑武者を制した。彼らは、その言葉に怯んだ。
「おい、小僧」
 信茂が声を発した。
 その物云いに、信忠は青筋を浮かべた。
「口の利き方に気をつけろよ、小山田弥五郎」
「じゃあ、ガキでいいか」
「てめえ!」
 光秀が慌てて羽交い絞めにして抑えた。
「いいか、郡内に一歩たりとも兵を踏み入れてみろ。お前の嫌いな筑前と、儂は同族らしいのでな。昼夜を問わず、仲間に命を狙われると思え」
「そんなもの」
「試すか?」
 ピュッと、信茂は指笛を吹いた。
 間髪入れず、礫が三つ、信忠の足元で弾けた。山窩に印地の真似事を覚えさせていたのである。勿論、山窩には山窩の技がある。このようなものは、余興だ。
「態と外している」
 信忠は蒼褪めた。
 埒外を手懐ける者が、ここにもいたのか。
「郡内に手出ししなければ、儂はおまんを傷つけねえずら」
「そういう立場か?」
「ああ、そういう立場だ」
 信茂はこのために、信忠のすぐ間近に参上したのだ。山窩は〈弥右衛門の子〉に許された。ということは、三人の他にも、同族が近くにいる。それに、〈イシ〉がいたということは、印地の者も身近にいるだろう。織田信忠の本陣は、埒外の者に囲まれているともいえる。
 武家の常識ではない、信茂の切り札だった。
 それに、信茂が仮に認められずとも、その母は紛れもない純粋な同族。これを傷つければ、埒外の者は昼夜を問わず信忠の命を狙い続けるだろう。
「郡内に手出しするな。約束だ、いいな?」
「……」
「返事は!」
「わ、わかった」
 一緒にいる武田信堯と小菅忠元には、何が起きているのか、理解できなかった。しかし、何事かの強みで、信茂が圧倒しているのだということだけは分かる。
 信茂は、郡内の自治を勝ち取ったと、確信した。
「がっ!」
 武田信堯が呻いた。槍が、背中から胸を貫いていた。言葉を失った小菅忠元の首が、次の瞬間、宙に舞っていた。これはいったいと、信茂は信忠を睨んだ。
「ち……違う!」
 信忠は否定したが、その間、信茂とその母も刺し貫かれていた。
 上目遣いに見上げると、指図したのは明智光秀だった。光秀は、どうせ信忠がやるのなら代わりにと、低く呟いた。あくまでも、これは信忠の意思なのだ。埒外は嫌いだという本心を、すべて信忠に転換した。
「馬鹿、違う。違うぞ、馬鹿。埒外なんかに喧嘩を売るのは、本物の馬鹿だ!」
 信忠は否定した。
「そうです、貴方は埒外に喧嘩を売った大うつけです」
 光秀はそう断じた。
 これまで信忠が重ねてきた傍若無人ぶりを思えば、このことは、誰の目にも光秀に無理強いしたものと納得させる。
「馬鹿め、馬鹿め、おれはしらぬぞ。馬鹿野郎」
 信忠は狼狽えて、本陣の周囲にいる不審な者を全て捕えろと下知をした。しかし、囲んでいた埒外の気配は、煙のように消えていた。
 小山田信茂は御級を討たれた。母親を除く二人も首を取られた。信茂の胴と母親の骸は、善光寺の北側の窪地へ棄てられた。
 織田信長が古府中一条新御殿に入ったのは、四月三日のことである。
「小僧はどうした?」
 信長は出迎えの光秀に質した。
「間もなく塩山より戻りましょう」
「何をしておるか」
「寺を焼いてくるとの仰せ」
 信長は眉をひそめた。この日、信忠は恵林寺を攻め、快川和尚らを生きたまま山門で焼き殺した。常軌を逸した殺戮ぶりだった。
「止められなかったのか?」
 信長は押し殺すように呻いた。
「小山田出羽守を討ったことで、すっかり昂ってしまった由」
「弥五郎を討ったと?」
「その母ともども」
 信長は大きく息を吐いた。埒外に喧嘩を売ったのだと、即座に理解した。
「あれは、もう、長生きできまい」
 それきり、小山田信茂を討ったことも咎めず、信長は滅び去った武田の哀れを思った。信玄の痕跡を消し、織田一色に塗り替えることは難しいだろう。
 信忠が戻っても、強いて信茂のことに触れなかった。
 ただし
「弥五郎の本領はどうした」
 それだけを質した。
「郡内には北条陸奥守の軍勢が入って、旧来の治安統制を継続するとの伝令これあり」
 明智光秀が変わって答えた。
「是非に及ばず」
 そのまま捨て置けと、信長は黙認した。
 信忠は郡内と小田原へその旨を発する指図をすると、恐る恐る、信長をみた。信長の瞳には怒りはない。むしろ憐憫に満ちた、冷ややかさが漂っていた。
 あれは、明智光秀が勝手にやったのだ。そう云いたかったが、云い訳じみたことゆえ、どうしても口に出せなかった。どうであれ、その結果は総大将の責任である。鼻息荒く虚勢を張り続けた結果が、これだ。ガキと吐き捨てた信茂の肉声が、今も耳を離れない。
 その頃。
 谷村には信茂の子・信綱を中心に、北条勢が周りを固めて織田の侵攻に備えていた。信忠からの使いにより、郡内への侵攻がないと分かり、信綱は安堵した。
 しかし、信茂たちは、二度と帰ってこなかった。
 戻らないといえば。桃陽と小林尾張守家親。北条氏照とともに小田原に赴き、郡内自治の請願を出した。
「認めぬ」
 氏政は強気だった。
「奪ったものはこちらのもの。なんで相手の都合に合わせるのだ」
「そういう約束で、この陸奥に託されたこと。奪うのではなく、交渉による譲渡にて、相手の意図を尊重することは大事なり」
 氏照は真っ向から郡内を庇った。信茂の誠意に答えるために尽くした。不思議なことだ、こうまで真剣にさせられる信茂の人間性に、氏照は間違いなく惹かれていた。
「もしも儂の顔に泥を塗るなら、兄上とて容赦しませぬぞ」
 氏照は本気だった。本気で、郡内の味方だった。その本気に気圧され、遂に氏政も根負けした。
「申し上げます」
 甲府に布陣する織田信忠から、郡内を捨て置くという使いが届いたのは、この交渉が定まった直後のことである。
「小山田出羽守殿は如何したか」
 氏照は質した。
「梟首にて」
「なに?」
「首を討たれてござ候」
 使いの言葉に、氏照も、桃陽も、小林家貞も、言葉を失った。
(死んでしまったのか、弥五郎殿)
 桃陽の心の奥が、音を立てて、何かが弾けたように白くなった。
「桃陽殿!」
 小林家貞が叫んだ。
 桃陽は懐剣で喉を突いていた。血が噴き出し、みるみると血溜まりが広がった。光と闇を分かち合う一心同体である以上、桃陽は、最期に弥三郎信有として死ぬことを望み、その想いが考えもなく行動となった。
 正体を知る小林家親だけが、その心を理解した。それだけに、最期を見届けることは辛すぎた。
「この死を以て、小山田家を見逃したまえ」
 ただひとこと、呟いた。桃陽の正体を知らないが、その鬼気迫る気配はただ事ではない。氏政も、氏照も、返す言葉がなかった。

 郡内が無傷であったという記録はない。勿論、蹂躙された記録もない。甲斐にも、織田にも、北条にも、公式な記録から郡内のことは欠落している。意図的に欠いたものか、取るに足らぬものとして無視されたものか、その事実を知ることはない。
 ただし、武田家滅亡に伴う戦火の痕跡がないことは、紛れもない事実だ。
 史書には善光寺で討たれた信茂一行に児童の記述がある。八歳の幻朝童子とされる男子を伴ったのだという。一族が挙って勝者に傅く描写は、落城の際に行われる降伏の儀礼にも等しい。
郡内は降伏をしたのではなく、独自で講和を探った。状況からみて、織田ではなく、北条と行うのが自然だ。よって織田信忠へ一族を以て頭を下げる必要などない。穴山梅雪のように、堂々と対面すればいい。
 史書は小山田の都合を記さず、武田家滅亡は信茂の裏切りと明文する。このことを描く史書の多くは後年のものであり、リアルタイムではない。あくまで勝頼を笹子峠で追ったという寝返りを前提としている。
 寝返ることに罪はない。
 このことは当時の常識だ。武将には、頼るに足らぬ大名を辞する自由がある。これに罪悪の付加価値が生じたのは徳川の世であり、戦国ではなく儒教に支えられた偃武の時代である。武田勝頼の不可解な逃避行と、小山田信茂の延命に尽力した知力の結果を、価値観が異なる世代でそう解釈されても、仕方はない。武士であっても、時代によっては別の人種だ。戦国の武士が、家と領地と民を守るために何を大事にしたものかなど、泰平の世にあっては理解の外である。

 武田家滅亡の三か月後。
 六月二日、京。

 織田信長は本能寺にて明智光秀の襲撃により滅んだ。本命は、信忠襲撃だった。光秀ほどの良識ある者にとって、信忠は暗君そのものだ。埒外の怒りを被ったのだという大義名分がある。信忠を討つ以上、信長を討たねばならない。
 光秀なりのけじめだった。
 織田信長が死ぬと、上京中の穴山梅雪は急ぎ帰国したが、道中、殺された。両名は小山田信茂の死を惜しんだ者だった。
 明智光秀が埒外を操る〈弥右衛門の子〉である羽柴筑前守秀吉に敗れたことは、因果といえよう。小山田信茂殺害の実行犯である明智光秀に対し、埒外は同族による粛正を、必然として実行した。ただそれだけだった。
 その埒外の民である〈弥右衛門の子〉の天下統一は、まだまだ先の世のことである。


                  三


 武州上恩方金照庵。織田信長が討たれたという知らせに、その憂いを秘めた姫は、大きな溜息を吐いた。
「香具をこれへ」
 姫は、四歳の幼女を近くへ招き、養父を討った織田の大将が滅んだと語った。
「じいじは、このようなことを喜びますまい」
 香具は、ひとこと呟いた。
 幼女ではあるが彼女にとって、養父・小山田信茂は優しい〈じいじ〉だ。その養父の機転があればこそ、香具は松姫とともに行動をともにしている。
「武田が滅びて、これからどうなることやら」
 松姫は思案に暮れた。
 数日ののち、卜山和尚を頼り得度することとなるが、出家した彼女をどうこうすることがないよう、北条氏照は八王子城下に厳しく触れを出している。こののち松姫を頼りに武田旧臣が頼ってきても、氏照は観て見ぬふりをした。あわよくば武田旧臣を抱えることができる。これはこれで、氏照にとっての大収穫だ。
 松姫は庇護する三人の姫を我が子のように扱った。
 後年、徳川家旗本内藤家へ嫁いだ香具の係累が、武田宗家に嫁いで途切れる寸前の血脈を繋いだ。武田宗家とは、大蔵藤十郎に匿われた顕了の家系だ。大蔵藤十郎は徳川の世に活躍し、大久保長安と名乗った。目覚ましすぎる活躍は疑念となり、死後、いらざる政争により眷属関係者が処断された。顕了も伊豆大島に流されて生涯を終えた。恩赦で江戸に戻ったのは顕了の子・教了。もはや高齢だった教了に、香具の係累が胤をつないで武田家を残した。まさに女ならではの、大きな功績といえよう。
 が、それはまだ遠い未来のことだった。

 郡内は信茂の嫡子・信綱と三子・信寿が、民衆の不安を抑えている。
 誰もが不安だった。しかし郡内では、国中のように暴動や騒乱に奔る者がいなかった。安心の中心にあったのは、小山田家だった。信茂を慕った民衆は、その命に代えて織田勢の侵攻を防いだ彼の遺徳を偲んだ。だから、誰もが理性的に振舞ったのである。
 郡内の侍は八王子城の支配に服した。唯一、小田原へ代表して出仕したのは、弾正家の小山田茂誠だ。彼の勤勉が評価され、氏政も郡内へ手出しをしなかった。

 その日、真行大法尼のいる真行寺を小林家親が訪れた。
 真行寺は吉田村虫塚から河越に移ったばかりだ。この采配は北条氏照のものだった。信玄の妹ならば、僻地に旧臣を侍らせることは、良からぬ噂の元となる。武州の要所である河越に置いて、氏照の目の届くところで監視する。
 これは、お互いのためだ。
 真行大法尼はこれまで逃れた武田旧臣や女子供を匿った。多くは出家し、得度した者となって、三月に滅んだ眷属のために供養を欠かさない。
「尼様、こちらが?」
 家親は傍らの稚児に目を細めた。
「四郎殿の御子なり」
「あのときの御子が」
 勝頼が新府城を逃れるとき、春日居にて二歳の男子が高熱を発した。土地の者にこれを託し、のちに従者と小山田信茂の母により郡内に逃れた。織田の追及を逃れるため、土地の者は男子が死んだと公言し、骸を埋めて芍薬を植えた。この偽装が功を奏した。男子は谷村に匿われ、やがて真行大法尼に託された。小林家親が男子を見たのは、このときである。
「小山田弥五郎殿が郡内を無事に通してくれた。国中から吉田村までに必要な便宜を図ってもくれた。おかげで大勢の武田の家臣が生き延びることが出来たのだ。私はね、弥五郎殿に感謝しているのですよ」
 真行大法尼の言葉は、生き永らえた者たちの声そのものだった。
「それにしても、次郎左(加藤信景)殿は、残念だった」
 加藤次郎左衛門尉信景は上野原を逃れて河越へ落ちる途中、武州箱根ケ崎村で撲殺された。氏照統治下でも、その土地ごとの気候風土や民度は異なる。手柄を望んで勇み足になる者も少なくない。加藤信景は功名に逸った農民の、理性なき民度の犠牲になってしまったのである。
「谷村様は、次郎左衛門殿のことを、本当に頼りにされていました」
「ええ」
「こののち郡内は、係争の地になるようです」
「それは、大変なことに」
 織田信長が死ぬと、旧武田領のうち甲斐一国は北条と徳川が奪い合うこととなる。河内の穴山領は、徳川が抑えた。家康は富士川に沿って国中へ進出をした。北条は一歩遅れたのである。郡内だけが北条の手元にあった。
 甲斐を巡り、北条と徳川は武力衝突する。このこと、のちに〈天正壬午の乱〉という。
 郡内はその渦中にあった。余所者が、勝手に土地の取り合いをするのである。民衆にとっては、たまったものではない。この迷惑も、勝頼が滅亡へ至らねばあり得ぬ現象だった。
「いま、儂は家督を倅に継がせて、御師になっておるんです」
 家親は話題を変えた。
「出家、とは違うのですか」
「在地ですが、神職。そして、刀は捨てたのです」
 家親は船津で庄屋になり、その後、御師雁丸家へ子供を養子入りさせて、自らもそれを負おうとしているのだ。弥三郎信有のように、完全に出家はせずとも、俗世との垣根を越えて、その意思を少しでも継ぎたいと考えたのである。
「郡内を守るため、あらゆる手立てを尽くしたいと思います」
 その強い想いは、十分に真行大法尼へ伝わった。郡内を戦火から守ること。信茂の想いを継ぐ者たちは、武士にも、商人にも、出家、そして御師にもいる。彼らがいる限り、信茂の想いは消えることはない。
 それだけは、真実だった。

 この年、笹子川に多くの印地が流れ着いた。
 白髪の印地は初狩に暫し留まり、遠くを眺めるような目つきで空を見上げていた。河原からは、福聚院の子院である瑞龍庵の屋根が見える。善光寺で討たれた信茂の首を奪い、ここに埋葬されたことを知る者は少ない。
「弥五郎、死ぬんじゃねえと云うたのに、あほんだらあ」
 白髪の印地が洩らした言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。
 ざわざわざわ。
 風が、応えるように吹き抜けた。
 それはたちまち大空へと駆け上っていくのを、印地は、無言で見送った。


                               了

【素材提供・情報・アドバイザー】(敬称略)

 小山田隆信(小山田氏36代)
 小山田勢津子氏(小山田氏35代室)
 西室泰照(山梨県大月市郷土研究会顧問)
 松本憲和(武田家旧恩会理事・小山田信茂公顕彰会主宰)
 篠原 武(山梨県富士吉田市教育委員会歴史文化課)
 吉岡梅男(山梨県上野原市郷土史家)
 井出與五右衞門(「甲斐の開運」井出醸造店二一代目)
 鳥海和正(能知識アドバイザー)


【文書・メール照会】(敬称略)

 山梨県立博物館
 山梨県都留市教育委員会学びのまちづくり課 ミュージアム都留
 山梨県大月市観光協会
 山梨県上野原市教育委員会社会教育課
 山梨県上野原市教立図書館
 山梨県富士吉田市教育委員会歴史文化課 ふじさんミュージアム
 山梨県身延町教育委員会生涯学習課
 山梨県西八代郡市川三郷町教育委員会生涯学習課
 神奈川県小田原市教育委員会生涯学習課
 東京都昭島市生涯学習部社会教育課
 東京都西多摩郡檜原村郷土資料館
 千葉県長生郡長南町教育委員会生涯学習課
 岐阜県瑞浪市教育委員会スポーツ文化課
 山下和甫(御聖道衆末裔)
 

【現地取材、現地照会及び情報提供】

 甲斐乃國総鎮護 武田神社(山梨県甲府市)
 御師旧戸川家住宅(山梨県富士吉田市)
 浄土宗甲斐善光寺(山梨県甲府市)
 臨済宗妙心寺派乾徳山恵林寺(山梨県甲州市)
 臨済宗妙心寺派法蓋山東光寺(山梨県甲府市)
 臨済宗妙心寺派冨春山桂林寺(山梨県富士吉田市)
 真言宗智山派柏尾山大善寺(山梨県甲州市)
 浄土真宗法流山入明寺(山梨県甲府市)
 法華宗本門流蓮華山妙法寺(山梨県南都留郡富士河口湖町)
 曹洞宗龍厳山海島寺(山梨県山梨市)
 曹洞宗金龍山信松院(東京都八王子市)
 曹洞宗深澤山心源院(東京都八王子市)
 曹洞宗萬松山興岳寺(東京都八王子市)
 浄土宗宝珠山滝山極楽寺(東京都八王子市)
 時宗河口山法蓮寺(東京都八王子市)
 真宗大谷派至誠山眞行寺(埼玉県川越市)
 上野原市びりゅう館 羽置の里(山梨県上野原市)
 北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)
 富士御室浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町)
 富士山下宮小室浅間神社(山梨県富士吉田市)
 富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)
 河口浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町)
 一宮神社(山梨県上野原市)
 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
 山梨県立博物館(山梨県笛吹市)
 ミュージアム都留(山梨県都留市)
 ふじさんミュージアム(山梨県富士吉田市)
 市川三郷町文化資料館(山梨県西八代郡市川三郷町)
 長野県立博物館(長野県長野市)
 長野市立博物館(長野県長野市)
 勝山歴史民俗資料館(山梨県南都留郡富士河口湖町冨士御室浅間神社境内地)
 河口湖郷土資料館㈶富士博物館(山梨県南都留郡富士河口湖町富士レークホテル)
 清酒 甲斐の開運(山梨県南都留郡富士河口湖町)
 ㈱酒千蔵野(長野県長野市)
 御師の宿 筒屋(山梨県富士吉田市)
 御師の家 菊谷坊(山梨県富士吉田市)
 冨士山下宮小室浅間神社氏子総代
 

【作品協力】

小山田信茂公顕彰会 


【参考史料】
 〇武田史料集 史料叢書              清水茂夫、服部治則・校注 
                             新人物往来社・刊
 〇甲陽軍鑑                         吉田 豊・編、訳 
                               徳間書店・刊
 〇信長公記                    奥野高広、岩沢愿彦・校注 
                               角川書店・刊
 〇大久保彦左衛門 三河物語                 百瀬明治・編、訳 
                               徳間書店・刊
 〇国重要文化財生島足島神社文書 起請文にみる信玄武将
         生島足島神社、塩田文化財研究所、塩田平文化財保護協会・編集 
                             生島足島神社・発行所
 〇多摩歴史叢書3 八王子城主・北條氏照 氏照文書からみた関東の戦国
                               下山治久・著 
                         たましん地域文化財団・刊

【参考文献】
 〇山梨県史資料叢書 山梨県棟札調査報告書 郡内Ⅰ
                      山梨県教育委員会学術文化課・編集 
                                山梨県・発行
 〇都留市史通史編                 都留市史編纂委員会・編集 
                                都留市・刊
 〇都留市史資料編 古代・中世・近世        都留市史編纂委員会・編集 
                                都留市・刊
 〇大月市史通史篇                 大月市史編纂委員会・発行者 
                              大月市役所・刊
 〇岩殿山総合学術調査報告書 岩殿山の総合研究 
   県史跡岩殿城跡、旧円通寺跡及び岩殿山の自然
                         岩殿山総合学術調査会・編集 
                           大月市教育委員会・刊
 〇富士吉田市史通史編第一巻         富士吉田市史編さん委員会・編集 
                              富士吉田市・刊
 〇富士吉田市史史料編第二巻         富士吉田市史編さん委員会・編集 
                              富士吉田市・刊
 〇富士山叢書第五集 冨嶽人物百景 富士山にゆかりのある人々
                       富士吉田市歴史民族資料館・編集
 〇甲斐国志富士山北口を往く         富士吉田市歴史民族資料館・編集
 〇国絵図・郡絵図・村絵図          富士吉田市歴史民族資料館・編集
 〇韮崎市誌 上巻               韮崎市誌編纂専門委員会・編集 
                                韮崎市・発行
 〇北都留郡誌 全 復刻版           山梨県北都留郡誌編纂会・編集
 〇上野原町誌(非売品)             上野原町誌編纂委員会・編纂 
                             上野原町役場・発行
 〇上野原町誌 上                上野原町誌編纂委員会・編集、刊
 〇大和村誌 上巻                 大和村誌編纂委員会・発行者 
                              大和村役場・発行
 〇勝山村史 上巻                 勝山村史編纂委員会・発行者 
                              勝山村役場・発行
 〇秋山村誌                    秋山村誌編纂委員会・編集 
                              秋山村役場・刊
 〇小菅村郷土小誌                      守重保作・著 
                                小菅村・刊
 〇八王子城                    八王子市教育委員会・編集、発行
 〇鉢形城開城 北条氏邦とその時代    寄居町教育委員会鉢形城歴史館・編集、発行
 〇史跡鉢形城跡調査報告第3集
   史跡鉢形城跡第1期保存整備事業発掘調査報告
                           寄居町教育委員会・発行
 〇掛川城のすべて          掛川市掛川市教育委員会社会教育課・発行、編集
 〇武田氏家臣団人名辞典    柴辻俊六、平山 優、黒田基樹、丸島和洋・編
                              東京堂出版・刊
 〇戦国江戸湾の海賊                     真鍋淳哉・著 
                              戎光祥出版・刊
 〇ものがたり甲斐善光寺                   吉原浩人・著 
                              戎光祥出版・刊
 〇中世武士選書5穴山武田氏                 平山 優・著 
                              戎光祥出版・刊
 〇中世武士選書19郡内小山田氏・武田二十四将の系譜     丸島和洋・著 
                              戎光祥出版・刊
 〇論集・戦国大名と国衆5甲斐小山田氏            丸島和洋・編者 
                               岩田書院・刊
 〇日本城郭大系 第8巻 長野・山梨               平井 聖・著 
                             新人物往来社・刊
 〇定本武田信玄                       磯貝正義・著 
                             新人物往来社・刊
 〇武田信玄のすべて                     磯貝正義・著 
                             新人物往来社・刊
 〇定本武田勝頼                       上野晴朗・著 
                             新人物往来社・刊
 〇武田信玄 城と兵法                    上野晴朗・著 
                             新人物往来社・刊
 〇武田勝頼                         柴辻俊六・著 
                             新人物往来社・刊
 〇甲州武田家臣団                      土橋治重・著 
                             新人物往来社・刊
 〇武田信玄を歩く                      土橋治重・著 
                             新人物往来社・刊
 〇駿河今川一族                      小和田哲男・著 
                             新人物往来社・刊
 〇別冊歴史読本・武田一族のすべて            新人物往来社・刊
 〇別冊歴史読本・真田一族のすべて            新人物往来社・刊
 〇八王子の名僧・卜山                     卜山講・著、編集、発行
 〇武田信玄息女 松姫さま                 北島藤次郎・著 
                                講談社・刊
 〇信松尼公記                       北島藤次郎・著 
                           信松尼公記刊行会・発行
                                講談社・製作
 〇講談社カルチャーブックス 
   伊勢神宮 日本人のこころのふるさとを訪ねて       矢野憲一・文 
                               篠原 龍・写真 
                                講談社・刊
 〇戦国大名武田氏の戦争と内政                鈴木将典・著 
                                星海社・刊 
                                講談社・販売元
 〇武田勝頼「死の真相」 理慶尼記の謎を解く         松本憲和・著 
                              ニル出版部・刊
 〇歴史群像シリーズ⑥ 
   風林火山 信玄の戦いと武田二十四将          学習研究社・刊
 〇闇と掟                     KKベストセラーズ・刊
 〇一個人 戦国武将の知略と生き様            一個人編集部・編  
                          KKベストセラーズ・刊
 〇図説 戦国10大合戦の大ウソ               森田善明・著 
                                WAC・刊
 〇徹底分析 川中島合戦                   半藤一利・著 
                             PHP研究所・刊
 〇「戦国大名」失敗の研究 政治力の差が明暗を分けた     瀧澤 中・著 
                             PHP研究所・刊
 〇リアル!センゴク読本             「歴史の真相」研究会・著 
                                宝島社・刊
 〇別冊宝島2288号 
   日本刀 至極の名刀92振りの足跡を辿る          宝島社・刊
 〇完全保存版 日本の刀剣                  枻出版社・刊
 〇山梨歴史美術シリーズ2
   真言宗智山派大善寺  
        秋山 敬、渡辺洋子、鈴木麻里子、井澤英理子、飯島 泉、
           畑 大介、萩原三雄、佐々木満、室伏 徹、清雲俊元・執筆
                          山梨歴史美術研究会・発行
 〇サンエイムック時空旅人ベストシリーズ 
  高野山 1200年の史実                 栗原紀行・編集 
                               三栄書房・刊
 〇能楽入門①  初めての能・狂言             横浜能楽堂・企画 
                              山﨑有一郎・監修 
                               三浦裕子・文
                                小学館・刊
 〇まんがで楽しむ能・狂言                 小山賢太郎・漫画 
                               三浦裕子・文 
                               増田正造・監修
                                檜書店・刊
 〇これならわかる、能の面白さ                 林 望・著 
                              森田拾史郎・写真 
                                淡交社・刊
 〇散歩の達人MOOK 
   厳選32コース掲載!日帰り山さんぽ          交通新聞社・発行
 〇久留里城誌                   久留里城再建協力会・編集、発行
 〇山梨の城                山梨日日新聞社企画局出版部・編集
                             山梨日日新聞・発行
 〇武田史跡めぐり             山梨日日新聞社企画局出版部・編集
                             山梨日日新聞・発行
 

【参考資料】

 〇論集・郡内研究 その後の小山田氏 小山田了三・著 都留市郷土研究会・刊
 〇論集・郡内研究 小山田氏の郡内領支配
                    柴辻俊六・著 都留市郷土研究会・刊
 〇論集・郡内研究 小山田氏と郡内   内藤恭義・著 都留市郷土研究会・刊
 〇論集・郡内研究 戦国における山中湖村と武田氏       杉浦忠睦・著 
                           都留市郷土研究会・刊
 〇論集・郡内研究 小山田・武田のみち            中村和行・著 
                           都留市郷土研究会・刊
 〇中世末期 都留郡領主小山田三代 越中守信有・出羽守信有・出羽守信茂
                               内藤恭義・著、刊
 〇都留市制60周年記念事業・ミュージアム都留企画展図録
  企画展「都留・古道の旅 信仰の道・交易の道」
                   都留市博物館「ミュージアム都留」・発行
 〇富士吉田市歴史民族博物館付属施設 
   御師旧戸川家住宅展示解説
                           御師旧戸川家住宅・刊
 〇富士吉田市歴史民族博物館だより№23(2004年10月30日発行)
                              富士吉田市・刊
 〇多摩のあゆみ第157号特集 
  写真でみる高度経済成長期の多摩 より
   古文書は語る〈その41〉松姫尼百回忌法要の開催
   信松院文書「信松院百回会場記」より
                               馬場憲一・著  
                         たましん地域文化財団・発行
 〇山梨・まち〔見物〕誌 Rendez+Vous(ランデブー)③
                            山本育夫事務所・編 
                             コミヤマ工業・刊
 〇歴史読本 
   特集・長篠の戦い 戦後四百年記念号 昭和50年6月号
                             新人物往来社・刊
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み