第17話「代替わり(後)」

文字数 13,151文字



代替わり(後)


                  一


 一一月に入ると、勝頼は側近衆を通じ、正月早々に明知城を攻めることを御親類衆へ発した。代表して参じた武田逍遙軒・穴山信君は、その内容を口頭と図面により、具体的な説明を受けた。
 軍勢を先ず岩村城に集結し、数を纏めてから短期間のうちに動く。極めて奇抜な策ではない。面白味がない分、堅実な計画だ。
「雪の信濃路を越えることは無謀なり」
 逍遙軒は反発した。それを制したのは、信君だった。
「四郎殿の考えは、おそらく木曽川で下るものだろう。それに、構成される軍勢は木曾衆を始めとする山岳に長けた者たちにて。それに……」
「それに?」
「先代様なら必ず打つ鬼手が、ここにもござる。明知城には、もう調略の手を下しておる。内応者を得ている以上、それなりの成果を残すだろう。しかも、短期間の決着という点が大事」
「それが、なにか」
「織田弾正は雪に不慣れ。援軍が来ぬ間に城を落とせば、こちらの犠牲は少ない」
 いかがかと、信君は勝頼をみた。
 信君の推察はおおよそ当たっていた。実のところ、これは勝頼の描いた策ではない。秋山信友から献じられたものだ。信友は信玄と思考が似ているので、こういう策にも共通点がある。ただしこの場で、勝頼は最後まで秋山信友の名を出さなかった。
「ならば、動員の同意を頂いたと理解するものなり」
 勝頼の念押しに、御随意にと、信君は呻いた。
 天正二年(1574)一月二七日、武田勢は岩村城に結集し明知城を包囲した。この時期に武田勢が動いたのは、一向一揆攻めに釘付けとなった信長が容易に動けない現状を見透かしたことによる。策を練った秋山信友は、敵の手薄に付け込んだのだ。しかも神坂峠が雪に閉ざされている以上、徳川家康の援軍は来ない。
 二月一日、岐阜城にこのことが達し、織田信長は救援の軍勢を編制させた。とはいえ、一向一揆との戦時中に割ける軍勢はたかが知れている。人数が容易に纏まらず、信長は苛立ちを隠せなかった。
 明知城は遠山一族の拠点で、岩村に従わぬ勢力の中核だ。よく文献で、明智城とあるが、それは可児郡の同音の響きを持つ別の城を指す。武田勢は東美濃の足掛かりを固めるため、遠山一族の一致を恫喝しているに等しい。
 明知城は先の上村合戦で城主・遠山景行が討死にしている。世継ぎは孫・一行、これが幼少すぎるため、万勝寺に出家していた景玄の弟が還俗し補佐した。
 明知城へと向かった武田の総勢は一五〇〇〇。急報に際し織田信長は人を掻き集め、最終的に奈良多聞山城から嫡子・織田信忠と明智光秀を呼び寄せ、三〇〇〇〇の兵を仕立てた。これが明知城に向かったのが、二月五日のことである。このとき既に、明知城は武田に降伏していた。武田との内応を約していた飯羽間右衛門尉が謀反を起こしたためである。それでも抵抗する者がいた。搦手が破られ、城郭・城下は火の海となった。内応者工作でまともに戦えぬ状況となっても、武田勢は容赦のなく攻めたて、遠山利景は震え上がった。
 こうして明知城は武田方の手に渡った。
 城を落ちた遠山一行主従は、雪の中、足助城へ逃れていった。
「そうか、落ちたか」
 織田信長は明知落城を知ると、何も云わずに織田信忠と明智光秀へ兵を退くよう命じた。
「親父は、そんなに武田が恐ろしいのか」
 その知らせに、信忠は不服だった。やってみれば、どうということもないのではないか。その大言壮語を、明智光秀が諌めた。つまらん爺ぃだなと、信忠は吐き捨てた。
 明知城の戦いは正攻法であった。奇抜さはない。味方の損害を抑えて実を得た、まるで模範解答のような結果である。
 これが、勝頼にふたつの感情を抱かせた。
(やれば出来る。これからも勝ち続けることで見返してやる)
守りよりも、攻めを重視するのだろいう強気を、前面に出すきっかけとなった。
 もうひとつは、御親類衆の発言軽視だ。これまで何かと先代と比較し、足枷を強いる者たちは、先に遠江で負け戦さをした。片や勝頼はここで勝った。負けた者の言葉は、勝った者の心に響かない。
 これからも勝ち続けることで求心力を得る道を、勝頼は選んだ。これは、一度の負けも許されぬ厳しい選択だ。
 民衆とは無責任なもので、こういう状況になると勝頼を支持する。
 常勝という魔性は、経緯はどうあれ、結果となる。そのことを重んじ、結果につなげたのは、他ならぬ信玄ではないか。信玄のように勝てばいい。経過はどうあれ、結果がすべてなのだ。そのことが、余計に御親類衆や宿老への反発を抱かせ、彼らの発言を妨げた。聞く耳すら持とうとはしなかった。勝頼は、自信を持って豹変したのだ。
 やがて、このことが、ひとつの結果へと流れていく。


                  二


 武田信虎が甲斐への帰国を望んだのは、天正二年に入って間もなくのことである。世間は今もなお、信虎を暴君と記憶し、そのために追放されたのだと受け止めている。信玄存命中にはじっとしていた信虎が、なぜ、このときに、帰国を望んだものか。
 憶測が憶測をよび、民衆は震え上がった。
 しかし、信虎の真相を知る者は限られていた。あれは、信玄と示し合わせた駿河奪取の遠望策である。信玄亡きいま、御親類衆では、代替わりのためか、このことを誰一人知らない。駿河折衝の際に飯富虎昌と行動を共にした小山田信茂と武藤喜兵衛が知っていた。あとは飯富虎昌つながりで、山縣昌景がこのことを知っていたし、馬場信春も知っていた。
 信虎の帰国要望を最初に取り次いだのは、政務的に考えれば勝頼側近衆とみてよい。側近衆は勝頼の耳に入れることなく、これを握り潰した。暴君再臨は好ましくない現実だ。万に一つ、信虎の子や婿たちに推されて、この暴君が国主に復帰でもしたら、勝頼に依ってきた者たちの立場がない。
 しかし、信虎は執念深かった。
 京の武田御使番衆を用い、武田逍遥軒のもとへこのことを申入れた。これにより事態は露見した。信虎に怯える少年期を過ごしていた逍遥軒は、相談相手に窮した。たまたま山縣昌景を見かけて話したところ
「実は」
と、信虎の駿河追放の真実が明るみになった。
 経過はどうあれ、結果として、駿河は武田の手にあるのだ。
 かくなるうえは、老境の信虎に故郷の土を踏ませることは考えて然るべしだと、山縣昌景は呟いた。御親類衆と重臣が集まり、これをどうするべきか、評議が為された。
「まことに芝居だったのでござろうか」
 老臣たちは、往年の信虎を覚えていた。
 それはまさに、猛る暴君と称すべき恐ろしさであった。三〇数年経っても、その恐怖を忘れることなど出来ない。
「しかし、いまは先々代様として、御隠居という立場には違いない。ましてや当主に迎えるでもなし、齢も八〇を越えておろう。どうだろうか、もういいのではないか。帰国を叶えて差し上げること、温情は大事ではあるまいか」
 一条信龍は涼しげに呟いた。
 このことに、多くの者が異を唱えた。暴君再来が芝居だとしても、彼らにとって信虎は、今なお心に刻まれし〈猛る恐怖〉なのである。ならばと、信龍は高遠城までお迎えし、勝頼を筆頭に、主だった者だけで面会をすればどうかと説いた。
 それならば、信虎の心底も見られよう。
 暴君か、老境の寂しさか。それならばと、渋々、一同は面会に応じることとした。
「ところで、四郎殿の側近衆は、このことを握り潰してきたようだが?」
「いかにも」
「誰だ」
「察するに釣閑斎かと」
「我らが思うに、不忠の臣を排斥すべきと思うが、如何?」
 逍遙軒が声を荒げた。
 同調する者が多いなか、穴山信君が制した。
「揉み消しが露呈しただけで、四郎殿にとっては充分に恥ずかしい。自尊心に過ぎる者を追い込むと、意固地になって余計に始末が悪い。そこには触れぬ方がよろしい」
 大人の正論だ。
 逍遙軒は首を竦めた。勝頼のもとへ参じたのは穴山信君と山縣昌景である。両名からの申し出に勝頼は驚き、信虎は府中にお迎えすべきではと口にした。勝頼は信虎に対する甲斐国人の心情を理解していなかった。そのところから懇切に穴山信君は説いた。ようやく勝頼も合点し、高遠での会見も承知した。
 東美濃の戦果が、些か勝頼の心に寛大さを持たせていたようだ。勝頼の口から側近衆にこのことを布告すると、彼らは揉み消しを謝罪するとともに
「御譜代と先々代様を親しくさせてはなりませぬ」
と捲し立てた。
「どういうことか」
「されば」
と、長坂釣閑斎が前に出た。
「先々代様が武田に復権したならば、次代に要らざる口出しもあろうかと」
 即ち信虎の婿や近い一族から、あらためて棟梁を選出しかねないというのだ。馬鹿馬鹿しいと笑う勝頼を、釣閑斎は必死で説得した。勝頼が失脚したら、側近衆の立場も危うくなる。この本音を隠して、釣閑斎は面倒臭い言葉を捲し立てて、勝頼を辟易させた。
「とにかく、高遠城まで先々代様を迎える」
 異存ないなという言葉に、反論する者はなかった。
「されば、迎えの者を京に差し向けよ」
「はい」
 武田の長として、世間に恥は掻きたくない。勝頼の自尊心は大きかった。
 ところが、信虎は京で待ってはいなかった。逍遙軒に申し入れたのち、すぐにでもと、甲斐に向け出立をしたというのである。勝頼が発した使者は、岩村城で信虎と合した。
「よいよい」
 信虎は上機嫌だ。
 片や秋山信友は、信虎とは直接面識を持ったことがない。噂に聞く暴君ということで、丁寧な饗応に徹した。迎えが来るまでは、どうにも生きた心地がしなかった。
「当方は国境の城にて動くこと能いませぬ。出来る限りの護衛を付けますゆえ、これにてご容赦ください」
 秋山信友の言葉を信虎は遮った。
「城代とはこういうときのためにある。そなたも一緒に来い」
 信虎はにじり寄った。
「御役目を果たしたく候」
「どうしてもか!」
「は!」
 すると、信虎はにっこりと笑った。
「それでよい」
 試されたのだと、秋山信友は気がついた。
 信虎は老いても聡明な将だった。さすがは信玄の父だと、秋山信友は恐れ入った。
安房峠から伊那谷に入ると、景色はぐっと広い視界となった。信虎が高遠城に入ると、勝頼と御親類衆ならびに宿老が出迎えた。
「これはこれは、そなたが四郎殿か」
「お初にござります」
「そうじゃな、儂は太郎と次郎しか孫を知らぬ。そなたに会えて嬉しいぞ」
「先々代様には益々御壮健の由。されど道中、まことにお疲れのことと存じます」
 まずはゆるりと為されと、風呂が用意された。寒風で冷たくなっていた信虎には、最高の馳走だった。心利いた女衆が背中を流すため傍らに控えた。女衆は間諜であるから、信虎の所作や体躯を冷静に見計った。八〇過ぎの年寄りと思えぬ引き締まった身体は、五〇と云っても通じる程だ。何より脈打つ陰茎の艶やかさは、衰えがない。
「おんな」
 信虎が呼んだ。
「儂は甲斐では嫌われておるだろうな」
「おそれいります」
「嫌われているから無駄に長生きした。長く生きてもいいことはあるまい。だから、甲斐に戻ってから死ぬつもりずら」
 女衆は返事に窮した。
 どう応えていいやら。信虎も返事を望んでいない。充分暖まると、ざんぶと湯殿を出た。真新しい褌を締め、香を焚きしめた着物に袖を通すと、妙に若返ったような心地で、信虎は薄ら笑みを浮かべた。案内された場は高遠城本丸の大広間だった。
 勝頼から上座を勧められた信虎は、これを固辞した。
「四郎殿より高い座ではよろしくない。せめて同格に」
 しかたなく勝頼も上座に赴き、並んで座した。
「先々代様の見知らぬ者ばかりですが、今の武田家を支える者たちにて」
 武田逍遙軒信綱がひとり一人の名を挙げ、紹介した。御親類衆の紹介が終わり、重臣宿老が紹介された。その間、信虎はじっとしていた。
 一頻りの紹介が終わると、信虎は勝頼をみた。
「いつまで高遠にいればよい。いつになれば甲斐へ戻れるか」
 勝頼は即答に窮した。
 逍遙軒をみたが目を逸らされ、やむなく長坂釣閑斎をみた。
「温くなるまでは高遠で御静養なされますよう……」
 云うや否や、信虎の表情が険しくなり、脇息を勢いよく投げつけた。
「儂は四郎殿に尋ねておるのだ。控えておれ、下郎!」
 その声の張りに、居並ぶ者どもは暴君の逆鱗を恐れた。勝頼は即座に言葉を継いだ。
「いまは甲斐国に戻れませぬ。高遠城代である叔父・逍遙軒の采配に一任しますゆえ、ここにてお過ごし下され。やがては風向きも変わることでしょう」
「いつだ。それはいつだ!」
「先ずは、お平らかに」
 勝頼は座を立った。
 御親類衆・宿老も立った。そして、信虎は離れの一庵に案内された。この会見は勝頼の判断で打ち切ったが、御親類衆のなかには疑問視する者も少なくなかった。単純に長坂釣閑斎の面目を守るための、勝頼の軽挙ではあるまいかと、強く指摘する者もいた。その声を挙げた一人である穴山信君は、一同が散開してすぐに、小山田信茂ともども、逍遙軒を介して内々に信虎と接した。
 信虎は穏やかな表情で、彼らに応じた。
 四方山な話をしている間に、あっと、信虎は顔を上げた。
「お前の顔を覚えている。たしか、飯富兵部と駿府に来た者だ。あと一人、若いのもいた。そうだろう?」
「ご明察もとおりです」
 あれは一〇年も前のことだ。信虎の頭脳が衰えていない証といえよう。
「郡内の小山田か。出羽守は、お前の親父か」
「はい」
「こんな倅がいたとは、知らなんだ」
「恐れ入ります」
 信虎には暴君の翳りはない。むしろ聡明な頭脳を温存していた。
 勝頼よりも、よほど当主らしいと思いつつ、信茂はその言葉を飲み込んだ。
「先々代様」
 穴山信君が身を乗り出した。
「先々代様の目には、いまの武田の主従が如何に映りましょうや」
「……」
「先代様の御苦労も、当代には分からぬことも多し。ただ戦さに長けるばかりで、用いる臣も危ういところあり」
 信虎は右手を上げて言葉を制した。
「これ以上、申すに及ばず」
 信虎は溜息を吐いた。そして、武田もこれにて終いなりと呟いた。
 その真意は遂に口にすることなく、穴山信君と小山田信茂は座を退いた。その後は逍遙軒が真意を探ることとなったが、とうとう、信虎はそのことを明かさなかった。
「父上のご真意は、凡徒にわかりませぬ」
「知らぬが幸せであろう」
「障りがあるならば」
「当主を追うことは、儂だけで終いとするべし」
 画才に優れた逍遙軒は、晩年の信虎像を描いている。それは、このとき高遠城で描かれたものだ。
 逍遥軒は龍宝を甲斐から呼んだ。赤子の頃に信虎は龍宝を抱いたことがある。盲であることが残念だと、信虎は悲しそうに笑った。
 逍遥軒滞在中、高遠城で信虎の身辺を世話したのは、小笠原慶庵だった。小笠原慶庵は密命を帯びていた。その密命を果たしたのは、さほどの間もあかぬ頃だった。
 逍遥軒の絵が書き終わる頃、信虎が急逝した。
「あんなに達者と思われた御方がなあ」
 逍遙軒からの報せに、勝頼は眉を顰めながら
「厭なことだ」
と呟いた。傍らの長坂釣閑斎は、これでよかったのだと連呼した。
「先々代様と御親類衆が結託したら、当代様の地位が危うくなります」
「……」
「これは天佑でしょう」
「無礼だぞ、釣閑斎」
「はて」
「ご苦労の多い御方と聞いた。せめて、甲斐で安んじた最期を迎えて欲しかった」
 勝頼は、信虎に同情的だった。
「父もそうだが、武田の当主とは、いい死に方が出来ぬのかもなあ。儂も、いい死に方が出来ぬのだろう」
「滅多なことを!」
 勝頼は信虎に対する先入観がない。むしろ、素直な思いで、一族統括の助力を祖父からに求めたかったのだ。それだけに、落胆する思いは隠せなかった。
 信虎の死因は秘匿された。
 それが要らざる憶測を呼んだ。その何れもが、よからぬものばかりだった。長坂釣閑斎の指図で暗殺に及んだことは、誰も知らない。
 実行犯である小笠原慶庵も始末された。
 このことの真相は、闇に葬られた。


                  三


 四月一二日、信茂は河口御師・猿屋石見守に諸役等を免許した。桃陽に内政指南を仰いでいたことが功を奏し、この頃の国中よりも、郡内の景気は比較的安定していた。ただし度重なる出兵が、せっかくの景気に水を差すのである。
 猿屋石見守の諸役免許は、桃陽に助成したことの感謝の形だった。吉田御師だけではなく、信茂は河口御師へも広い目配りをし、これはという機を逃すことなく、このように飴と鞭を上手に用いた。
「儂には出来なかったことを、平然としてのける。ゆえに、当たり前のように皆も従う。不思議なことずら」
 桃陽はそういって笑った。
「弥三郎殿は優しすぎたのじゃ。儂は細かいことなんか、考えてねえし」
「そういうところが、こういう結果になるんじゃろ」
「褒めてんのか、詰ってんのか」
「どっちもじゃ」
 桃陽はそう云って、また笑った。
 僧形になってからの彼は、以前より表情が柔らかく、こうしてよく笑った。弥三郎信有の頃には、決して見ることのなかった表情だ。ゆえに、誰にも桃陽の正体が露見しないのである。
「ところで、吉田宿からの不服はねえか?」
「んにゃ。ねえずら」
「新宿の使い勝手が、きっといいんじゃな。あれから、雪しろはどうだろか」
「とりあえずは濠から川に流れるようで、問題はねえずら。おかげで去年は、大きい雪しろの被害も、出ねえで済んだようじゃ」
 それはよかったと、桃陽は笑った。
 天災は人智を超えるものゆえ、備えても限りはない。それでも最善を尽くすのが人間というものだ。今のところ無事ということは、結構な話である。信茂は歴代当主が谷村や中津森に重きをおいて、郡内各地へ足を運ばなかったことを重視した。だから、時間の許す限り、支配領の境までも赴くようにした。領主の顔がみえることは、領民の安心にもつながった。
「谷村様、うちの畑の芋をぜひ」
 芋は年貢の対象外だ。保存できないものは、すべて領民の口に入る。
「おう、うまそうだ」
 無防備に領民に接しながら、例えばこの芋のことだけでも、彼らの暮らし向きが洞察できる。明け透けに質せば彼らも身構えるが、こういう接し方で、聞かずとも知ることが出来る。これも〈孫子〉の応用だ。
「お前んとこの蓑は、高く売れそうだな」
「へえ、綺麗な藁をよく売りに来る商人がおるだ」
「へえ」
 こういう話のあとは、決まって人を張りつかせる。その商人の素性を探るのが目的だ。おおよそ徒労であるが、稀に他国の乱波であることを突き止め、国境で捕えることもあった。つまりは、ただの散歩は有効な内政掌握術になる。
 特に気を揉んだのは、吉田から河口あたりだ。
 富士の山開きまで間がある。端境期ゆえ、気がつくことは知っておきたかった。それほどまでに、実は軍費で頭が痛いのである。
 信茂からみて、間違いなく、勝頼は経済のことに疎い。殊、銭の流通については、無関心と云ってよい。これは貨幣の実情を知る者が、武田家の中枢に少ないという意味だ。生前の信玄はこれを意識し、近習や近臣にこのことをよく語った。時には堺や石山本願寺へ使いと称して、直接感じるよう奨励した。こういう者たちを中心に、信玄が秘密裏に〈兵農分離〉の構想を練らせていたことを、信茂は耳にしていた。義信事件より一〇年、信玄が存命ならば、清水湊を商工業地帯に発展させただろうことは、想像に易い。これこそ、兵農分離の布石だった。
 勝頼がこれに疎いのは、まずそういう知識層を遠ざけ、高遠以来の気儘を許してくれる者ばかりを侍らせた為だ。東美濃攻略ののち、勝頼は真っ先に、清水湊の軍備増強ばかりを叫んでいる。それはそれでいいのだが、肝心の内政については一向に顧みない。
 これでは、身が細る。
 生産のない消費は、戦勝による搾取で支えられていた。が、この補填は経済に長けた家臣団の努力でようやく維持されていた。小山田信茂もその一人だった。信茂は銭の流通を富士信仰より学んだ。同じく穴山信君は身延信仰で学んだ。蔵前衆は金銀採掘の限界を知り、地方(ぢがた)による技術を用いた土地改良を声に出していた。
 とにかく表に出ない部分で、甲斐は経済的に厳しい状況だった。
 これが現実だ。
 勝頼はそれを知らず、また、寄る者たちは耳障りなことを語らず、機嫌を伺う甘言に徹した。いいことが、あるはずもない。盲目な棟梁として、勝頼はいよいよ軍費を消費した。
 五月一二日、勝頼は自ら出陣し、高天神城を囲んだ。遠江を制すなら高天神を制すべしと謳われるこの天嶮の要害は、かつて武田信玄をして攻略を断念させたものである。勝頼は父を超える明確な目標として、この高天神城攻略にこだわり続けた。
 高天神攻略に賭ける武田勢の勢いは凄まじく、徳川家康は再三の援軍要請を織田信長に発した。信玄亡きあとも、一騎当千の武将が連なる武田勢である。直接対決することは損耗を意味し、信長はこれを避けた。
 援軍もないまま、六月一七日、高天神城は落ちた。
 信玄以上の武威を態度で示した勝頼は、絶頂のなかにいた。有頂天を隠せずにいた。それを諌める近臣は、近くにいなかった。安部勝宝がちくりと諌言したが、それくらいでは効き目などない。御親類衆は忸怩たる思いであったが、逍遥軒の敗戦以来、厳しい言葉が云えない状態が続いていた。
 こういうときこそ、慢心を諌める自制が必要だった。
 が、勝頼はそれが出来る人間ではない
「困ったものだ」
 谷村まで愚痴を溢しに来たのが、穴山信君だった。御親類衆筆頭となった重責や、勝頼を立てねばならぬ建前。本音を云えぬ立場の信君は、こうして谷村まで来ることで、腹蔵なく吐き出すことが出来た。信茂に対する信頼があればこそだ。
「先代様の築いたものを次に繋ぐことが大事にて、それは誰にも出来ることではねえ。左衛門大夫殿の御役ずら」
 信茂は宥めるように諭した。
 信君は少しだけ安んじて預かり地へ帰った。入れ違いのように、御親類衆が信茂を訊ね、似たような愚痴を溢していった。宿老たちもきた。
「なんでわざわざ谷村まで来て、愚痴をこぼすものやら」
 信茂は首を傾げた。
 そのうち信玄子飼いだった者もやってきた。真田源太左衛門尉信綱だ。父の一徳斎が亡くなったのは、高天神攻略中の五月一九日。四九日が明けて、ようよう外に出た信綱は、どことなく疲れた面相だった。
「弔問のときは弟の(武藤)喜兵衛が細かいところまで気付いてくれるので、実に助かった。今さらであるが、家督を継ぐ重みを、実感してござる」
「一徳斎殿には、戸石のことも含めて、生前、ほんに世話になったずら。にも関わらず、北条との取次が重なり、弔問にも行けず、申し訳ないずら」
「いやいや、弔問の御使……たしか奥秋加賀守(房吉)殿だったかのう。御配慮に感服したでよう。さすが弥五郎殿の家中だわ」
「儂よりもしっかりした男を差し向けたずら」
「道理で」
 信綱は思わず大笑いした。
 父が死んで以来、久しぶりの大笑いだった。こういう心地にしてくれる信茂という存在が、有難かった。これはまさしく、天賦だった。
「父を継いで西上野に腰を据えておるが、北条領との境は難しい。こういう駆引きは弥五郎に聞くのがいいかと」
「参考にはなんねえよ。たまたま滝山城を叩いて、警戒されるくらいの距離を置かれているだけずら」
「そこじゃ。父もそこは手堅かった。代替わりで、どうも空気が変だわ」
「気のせいでは?」
「在地の者は、何やら試すような目で、儂のことをみる」
「応えてやりゃあいいずら。源太殿は武辺で知られた者ゆえ、上杉との戦いでは身分を問わず功ある者を取り立てると触れりゃあ、誰でもやる気になるし」
「なるほど」
 信綱は頷いた。噂で聞く、信茂の人使いの妙を垣間見た心地だった。
 こういう手合いの訪問者が、この時期、妙な程多くなり、信茂は谷村から動くことが出来なかった。ついつい勝沼大善寺まで逃げるように足を伸ばしたのも、一人になりたいという一心だけだった。
 大善寺には想い出がある。
 あの勧進能は遠い昔のことだった。あの日があったから、いまの自分がある。
「よう、弥五郎」
 声がした。土屋右衛門尉昌続と大蔵新之丞だ。
「またお前等か」
「ここにおまんが来そうな気がしたのら。いやいや、いい勘だろ、新之丞」
「まことに」
 大蔵新之丞は、今や昌続の家老のような側近だ。誰からも猿楽上がりよと馬鹿にされぬよう、昌続は生前に信玄から許可を得て土屋姓を与えた。だから、正しくは土屋新之丞と名乗っていた。
「新之丞のところに藤十郎から内情が届いてなぁ。金山も採掘が厳しいようだし」
「金脈が枯れそうなのか?」
「無駄使いが多くて、間に合わないんだと」
「ああ、戦さの出費な」
「先代様も浪費されたが、主に調略だわ。寝返らせて服属すりゃあ、そこから回収も出来るでよう。こういう使途は、無駄使いにはならん。しかし、当代様は調略より制圧を好むからな。使った金も人も、損なわれっ放しずら」
 土屋昌続は冨士御師を通じて房甲同盟に関わった男だ。海に精通する安房の里見義堯・義弘父子とも面識がある。
 海は交易の場である。
 営利が伴えば敵地とだって、したたかに商いをする。それゆえ生産以外に経済を廻すという術を知る、数少ない武田重臣の一人だった。
「当代様をしょうずける(諫める)者がいりゃあのう」
 新之丞が呟いた。
「せいぜいまともな側近衆は五郎左衛門(阿部勝宝)殿くらいじゃ。その言葉さえ、心に届くまいて」
 信茂の言葉に、新之丞は溜息を吐いた。
「修理(内藤昌秀)殿は佞臣の言に耳を貸すなかれと訴えたことがある。そんときは、ええから加減なことを云っちょうし。そぜえた(ふざけた)こんずら」
「佞臣?」
「大炊介と釣閑斎だっちゅうこんずら」
 二人の評判は、穴山信君からも悪しく耳にしている。
しかし、跡部勝資がしていることは、信玄存命中から大して変わりがない。かつて駒井高白斎がしていた調整役を、勝頼の代で彼が同じようにやっているだけだ。恐らく勝資は私情を交えず、勝頼の決断に従っているのだろう。
 むしろ問題があるのは、長坂釣閑斎だ。釣閑斎は早くから勝頼の側役に付けられた。しかし、幼少から従う者たちよりも遅れた分、何かと意見の云えない立場だった。しかも義信側近衆には従弟・長坂清四郎勝繁がいたから、居心地も悪かった。義信事件ののちは勝頼の我が儘を叶えることに邁進して、ようやく信頼を得た。勝頼こそ武田の後継者と定まったからには、同輩に嫌われることも厭わなかった。
 勝頼の性格が歪んだのは、この教育課程こそ原因だ。
「釣閑斎のことは皆で考えりゃあいい。されど大炊介は辛い立場ゆえ、皆も耳を傾けてやればいいずら」
 信茂は静かに呟いた。
 土屋昌続は深く息を吐いた。安堵のような呼吸だ。
「おまんは当代様の理解者になれるかもな」
「ん?」
「当代様とて我が儘でいられねえこんは、もう知ってるし。宿老との溝を埋める調整は、とても跡部・長坂に任せられん。実はのう、儂はおまんを連れてこうしと、当代様に命じられておったずら」
「ごっちょ(面倒)なこんずらな」
「当代様はな、宿老との調整をおまんに頼みたいのじゃ。しかし、宿老と同じこんを考えてたら、無駄になんからな」
「よたっくち(余計なこと)させたな」
「弥五郎、頼む」
「仕方ねえずら」
 信茂は、こういう面倒臭い事の運びが嫌いだった。命令と感情の板挟みで苦しむ土屋昌続の気持など、勝頼は少しも考えていないのだろう。本当なら、背を向けたいくらいだ。
が、そうなっては、昌続を益々困らせることとなるだろう。
「平八郎」
「ん?」
「暫くは戦さもしたくねえもんだ」
「そうだよな」
 信茂は大善寺の坊主を呼ぶと、谷村への使いを頼んだ。家中に内緒で勝沼まで出てきたのだから、失踪で大騒ぎにされたくない。
「躑躅ヶ崎に行くので、案ずるなと伝えてくれ」
「心得ました」
 信茂は土屋昌続等と府中へ馬を奔らせた。躑躅ヶ崎館に着いたのは、薄暮の少し前だった。取次の者に何事か伝えると
「行こう」
 土屋昌続が信茂を促した。二人は真っ直ぐと、大広間へ赴いた。程なく、勝頼が早足で現れた。挨拶もそこそこに、勝頼は疲れたように腰を下ろした。
「人払いをしている。大炊介も釣閑斎もおらぬ。兵衛尉、無礼講で本音を語りたい」
「当代様に無礼講などと」
「生前、父上はおっしゃった。困ったときは小山田弥五郎の知恵に縋るべしと」
「それこそ、先代様の戯れ言」
「陽の目のない妾腹の子が、いきなり高いところへ引き出された。その高いところに置いときながら、誰もが汚らわしそうな目を傾ける。勝手なもんじゃ。何かにつけて先代を引き合いにする。その模倣を要求する。何がどうあれ一国の主となったからには、思う儘にやりてえ。父上みてえに、思い通りに軍勢を動かしたいのじゃ」
 くくくと、信茂は笑った。
 無礼講ゆえと口上したうえで
「ガキじゃ」
 信茂は臆せず吐き捨てた。
「先代様は思う儘に軍を配ったことなどねえずら。常に合議を重んじ、損耗より実入りを大事とし、慢心を戒める御方であった。思い違いも甚だしい」
「小田原攻めにあたり、兵衛尉は別動を任された。その兵配りは父の命令であろう?」
「策を重ねた共謀の賜なり」
「三方原の策とて、父の胸の中で練られたものかと」
「それも軍議」
「川中島で……」
「すべて最良の策を、皆と練ったゆえ」
 馬鹿なと、勝頼は呟いた。
 甲斐の民は信玄を讃えるが、それは百戦錬磨の知将ゆえという、信仰にも似ていた。勝頼がそれを超えるためには、更なる軍才を磨くしかない。
「軍を用いるときは、あくまで勝機を見出したときのみ。事前の調略で洞にしてから動くのが、先代様の方針なり。それも、多くの声を聞いて判断したこと」
「いや、嘘じゃ。父上の軍才を凌ぐ者がいたら困るのだろう?勝ち続けることへの悋気に相違ねえら」
 呆れたように、信茂は苦笑した。
「平八郎、これが当代様の思慮か?」
「ああ」
「これでは軍資ばかりで国は富まぬ。おまんの云うとおりずら」
 どういう意味かと、勝頼は質した。
 戦さは浪費であり、それが生産を上回れば、確実に国は細っていく。そのようなことも知らずに軍才とは、聞いて呆れる。信茂は容赦なく現実を突きつけたが、勝頼は実感が薄かった。
「そういうことを、大炊介は教えてくれなかった」
「五郎左衛門(阿部勝宝)殿は、ずっと云っていた筈」
「聞いてはおらぬ」
「人の話を聞かぬからでは?」
 勝頼は顔を顰めた。
 図星ではあるが、一々そのことを的確に指す信茂の思慮が、忌々しかった。しかし、信茂は涼しい顔だ。知っていて惚けているとしたら、何とも嫌味なことだろうかと、勝頼は睨んだ。
「孫子の兵法は、戦わずして勝つことを定法として候。それが先代様の信条であり、軍旗の真意でござる」
「違う、あれは武田の戦さを体現したもの。火のように侵し風のように攻めるという、武田の戦意じゃ」
「一度は孫子を、正面から学びなされ」
 信茂は一礼した。
 辞する態度に、勝頼は待てと制した。御親類衆や宿老を支配することは如何にすべきかと、偽らざる心境を吐いた。これが勝頼の本音だった。
 信茂は笑った。
 微笑のようにも、苦笑にも見て取れた。
「孫子曰く、凡そ兵を用ふるの法、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。是の故に百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦はずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」
「はぁ?」
「このこと、左衛門大夫(穴山信君)殿と馬場美濃殿によくよく伺い、教えを求めるべし。願わくば、よく声を耳にして、その言葉に従う器となるべし。されば人は寄ることもあると心得たし」
 難しい言葉だ。
 勝頼は焦れたように、信茂を睨んだ。その表情は、まさに駄々っ子である。

 信茂が残したこの言葉は、宿老との融和を誘う一手だった。
 しかし勝頼は、それを実施しなかった。
 このことが、取り返しのつかぬ損壊を招くことを、勝頼自身、気がついていない。
人は勝っているときこそ謙虚になるべきだ。
若い勝頼はそれを知らない。
 かつて信玄自身も、上田原で若気の挫折を体現した。そのときは人材を全て失うこともなく、武田家の屋台骨を揺るがすに至らなかった。しかし、人材を損なえば、何物であろうと取り返しがつかぬ。
 その瞬間は、目前に迫っていた。
                               つづく
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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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