第21話「皐月の長篠(四)」

文字数 4,500文字

皐月の長篠(四)


                  一


 六月一日夕刻、小山田勢は府中の小山田屋敷に辿り着いた。
「生きて戻って、よかったな」
 桃陽自らが屋敷前で出迎えた。郡内にも散々な風聞が伝わり、なかには信茂討死にと伝わるものもあった。生きた心地がしなかっただけに、桃陽は破顔を隠せない。
「御坊には、心配をかけ申した」
 対外的に他人行儀な物云いをしたが、桃陽には、兄弟の想いは充分に伝わっていた。
「まずは湯を湧かしたずら。怪我してるもんは、直ぐに井戸で疵を洗え。そうでないもんは垢を落とせ」
 桃陽の言葉に諸将は歓声を挙げた。
 女どもが大鍋で〈ほうとう〉を作っている。生き延びた安堵感で、誰もが空腹を覚えていた。湯より飯だという者は、次々と椀を手にした。〈ほうとう〉の歴史は奈良時代の〈餺飥(はくたく)〉の音便化といわれる。中国陝西省では〈餛飩(ほうとう)〉と発音するワンタンがある。戦国当時の〈ほうとう〉は、麺ではなくこちらに近い。恐らくは、すいとんのような物だろうか。
 ようやく兵の表情から緊張感が落ち、信茂は微笑んだ。
「あとのことは、大老名に任せる」
 微笑みを絶やさず、信茂は小山田弾正有誠に全てを託した。
「どちらへ?」
「当代様に、帰着の報告をする」
 信茂は身支度を整えると、供もなしで躑躅ヶ崎館に赴いた。
 勝頼の面前には、春日虎綱がいた。虎綱は敗軍の見窄らしさを見せぬため、色々と腐心したのである。その労苦は易いことではあるまい。
「よう戻ったな」
 勝頼は一〇も老けたような表情だ。
 生きて戻った者は他にいないものかと、信茂は虎綱に質した。
「兵庫助殿と望月左衛門尉(信永)殿を除く御親類衆は、皆無事という報せじゃ」
「左衛門尉殿は、いかがされたか?」
「道に迷い、奥三河の園村で、落ち武者狩りに遭うたずら」
「おいたわしや」
「おまんだって危なかっただろう。儂は、案じたぞ」
「かたじけないずら」
 まずは武田家の立て直しこそが、急務だった。
 春日虎綱の入手した主な戦死者は次のとおりだ。
 馬場信春・山縣昌景・内藤昌秀・原昌胤・真田信綱・真田昌輝・土屋昌続・横田康景・三枝昌貞・甘利信康・小山田昌行・米倉重継・多田新蔵……。まだ判明しないだけで、これから名が挙がるかもしれぬ。その殆どが、信玄に薫陶された知将ばかりだ。
 これは、敗戦という一言で済まされるものではない。
「左衛門大夫(穴山信君)殿は?」
「江尻へ逃れた。典厩(武田信豊)殿は海津城に預かっている」
「ならば、よかった」
「なにがよかったのだ」
 不愉快そうに、春日虎綱は吐き捨てた。両名は勝頼を見捨て、真っ先に戦場を離脱したと聞いたばかりだ。戦線はそこから崩れたのだとも聞き、再建策を献じたばかりだった。

一 北条と共同のため駿河遠江を割譲し甲信上州のみ確保する
一 北条氏政の血縁を正室に迎え同盟堅固に努めること
一 木曽義昌を上野国に移し小幡信貞を木曽に移すこと
一 山縣・馬場・内藤の子等を奥近習とすること
一 敗戦責任者である穴山信君・武田信豊を切腹させること

 その再建策に、信茂は首を傾げた。
「切腹?」
「当代を見捨てて戦線離脱したから、未曽有の敗退となったのだ。責任は重い」
「いや、それは違う!」
 信茂は両者の行動を、退路を切り開くためだと弁明した。
 勝頼が全軍に撤退を発する機を逸したゆえ、独断でやらざるを得なかったのだとも訴えた。それがなくば、もっと被害が出たことだろう。
「川を渡るときに申した筈。御親類衆が退路を確保してくれたと、間違いござらぬな?」
 信茂は忌々しい口調で、勝頼に念を押した。
「すると、儂が聞いたことは」
「でまかせずら。少しでも弾正殿に見栄を張りたかったのじゃろ」
 詰るような目で、虎綱は勝頼をみた。
「仕方あるまい」
「何をいうか」
「結果的には、儂へ楯突いた。そのことだけは、変わらぬ。そうであろう、おまんもだ小山田」
 勝頼は開き直っていた。
 何もかもが、思い通りにならぬ浅慮。それは邪魔だてした宿老の所為でもある。そう云いたいのだ。
 この期に及んで、顧みる性根もない。
 信茂は立ち上がると、勝頼の面前に立った。
「弥五郎、ひかえよ」
 ただならぬ気配に、春日虎綱が制した。が、信茂は聞かずに、じっと勝頼を見下ろした。
「儂は云うたはずじゃ。孫子くらい読むか、人の講義を受けよ。先代よりの宿老と、しっかり語り合えと。何も自分から努力もしっかねーじゃん(していない)。その怠慢が、取り返しのつかぬ人材を失うたずら。すべて、おまんが殺した」
 そう云うや否や、突然、握り拳で勝頼を殴り倒した。
「弥五郎!」
 春日虎綱が羽交い締めにした。
 しかし、気持は解らぬでもない。勝頼も、誹りを甘んじて受けた。反論できる立場ではなかった。そういう無様と保身の結果は、紛れもない事実だった。
「何の音か!」
 跡部勝資と長坂釣閑斎が駆け込んできた。
 信茂の無礼と察し、控えよと、釣閑斎は声高に叫んだ。
「だまらっしゃい!長篠の戦場におらぬ者に、指図は受けぬ」
 その剣幕に気圧されて、釣閑斎は後ずさりした。
「暫く。儂は長篠にいたぞ。前線のことも知る。兵衛尉殿の無念は痛い程分かるが、御館様を殴る家臣は余所におろうか。このこと、厳罰ものであるぞ」
 跡部勝資は宥めるように諭した。
「勘違いするなかれ。この拳は我が物にあらず。死んだ多くの者に代わりて、采配の覚悟なき無様を叱ったまで」
「仮にそうだとしても、御館様に手を上げるとは何事だ」
 跡部勝資はこのとき〈御館様〉という呼称を用いていた。自然な言葉で、すぐに気付かなかったが
「宿老亡きあとでは、白々しいぞ、大炊介殿」
 春日虎綱がじろりと一瞥した。
「やめよ。兵衛尉の気持を儂は汲もう。もはや見栄も意地もいらぬ。武田の御家はかくも重い。重さを分かち合う者を頼りにしたいのだ」
 勝頼は信茂を許し、あらためて家臣団を再編成する急務を口にした。
「大炊介と釣閑斎に、案はないか」
「いや、すぐには」
 両者は口籠った。
「兵衛尉、如何に?」
 勝頼は信茂をみた。
 信茂はすっと腰を下ろし、両拳をついて頭を下げた。
「宿老の子弟を引上げ、然るべき肩書きを与え給え。肩書きが人を育てるもんずら。子が幼く任に堪え難い際は、その家老職を引上げ、任の代行をさせるべし。一族絶えし場合は縁戚を以て再興するべきかと存ず」
「承知した」
 その即答は、先に申告した春日虎綱の条項と一致する。
「そのうえで」
 信茂は穴山信君を駿府に据える進言をした。無断撤退が誤解である以上、春日虎綱にも異存はない。北条から正室を迎える交渉も必要だ。これは取次である信茂の仕事となる。
「されば、これにて」
 信茂は席を立った。
 忙しいなという春日虎綱の問いに
「当家も無疵ではござらぬ。負け戦さは、何かと人心が乱れるもんずら。ただちに遺族を宥めることも、大事な務めゆえ」
 勝頼には耳が痛い言葉だった。


                  二


 長篠合戦における小山田勢の死者は明瞭ではない。郡内の動員数は三二〇〇、うち一〇〇〇が討たれたという説もある。討たれたというより、退却の途で力尽きた者こそ多かったのかも知れない。
 兵の多くは百姓だ。
 その村々へ自ら赴き、信茂は頭を下げた。川中島のときでさえ、小山田家はここまでしていない。
「谷村様を責めることなど出来ねえずら」
 身内を失った地下人たちは信茂の誠意を素直に受け止めた。
 ここまでしてくれる当主を、誰が責められようか。一日懸かりで村々を廻った信茂は、谷村に着くと、疲れから直ぐに床に就いた。
 夜中、人の気配に目が覚めた。枕元に控えていたのは、あの山窩たちだ。
「おまんら、儂を殺しにきたか?」
 信茂は笑った。
 丸腰の今ならば、足掻くだけ無駄である。覚悟が定まれば、あとは笑うしかない。その底抜けの度胸に、山窩も微笑んだ。
「弥右衛門の子から抜けた。ぜひ使って欲しい」
「おいおい。おまんらの掟では、同族を裏切れば殺されるんじゃねえか?」
「弥右衛門の子は、同族を見下しているから厭だった。昼間、ずっとあんたを見ていた。上ナシじゃない生き方をするんなら、あんたを上にする方がいい」
 山窩たちは禄を貰うつもりはない、勝手に影働きするのだと云う。
 もう決心は代わるまい。信茂も観念した。何よりも郡内乱波は情報収集が得手だが、戦闘は苦手だから、有難い話だ。
「籠坂峠辺りを固めてくれたら、儂は嬉しい」
「任せてくれろ」
 北条とは同盟関係にあるが、長篠敗戦以後、それを反古にしかねぬ状況だった。甲斐の実体を北条氏政は探ろうとするだろう。その任に就くのは、風魔衆だ。山窩ならば、これと対峙できるに違いない。信茂はそう考えた。
 以後、山窩たちは、人知れず信茂の為だけに働いた。

 北条との取次に追われ、信茂は岩村城を巡る東美濃周辺の事態を知ることが疎かになっていた。長篠の敗戦は、そのときの痛手よりも、目に見えぬその後の方が大きかった。
 作手・田峯城の在番衆は開城し、信濃に退去するしかなかった。
 六月二五日、三河武節城が陥落した。この結果、武田は三河における一切の拠点を失ったのである。そのことで東美濃が孤立するのは、自然の結果といえよう。
 徳川勢への対応に追われた勝頼は、孤立する岩村城の存在を忘れた。
 織田勢が東美濃へと進出したのは、当然のことだった。岩村城の秋山信友は、甲斐からの援軍を強く求めた。
「伯耆守殿を見捨てたら、取り返しがつかぬものなり」
 このことを知った信茂は、ただちに出陣すべしと説いた。
 信茂の意見に、勝頼は消極的だった。いまは兵を集めることも困難だったし、采配達者な侍大将もいない。どうすることも出来ないと、繰り返すばかりだった。
「ならば急ぎ伊那へ退くよう、伯耆守殿に指図を」
 この決断さえ覚束ぬ有様だった。
 信茂に出来ることは、直ぐにでも援軍に発つという意を、武田信豊と連署で示すくらいだった。その意を示しても、現実に軍勢を整えることは難しかった。時間だけが浪費し、とうとう援軍もないまま、岩村城は開城された。
「弾正忠殿の叔母である以上、無体な真似はするまい」
 艶は毅然と降伏した。
 その期待は、すぐに裏切られた。
「稀代の間男と娼婦でや。逆さ磔にしてやらあず」
 信長の怒りは凄まじかった。
 武田へ抱いた恐怖の裏返しにも似た、報復といえよう。長良川畔へ三日三晩晒されたのち、両名は槍で突き殺された。その頃には意識すら定まらぬ二人である。
「面白くもねえ」
 信長はそう吐き捨てた。

 通説では、長篠合戦は武田の息の根を止めたものといわれる。
 一方で、直ぐに滅びず、若返りを試みて息を吹き返したという声もある。
 片や無能、片や名将。勝頼を評する声は紙一重だ。しかし、この敗戦による内政や財政の疲弊は疑うべくもない。
 結果として、拭い難い、むしろ修復不可能な疵を被ったことは、紛れもない現実だ。その点から云えば、人材や経済を浪費し致命的な〈何か〉を刻んだのが、この長篠合戦であった。
                               つづく
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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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