第20話「皐月の長篠(三)」

文字数 5,235文字

皐月の長篠(三)


                  一


 開戦して間もなく、勝頼は己の決断が全て失策であることを思い知らされた。
 頼りとしていた佐久間信盛は、一向に背信の動きをみせる気配もない。沼地のような田や畦道だ。武田の軍勢は、足を取られて思うように動けない。その兵たちを、遠弓や鉄砲が襲った。しっかりと打ち込まれた木杭柵は容易に倒すことも適わず、そこを長槍が攻め掛けてきた。
 勝頼は作戦を変え、退くと見せかけて柵の外へ敵兵をおびき出させた。多少の効果はあったが、それでも一方的な不利は覆すことが出来なかった。
 このときになって、勝頼は、大きな思い違いに気がついた。
 これは野戦ではない。
 織田・徳川の陣所は丘陵の立地を生かした、いわば城塞に等しい砦を模している。これを攻めるのは、城攻めに等しい。足場の悪い田畑は長大な沼堀に等しく、柵手前の連吾川は濠そのものだ。
「まだ間に合う、退くべし」
 穴山信君からの使番が再三駆け込んだ。
 これが信茂の使いだったら、勝頼も考えたかも知れない。しかし、御親類衆で鼻持ちならぬ信君になど、応じたくはない。
 勝頼は抵抗を覚えた。
 もし応じようものなら
「あのとき儂が指図したから、武田の今がある」
などと、事ある度に恩着せがましく云われるだろう。
 それは勝頼の被害妄想に過ぎない。この薄っぺらい自尊心のため、最後の機会を勝頼は逸しようとしていた。それは、無知と傲慢にほかならない。
 勝頼のこの狭量が、武田家の将来を決定づけた。

 開戦より一刻後、長篠城後方を抑え込んだ付城が奇襲された。鳶ヶ巣山の河窪信実が討たれたのである。この報せが達したのは、それから半刻後のことだ。そのころには付城群は壊滅状態で、奇襲を指揮した徳川家臣・酒井忠次は、長篠城の奥平貞昌と合流を果たししていた。
 これにより、武田勢は長篠城兵と織田・徳川連合軍に挟まれたのである。
 猪突のみで勝ち戦ばかりを重ねた勝頼は、劣勢を覆す経験も知恵もない。後退するか、前進して食い破るか、その決断すら迷った。将の判断が迷えば、兵も迷う。
 長篠合戦で強調される武田の劣勢。世の酷評は、これ以降のことを意味する。
「兵を退き、一丸となって信濃へ向かうべし」
 再度、穴山信君からの使番がきた。判断に迷う勝頼の脇に控える武藤喜兵衛は
「急ぎ、下知を!」
「……」
「諸将が刻を稼ぐ間に撤退を。当代がいては、皆は退くに退けませぬ!」
 勝頼は混乱し、言葉も出ない。このままでは、全滅する。
 武藤喜兵衛は意を決した。
「本陣を退く。各隊は臨機に応じ退路を確保し寒狭川を渡るべし」
 勝頼に代わって大声で号令した。
 この越権が責められたなら、あとで自分一人が腹を切ればよい。今は本陣を退くことが、多くの兵を生かすことに繋がる。しかし退却戦とは、古今東西、最も難易度が要求される。ましてや敵の包囲網を突破するのである。
 本陣を逃がすために時間を稼ごうと、名だたる武田の名将が、持てる軍才の全てを駆使した。
何よりも一斉に寒狭川を渡ることが出来ぬ以上、ここを死に場所と心得る者も少なくはなかった。
「あっ、穴山勢が本陣を差置き、兵を退いた!」
 勝頼は腹立たしげに叫んだ。
 しかし、これは間違いである。穴山信君は退路を確保するために、率先して兵を配ったのだ。勝頼の偏った心情が、本陣を差し置き、真っ先に逃げたのだと口走っただけである。穴山勢を支えるため、武田信豊や逍遙軒といった御親類衆が、名誉挽回のため続々と兵を繰り出した。勝頼は御親類衆が己を見捨てたのだという憤りを覚え、激昂した。
 寒狭川の渡河口に小山田信茂が控えていた。
「早く退くべし。御親類衆が退路を切り開いてござる」
 そう云われたとき、勝頼は浅ましい己の感情に気付き、恥じた。
「兵衛尉を頼れと云う父の言葉を忘れていた」
「逃れてから聞きましょう。儂も、それなりに文句を云いてえずら。こんなところで死ぬつもりはねえ」
 信茂は呻くように呟いた。
 その頃、主戦場では名だたる名将が、累々と屍を野に曝していた。鉄砲の射程を計りながら采配していた馬上の山縣昌景も、遂に銃弾に斃れた。長い間、徳川の諸将を震え上がらせた軍神の死を聞き、家康は思わず歓喜に咽び泣いた。まさに、恐怖から解放された瞬間だった。
 土屋昌続も新之丞ともども討たれた。
 真田信綱・昌輝兄弟も討たれた。
 内藤昌秀、原昌胤。信玄により見出され将才を研ぎ澄ませた漢たちが、次々と散っていった。
 延々、戦闘は八時間以上に及んだ。
 勝頼を逃がすため、殿として踏み留まった馬場信春が討たれてからは、一方的な追撃戦となった。
 織田信長は名だたる武田の名将が討ち取られた報を聞きながら、比類なき名将たちが無能の主君に率いられた憐れみさえ覚えていた。
 僅か三年前、死者たちは三方原で徳川家康を圧倒し、東美濃さえも伺っていた。
 もし、あのときに信玄が神坂峠を越えていたら、いまの信長はここにない。
「剥げ鼠はいるか?」
 そう呼ばれた小男が、信長の面前に控えた。
「おみゃあが信玄坊主を討たせたから、今がある」
 信長は低く呻いた。
「お望みとありゃあ、今度は四郎を討ってとらあず」
「やらいでか」
「は」
 剥げ鼠と呼ばれた小男は、牛倉の陣所へ戻ると、陣幕の外に控える者たちに勝頼の御級を狙えと命じた。それらが発つと、涼しい顔で崩れゆく武田の陣に目を細めた。

 勝頼は先ず陣の立て直しを試みた。
 先導したのは、田峰城主・菅沼新三郎定忠である。
「開門、開門」
 田峰城の門を叩いた菅沼定忠に対し、留守役を務める菅沼弥三右衛門定直や今泉道善は、これを拒絶した。長篠敗戦を知った以上、もしも勝頼が入城すれば、徳川から攻められることになる。いまの勝頼など、頼りにもならない。
 ここに至り、山家三方衆は徳川に寄る決心を固めた。
「武田に属す以上、殿も敵でござる」
 門の向こうから響く菅沼定直の声に、定忠は大声で怒りを露わにした。
 結局、勝頼は田峰城を去るしかなかった。段戸山中を通り、苦難の末にようやく武節城へと逃れた。幸い武田敗退の報がないものか、勝頼は一泊の安息を得た。供の者は交替で身辺警護に当たった。
「ここも、いつ敵地になるかわからぬ。油断怠るな」
 休息していながら、緊張感が張りつめた。
 その間に、後から合流する者がやってきた。一様に血塗れの彼らは、主君や同輩の形見を抱えていた。彼らは勝頼の随行者として同行するが、心の底では無様な大将への蔑視を隠せずにいた。
 武節城よりは伊那街道に入る。
 散り散りになり、追いついていない武田勢も多い。ひとまず彼らは、自力で甲斐や本領を目指すしかなかった。勝頼は菅沼定忠の他に、心利いた旗本等に支えられて先を進んだ。この旗本の中に武藤喜兵衛がいたことが、勝頼にとっての幸いだった。
 武藤喜兵衛は〈信玄の眼〉と呼ばれた才覚者であり、諸国の事情を知っていた。徳川の追っ手をかわしながら、ようやく熊谷直定の案内で、滝之澤城に入った。

 長篠敗戦の報せは海津城にも届いた。
 信州善光寺平まで届くということは、恐らく越後まで達しているだろう。
「こりゃあ、えれえこんだ」
 海津城主・春日弾正忠虎綱は、急ぎ旌旗・幟・武具を揃え、自ら兵三百騎を引き連れて滝之澤城で彼らを迎えた。
「ご苦労であった」
 春日虎綱は武藤喜兵衛の肩を叩いた。
「弾正忠様、かくなる仕儀となり候」
 武藤喜兵衛の報告に、春日虎綱は目を剥いた。
 散々たる有様だ。敗退などと、一言で片付けられるものではない。失われたものの多さに、思わず春日虎綱は顔を上げた。かつて川中島の会戦でも損失は大きかったが、今度はその比ではなかった。
「地下の先代様もお嘆きのことでしょう。さりとて負けたからこそ、当代をことさら惨めな様にしておけぬ。せめて凱旋を装い甲斐に戻られるべし」
 春日虎綱の、せめてもの情けだった。
 真新しい装いに身を包むと、あの敗戦が嘘のようにさえ思えた。それくらいの現実逃避が、勝頼に許される自由だった。
 滝之澤城で陣容を整えた勝頼は、こうして甲斐へ凱旋したのである。

 その勝頼を追う刺客がいた。
 それは、剥げ鼠と呼ばれた小男・弥右衛門の子に従う、山窩たちだ。山の民である彼らは、尋常為らざる脚力で勝頼を追った。
 その頃、小山田信茂も徳川の追っ手を撒きながら、滝之澤城まで三里半の根羽砦付近まできていた。
 信玄が死んだのは、この根羽だった。
 あれから三年。
 よもや同じ道を、異なる形で急ごうとは、思いも寄らぬことだった。
「早く甲斐へ帰ろっちょ。垢も落として、ゆっくら寝てえな」
 疲れを隠せぬ郎党を、信茂は励ました。敗走は、とにかく足にくる。足が重くなる。気力を失うと二度と立てなくなるし、命さえ落とした。
「猿みてぇずら」
 ふと、小山田八左衛門が頭上の木々を見上げて呟いた。人か猿か解らぬ何かが、頭上の尾根を走っていく。一瞬、胸騒ぎを覚えた信茂は
「武田四郎を見つけたぞぅ」
と大声を出した。
 猿のような輩は、足を止めた。
「投石、構え」
 信茂は彼の者等が勝頼を追う刺客と判断した。しかも、信玄を暗殺した者と同じ漂白民(わたり)に相違ない。投石部隊は足元より礫を拾った。猿のような連中が、こちらへ向かってきた。尋常ならざる早さだ。
「槍、構え」
 小山田勢は長篠で満足な戦闘をしていない。疲れてはいるものの、戦闘力は維持していた。だから士気は衰えていない。
 猿のような輩は、弥右衛門の子が放った山窩だ。
「投石放て」
 信茂の下知に、礫が一斉に放たれた。
 山窩は三人、うち二人が脳天を打たれて血を吹いた。残った一人は、慌てて引き返そうとした。そこに槍隊が素早く回り込んだ。木の上へ駆け上がろうとして、そこを礫が襲った。足を打たれて、山窩は倒れ落ちた。
「殺すな、生け捕りでいい」
 信茂は三人を捕縛すると、陣幕を張り、人払いのうえで詰問した。
 三人は訝しげに信茂を見上げた。
「血の半分は傀儡子ずら。似たよっちょもだあ(ようなものだ)」
 にこにこしながら、信茂は見下ろした。
「埒外が権力に結びつくのは、なえ(何故)ずら?」
 信茂は穏和な表情で語りかけた。
 山窩たちは戸惑いながら、弥右衛門の子の命令だと答えた。その弥右衛門の子とは何物だと、信茂は質した。そのことは三年前に〈イシ〉から聞いて、解らず終いだった。
「山窩の長・弥右衛門の子は、我ら同族の長。この者の命令に従うは道理」
「その弥右衛門の子は、傀儡子も支配してると聞いたことがある」
「側女が美濃傀儡子の長ゆえ」
「それほどの者が、なぜ上ナシを止める」
 山窩たちは言葉に迷ったようだ。
 このことを答えていいものか、それとも知らないのか。
「その弥右衛門の子が、今度は武田四郎を討てと云っただか?」
「……」
「もう隠せっかねえじゃんずら。誘いに乗ったしな」
「……」
 信茂はそれ以上、責めなかった。話題を変えた。
「上ナシの掟は、本当は守りてえのだよな。儂は埒外を捨ててこちらの側を選んだから、上アリが当然じゃ。おまんらの立場で上ナシは辛ぇよな」
「……辛ぇ」
 最後に捕らえられた山窩が呻いた。
 辛い、しかし長の命令は同族のしきたりだ、彼の呟きにはその意味が滲んでいた。他の二人も項垂れた。
「なら、転べばいいじゃん」
「しきたりに逆らえば、地の果てまで追われる」
「じゃあ、儂のところへ来るか?埒外を捨てればいい」
「出来ねえ」
 そうだよなと、信茂は苦笑いを浮かべた。
 そして、縄を解いた。驚いた表情の三人に、信茂は厳しい目で睨んだ。その目は武士の側の目だ。
「当代は大事な者ゆえ、今度襲うなら、遠慮なく殺すぞ」
「……」
「今は逃がしてやる。弥右衛門の子に伝えるがよい、二度は刺客を許さぬぞ」
「……」
「去れ」
 信茂は陣幕を開いた。外で警護する者たちは、あっと向いた。
「土地の猟師に手荒なこんをした。手出ししちょ(するな)」
 三人はよろよろと立ち上がった。二人は手拭いで頭を抑え、一人は足を引き摺った。手荒なことに違いない。
 が、敗走の身で詫びの品もない。黙って見送るしかなかった。
「谷村様、よいので?土地のもんなら、追っ手に我らのことを」
 小山田掃部がそっと囁いた。
「どうせ我らのことは敵に分かっておる。じたばたしねえで、さっさと逃げるし」
「はぁ」
「なに、きっと当代様に追いつける。頑張ろうな」
 信茂は涼しげに笑った。
 悲壮感のない表情に、ついつい逃避行という緊張感を忘れそうな笑みだ。ふと、小山田弾正有誠がそれを制した。
「性分じゃ、済まぬな。さあ、行くぞ」
 小山田勢が諏訪を経て武川筋まで辿り着いた頃、勝頼が躑躅ヶ崎に入ったという報せが届いた。思うよりも足は遅かったようだ。
 とりあえず無事ならば、どんな形であれ武田を存続させることが適う。
 小山田勢も遅れて、躑躅ヶ崎に入った。
                                つづく
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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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