第16話「代替わり(前)」

文字数 10,562文字



代替わり(前)


                  一


 武田信玄の死は、小山田信茂の人生を、突然変えた。
 それまで御館様の薫陶で頭角を表した男は、未熟な後継者を支える立場に立たされたのである。それは小山田信茂に限らず、当時の武田家臣すべての、偽らざる心境といってもよい。
 武田勝頼という人物は、一己の武将としては勇猛で評価された。しかし、内政外交といった、国を司る面においては、極めて経験が浅い。
 これまでの小山田信茂の物語は、信玄に見出された薫陶で彩ってきた。
 これよりは勝頼のもとで、これまで培った実力を発揮していく物語となる。そして、一〇年におよぶ歳月は、小山田信茂にとって、辛い物語といえよう。若い未熟な当主を支えるために、励めば励む程、多くの思惟や感情が渦巻き、信茂を激しく縛りつけていくこととなる。
 この一〇年の結果こそが、後世の小山田信茂評を生んだといって過言ではない。

 信玄の死を秘し、あくまで隠居と仕立てる筋書きを考えたのは、山縣三郎右兵衛尉昌景である。唯一、死に目に遇えた者として、これを遺言であると発したのだが、その真偽は定かでない。細々とした指示があったとは思えないし、何よりも信玄の死は突然のことだったから、遺言というよりは、生前からの遺訓と考えるべきだろう。
 東美濃平定。
 この目的は、表向き半ば達成された。遠山一族はすべてでなくとも、大半が武田に従った。これを達成させることが優先すべきことだと、勝頼は考えた。
 信玄に子飼いの諸将がいたように、勝頼にも若年期からの家臣がいる。心を許せるのは、これまで〈我が儘〉を許してくれた彼らだけだった。信玄の遺した優れた家臣団は、何かにつけ小賢しい。
 彼らは勝頼を見下す。いうなれば、煩わしい小舅である。
「儂は父の作ったものを尊重しつつも、新しい世に照らし、必要とあらば、大きな改革も辞さぬものなり」
 その宣言を、多くの者が誤解した。
「信玄公を批判した」
という誤解である。
 ここまで甲斐国を豊かにしたのは信玄だ。神の如く慕う者たちも多い。彼らにとって、その誤解は大きな障害となった。誤解はすぐに顰蹙となり、勝頼を過小評価する態度さえ生んだ。
 武田家の歴代当主は、戦国史上稀有な立ち位置だった。それは血統よりも、実力で奪う、骨肉の象徴ともいえる。少なくとも信玄の父・信虎まではそういうものだった。実力を示さねば、甲斐の者は従わない。とりわけ国中の者は、その傾向が強い。その意味で云えば、武田家史上において、勝頼は当主の座を実力で奪い取らなかった、数少ない人物だった。
 その点において〈楽〉をした勝頼は、それと引替に、求心力の発揮をゼロから始める〈苦〉を負う運命にあった。少なくとも誤解からはじまった当主・勝頼は、四方山において要らざる苦労を背負うこととなる。そしてそれは、旧勢力と勝頼近臣の派閥争いにつながることとなることは、想像に易い。

 元亀四年(1573)四月二三日、勝頼は武田四天王のひとり箕輪城代・内藤修理亮昌秀へ、起請文を発した。それは、焦れったいほど下手に出る、とにかく気の使った文面であった。
 今は辛抱の時期である。
(父の影は大きすぎる)
 すぐに自分の色に塗り変えることなど出来はしない。
 内訌の暇もないほどに、信玄亡きあとの武田家は、多くの奔走を余儀なくされた。信玄の死は隠しおおせるものではなく、諸国にそれが伝わると、すぐに影響が出た。息を潜めていた徳川家康が逆襲に転じたのは、まさにこのときであった。
 五月九日、家康は駿河へ出陣し岡部を焼いた。その反応から、信玄の死は誤報でないとわかった家康は、奥三河回復にむけた積極的行動を起こした。
 武田家の指揮系統が停滞若しくは混線しているこの時期こそ、家康は生涯最大の恥辱となった三方原の雪辱を灌ぐべく、全力を傾けたのである。
 家康だけではない。
 織田信長も、行動を推し進めた。
 八月になると信長は、越前討伐を開始した。二〇日には朝倉義景を討ち果たし、翌月一日には浅井長政を討っている。驚異的な速度で、ふたつの大名を滅ぼしたのである。
 信玄がいない。
 ただそれだけで、世の情勢は、大きく変化した。

 果たして勝頼は、情報というものを、どれほど理解していただろう。
 信玄は情報に関する類を重んじ、惜しみなく財を用いた。理由は簡単だ、兵馬を用いるよりも安上がりなのだ。その情報を司る諸国御使衆は、全国に散って先々の市井に溶け込み、信玄の目となり耳となった。彼らからの膨大な情報を、このときの勝頼は把握していなかった。或いは初めてその存在を知り、優先順位も解らず放置していたのかも知れない。
 六月に入ると、勝頼は気心しれた側近衆を通じて
「東美濃平定の出陣、五ヶ国編制を」
と意思表示を示した。一年前、信玄が動員した作戦を再び起こすというものだ。これを聞き、躑躅ヶ崎へ駆けつけのは、馬場・山縣といった宿老たちだった。
 彼らは勝頼が戦さの本質を知らな過ぎることに慄然となった。
 兵を動かせば兵糧も銭も散失する。兵の命も損なう。侵攻地の人心懐柔には時間と手間が必要だ。そのためにも、行軍は表面上だけに留める。むしろ事前の調略や外交で互いの損得を擽ることこそ重要だ。
「槍で武功を立てればよい」
「それは下策なり」
 山縣三郎右兵衛尉昌景が厳しく発した。
 四月より二か月間、勝頼は体裁だけを繕う外交のみに留まり、組織の内側への引締めさえも怠った。反面、徳川家康は奥三河に向けた積極的外交を行なった。その質量は、勝頼のそれと比較にもならない。
 山家三方衆は山縣昌景の預かりである。昌景に従いつつも、その顔色を窺いながら、したたかに彼らは家康と通じている。その事実も掴んでいるからこそ、武力より外交が大事なのだと、昌景は説いた。
「ゆえに東美濃を制圧し、奥三河を睨むまで」
 勝頼は、出兵がもたらす経済的な疲弊を考えていなかった。そういう教えを授けられていないのか、阿呆なのか、とにかく、物を知らなさすぎた。
「何度も繰り返しますぞ。先代様は出陣の前に調略を重んじました。兵を用いるときは内応者工作が為されたあとです。此のたびは調略もなく、よって長駆は困難にて」
 馬場美濃守信春は信玄の戦術を身近に感じ、それを実践してきた者だ。その彼が説くと理詰めに聞こえて、勝頼は顔を顰めた。
「東美濃を平定すれば、静かにならぬのか?」
「それは四月までの情勢ゆえ。いまは織田弾正を包囲するものがなく、内応者もなし。戦わずして勝つことが武田の戦さゆえ、制圧を優先とすることは、御控えあるべし」
「焦れったい戦さじゃな」
「これが先代様の戦さです。その常勝を重ねたからこそ、近隣を震わせる武威を備えられたことをお忘れなきよう」
 勝頼は若い。
 そして、兵学に浅かった。
「今は従う」
 勝頼は溜息混じりに呟いた。


                  二


 勝頼が足掻き空回りするように、その立場を冷ややかに見つめる一団があった。御親類衆とよばれる武田当主の親族たちだ。そもそも甲斐の者は独立心が高く、親族といえどもその傾向が強い。ゆえに信虎時代までは、甲斐は骨肉の群雄割拠であった。たまたま信玄という強烈な個性に圧倒されて、一族は疑いもなくそれに従った。
「太郎が生きていたらと思う」
 生前、信玄の呟いた言葉には、嫡男・義信なら血の序列で誰もが従うだろうという展望があった。しかし、勝頼は側室の子。しかも本来は諏訪氏を継ぐ者、これが問題だった。御親類衆のなかには
「我と同格。若しくは我こそ血筋では上位」
と思う者もいた。
 この感情が芽生えたとき、武田家は内部から崩壊する。信玄はそれを憂いていた。そして、これはゆるやかに現実のものとなっていた。
 この日、御親類衆は府中の穴山屋敷に集まっていた。
「どうしたものかな」
 叔父である武田刑部大輔信廉は信玄に似ている面相だ。彼は兄の喪に服し出家し、いまは逍遙軒信綱と号している。彼が勝頼を全力で支えれば、信玄そっくりの容貌に諭され一族は服従したかも知れない。が、彼はそれを怠った。もともと武将というより芸術肌が強すぎた彼は、信玄の死を機に、煩わしさから遠のいた。趣味を優先したのである。この勝手が、一族のまとまりを欠いた。
「四郎殿を、一人前にし給え」
 そう叫んだのは、河窪兵庫助信実だ。彼は信玄異母弟で、浪人衆を統率する現実的な人物である。浪人衆を支配するということは、人格者ともいえる。御親類衆でも彼の言葉に頷く者は多い。
「四郎殿は先代様が任じた後継者である以上、好き嫌いで支えぬことを恥と思し召せ」
 信実の言葉は痛烈だ。
 逍遥軒信綱は思わず顔を顰めた。
「好き嫌いなどというものではない」
「では、何か?」
「物知らずに、困っているだけだ」
「教えられないおまんらが悪い」
 信実の言葉は、図星だった。
 何のこうの云ってはいるが、彼らは勝頼を好いていない。それは陣中で苦楽を共にしたこともなく、多くの試練を共有したことのない、本来ならば親族などと口にもしたくない。ただの占領地を継ぐ者という、過小評価ゆえの蔑視だった。
「昨日まではそれでよい。が、当主である以上、その感情は捨てねばならぬ。先代様が築いたものを大きくせねば、不忠の謗りは免れまい」
 信実は語尾を強調した。
 不忠という言葉を、このとき御親類衆の誰もが意識していなかった。先代に対する絶対の心服は、死した今も失っていない。その想いがあればこそ、勝頼を当主にすることを
「形式的に」
納得したのだ。すべては信玄への忠誠あってのことで、勝頼に寄せる信頼がない事実は隠せない。
 しかし、このままでは、河窪信実のいうとおりになる。それだけは、断じて許されない。今は未熟な当主を粛々と支え、信勝元服を待って武田家当主を盛り立てればよい。いまの勝頼を育てようという考えは、河窪信実だけだった。
 そのとき、勢いよく襖が開いた。
「おお、すまん。遅れた」
 一条右衛門大夫信龍である。華美を好む伊達者と、彼を蔑む親族は多い。その実力を愛でた信玄亡きいま、御親類衆の座にあって、紛れもなく鼻つまみ者だった。
「大事な評定に、けしからぬな」
 逍遥軒信綱は押し殺すような口調で詰った。
「はあ?酒席と聞いたのですが」
「酒席ぃ?」
 一同は目を丸くした。
「四郎殿の足りぬ経験を誰が補い、どのように三河を平定するか、ざっくばらんに話し合うための宴席と聞いたのですが?」
「誰から聞いた」
「誰だったかのう」
「けしからぬな」
「四郎殿を盛り立てる以上は、皆の知恵を出せねばなるまいに。酒でも飲んでりゃあ、いい知恵も出るだろし」
「なぜ酒か!」
 逍遥軒信綱は激昂した。
 一条信龍は涼しい顔だ。穴山信君と武田信豊に向き直ると
「後見人二人もおるずら。四郎殿を盛り立てねば、武田家に対する不忠になるでよう。そうは思わぬか?」
 信実と同じ言葉だ。このことを、厭と云える筈などない。
「さすがは後見人ずら。よし、呑むべえ」
 愉快そうに河窪信実が笑った。どうやら鼻つまみ者が、一番人間を知っているということかと、大声で笑った。
「肴は、なにか?」
「されば兵庫助殿。奥三河より徳川を追う算段というのは?」
「面白そうな話じゃの」
「酒樽は屋敷の門前にある」
 やれやれと、穴山信君は立ち上がり
「門前の荷を運んで参れ」
と家中の者に命じた。
 奥三河からの陽動と遠江での家康挟撃という策の素形が、この宴で生まれた。このことを穴山信君は山縣昌景に伝え、更に煮詰めた。この献策により、東美濃平定に代わる甲斐一国でなす軍事行動の準備が急がれた。

 代が替わると、中核家臣の顔触れにも変化が生じる。どの家中にもいえることだが、武田家の場合は、それが歪なものだった。
 勝頼が頼りとしたのは、諏訪時代からの者たちだ。彼らもわが世の春を期待したし、その感情は自然なものだった。そのなかで、勝頼の直臣ではない二名が、代替わりを機に、武田家で台頭してきた。『甲陽軍鑑』は両名に厳しい評価を突き付けているが、それが旧家臣団の不満を代弁だろうことは想像に易い。
 跡部大炊介勝資。
 長坂釣閑斎光堅。
 勝頼の傍で辛抱してきた側近たちも、その台頭には唖然としたことだろう。そして両名は、旧来の中核家臣団とも、大ぴらに対立した。それがそっくりと勝頼の評判に結びつくのだから、側近たちは気が気ではない。
「先代様に才を見出された者を使いこなすことこそ肝要ですぞ。跡部・長坂両名は、代替わりのどさくさで栄達した不埒者です」
 安部加賀守勝宝が代表し、幾度も勝頼を諭した。
 儘ならぬことが多い今は、旧来の理に従う必要もある。それくらいの分別は、多少なりとも勝頼にはあった。
 武田家の内情は、穏やかならざるものだった。


                  三


 勝頼にとっての不幸は、このときの遠江出陣だった。もしも策通りに物事が運べば、旧来の勢力は信玄以来の遣り方を順守し、勝頼も聞く耳を持つ者になっただろう。
 結果は、すべてにおいて左右する。
 遠江への出陣は、間違いなくその分岐点だった。

 七月二〇日、徳川家康は長篠城奪回の軍事行動を開始した。
 武田勢がこれに対し明確な行動を起こしたのは、二三日のことである。勝頼は長篠城へ援軍を差し向けた。当時の長篠城を守備するのは、室賀入道一葉軒・小笠原信嶺・菅沼正貞である。
奥三河において、長篠城は柱石だ。武田・徳川どちらの掌中にあるかが、奥三河の支配するを左右する鍵となった。ゆえに家康は是が非でもこれを奪回したかったし、また、勝頼は死守を望んだ。
 このときの援軍が単なる後方支援ではないことが、その顔ぶれから伺える。
 長篠城への後詰めは、武田信豊・馬場信春・小山田信茂・土屋昌続である。別働隊として浜松方面へ進軍したのは、武田逍遙軒・穴山信君・一条信龍・山縣昌景。
 この作戦は、旧組閣の軍事行動である。少なくとも、この時点で、彼らは敗北することなど予期していない。そこに、大きな落とし穴があった。
 この作戦は壮大なものだった。長篠城への精強な後詰めが布陣すれば、徳川家康は長篠城へ近づくことも適うまい。浜松へ籠ったまま、動けないだろう。そこへ駿河衆を迎合した別働隊が迫れば、家康を挟み撃ちに出来る。
「この策に落ち度などありはしない」
 穴山信君は公言した。そういう確信に満ちた、完璧な布陣だった。

 八月二三日あたりには武田勢がくるだろうと、徳川家康は予測していた。このことは服部半蔵の調べによる。
「その通りになったな」
 家康はほくそ笑んだ。信玄亡きあと、武田の動きは読みやすい。ならばこそ、正面から戦わずとも、負けぬ戦さの仕方もできる。
 家康は長篠城内へ調略の手を伸ばした。と同時に、最悪の場合は城を焼き落とすことも決断した。
「思い切ったことを考える」
 服部半蔵は呆れたように苦笑した。
「本当は無傷で手に入れたいのだ。仕方がないだろう」
 長篠城とは、それほどまでに生命線を左右する場所だった。
「もう一手、仕掛けませぬか」
「どうするのだ」
「遠州に踏み入った武田の別働隊を混乱させるのです」
「大事な兵を損ないたくない」
「心得ております」
「ならば、半蔵に任せる」
 この行動が、武田の前途を左右することとなる。

 二俣城に入城した武田勢は、周辺の村が徳川の乱波により不穏な状況である事を知った。その鎮定のため、山縣昌景が出立することとなった。穴山信君も別件に追われた。
 武田逍遙軒が二俣城に留まった。戦力の分断が服部半蔵の狙いだとしたら、これはこれで十分な成果だった。成否を問わず、半蔵が仕掛けたのは、流言飛語による攪乱だ。
「森という場所に徳川勢五〇〇が現れた」
 この情報に、武田逍遙軒は迷った。逍遙軒は文武のうち文に秀でた者である。合戦の巧者ではない。相談すべき山縣昌景はこのとき二俣城にいない。
「どうしようか」
 逍遙軒は悩んだが、出陣を決した。相手は徳川だ。武田勢が現れれば、戦わずして逃げるだろう。そういう甘さが逍遙軒にはあった。
 が、服部半蔵の狙いはそこだ。
 山縣昌景と戦えば敗けるが、逍遙軒ならば勝てずとも負けぬ戦さになる。負けさえしなければ、それを吹聴することで武田の評判を落とせるだろう。
 森には多数の伏兵が潜んでいた。武田がこんな安易な策に乗るまいと思っていた彼らは、迂闊な大将首に、心なしか色めき立った。この戦いは『甲陽軍鑑』や『三河物語』に記されている。実際に行われたものだろう。
 この局地戦で、武田勢はまさかの敗北をした。
 逍遙軒だから、そうなったのだ。しかしこれは、由々しきことだった。これにより、徳川に付く遠州勢の威勢が増した。
「徳川殿は武田に勝った者ぞ」
 態と広めたこの風聞が、たちまち拡大した。小さな勝利を、大きなものに膨らませて叫んだ。これにより、俺でも武田に勝てるかもという、勘違いした馬鹿も大勢いた。とにかく、冷静を逸した空気というものは、番狂わせを誘いやすい。
 こういうときは、戦さを避けるのが正しい。
 元々の目的である挟撃が、この敗北で頓挫したのである。二俣城に戻った山縣昌景は、この散々な有様に言葉を失った。信玄が生きていたら、このような不始末はなかったことを憂いた。
「戦場を回復すること、能わず」
 山縣昌景は武田信豊へ伝令を発し、甲斐への帰国を決断した。
「長篠へは、何とするのだ」
 逍遙軒は狼狽えた。
「このこと、乱波にて既に走らせておる。あちらも撤収の動きを取るだろう。それが、正しい」
 山縣昌景の言葉には、張りがなかった。
 更に不幸は続く。九月八日、長篠城兵糧蔵が失火で延焼した。兵糧がなければ、戦さにもならない。籠城を断念した長篠城は、この日、開城された。本来後詰めの武田信豊等は山家三方衆の離反の正否に追われて、実際には馬場信春のみの布陣だった。このまま単独の軍勢では致し方なく、馬場勢も退くこととなった。
 知らなかったのは駿河衆を糾合し進軍していた穴山信君だ。これほどみっともない話はない。
「もう少し、まともな戦さをしてもらわねば!」
 すべての元凶は、無様な負け戦さである。さりとて、一同で逍遙軒を責める訳にもいかない。この敗戦により、旧家臣団は発言力を喪失し、勝頼側近衆の発言力が増した。勝頼にとって、小煩い舅どもを黙らせる好機となったことは云うまでもない。
「次は、儂の好きにする」
 勝頼の言葉を諫める御親類衆はいなかった。
 
 小山田信茂にとって、信玄亡き後の半年があっという間に駆け抜けた。
 正直なところ、郡内にいる間だけが、活力に満ちる。国中に足を運んでも、いい話を聞かない。信玄の求心力が大きすぎた分、勝頼を過小評価するのが国中の民意だ。これは、勝頼がどうこうというより、信玄以外の誰でもそう受け取られるということだった。勝頼にとっては迷惑な民意というよりない。
 躑躅ヶ崎に所用を済ませ、小山田信茂は僅かな供連れで府中屋敷に帰ろうとしていた。
 そのときだ。穴山信君が邸内より顔を覗かせ
「弥五郎殿、汗でも掻かぬか?」
と、声を掛けてきた。かつて槍を教えた相手からの誘いを、断れる筈もない。
「中庭へ参られよ」
「遠慮なく」
 供連れを先に帰し、信茂は中庭に進んだ。そこには緋色の傘と床几があり、馬場信春が腰を下ろしていた。
「お先に休んでおるし」
 馬場信春は汗を拭っている。どうやら先に信君と槍あわせをしたのだろう。
「疲れては、おらぬのか?」
「疲れでもせぬと、詰まらぬことばかりを考えて寝られんずら」
「御苦労なこんじゃのう」
 信茂が信君相手に槍をつけるのは、もう久しいことだった。互いに戦場を幾度も駆け巡った以上は、腕前は互角と云ってよい。
「強うなったのう、彦六郎殿」
「なんの、弥五郎殿が弱くなったのじゃ」
「弱ちいかい」
 弥五郎は笑いながらも、些か怒気を込めた。
「ああ、こうして直ぐに本気になるこんは、やっぱし弱いずら」
「弱いなあ、弱いなあ」
「本気になるなし。分かった、降参!」
 信君は槍を放った。我ながら大人げないことだと、信茂は苦笑した。
「いつも評定では厳しい貌なのに、そういう表情も出来るのだのう」
 興味深げに、馬場信春が覗くような視線を傾けた。つい、信君はぶっきらぼうな口調で
「役目ずら」
「そういう表情で、四郎殿と接すればいいのに」
「あいつも、儂が嫌いだろ」
 立場とは窮屈だなと、信茂は思った。
 そんなに勝頼は面倒臭い人間なんだろうか。信茂はまだ勝頼と個人的に近く接したことはない。これまでも信玄を介して接したから、気にもしていなかった。
「どこか歪んでいると、館内の者から耳にするし」
 馬場信春が呟いた。信君も頷いた。二人が知るということは、公然の秘密だというのだろうか。単に自分だけが知らないことか。
「なにが、歪か?」
「女のこと」
「女?」
「あれは変態だと、奥からも評判じゃ」
 奥と云えば、勝頼は正室・雪の方が亡くなって以来、お手付のまま側室とした女は数名ほどいた。姫を生ませているが、尻好きという性癖が露呈され、女どもの間でも噂になっていた。
 奥には信玄の側室たちがまだいた。北の別曲輪の普請が為るまでの逗留だ。噂の出所はそこである。勝頼がお手付する女は、どれも華奢で未成熟な娘ばかりだ。痩せた体躯だが、尻だけは立派なのである。
「それは、人の好みだから」
 曖昧な笑顔で、信茂は笑って誤魔化した。
 何だか面倒臭そうな話題だから、逸らそうとしたものの、信春は止めない。俺も厭だ、お前も分かち合えと云わんばかりの、半ば詰るような目だ。慌てて穴山信君を見る。彼も同じ目だ。信茂は観念した。
「たかが、女御の噂話じゃろ」
「たかがなれど、されどでもある」
 勝頼は側室との行為前に、必ず何かを強く叩いた。悲鳴を挙がるのだから、ただごとではない。信玄側室の一人で、安田三郎信清の生母・禰津の方が、そっとその側室に質すと
「尻を、思い切り叩かれました」
 そう訴えたという。
 尻を叩きながら興奮した勝頼に組み敷かれ、それ以上のことは口籠り、何も答えなかった。察するに、勝頼とは、そうすることで性的に昂ぶるのだろう。
「これを変態と云わずして、何ちゅうこんずら?」
 呆れたように信茂は溜息吐いた。
「女のことくらいは、どうでもよろしい。原美濃様なら、こんなこと、馬鹿馬鹿しいと一蹴する話題ですぞ」
「うん、まあ」
「鬼美濃様に肖りし馬場様が、こんなことで煩う必要もござるまいて」
「お、おう」
「彦六郎殿も、人様に自慢の性癖がござらぬなら、このような評判など気にすることなかれ。どうにもこうにも、この半年、国中の空気がおかしゅうござるぞ」
 信茂が冷静にまともなことを云ったので、両名はポカンとして、頷いた。
「弥五郎、おまんに云われるまで気付かなんだ。そうだな、空気がおかしい」
 馬場信春は信玄亡き後をどう支えるか考えすぎて、目先のことばかり見ていた。穴山信君も勝頼の悪いことばかりを捜していた。信玄がいない現実に、正面から向き合っていない。先に生じた森での敗戦さえ、反省が出来ていないのはそういうことだ。
 同じ過ちを繰り返さず、挽回を以て汚点を濯ぐ。
 信玄存命中に出来ていた当たり前のことが、いまは全く出来ていないのである。
「そんなに四郎殿は頼りになりませぬか?」
 信茂の問いに、信君は躊躇った。
 その躊躇いを馬場信春が代弁した。世が世なら、同輩若しくはその下になる者が棟梁になる理不尽は、容易に納得できるものではない。
「世が世ならと、そんな世迷い言を忘れるこんずら。彦六郎殿は先代様の婿、四郎殿は先代様の子。今より先をどうするか、そんだけのこんを考えりゃあええし」
 云われるまでもない。
 ゆえに御親類衆筆頭として、先代の遺志を当代に繋ぐ職にあることを、信君は自覚している。多少の好き嫌いは飲み込まねばならない立場ということも。
「やはり、こういうときは弥五郎殿と胸襟を開くべき。美濃殿の提言に従って、安堵したわ。今は四郎殿で家を束ねる必要、これあり」
「んじゃあ、儂は帰るし。供連れを先に戻したから、心配していると思う」
 事もなげに去る信茂の背を二人は見つめた。
「何事かのときは、弥五郎を味方にするべし」
 馬場信春の言葉に、穴山信君は頷いた。
 翌日、躑躅ヶ崎北方の御聖道屋敷へと信茂は足を運んだ。ここには勝頼の兄・龍宝がいる。盲でありながらも聡明な龍宝は、信茂の依願に応え、禰津の方を招いた。信茂は昨日聞いたことの真偽を質したが、どうやら事実だと判明した。
「あれは、もう、癖なのでしょう。先代様は女性そのものを愛でましたが、尻を辱めることなど、しませんでした」
「先代様のことは、まあ」
 信玄の側室からは、あまり聞きたくないことである。
 信茂は勝頼の話題に戻した。
「どうだろうか、いっそ奥務めの侍女は、肉置きのよい者に替えたら如何か?奥の裁量は四郎殿ではなく、未だ御方々にござろうて」
「そりゃあ、まあ。四郎殿には、御室様がおられぬゆえ」
 禰津の方は口籠った。
「そっちの方が問題だな」
 龍宝が呟いた。
 奥向きを支える継室を迎えていないことは、何かと不自由につながる。そちらの是正こそ重大なことだと、龍宝は断じた。
「ごもっともなことです」
 信茂も俯いた。
 いまは性癖よりも、そちらが大事だった。
「のう、弥五郎殿」
「はい」
「四郎殿には味方が足りないのだろうな。儂からも頼むよ。何とか家中を押さえておくれ」
 龍宝の口調は柔らかいが、決して優しい注文ではない。しかし、このままでは武田家が綻びる。我慢しなければいけないのだ。
「御聖道様の期待には、応えたいと思います」
「すまないな」
「いえ」
 ふと、龍宝は笑った。
「なにか」
「いやな、何事か生じたときは弥五郎殿に頼むがいいと、生前の古典厩(武田信繁)様が口にされていたこと。今、思い出したよ」
 信茂は眼を丸くした。
「そういえば、先代様も私たちに。弥五郎は頼りになると」
禰津の方はそういって、微笑んだ。
「そんなん、勝手な物云いずら」
 信茂は苦笑した。
                               つづく
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登場人物紹介

小山田信茂    

甲斐国郡内領主。武田二十四将。武田家を裏切ったと定説される文武の才に秀でた武将。

父・信有に嫌われて育つが、それは出自にまつわる秘密があった。

小山田弥三郎信有

小山田信茂と腹違いの兄弟。嫡流として小山田家を相続するが、のちに病没。ということになり、信茂を支える影の参謀となる。

武田信玄

甲斐国主。智謀に長けた戦国最強の武将。小山田信茂を高く評価し、その出自も含めて期待している。

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