第6話 現代文学とアニメの接点(村田沙耶香『殺人出産』篇1)
文字数 1,954文字
村田沙耶香さんは2016年、『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞した女性作家です。
報道によると、村田さん自身、コンビニでずっとアルバイトをしていて、芥川賞受賞後も暫くはコンビニバイトを続けていたんだそうです。そういう記事に接していたせいか、わたしは『コンビニ人間』というタイトルを見た時、自己の体験を元にしたリアリズム作品なのかと思ってしまっていたのですが、今考えると、とんでもない誤解でした。
村田沙耶香さんの作品を一言でいうと――過激です!
今回ご紹介したいのは、芥川賞受賞の2年前、2014年に単行本として出版され、第14回センス・オブ・ジェンダー賞を受賞した『殺人出産』です。
先ずタイトルからして、インパクトありますよね!
他者の生命を奪う「殺人」という行為と、新しい生命を誕生させる「出産」という行為は方向的に正反対なはずであり、その意味で、このタイトルは一見、矛盾する二つの単語を並べているように思われます。
ところが――
作品の冒頭近くに、こんな印象的なフレーズが出てくるのです。
今から100年前、殺人は悪だった。それ以外の考えは存在しなかった。※1
現代のわたしたちは、もちろん殺人は絶対悪だと信じています。でも、それは相対的な道徳観にすぎないのではないか、100年後の未来においては、もしかしたら殺人の意味はまったく変わっているかもしれない……。
『殺人出産』で描かれるのは、「殺人出産システム」が導入された未来社会です。このシステムを簡単に説明すると、「10人子供を産んだら、合法的に1人殺すことができる」となります。
なぜこんなシステムが生まれたかというと、背景にあるのは世界的な人口の減少です。たとえ1人少なくなっても、10人増えていれば、単純計算として人口は9人増えたことになります。
このシステムによって、世界の人口問題は確かに大幅に改善されていくのですが、それに伴って人びとの道徳観までが激変してしまいます。
殺人出産制度が導入されてから、殺人の意味は大きく変わった。それを行う人は、「産み人」として崇 められるようになったのだ。※2
合法的な殺人者が、既に10人の生命を誕生させた尊い人として崇められる社会。でも、ここで当然、以下のような疑問が生まれます。
①もし10人産めずに殺人を犯したらどうなるのか?
②このシステムは女性しか使えないのではないか?
①:もし「正しい手続き」をとらずに殺人を犯した場合は重罪となります。この社会で最も重い罪は「産刑」と言って、一生牢獄の中で人工授精による出産をさせられ続けることを指します。
②:このシステムは男女関係なく使えます。なぜならこの社会では人工子宮の技術が発達し、男性でも出産できるからです。「産刑」の場合も同様です。
ここまで読んで、皆さんどうお感じになりますか?
率直に言って、かなり過激でクレイジーですよね。
しかも、この過激さって、かなりアニメ的な感じがしないでしょうか。
例えば、深夜アニメなんかでこういう世界観の作品があっても、あまり違和感はないのではありませんか?
これが芥川賞作家の作品だと思うからこそ衝撃的――と言うか、こういう作品が現代文学シーンに登場し、確固たる地位を築いている(村田さんは、芥川賞だけでなく、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞を受賞している、所謂「純文学新人賞三冠」達成者です)事実の方に、むしろわたしは驚きを覚えました。
村田沙耶香さんの小説は、現在のアニメ作品にかなり接近していると言えるような気がします。実際、『殺人出産』以外の作品でも、設定がアニメ的であったり、作中人物にとってアニメが大きな意味を持っていたりする世界が描かれているのです。
例えば、長篇『消滅世界』では、人工授精が当たり前になり、夫婦間のセックスが「近親相姦」とみなされてタブー視され、人びとはアニメのキャラクターを恋人とするのが普通になった世界が描かれます。
短篇集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』の表題作の主人公は、小学校三年生から「魔法少女ごっこ」を始め、現在36歳、魔法少女歴27年という猛者(?)です。
村田さんが純文学の大きな賞をいくつも受賞しているという事実は、現代日本文学を考える上で、かなり示唆的だと思います。
国際市場において、日本のコンテンツとして人気があるのはアニメ、ゲーム、マンガだというのは今や常識ですが、そうしたサブカルチャーに積極的に近づき、接点を持つことが、現代文学の特色のひとつになっていると言えるのかもしれません。
次回は、『殺人出産』の世界を具体的に見ていくことにしたいと思います。
※1 村田沙耶香『殺人出産』、講談社文庫、2016年、P13。
※2 同上書、P15。
報道によると、村田さん自身、コンビニでずっとアルバイトをしていて、芥川賞受賞後も暫くはコンビニバイトを続けていたんだそうです。そういう記事に接していたせいか、わたしは『コンビニ人間』というタイトルを見た時、自己の体験を元にしたリアリズム作品なのかと思ってしまっていたのですが、今考えると、とんでもない誤解でした。
村田沙耶香さんの作品を一言でいうと――過激です!
今回ご紹介したいのは、芥川賞受賞の2年前、2014年に単行本として出版され、第14回センス・オブ・ジェンダー賞を受賞した『殺人出産』です。
先ずタイトルからして、インパクトありますよね!
他者の生命を奪う「殺人」という行為と、新しい生命を誕生させる「出産」という行為は方向的に正反対なはずであり、その意味で、このタイトルは一見、矛盾する二つの単語を並べているように思われます。
ところが――
作品の冒頭近くに、こんな印象的なフレーズが出てくるのです。
今から100年前、殺人は悪だった。それ以外の考えは存在しなかった。※1
現代のわたしたちは、もちろん殺人は絶対悪だと信じています。でも、それは相対的な道徳観にすぎないのではないか、100年後の未来においては、もしかしたら殺人の意味はまったく変わっているかもしれない……。
『殺人出産』で描かれるのは、「殺人出産システム」が導入された未来社会です。このシステムを簡単に説明すると、「10人子供を産んだら、合法的に1人殺すことができる」となります。
なぜこんなシステムが生まれたかというと、背景にあるのは世界的な人口の減少です。たとえ1人少なくなっても、10人増えていれば、単純計算として人口は9人増えたことになります。
このシステムによって、世界の人口問題は確かに大幅に改善されていくのですが、それに伴って人びとの道徳観までが激変してしまいます。
殺人出産制度が導入されてから、殺人の意味は大きく変わった。それを行う人は、「産み人」として
合法的な殺人者が、既に10人の生命を誕生させた尊い人として崇められる社会。でも、ここで当然、以下のような疑問が生まれます。
①もし10人産めずに殺人を犯したらどうなるのか?
②このシステムは女性しか使えないのではないか?
①:もし「正しい手続き」をとらずに殺人を犯した場合は重罪となります。この社会で最も重い罪は「産刑」と言って、一生牢獄の中で人工授精による出産をさせられ続けることを指します。
②:このシステムは男女関係なく使えます。なぜならこの社会では人工子宮の技術が発達し、男性でも出産できるからです。「産刑」の場合も同様です。
ここまで読んで、皆さんどうお感じになりますか?
率直に言って、かなり過激でクレイジーですよね。
しかも、この過激さって、かなりアニメ的な感じがしないでしょうか。
例えば、深夜アニメなんかでこういう世界観の作品があっても、あまり違和感はないのではありませんか?
これが芥川賞作家の作品だと思うからこそ衝撃的――と言うか、こういう作品が現代文学シーンに登場し、確固たる地位を築いている(村田さんは、芥川賞だけでなく、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞を受賞している、所謂「純文学新人賞三冠」達成者です)事実の方に、むしろわたしは驚きを覚えました。
村田沙耶香さんの小説は、現在のアニメ作品にかなり接近していると言えるような気がします。実際、『殺人出産』以外の作品でも、設定がアニメ的であったり、作中人物にとってアニメが大きな意味を持っていたりする世界が描かれているのです。
例えば、長篇『消滅世界』では、人工授精が当たり前になり、夫婦間のセックスが「近親相姦」とみなされてタブー視され、人びとはアニメのキャラクターを恋人とするのが普通になった世界が描かれます。
短篇集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』の表題作の主人公は、小学校三年生から「魔法少女ごっこ」を始め、現在36歳、魔法少女歴27年という猛者(?)です。
村田さんが純文学の大きな賞をいくつも受賞しているという事実は、現代日本文学を考える上で、かなり示唆的だと思います。
国際市場において、日本のコンテンツとして人気があるのはアニメ、ゲーム、マンガだというのは今や常識ですが、そうしたサブカルチャーに積極的に近づき、接点を持つことが、現代文学の特色のひとつになっていると言えるのかもしれません。
次回は、『殺人出産』の世界を具体的に見ていくことにしたいと思います。
※1 村田沙耶香『殺人出産』、講談社文庫、2016年、P13。
※2 同上書、P15。