第30話 読後、自分の中の何かが変わっている(こうの史代『この世界の片隅に』篇)
文字数 2,915文字
2016年に、このマンガ作品を原作としたアニメ映画が上映され、すごく話題になっていたのは知っていました。
知ってはいたのですが、その話題になった映画も見ず、原作であるマンガも読まずにきてしまいました。
こういう言い方をするのは語弊 があるかもしれないのですが、この作品に触れることに対し、ちょっと身構えてしまうところが、わたしの中にあったからです。
それはこの作品——こうの史代『この世界の片隅に』(双葉社)が戦時中の広島を描いていると聞いていたからです。
昭和二十年八月六日の広島が描かれる作品に対しては、こちらも生半 な気持ちで本を手に取ることはできません。
ですから、今回はやや悲壮な決意を固めて読み始めたのです。ところが、冒頭一ページ目から、絵のかわいらしさと美しさ、主人公すずのキャラクターの魅力に心をわしづかみにされ、気がつけば上・中・下巻の計三冊を一気読みしてしまっていました。
この作品の魅力はまず何と言っても、こうの史代さんの描く絵です。
こうの史代さんはスクリーントーンを殆ど使わないことで有名だそうですが、その独特のタッチで大きなコマが描かれる時――1ページ丸々使ったり、見開きになったりした時の迫力と美しさには、思わずはっと息を呑んで見惚れてしまいます。
次に、主人公すずのかわいらしさ。
すずは、よく人から「ぼーっとしている」と言われてしまう性格で、失敗も多いのですが、絵を描くのは飛びぬけてうまいという設定です。作品中では、すずが絵を描くシーンと、「すずが描いた絵」が大きな意味を持つことになります。
すずは昭和十八年、十八歳で広島市から呉 の北條家に嫁ぎます。
嫁ぎ先では姑が足が悪かったため、いきなり家事の負担が大きくすずの肩にのしかかります。また性格のきつい義理の姉・径子とも同居するハメになってしまいます。
嫁いで早々、栄養不足(とおそらくはストレス)から頭にハゲができてしまうほど苛酷な生活なのですが、すずはそんな暮らしを、当たり前のようにそのまま受け入れるのです。
そもそも結婚からして、父親がすずがいない間にあっさり決めてしまうのですが、すずはその時も、呉に嫁いでからも、舅姑、小姑や夫の前で、およそ自己主張らしい自己主張は殆どしません。
大変な目に遭っても、「弱ったねぇ」「困ったねぇ」と、どこか呑気に受け流してしまいます。
そうしたすずの中を通り抜けることによって、苛酷なはずの現実は、その尖った角を削られ、代わりになんとも言えないユーモアと温かさを醸 し出すのです。
すずには、絵という特技はありますが、それによって世に認められるわけではありません。「すずさんは立っても小 んまいのう」と夫・周作に言われるほど小柄で、働き者だけれど失敗ばかりしている、ごくごく「普通」の女性として描かれています。(当時としては珍しいことだと思うのですが、周作は自分の妻を「すずさん」と
でも、巻が進むにつれ、この「普通」が実は
すずの人生の中で唯一、淡い恋愛のようなものとして描かれるのが、小学校の同級生の水原哲との関係です。
この水原哲は長じて後 、海軍の軍人となるのですが、ある日、北條家に嫁いだすずを訪ねてくるというシーンがあります。
二人きりになった時、水原はすずにこう言うのです。
「わしはどこで人間の当たり前から外されたんじゃろう それとも周りが外れとんのか ずっと考えよった」
「じゃけえ すずが普通で安心した」
「すずがここで家を守るんも わしが青葉で国を守るんも 同じだけ当たり前の営みじゃ」
「そう思うてずうっとこの世界で普通で…
「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ 笑うてわしを思い出してくれ」
普通な、平凡な人たちが「当たり前から外れて」しまう。それが「戦争の時代」の狂気であり、恐ろしさに違いありません。
軍人として、その狂気のただ中にいた水原は、すずに再会することによって、すずの「普通」に触れることによって、自分のいる世界の「異常さ」に気づくのです。
自分が死んだ後、「英霊」として「一緒くたに」祭り上げられるのは嫌だ、そうではなくて、すずにこそ「笑うて思い出して」ほしいと願う水原の言葉は、読者の心の深いところに刺さります。
最も普通で平凡な人が、最も特別で尊い人に変わる――その鮮やかな逆転が、『この世界の片隅に』の核心だと、わたしは思うのです。
すずさんが住んでいるのは、作品のタイトル通り、確かに「世界の片隅」です。
でも、たとえ「片隅」であったとしても、戦争の狂気が吹き荒れる時代に、すずはどうして「普通で、
それは、すずが絵を描く人だったからだと考えられます。
すずは絵を描くことによって、時に苛酷な現実をファンタジーに変えます。時に兄を喪 った同級生の心を慰め、時に遊郭の、幸薄い遊女たちの心を束の間明るくさせたりもします。
絵があったからこそ、すずはどんな状況にあっても「自分」でいることができ、また、自分と同じように苛酷な目に遭っている人たちを救うことができたのです。
そんなすずが、昭和二十年八月十五日のいわゆる「玉音放送」を聞いた後、「うちはこんなん納得できん‼」と、おそらく人生で初めて怒りの感情を爆発させます。
飛び去ってゆく
この国から正義が飛び去ってゆく
…ああ
暴力で従えとったいう事か
じゃけえ暴力に屈するいう事かね
それがこの国の正体かね
すずのモノローグだけでもすごいとしか言いようがありませんが、これらの言葉が、こうの史代さんがスクリーントーン無しで丁寧に描き込んだ絵の中に嵌め込まれていくのです。
すずの怒りの爆発からモノローグに至る場面の迫力は全編中でも圧巻であり、文字通り心が震えます。
それは、日本を戦争に邁進 させた人たちからすれば、一番底辺の、取るに足りない弱者であったはずの存在が、その全身で彼らに突きつけた、最も根本的で、最も
すずは原爆が落とされた広島市を訪ね、被爆してしまった妹らに再会した後、今やすっかり自分の第二の故郷になった呉に帰ります。
そして、ラストシーン。
それまでずっとモノクロだった画面が、ラストシーンでカラーに変わるのです。
その色彩の美しさ――
鳥肌が立ちました。
この作品は『漫画アクション』に、2007年1月から2009年1月まで連載されたものです。人気投票によって無理やり引き伸ばされたり、逆に突然打ち切られたりする日本の商業漫画誌から、このような作品が生まれたこと自体、一つの奇跡のような気がします。
そして連載当時より、それから14年を経た現在を生きるわたしたちの方が、むしろより強くこの物語を必要としているように感じられてなりません。
読む前と読んだ後では、自分の中の
知ってはいたのですが、その話題になった映画も見ず、原作であるマンガも読まずにきてしまいました。
こういう言い方をするのは
それはこの作品——こうの史代『この世界の片隅に』(双葉社)が戦時中の広島を描いていると聞いていたからです。
昭和二十年八月六日の広島が描かれる作品に対しては、こちらも
ですから、今回はやや悲壮な決意を固めて読み始めたのです。ところが、冒頭一ページ目から、絵のかわいらしさと美しさ、主人公すずのキャラクターの魅力に心をわしづかみにされ、気がつけば上・中・下巻の計三冊を一気読みしてしまっていました。
この作品の魅力はまず何と言っても、こうの史代さんの描く絵です。
こうの史代さんはスクリーントーンを殆ど使わないことで有名だそうですが、その独特のタッチで大きなコマが描かれる時――1ページ丸々使ったり、見開きになったりした時の迫力と美しさには、思わずはっと息を呑んで見惚れてしまいます。
次に、主人公すずのかわいらしさ。
すずは、よく人から「ぼーっとしている」と言われてしまう性格で、失敗も多いのですが、絵を描くのは飛びぬけてうまいという設定です。作品中では、すずが絵を描くシーンと、「すずが描いた絵」が大きな意味を持つことになります。
すずは昭和十八年、十八歳で広島市から
嫁ぎ先では姑が足が悪かったため、いきなり家事の負担が大きくすずの肩にのしかかります。また性格のきつい義理の姉・径子とも同居するハメになってしまいます。
嫁いで早々、栄養不足(とおそらくはストレス)から頭にハゲができてしまうほど苛酷な生活なのですが、すずはそんな暮らしを、当たり前のようにそのまま受け入れるのです。
そもそも結婚からして、父親がすずがいない間にあっさり決めてしまうのですが、すずはその時も、呉に嫁いでからも、舅姑、小姑や夫の前で、およそ自己主張らしい自己主張は殆どしません。
大変な目に遭っても、「弱ったねぇ」「困ったねぇ」と、どこか呑気に受け流してしまいます。
そうしたすずの中を通り抜けることによって、苛酷なはずの現実は、その尖った角を削られ、代わりになんとも言えないユーモアと温かさを
すずには、絵という特技はありますが、それによって世に認められるわけではありません。「すずさんは立っても
さん付け
で呼びます。この関係性が、わたしはとても好きです。)でも、巻が進むにつれ、この「普通」が実は
とてつもないこと
だとわかってくるのです。すずの人生の中で唯一、淡い恋愛のようなものとして描かれるのが、小学校の同級生の水原哲との関係です。
この水原哲は長じて
二人きりになった時、水原はすずにこう言うのです。
「わしはどこで人間の当たり前から外されたんじゃろう それとも周りが外れとんのか ずっと考えよった」
「じゃけえ すずが普通で安心した」
「すずがここで家を守るんも わしが青葉で国を守るんも 同じだけ当たり前の営みじゃ」
「そう思うてずうっとこの世界で普通で…
まとも
で居ってくれ」(傍点部原著者)「わしが死んでも一緒くたに英霊にして拝まんでくれ 笑うてわしを思い出してくれ」
普通な、平凡な人たちが「当たり前から外れて」しまう。それが「戦争の時代」の狂気であり、恐ろしさに違いありません。
軍人として、その狂気のただ中にいた水原は、すずに再会することによって、すずの「普通」に触れることによって、自分のいる世界の「異常さ」に気づくのです。
自分が死んだ後、「英霊」として「一緒くたに」祭り上げられるのは嫌だ、そうではなくて、すずにこそ「笑うて思い出して」ほしいと願う水原の言葉は、読者の心の深いところに刺さります。
最も普通で平凡な人が、最も特別で尊い人に変わる――その鮮やかな逆転が、『この世界の片隅に』の核心だと、わたしは思うのです。
すずさんが住んでいるのは、作品のタイトル通り、確かに「世界の片隅」です。
でも、たとえ「片隅」であったとしても、戦争の狂気が吹き荒れる時代に、すずはどうして「普通で、
まとも
で」いられたのでしょうか。それは、すずが絵を描く人だったからだと考えられます。
すずは絵を描くことによって、時に苛酷な現実をファンタジーに変えます。時に兄を
絵があったからこそ、すずはどんな状況にあっても「自分」でいることができ、また、自分と同じように苛酷な目に遭っている人たちを救うことができたのです。
そんなすずが、昭和二十年八月十五日のいわゆる「玉音放送」を聞いた後、「うちはこんなん納得できん‼」と、おそらく人生で初めて怒りの感情を爆発させます。
飛び去ってゆく
この国から正義が飛び去ってゆく
…ああ
暴力で従えとったいう事か
じゃけえ暴力に屈するいう事かね
それがこの国の正体かね
すずのモノローグだけでもすごいとしか言いようがありませんが、これらの言葉が、こうの史代さんがスクリーントーン無しで丁寧に描き込んだ絵の中に嵌め込まれていくのです。
すずの怒りの爆発からモノローグに至る場面の迫力は全編中でも圧巻であり、文字通り心が震えます。
それは、日本を戦争に
まとも
な怒りであり、批判だったからではないでしょうか。すずは原爆が落とされた広島市を訪ね、被爆してしまった妹らに再会した後、今やすっかり自分の第二の故郷になった呉に帰ります。
そして、ラストシーン。
それまでずっとモノクロだった画面が、ラストシーンでカラーに変わるのです。
その色彩の美しさ――
鳥肌が立ちました。
この作品は『漫画アクション』に、2007年1月から2009年1月まで連載されたものです。人気投票によって無理やり引き伸ばされたり、逆に突然打ち切られたりする日本の商業漫画誌から、このような作品が生まれたこと自体、一つの奇跡のような気がします。
そして連載当時より、それから14年を経た現在を生きるわたしたちの方が、むしろより強くこの物語を必要としているように感じられてなりません。
読む前と読んだ後では、自分の中の
何か
が変わってしまっている——こうの史代『この世界の片隅に』は、そういう作品だと思います。