第3話 『きことわ』における近代――葉山の別荘(『きことわ』篇2)

文字数 2,920文字

 朝吹真理子さんの『きことわ』の、どこが近代日本に根差しているのでしょうか。
 この問題を考える前に、先ずこの作品をざっくり紹介してみたいと思います。

 貴子(きこ)永遠子(とわこ)は少女時代の夏を、葉山の別荘で過ごしました。最後に会ったのは貴子が八歳、永遠子が十五歳だった年。それから二十五年後、この別荘が解体されることになり、ふたりは再会します。

 ここでポイントになるのは、物語の主要地点が「葉山の別荘」ということです。「葉山ときたかー」とつい呟いてしまいました。今どき、「葉山の別荘」と堂々と書いちゃう朝吹さんって、けっこう剛の者だなあとも思いました。
 ……と、ここまで書いて、ふと気づいたのですが、「葉山って?」と思われる方もいらっしゃるのではないかと――

 わたしは鎌倉で育って、大学は東京だったので、「日本」と言うと、無意識的な感覚として神奈川・東京あたりが中心になってしまいます。なので、「葉山」と言えば、皆さんが「へー、あの葉山ね」と同じように感じてくださると勝手に思い込んでいるところがあったのですが、それがおかしいことに今更ながら気がつきました。

 よく考えてみたら(実は考えるまでもなく)、わたしのこの駄文を読んで下さる方がどこにお住まいかなんて、全然知りません。北海道かもしれないし、九州、沖縄かもしれない。作者プロフィールで拝見したところに拠れば、オーストラリアに在住の方だっていらっしゃるし、いやそもそもこのわたしにしてからが、今台湾でこれを書いているわけで……。

 こうしたネット環境を改めて不思議だと感じるのは、書いている時の自分の距離感が一定していないという点です。
 わたしの場合、例えば『台湾懶惰日記』を書いている時は、もちろん自分が台湾にいることをはっきり意識しているわけですが、今現在のわたしはあまり意識していないです。自分が神奈川や東京あたりをうろうろしていた時の感覚で、「葉山ときたかー」なんて言っているわけです。

 こういう距離――空間や時間の距離――の変化の感覚というのが、正に『きことわ』という作品から読者が受けるものと似ていると思うのですが、それについては後述することにして、「葉山の別荘」が持つ意味を先ずは明らかにしておきたいと思います。

 貴子が夏を過ごした別荘は、祖母が株で儲けて買ったものだということになっています。少し引用してみましょう。

 別荘などと記せば通りがよかったが、部屋数だけがむだに多い、水平にひろがるふるい二階建ての木造建築で、祖母が買った時点ですでにボロ家に属する代物だった。海の気は風向きによってただよう日もないことはないというくらいで、室内にいると、とても海辺の別荘という趣きはなかった。

 このように、別荘の建物そのものや立地条件は必ずしも上等のものではないのです。では、なぜ貴子の祖母はせっかく株で儲けたお金をつぎ込んでこんな「ボロ家」を買ったのでしょうか。それは、この別荘が「葉山」という土地に建っていたからに他なりません。いや、作中にそうは書いていないですけれど、そうなんです。「葉山」というのはそういう土地です。

 保養に適した土地ということで、葉山に御用邸がつくられたのは、明治27年(1894)のことです。以来、葉山――正式には葉山町という小さな海辺の土地は、近代日本において独特の地位を確立することになります。そして、東京に住む人が葉山に別荘を持つということが一種のステイタスになっていきます。

『きことわ』の作中時間の「現在」で、貴子は「湘南新宿ライン」で恵比寿駅から逗子駅まで来て、逗子駅からバスで葉山町に入ります(葉山町には電車が通っていないので)。「湘南」とおおざっぱに呼びますが、「葉山」は同じ「湘南」でも、サザンの歌に出てくる「茅ヶ崎」とか「江ノ島」などの「かっこよさ」とは異なる価値観に属しており、その価値観を確立したのは明治以来の近代日本に他なりません。

 西村賢太さんの『苦役列車』にも、同じく近代日本の価値観の上に成り立っている部分があり、その意味で『きことわ』とは共通点があるのです。
 周知の通り、『苦役列車』は山下敦弘監督によって映画化されました。その時、西村さんと山下さんの対談が『新潮』に掲載されたのをわたしは読んでいるのですが、その中で西村さんが映画に対する不満を表明し、二人が険悪な状態になってしまうというすごい対談でした。

 わたしは映画の方も見てみたのですが、青春映画とはしてはそれなりに面白かったとは言え、西村さんの怒りたくなる気持ちもわかる気がしました。確かにあの描き方では『苦役列車』の肝心な部分が、ぶち壊しになってしまっています。

 エッセイでも西村さんははっきり書いているのですが、『苦役列車』の主人公北町貫多は、学歴もお金もなく、自分が東京出身だということを唯一の誇りにしている人物です。だから、貫多が自分の気に入らない相手に対して最も頻繁に口にする(あるいは心の中でつく)悪態は、「田舎者め!」ということになります。
 怒りが爆発する時、貫多は啖呵(たんか)を切ります。その啖呵が東京弁で発話されるということが、西村作品では非常に大きな意味を持つのです。西村さんが映画に対する不満として挙げたのは、主人公を演じた俳優さんが関西出身であること、映画の中の主人公の描かれ方が「コミュ障」(西村さん曰く)的で、作品のキモである怒り爆発の場面も「立て板に水」の啖呵とはおよそ正反対な趣きになっていたことでした。

 東京出身であることが唯一の自慢というのは、現代日本においては滑稽な話です。もちろん、西村さん自身、そのバカバカしさをよく承知していて、作者自身が色濃く投影された貫多というキャラを客観視して描いています。そのことによって独特なユーモアが生まれ、作品はエッセイではなく、あくまで私小説という「小説」として成立することになります。

 貫多によく似た人物を、日本近代文学は持っています。夏目漱石の『坊っちゃん』です。『坊っちゃん』という作品は主人公の一人称で書かれているために、敵役である「赤シャツ」たちを、読者も嫌なやつらだと思って読み進めますが、冷静に考えてみれば、直情径行ですぐ暴力に訴える主人公より、「赤シャツ」の方がよほど教養のある人物です。
『坊っちゃん』の主人公は松山の人たちをバカにしまくるのですが(改めて読み直してみると酷い差別発言のオンパレードでびっくりします)、その妙な自信の根拠は結局、「おれは東京出身者だ」という一点しかありません。

 明治になって旧江戸城が皇居になり、葉山に御用邸ができる、その同じ地にわざわざボロ家の別荘を買うという行為。東京出身を誇り、東京言葉に異様にこだわる態度。このふたつはどちらも、明治以来の近代日本の価値観の上に成り立っています。
 まったく対照的なふたりが受賞したように報道された第144回芥川賞ですが、こうして見ると実は共通点があり、改めて現代日本の中に今も生きている「近代」を思い起こさせる二篇の作品だったと言えそうです。

 次回は、『きことわ』に描かれた時間と記憶について書いてみたいと思います。 
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