第29話 台北の風をあつめて(高妍『綠之歌(上・下)—収集群風—』篇)

文字数 2,796文字

 今回は台湾の女性マンガ家・高妍(ガオ・イェン)の『綠之歌(上・下)—収集群風—』(臉譜出版)を紹介したいと思います。
 
 先ず表紙を御覧下さい。



 あれ? この画風、どこかで見たことがあるような……?

 と思った方、いらっしゃいませんか。

 高妍さんは挿絵画家として、村上春樹の『猫を棄てる』の挿絵を担当しています。

 その高妍さん初の長編マンガ作品が本書『綠之歌—収集群風—(上・下)』で、2022年5月に出版されました。

 でもさ、中国語で書いてあるんでしょ? 読めないし……。

 と思ったそこのあなた!

 違うんですよ~‼

 この作品は台湾(中国語繁体字)版・日本語版が同時発売されているのです。

 日本語版は『緑の歌—収集群風—(上・下)』のタイトルで、KADOKAWAから出版されています。

 日本語版の下巻の帯は村上春樹が書いています(台湾版では逆に村上は上巻の帯になっている)。その一部を引用します。

 高妍さんの絵を初めて見たとき、何か強く心を惹かれるものがあって、この人の絵を是非使ってみたいと思った。そして僕の『猫を捨てる』という本のための挿絵を何枚も描いてもらった。おかげで、それはずいぶん素敵な本になった。

 帯の言葉は本の宣伝のための惹句(じゃっく)とは言え、大絶賛ですよね。

 では日本語版の上巻(台湾版では下巻)の帯は、というと作詞家の松本隆が書いています。

 へえ、どうして松本隆さんが?

 その答えをお教えする前に、『綠之歌(上・下)—収集群風—』(今回参照したのは台湾版で、日本語訳は南ノによります)の冒頭部分を見ていきましょう。

 物語はこんなふうに始まります。

〈收集群風〉是我在高中時聽到的一首曲子。(「風をあつめて」は、わたしが高校生の時に聴いた曲です。)

 我的高中位於北海岸旁的小鎮,每天都能聞到鹹鹹的海水,與黏膩的海風氣味。(わたしの高校は北海岸沿いの小さな町にありました。そこではいつも、しょっぱい海の水やべとべとする潮風の匂いがするのでした。)

 主人公の「わたし」の名は「(リゥ)」。ショートカットがかわいらしい、高校生の女の子です。

 彼女は台北市の中心から車で僅か40分ほど、「稱不上是多鄉下(そんなに田舎というほどでもない)」町に住んでいます。

 ある日、英語の宿題を持ってくるのを忘れてしまった綠は、休み時間を利用して家に取りに帰ります。

 実は綠は、その前の日に徹夜で小説を読んでいて、間違えてその本を鞄に入れて持ってきてしまったのでした。

 ところが、暑い空気の中、海沿いの道を必死で走っているうちに、まるで魔が差したように、そのまま授業をさぼりたくなってしまうのです。

 綠は海岸をぶらぶらしながら、携帯で音楽を聴きます。プレイリストを何度も繰り返し聴いているうちに、ふと、今まで耳にしたことのない曲が流れ出します。

 それが――

 はっぴいえんどの「風をあつめて」だったのです。

 はっぴいえんど——細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂によって結成され、1970年代初頭に活躍した伝説的ロックバンド。

 日本語ロック(当時は日本語でロックを歌うのは無理だと考えられていた)の草分け的存在として知られています。

「風をあつめて」は1971年のアルバム『風街ろまん』収録曲で、作詞が松本隆、作曲が細野晴臣。

 はっぴいえんどの代表曲として、リーガルリリーや桑田佳祐など、多くのアーティストにカバーされてもいます。

 それにしても――

 カバーではなく、はっぴいえんどのオリジナルの歌声を、海辺で授業をさぼっている台湾の少女が聴いたという……

 なんとも不思議な出会いですよね。

 主人公・綠には、作者である高妍さん自身が色濃く投影されているようです。ちなみに高妍さんは1996年生まれ、「国立台湾芸術大学ビジュアルデザイン学科」を卒業しており、現在26歳です。

 そんな彼女が今から半世紀以上も前の日本の歌を聴いて、心を揺り動かされた。そして、それをモチーフに一篇の長編マンガを描いた。

 もうそのこと自体が、時空を超えた、(たぐ)いまれな一つの物語ではないでしょうか。

「風をあつめて」を作詞した松本隆は、帯に次のように書いています。

 ねえ「細野」さん、ぼくらの歌が異国の少女の「イヤフォン」を通して、繊細な「孤独」を抱きしめたら。それって「素敵」だよね?

 綠はやや内気で、繊細な性格の少女として描かれています。

 その日は結局、太陽が傾くまで海辺でさぼってしまったのですが、戻ってきた綠を見て、先生は怒るより「驚いて」しまいます。そんなシーンから、彼女が他人の眼にどんな少女として映っていたのかよくわかります。

下次不可以再這樣喔!(二度とこんなことしてはいけませんよ)」と女性の先生に(形式的に)お説教されている綠の、ちょっと俯いて背中で腕を組み合わせている後ろ姿が先ず描かれ、次のコマで、顔を赤くしながら伏し目がちに、「好的(はい)」と小さい声で答える綠の上半身が正面から捉えられ、そこに「但並沒有責備我(でも、先生はわたしをとがめなかった)」というモノローグが流れます。

 裸足で海岸の岩の上に座って「風をあつめて」を聴く見開きページから、この先生に叱られているシーンまで読んだところで、わたしはすっかり物語の中に入りこんでしまいました。

 台湾の維基百科(wikipedia)によれば、『綠之歌』は元々32ページの短篇として台湾で自費出版されたものだそうです。

 その短篇が松本隆の知るところとなり、更に松本隆から細野晴臣に伝わり、NHK製作の細野のドキュメンタリー番組に高妍さんも出演することになって、日本における高妍さんの知名度が上がったのだそうです。

 それからの高妍さんは、前述したように村上春樹作品の挿絵を担当したり、また長編として生まれ変わった『綠之歌』が台湾・日本同時発売されるなど、今や日本と台湾を股にかけて活躍する挿絵画家・マンガ家になりました。

 私小説や自伝的作品を読むのが好きな人、少女の繊細な心の動きを描く日常系の物語が好きな人、日本のサブカルチャーが台湾でどう捉えられているのかに興味がある人、そして、等身大の台湾人の生活や人生を知りたい人に――

 高妍『綠之歌(上・下)—収集群風—』は、お薦めの作品です!

                   (高妍『綠之歌(上・下)—収集群風—』篇・了)

※『綠之歌』が台湾・日本同時発売された時にニュースになったのですが、その台湾報道がこちら。URL:https://www.ettoday.net/news/20220525/2258990.htm

※中国語ですが、高妍さんのインタビューがあります。その作品や作画過程も紹介されています。ショートカットのご本人の姿を見た瞬間、「あ、綠だ!」と思ってしまいました。URL:https://youtu.be/x4hBtsYp4tM
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