第12話 戦前の名作時代小説に挑戦してみたの巻(中里介山『大菩薩峠』篇3)
文字数 3,108文字
大菩薩峠の頂上に、ひとりの深編笠の武士が通りかかるところから、この長大な物語は始まります。
その武士の様子は以下のように描写されています。
黒の着流しで、定紋は放れ駒、博多の帯を締めて、朱微塵、海老鞘の刀脇差をさし、羽織はつけず、脚絆草鞋もつけず、この険しい道を、素足に下駄穿きでサッサッと登りつめて、いま頂上の見晴らしのよいところへ来て、深い編笠をかたげて、甲州路の方を見廻しました。
ここへ、二人の巡礼――老爺と十二、三歳くらいの少女が通りかかります。
健気な少女は老爺を休ませ、自分は水を汲みに山路を下りていきます。
ひとり残った老爺が、大菩薩峠からの雄大な景色を眺めながら休息をとっていると、最前の武士が「老爺 、ここへ出ろ」と言います。
わけがわからないものの、武士に命じられたので仕方がありません。老爺は、「はい、何ぞ御用でござりまするか」と武士の前に出ます。
すると、その武士は老爺に、「あっちへ向け」と一言。
刹那――
この声もろともに、パッと血煙 が 立つと見れば、なんという無残なことでしょう、あっという間もなく、胴体全く二つになって青草の上にのめってしまいました。
この武士こそ、主人公・机竜之助その人なのです。
いくら無抵抗の相手とは言え、居合抜きで胴体を真っ二つにしてしまったというのですから、すさまじい剣の腕です。
でも、いったいなぜ罪のない巡礼の老爺を斬り殺したのか。
この段階では、巡礼殺しの意味がまったく説明されません(ずいぶん後になってから、単に新しい刀の試し斬りだったということがさらっと語られます)。
ですから、冒頭部分を読んだ段階での読者の頭の中は、「???」の嵐。
でもとにかく、インパクトはありますよね~!!
この巡礼殺害事件が、全41巻に及ぶ長い長い物語の発端であり、すべての果の因となるのです。
それにしても、机竜之助のやらかすことがそれこそ空前絶後のレベル!
机竜之助の邸は、大菩薩峠を下りて東へ十二、三里いったところの沢井村というところにあり、邸の中には「沢井道場」と呼ばれる剣術道場があります。
竜之助は、この道場の若先生なのです。
大菩薩峠での巡礼殺害事件が、道場の門弟たちの噂になっている(もちろん彼らは下手人 が自分たちの若先生とは知りません)ところへ、お浜という美貌の娘が訪ねてきます。
お浜は、宇津木文之丞の内縁の妻なのですが、「文之丞の妹」だと偽って竜之助に面会を求め、来る御岳山の奉納試合において文之丞に負けてくれと懇願します。文之丞も竜之助も、かつて甲源一刀流の逸見道場で修行した身なのですが、師匠が道場を託したのは人品優れる文之丞でした(師の人を見る眼は間違ってないです!)。
竜之助は、本人曰く「破門同然で」逸見道場を去り、自ら道場を開いたのです。
人格的には大いに問題のある竜之助ですが、「音無しの構え」という自ら編み出した必殺技を持っていて、剣術の腕はめっぽう立ちます(これ以後、大衆文学の世界に陸続と現れることになる「必殺技を持つヒーロー」像の草分けなんだそうです)。
師匠に好かれ、門弟たちの受けがいいのは文之丞でも、剣を取って立ち会えば竜之助の方が強い、という専 らの評判なので、お浜は竜之助の惻隠 の情にすがろうと思ってやってきたわけなのです。
竜之助はすげなく拒絶して一旦お浜を追い返すのですが、与八という大力の男に命じてお浜を拉致させると、水車小屋に引っ張り込んで手籠めにしてしまいます(鬼畜じゃん!)。
その事件を噂で聞いた文之丞は、御岳山の奉納試合の直前、お浜に三行半 を突き付けて無情にも離縁。奉納試合は、もちろん真剣でなく木刀の試合なのですが、文之丞はお浜の件がありますから、刺し違える覚悟で立ち合いに臨みます。
しかし、剣技ではやはり竜之助の方が一枚も二枚も上手 。竜之助の神速の一撃を受け、あわれ文之丞は絶命!
文之丞の門弟たちは、いざ弔 い合戦だとばかり竜之助を血祭りにあげようとしますが、離縁されて戻る家のないお浜は竜之助に危険を知らせ、ふたりはなぜか手に手をとって出奔します(?!)
追われるように故郷を出て江戸に上 った竜之助は、「新徴組 」に入り、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らと知り合うことに……
――いや、ちょっと待って!!
日本史とか全然詳しくないわたしですが、この展開にはさすがに首をひねりました。
だって、清河八郎が幕府の許可を得て組織したのは「新徴組」ではなく、「浪士組」ですよね!
将軍家茂 警固の目的で上洛した後、清河八郎が「浪士組」の真の目的は「尊王攘夷」にあると告げたために、納得できない芹沢、近藤、土方らが清河と袂を分かち、別に「新選組」を組織したはずでは……⁈(司馬遼太郎センセーの作品にそう書いてありましたよ、確か)
清河のペテンに気づいた幕府が、「浪士組」の残党を江戸に呼び戻した後でようやく「新徴組」と改称されるのであって、近藤や土方が「新徴組」として江戸で活躍(既に尊皇派志士の暗殺とかやってます)しているのはちょっと、いや、かなーりおかしい‼
でも――
そういう「細かい」(?)ことは、どうでもよくなってしまう物語の不思議な魅力が、『大菩薩峠』という作品にはあるんです。
この後、竜之助を仇として付け狙う若侍が登場します。
これが文之丞の弟である美少年・宇津木兵馬。兵馬はついに竜之助の居所を突き止め、決闘状を送りつけます。
決闘状を受け取った竜之助、健気な少年に本懐を遂げさせてやろうなんて殊勝なことを考える――わけがありません!
それどころか、自分との間に一子・郁太郎をもうけたお浜を夫婦喧嘩(?)の末に惨殺、更に実の子供である郁太郎(まだ赤ちゃん)もそのまま放置、兵馬との決闘まですっぽかして京都へ向かってしまいます。
上洛して「新選組」(『大菩薩峠』内の表記では「新撰組」)を結成しようとする近藤らの仲間に加わるつもりらしい(だから、この段階ではまだ「浪士組」だったんじゃなくって?!)のですが、慌てて近藤らに追いつこうとするわけでもなく、なんだかのんびりとひとり旅をしている竜之助(チームプレイには絶対向いてないタイプ。協調性ゼロ、というかマイナス!)。
旅の途中で、竜之助はひょんなことから、お豊という面差しがお浜にそっくりな女性と関わりを持つのですが、お豊は真三郎という若者と心中事件を起こし……。
兵馬も竜之助を追って京都へ向かい、また祖父を竜之助に殺された巡礼の少女・お松も、裏宿七兵衛(江戸時代に実在した義賊)に助けられた後、これまた数奇な運命を辿って京都へ……。
大菩薩峠の巡礼殺しに端を発した因果応報の物語は、これより京の地でどんな縦糸と横糸を織りなしていくのか――
以上が、第一巻「甲源一刀流の巻」と第二巻「鈴鹿山の巻」のおおまかなストーリーです。
戦前の時代小説の巨峰『大菩薩峠』を二巻まで読んでみたわけですが、その感想はと言いますと……
「です・ます体」の文体が意外に読み易く、展開もはやい。めちゃくちゃなストーリーながら引き込まれる!!
そして、とにかく机竜之助のキャラが立っている。
です。
まだ二巻の段階で、既に人の道を外れまくっている竜之助ですが、ダークヒーローとして奇妙且つ強烈な魅力を放っている点は否定できません。
続けて読んでみるつもりなので、この連載に再度登場するかもしれません。
ただ、それにしても――
読み終わるまで、残りあと三十九巻かぁあああ……‼
(中里介山『大菩薩峠』篇・とりあえず了)
その武士の様子は以下のように描写されています。
黒の着流しで、定紋は放れ駒、博多の帯を締めて、朱微塵、海老鞘の刀脇差をさし、羽織はつけず、脚絆草鞋もつけず、この険しい道を、素足に下駄穿きでサッサッと登りつめて、いま頂上の見晴らしのよいところへ来て、深い編笠をかたげて、甲州路の方を見廻しました。
ここへ、二人の巡礼――老爺と十二、三歳くらいの少女が通りかかります。
健気な少女は老爺を休ませ、自分は水を汲みに山路を下りていきます。
ひとり残った老爺が、大菩薩峠からの雄大な景色を眺めながら休息をとっていると、最前の武士が「
わけがわからないものの、武士に命じられたので仕方がありません。老爺は、「はい、何ぞ御用でござりまするか」と武士の前に出ます。
すると、その武士は老爺に、「あっちへ向け」と一言。
刹那――
この声もろともに、パッと血煙 が 立つと見れば、なんという無残なことでしょう、あっという間もなく、胴体全く二つになって青草の上にのめってしまいました。
この武士こそ、主人公・机竜之助その人なのです。
いくら無抵抗の相手とは言え、居合抜きで胴体を真っ二つにしてしまったというのですから、すさまじい剣の腕です。
でも、いったいなぜ罪のない巡礼の老爺を斬り殺したのか。
この段階では、巡礼殺しの意味がまったく説明されません(ずいぶん後になってから、単に新しい刀の試し斬りだったということがさらっと語られます)。
ですから、冒頭部分を読んだ段階での読者の頭の中は、「???」の嵐。
でもとにかく、インパクトはありますよね~!!
この巡礼殺害事件が、全41巻に及ぶ長い長い物語の発端であり、すべての果の因となるのです。
それにしても、机竜之助のやらかすことがそれこそ空前絶後のレベル!
机竜之助の邸は、大菩薩峠を下りて東へ十二、三里いったところの沢井村というところにあり、邸の中には「沢井道場」と呼ばれる剣術道場があります。
竜之助は、この道場の若先生なのです。
大菩薩峠での巡礼殺害事件が、道場の門弟たちの噂になっている(もちろん彼らは
お浜は、宇津木文之丞の内縁の妻なのですが、「文之丞の妹」だと偽って竜之助に面会を求め、来る御岳山の奉納試合において文之丞に負けてくれと懇願します。文之丞も竜之助も、かつて甲源一刀流の逸見道場で修行した身なのですが、師匠が道場を託したのは人品優れる文之丞でした(師の人を見る眼は間違ってないです!)。
竜之助は、本人曰く「破門同然で」逸見道場を去り、自ら道場を開いたのです。
人格的には大いに問題のある竜之助ですが、「音無しの構え」という自ら編み出した必殺技を持っていて、剣術の腕はめっぽう立ちます(これ以後、大衆文学の世界に陸続と現れることになる「必殺技を持つヒーロー」像の草分けなんだそうです)。
師匠に好かれ、門弟たちの受けがいいのは文之丞でも、剣を取って立ち会えば竜之助の方が強い、という
竜之助はすげなく拒絶して一旦お浜を追い返すのですが、与八という大力の男に命じてお浜を拉致させると、水車小屋に引っ張り込んで手籠めにしてしまいます(鬼畜じゃん!)。
その事件を噂で聞いた文之丞は、御岳山の奉納試合の直前、お浜に
しかし、剣技ではやはり竜之助の方が一枚も二枚も
文之丞の門弟たちは、いざ
追われるように故郷を出て江戸に
――いや、ちょっと待って!!
日本史とか全然詳しくないわたしですが、この展開にはさすがに首をひねりました。
だって、清河八郎が幕府の許可を得て組織したのは「新徴組」ではなく、「浪士組」ですよね!
将軍
清河のペテンに気づいた幕府が、「浪士組」の残党を江戸に呼び戻した後でようやく「新徴組」と改称されるのであって、近藤や土方が「新徴組」として江戸で活躍(既に尊皇派志士の暗殺とかやってます)しているのはちょっと、いや、かなーりおかしい‼
でも――
そういう「細かい」(?)ことは、どうでもよくなってしまう物語の不思議な魅力が、『大菩薩峠』という作品にはあるんです。
この後、竜之助を仇として付け狙う若侍が登場します。
これが文之丞の弟である美少年・宇津木兵馬。兵馬はついに竜之助の居所を突き止め、決闘状を送りつけます。
決闘状を受け取った竜之助、健気な少年に本懐を遂げさせてやろうなんて殊勝なことを考える――わけがありません!
それどころか、自分との間に一子・郁太郎をもうけたお浜を夫婦喧嘩(?)の末に惨殺、更に実の子供である郁太郎(まだ赤ちゃん)もそのまま放置、兵馬との決闘まですっぽかして京都へ向かってしまいます。
上洛して「新選組」(『大菩薩峠』内の表記では「新撰組」)を結成しようとする近藤らの仲間に加わるつもりらしい(だから、この段階ではまだ「浪士組」だったんじゃなくって?!)のですが、慌てて近藤らに追いつこうとするわけでもなく、なんだかのんびりとひとり旅をしている竜之助(チームプレイには絶対向いてないタイプ。協調性ゼロ、というかマイナス!)。
旅の途中で、竜之助はひょんなことから、お豊という面差しがお浜にそっくりな女性と関わりを持つのですが、お豊は真三郎という若者と心中事件を起こし……。
兵馬も竜之助を追って京都へ向かい、また祖父を竜之助に殺された巡礼の少女・お松も、裏宿七兵衛(江戸時代に実在した義賊)に助けられた後、これまた数奇な運命を辿って京都へ……。
大菩薩峠の巡礼殺しに端を発した因果応報の物語は、これより京の地でどんな縦糸と横糸を織りなしていくのか――
以上が、第一巻「甲源一刀流の巻」と第二巻「鈴鹿山の巻」のおおまかなストーリーです。
戦前の時代小説の巨峰『大菩薩峠』を二巻まで読んでみたわけですが、その感想はと言いますと……
「です・ます体」の文体が意外に読み易く、展開もはやい。めちゃくちゃなストーリーながら引き込まれる!!
そして、とにかく机竜之助のキャラが立っている。
です。
まだ二巻の段階で、既に人の道を外れまくっている竜之助ですが、ダークヒーローとして奇妙且つ強烈な魅力を放っている点は否定できません。
続けて読んでみるつもりなので、この連載に再度登場するかもしれません。
ただ、それにしても――
読み終わるまで、残りあと三十九巻かぁあああ……‼
(中里介山『大菩薩峠』篇・とりあえず了)