第18話 下剋上サクセスストーリー?(柚木麻子『私にふさわしいホテル』篇2)

文字数 3,882文字

 この相田大樹、本来人生最高の日であるはずの文学新人賞の受賞パーティーが、「地獄のような」日となった新人作家なのでした。
 いったい何が起こったのでしょう?
 
 ――なんと、「数年前まで人気絶頂だったアイドル女優」と同時受賞だったのです!

 おかげでアイドル女優の写真を撮ろうとするカメラマンに突き飛ばされ、名前を十回以上呼び間違えられ、翌日スポーツ新聞に載った写真では「見切れて写っていた」という悲惨さ! 正に地獄!

 受賞の翌月にははやくも受賞作が華々しく出版されたアイドル女優に対し、相田大樹の方は受賞から三年も経つのにまだ受賞作を出版してもらえません。
 それもそのはず、この賞は元々芸能プロダクションの社長が自分のところのアイドルを作家に仕立て上げるために、出版社と共謀して仕組んだ出来レースだったのです。しかもその原稿だって、ゴーストライターが原形をとどめないほど直したもので、裏では巨額のお金まで動いていたのでした。

 一方、ファミレスのバイトで生計を立てながら、一年に一日だけ、自腹で山の上ホテルに泊まって作家気分を味わう相田大樹。

 イタいイタい! あまりにイタくて可哀相すぎだろ、相田大樹!

 と今思ってしまったあなた――

 ちっ、がーう! ぜーんぜん、ちっ、がーう‼

 のです。

 この作品は、一度地獄を見た主人公が、権謀術数の限りを尽くしてのし上がっていく、まるで戦国武将のような下剋上サクセスストーリーなのです!

 本物の戦国武将なら、最終目標は「天下布武」とかだったりするんでしょうが、作家――それもエンタメの作家としてのゴールは?
 この作品では、文壇的ゴールは「直林賞」受賞ということになっています。もちろん、現実のどの賞をもじっているかはお分かりですよね!

 この作品は連作短編集だと言いましたが、一話ごとに主人公がのし上がっていく様が描かれていきます。
 しかもこの作品、著名現代作家たちが実名で登場するところも特色です。
 例えば、第二話の出版社主催のパーティー会場のシーン――

 可憐なワンピース姿の島本理生、マーク・ジェイコブスをさらりと着こなした山本文緒らの姿が次々に視界に飛び込んできた。

 第四話では、第二作がかなり売れているにも拘わらず、またも出版社主催のパーティー会場で、今度は著名女性書評家から罵倒に近い批判を受けて落ち込む主人公の姿が描かれるのですが、ある男性作家が登場して(一応)慰めてくれます。その作家とは――

 ギャルソンの視線の先にはなんと、当代きっての売れっ子大学生作家、朝井リョウが腰掛けているではないか。口角を少し上げただけの最小限の微笑といい、さわやかな髪型といい、シャツとベストの着こなしといい、特に頑張ったふうもないのにさりげなく洒落ていて、まだ二十歳そこそことは思えないほどこなれた雰囲気を醸し出していた。

 前話で、「『何者』に続くレビューとしては、こちらの方が合うかなという感じがした」と書きましたが、その理由というのがこの場面でした(笑)

『私にふさわしいホテル』は、柚木麻子さんの作品としては、『本屋さんのダイアナ』などと比べてなぜかAmazonの評価数がやや少なく、星も3.5、読者レビューもかなり辛口なものがあったりします。

 辛口レビューを書いている人たちは、もしかしてこの作品の主人公にいまいち感情移入できなかったのかも……というのが、作品読了後の率直なわたしの感想です。

 確かに、この主人公、逆境にめげずに清く正しく頑張り続けるといった、いわゆる「健気」系の女性ではありません。あざといと言えばかなりあざといし、非常に上昇志向の強い、ぎらぎらした女性だと言えます。

 彼女の性格をわかりやすくたとえれば――

『ときめきトゥナイト』の神谷曜子!

 このたとえのせいで余計わからなくなった方がいたら、ごめんなさい。……かつて一世を風靡した傑作ラブコメ少女マンガなんですけどね。

 (かたき)役とはいえ、神谷曜子が実はヒロインの江藤蘭世(ランゼ)よりはるかに優秀でバイタリティーに富んだ少女だったように、相田大樹もすごく頭が切れ、しかもその計画を実行に移すだけの能力と度胸があるのです。

 昔、神谷曜子が好きだったわたしは、相田大樹にすごく惹かれました。サクセスストーリーなので、とにかく読んでいてすこぶる痛快です。
 
 例えば第一話で、相田大樹は遠藤から、今ちょうど上の階で、文壇の大御所にしてドンファンとも称される東十条(ひがしじゅうじょう)宗典(むねのり)が缶詰になっていると聞き、悪魔的計画を思いつきます。

 実は相田大樹は、ずいぶん前から遠藤に一篇の短編小説を預けているのでした。
 この短編は既に編集会議も通り、挿絵まで付いているのですが、まだ雑誌掲載はされていません。なぜなら『小説ばるす』は老舗文芸誌なので、無名の新人の作品をおいそれと載せてはくれないからです。他の作家が原稿を落とす、つまり、締切りに間に合わないようなことでもない限り……。

 と・い・う・こ・と・は――

 東十条宗典が原稿を落としてくれれば、代わりに相田大樹の作品が掲載されるのです。しかも、『小説ばるす創刊五〇周年特大号』に!
 
 大樹は奇想天外な方法で、見事東十条に原稿を落とさせます。ネタバレになるので詳細は書けないのですが、ヒントとして、主人公のバイト先のファミレスの制服がこのホテルの従業員のそれと似ていたこと、彼女が大学時代に演劇サークルに所属していたことを挙げておきます。

『小説ばるす創刊五〇周年特大号』に無事作品が掲載され、作家としての第一歩を踏み出した主人公ですが、文壇の大御所にして、幾多の文学賞の選考委員を務める東十条を敵に回すという大変なリスクも負ってしまいます。

 それにしても、毎回主人公の前に立ちふさがる東十条には、モデルがいるのでしょうか?※

 敵は東十条だけではありません。主人公を飼い殺し状態にしているプーアール社からの理不尽な妨害、憧れていた女性編集者の裏切り、頼みの遠藤先輩でさえ、現役女子高生である天才美少女作家の担当編集者となるや、急に冷たくなったりします……。

 こうしたさまざまな逆境を主人公は一つひとつ、あっと驚く(そこまでやるか! と叫びたくなるほどの)策略ではねかえしていきます。

 主人公は単に作家として成功していくだけではありません。自分をひどい目にあわせた者たちに復讐していきます。最後の復讐の相手はもちろん――出来レースで新人賞を同時受賞し、彼女を地獄に突き落とした元アイドルの島田かれんです。

 かれんに対する復讐を成し遂げた後、主人公が東十条に話す次の言葉は、わたしの心に深々と刺さりました。

「女は怖い、みたいな陳腐でダサいこと言わないでね。私、その言葉だいっ嫌いよ。怖いのは女じゃなくて、この私よ。この有森(ありもり)樹李(じゅり)よ。東十条先生。これは私が、九年かけて考えた復讐劇よ。ずっとこの光景を夢見てた。嫌なことがある度に思い描いていた。島田かれんに知ってほしかったのよ……。死にもの狂いで摑んだ晴れの舞台で、誰からも見向きもされない理不尽さを。名前を覚えてもらえない悲しさを。自分に何の落ち度もないのに、脇役に押しやられる悔しさを。これでやっと私の復讐は完了」

 何度も声を上げて笑ってしまうほどユーモラスな作品なのですが、この部分を読んで思わず涙が出そうになりました。あざとい女と言わば言え、主人公には類い稀な実力があるのです。「そこまでやるか!」という権謀術数も、全ては自分の実力を正当に評価させるための「死にもの狂い」だったのです。それを理不尽に踏みにじられたとしたら、復讐するのが当たり前ではないでしょうか。

 で、でも――

 あれあれ?
 なんでペンネームが有森樹李に変わってるの? それに東十条って天敵だったんじゃ? なのにどうして友達同士みたいに話してるの?

 不思議ですよね~~

 これらの答えが知りたい方は、ぜひ実際に作品をお読み下さいませ。

 更にこの後、東十条の口から、本に関わる全ての人へ送る静かなエールのような、すごく美しい言葉が発せられるのです。(あの東十条からこんな言葉が! は、反則だよ~! ジーンとしちゃったよわたし‼)

 コメディーが好きな人、きれいごとじゃない女性の物語に共感できる人、サクセスストーリーでスカッとしたい人、出版界の裏事情に興味がある人、そして何より小説を愛するすべての人に――『私にふさわしいホテル』はお薦めの一冊です!


※ 特定のモデルはいないのでしょうが、この作品の出版年、また東十条が不倫小説でミリオンセラーを連発したという設定等から、わたしは勝手に、あの『失〇園』のW.Jさんの姿を思い浮かべてしまいました。Amazonの作品紹介には、書評家の豊﨑由美さんがコメントを寄せているのですが、それがなかなか意味深です。曰く、「ユズキ、直木賞あきらめたってよ(笑)」 。
 まだ駆け出しの書評家だった頃の豊﨑さんが、W.Jさんの作品に関する批判的なレビューを雑誌に掲載したところ、怒り狂ったW.Jさんが編集部に怒鳴りこんで、豊﨑さんの連載を打ち切りにさせたっていう伝説があるんですよね。ちなみにW.Jさんは『私にふさわしいホテル』が刊行された二年後、2014年に鬼籍に入られているのですが、直木賞をはじめ、数々の文学賞の選考委員も務められた文壇の大御所でした。読者として、ちょっとゴシップ的想像をたくましくする下地はあるかな、なんて……。

                     (柚木麻子『私にふさわしいホテル』篇・了)
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