第16話 あなたは「何者」ですか?(朝井リョウ『何者』篇2)
文字数 2,605文字
『何者』には、思わず引用したくなる、印象的な言葉がいっぱい出てきます。
この作品の語り手兼主人公の拓人は、「想像力」という言葉を使います。
拓人は、引退ライブを終えた同居人の光太郎が、「最高に楽しかった」打ち上げの様子をSNS上に全くアップしていないのを見て、「光太郎のいいところは、想像力があるところだ」と思います。
拓人がいう「想像力」とは、いったいどんな意味なのでしょうか?
想像力がない人は、絶好のチャンスだと言わんばかりに、こういうものを外へ外へと発信する。自分はこんなにもがんばってきたと、自分はこんなにも愛されていると、そう思われるために思い出を外へと発信する。
こうした本人や身内だけが盛り上がる内容を、「その事柄に全く関係の無い人」が見たらどう思うか。それがわかる人が「想像力のある人」であり、それがわからず不特定多数の人へ向けて発信してしまう人が「想像力のない人」だ、と拓人は考えるのです。
ま、正に!
ついついこうした内輪ウケ、あるいは単なる自己満足の情報を発信して、「関係の無い人」から白い目を向けられてしまうっていうのは、SNSあるあるですよね。
また、こんなエピソードもあります。
就活仲間の一人である理香は、アメリカ留学や国際ボランティアの経験があり、就活対策も万全だったはずなのに、志望企業の面接どころか第一段階のWEB試験にすら合格できません。ところが、拓人は理香がツイッターで、こんな発言をしているのを見てしまうのです。
自分の中で軸が固まってきてる分スムーズに話せちゃうから、早口になりやすくなるんだって。意識するって大事!
「次の面接」も何も、理香はまだ一度も面接まで辿り着けていないのです。
就職仲間の中のもう一人の女子・瑞月は、拓人にこう言います。
ほんとうにたいせつなことは、ツイッターにもフェイスブックにもメールにも、どこにも書かない。ほんとうに訴えたいことは、そんなところで発信して返信をもらって、それで満足するようなことではない。だけど、そういうところで見せている顔というものは常に存在しているように感じるから、いつしか、現実の顔とのギャップが生まれていってしまう。
この言葉、刺さったと感じる人が多いのではないでしょうか。
「現実の顔とのギャップ」があるのは、SNSだけではありません。就活においても、学生たちは「何者」かを演じているのです。
拓人は瑞月に密かな思いを寄せているため、瑞月の言動には好意的なのですが、逆に理香を見る目には、かなり厳しいものがあります。
そんな拓人と理香がたまたま、同じ企業のグループディスカッションで出会い、あろうことか同じグループになってしまうのです。(これって、すっごく嫌なシチュエーションですよね!)
グループディスカッションのあいだ、小早川理香という人間そのものの意見は、一つも出てこなかった。留学をした小早川理香、インターンをした小早川理香、広報班長、海外ボランティアをした小早川理香。見えない名刺を配っているような話し方に、グループのメンバー全員が、うんざりした表情をしていた。しきりに頷いている風の試験官も、ちらちらとストップウォッチを確認していた。(中略)たった数十分のグループディスカッションの間に、理香さんは自分自身ではない
5人の中で一番早く内定を得たのは、瑞月でした。
「大日通信」という会社のエリア職です。5人は理香と隆良の部屋(5人の集会場所のようになっている)に集まり、祝賀会を催します。
理香はツイッターに、こう書き込みます。
「今日の夜は友達の祝賀会。仲間内で初めての内定! ホントに嬉しい! ずっと協力しあってた大好きな友達だったから、聞いたとき飛び上がっちゃった。瑞月、ホントにおめでとう!」
本人に言えば済むことを、なぜ不特定多数の人びとへ向けて発信しなければいけないのでしょうか?
祝賀会の席で理香は、瑞月が内定した「エリア職」とは何なのか、と訊きます。総合職と違って転勤がないという説明を受けた理香は――
「なるほどね」ゴクリ、と音を立てて理香さんはビールを飲んだ。一口分軽くなったビール缶をテーブルの上に置く。
コン、と気持ちのいい音がした。
「じゃあ、総合職とは
しかも後に拓人は、理香のパソコンを借りた時、予測変換機能によって、理香が「過去に検索したらしい言葉」を見てしまうのです。
それはなんと――
大日通信 エリア職 ブラック
でした。
ここまで読んだ方は、理香という女性がすごくイタい、そして嫌なやつだと思われることでしょう。
わたしもラスト近くまで、就活やSNSによって浮かび上がる人間の心の闇を描き出す作品なのかと思っていました。
もちろん、そういう部分もこの作品の大きな特色のひとつで、且つ十分読み応えがあるのですが、違うのです!
何が違うって?
――この作品の最も衝撃的な部分は、ラストにあるのです!
ラストで、物語がものの見事に反転します。
や、やられたあっ!
す、すごい!!
思わずそう叫んでしまいました。
いやいや、子供の感想じゃあるまいし、「やられた」と「すごい」だけじゃわからんだろ、と言われそうですね。
わかりました。
ネタバレを避けるため、ヒントだけ差し上げます。
ミステリーとしてこの作品を見れば、一種の叙述トリックだと思います。
読者は「語り手」を無意識に信頼している。
その点を巧みに突いたトリックです。
アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』や、歌野晶午の『葉桜の季節に君を想うということ』が好きな方なら、『何者』のトリックもきっと気に入ると思います。(これもヒントですよ~)
前回読んだのが昭和テイスト満載の伊集院静『いねむり先生』だったせいか、この作品の「現代性」が余計強く感じられた気がしました。
『何者』の単行本が出たのは2012年で、ちょうど十年前ですが、2022年現在もこの作品は、「今」の物語であり続けていると思います。
人が死なないミステリー、時代の「今」を切り取ったエンターテインメント作品を読みたい人に、『何者』はお薦めの一冊です!
(朝井リョウ『何者』篇・了)
この作品の語り手兼主人公の拓人は、「想像力」という言葉を使います。
拓人は、引退ライブを終えた同居人の光太郎が、「最高に楽しかった」打ち上げの様子をSNS上に全くアップしていないのを見て、「光太郎のいいところは、想像力があるところだ」と思います。
拓人がいう「想像力」とは、いったいどんな意味なのでしょうか?
想像力がない人は、絶好のチャンスだと言わんばかりに、こういうものを外へ外へと発信する。自分はこんなにもがんばってきたと、自分はこんなにも愛されていると、そう思われるために思い出を外へと発信する。
こうした本人や身内だけが盛り上がる内容を、「その事柄に全く関係の無い人」が見たらどう思うか。それがわかる人が「想像力のある人」であり、それがわからず不特定多数の人へ向けて発信してしまう人が「想像力のない人」だ、と拓人は考えるのです。
ま、正に!
ついついこうした内輪ウケ、あるいは単なる自己満足の情報を発信して、「関係の無い人」から白い目を向けられてしまうっていうのは、SNSあるあるですよね。
また、こんなエピソードもあります。
就活仲間の一人である理香は、アメリカ留学や国際ボランティアの経験があり、就活対策も万全だったはずなのに、志望企業の面接どころか第一段階のWEB試験にすら合格できません。ところが、拓人は理香がツイッターで、こんな発言をしているのを見てしまうのです。
自分の中で軸が固まってきてる分スムーズに話せちゃうから、早口になりやすくなるんだって。意識するって大事!
次の面接で
活かす!(傍点部南ノ)「次の面接」も何も、理香はまだ一度も面接まで辿り着けていないのです。
就職仲間の中のもう一人の女子・瑞月は、拓人にこう言います。
ほんとうにたいせつなことは、ツイッターにもフェイスブックにもメールにも、どこにも書かない。ほんとうに訴えたいことは、そんなところで発信して返信をもらって、それで満足するようなことではない。だけど、そういうところで見せている顔というものは常に存在しているように感じるから、いつしか、現実の顔とのギャップが生まれていってしまう。
この言葉、刺さったと感じる人が多いのではないでしょうか。
「現実の顔とのギャップ」があるのは、SNSだけではありません。就活においても、学生たちは「何者」かを演じているのです。
拓人は瑞月に密かな思いを寄せているため、瑞月の言動には好意的なのですが、逆に理香を見る目には、かなり厳しいものがあります。
そんな拓人と理香がたまたま、同じ企業のグループディスカッションで出会い、あろうことか同じグループになってしまうのです。(これって、すっごく嫌なシチュエーションですよね!)
グループディスカッションのあいだ、小早川理香という人間そのものの意見は、一つも出てこなかった。留学をした小早川理香、インターンをした小早川理香、広報班長、海外ボランティアをした小早川理香。見えない名刺を配っているような話し方に、グループのメンバー全員が、うんざりした表情をしていた。しきりに頷いている風の試験官も、ちらちらとストップウォッチを確認していた。(中略)たった数十分のグループディスカッションの間に、理香さんは自分自身ではない
何者か
にたくさん憑依していた。(傍点部南ノ)5人の中で一番早く内定を得たのは、瑞月でした。
「大日通信」という会社のエリア職です。5人は理香と隆良の部屋(5人の集会場所のようになっている)に集まり、祝賀会を催します。
理香はツイッターに、こう書き込みます。
「今日の夜は友達の祝賀会。仲間内で初めての内定! ホントに嬉しい! ずっと協力しあってた大好きな友達だったから、聞いたとき飛び上がっちゃった。瑞月、ホントにおめでとう!」
本人に言えば済むことを、なぜ不特定多数の人びとへ向けて発信しなければいけないのでしょうか?
祝賀会の席で理香は、瑞月が内定した「エリア職」とは何なのか、と訊きます。総合職と違って転勤がないという説明を受けた理香は――
「なるほどね」ゴクリ、と音を立てて理香さんはビールを飲んだ。一口分軽くなったビール缶をテーブルの上に置く。
コン、と気持ちのいい音がした。
「じゃあ、総合職とは
全然違うんだね
」(傍点部南ノ)しかも後に拓人は、理香のパソコンを借りた時、予測変換機能によって、理香が「過去に検索したらしい言葉」を見てしまうのです。
それはなんと――
大日通信 エリア職 ブラック
でした。
ここまで読んだ方は、理香という女性がすごくイタい、そして嫌なやつだと思われることでしょう。
わたしもラスト近くまで、就活やSNSによって浮かび上がる人間の心の闇を描き出す作品なのかと思っていました。
もちろん、そういう部分もこの作品の大きな特色のひとつで、且つ十分読み応えがあるのですが、違うのです!
何が違うって?
――この作品の最も衝撃的な部分は、ラストにあるのです!
ラストで、物語がものの見事に反転します。
や、やられたあっ!
す、すごい!!
思わずそう叫んでしまいました。
いやいや、子供の感想じゃあるまいし、「やられた」と「すごい」だけじゃわからんだろ、と言われそうですね。
わかりました。
ネタバレを避けるため、ヒントだけ差し上げます。
ミステリーとしてこの作品を見れば、一種の叙述トリックだと思います。
読者は「語り手」を無意識に信頼している。
その点を巧みに突いたトリックです。
アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』や、歌野晶午の『葉桜の季節に君を想うということ』が好きな方なら、『何者』のトリックもきっと気に入ると思います。(これもヒントですよ~)
前回読んだのが昭和テイスト満載の伊集院静『いねむり先生』だったせいか、この作品の「現代性」が余計強く感じられた気がしました。
『何者』の単行本が出たのは2012年で、ちょうど十年前ですが、2022年現在もこの作品は、「今」の物語であり続けていると思います。
人が死なないミステリー、時代の「今」を切り取ったエンターテインメント作品を読みたい人に、『何者』はお薦めの一冊です!
(朝井リョウ『何者』篇・了)