第19話 少女と元少女の物語(トーベ・ヤンソン『少女ソフィアの夏』篇1)
文字数 961文字
人間の生活は、世界中どこでも似たようものだ。
――という言い方は、ある意味真実だと思います。
民族が違おうと、言語や気候が違おうと、結局人間は毎日、同じようなことで喜んだり、悲しんだり、怒ったり、悩んだりしている……。
でも――
違うところがある。
海外文学を読む愉しみは、そうした彼我 の違いに、はっと驚いてみたいというところにあるのではないでしょうか。
というわけで今回取り上げるのは……
トーベ・ヤンソン『少女ソフィアの夏』。
トーベ・ヤンソンは、言わずと知れた「ムーミン」シリーズの作者です。
子供の頃、「ムーミン」シリーズの面白さの虜 となって全巻読破したわたしですが、「ムーミン」以外の作品は読んだことがありませんでした。
この作品、ファンランドでの初版は1972年。原題はスウェーデン語で“
今回わたしが読んだ『少女ソフィアの夏』は、1993年に渡部翠氏の訳で講談社から出版されています。
「ムーミン」シリーズの作者による、「ムーミン」ではない物語。
一言でいえば、少女と元少女の物語です。
ただ、この少女と元少女の間には七十もの年齢の違いがあります。
元少女は少女の祖母なのです。
本書の作品紹介を先ず引用してみましょう。
人生の扉を開けたばかりの少女ソフィアと、人生の出口にたたずむ祖母。
七十も年齢の違うふたりが思うままを対等に、
率直にぶつけ合いながらも、
互いをさりげなく思いやる――
北欧の魅力にあふれる書。
読了後、この紹介を読むと、「確かにその通り」と思うのですが――
この紹介を読んだ日本人が思い描く作品イメージと、実際に読んだみた内容は、かなーり違う!
のです。
ソフィアと祖母の関係性が正にこの作品の読みどころなのですが、日本人が「思うまま」を「対等に、率直にぶつけ合う」という言葉からイメージする孫娘と祖母の姿を、作品は軽々と(そして斜め上の方向に)超えていきます。
「思うまま」、「対等に、率直にぶつけ合う」という言葉の持つ意味が、日本とフィンランドではおそらく違うのです。
でも、そこがめっぽう面白い‼
正に海外文学の醍醐味!
では、ソフィアと祖母はいったいどんな夏を過ごしたのか?
次回、詳しく紹介したいと思います。
――という言い方は、ある意味真実だと思います。
民族が違おうと、言語や気候が違おうと、結局人間は毎日、同じようなことで喜んだり、悲しんだり、怒ったり、悩んだりしている……。
でも――
違うところがある。
海外文学を読む愉しみは、そうした
というわけで今回取り上げるのは……
トーベ・ヤンソン『少女ソフィアの夏』。
トーベ・ヤンソンは、言わずと知れた「ムーミン」シリーズの作者です。
子供の頃、「ムーミン」シリーズの面白さの
この作品、ファンランドでの初版は1972年。原題はスウェーデン語で“
Sommarboken
”。直訳すれば「夏の本」となるそうです。今回わたしが読んだ『少女ソフィアの夏』は、1993年に渡部翠氏の訳で講談社から出版されています。
「ムーミン」シリーズの作者による、「ムーミン」ではない物語。
一言でいえば、少女と元少女の物語です。
ただ、この少女と元少女の間には七十もの年齢の違いがあります。
元少女は少女の祖母なのです。
本書の作品紹介を先ず引用してみましょう。
人生の扉を開けたばかりの少女ソフィアと、人生の出口にたたずむ祖母。
七十も年齢の違うふたりが思うままを対等に、
率直にぶつけ合いながらも、
互いをさりげなく思いやる――
北欧の魅力にあふれる書。
読了後、この紹介を読むと、「確かにその通り」と思うのですが――
この紹介を読んだ日本人が思い描く作品イメージと、実際に読んだみた内容は、かなーり違う!
のです。
ソフィアと祖母の関係性が正にこの作品の読みどころなのですが、日本人が「思うまま」を「対等に、率直にぶつけ合う」という言葉からイメージする孫娘と祖母の姿を、作品は軽々と(そして斜め上の方向に)超えていきます。
「思うまま」、「対等に、率直にぶつけ合う」という言葉の持つ意味が、日本とフィンランドではおそらく違うのです。
でも、そこがめっぽう面白い‼
正に海外文学の醍醐味!
では、ソフィアと祖母はいったいどんな夏を過ごしたのか?
次回、詳しく紹介したいと思います。