第28話 わたしの好きな落語家エッセイ・4(柳家小三治『ま・く・ら』後篇)

文字数 1,594文字

 柳家小三治『ま・く・ら』の中で、もし一篇だけ選べと言われたら、わたしはやはり「玉子かけ御飯」を挙げたいです。

「今年の夏はね、暑かった!」ということから、酷暑で食欲がない時に何を食べるかという話になるんです。

 え~、それでね、今日は、この夏をとおして、最後に頼るのは、これしかない! というものをあらためて発見いたしましたので、それを皆様にお伝えしよう(笑)。今日は、ささやかな会をもたしていただき……(笑)。
 そらぁ何かっていえばね、よく皆さんご存じのもの。ズバリ! 申し上げましょう。
 玉子かけ御飯! (笑)

「あたくしはね、玉子かけ御飯については、相当強いこだわりがあります」と言って、そこから戦後間もない「食糧難」の時代、玉子がいかに貴重品だったかという話になります。

 いま食うに困っている人いないでしょ? そのころは誰もが、大人も子供も、朝目が覚めるってぇと、「お腹がすいたねえ」。昼顔合わせるってぇと、「腹へったよぉ。お腹がすいたぁ」。晩飯食ったあとでも、「お腹がすいたねえ」(笑)
 いつでもお腹がすいてた。
 おコメ。夢のまた夢でしたね。ましてやね、玉子なんてぇものね、金の宝石でしたよ。
 え~、これが何かのかげんで、闇米かなんかでこっちに流れてきて、闇玉子かなんかがたまたま出くわすんです。年に一度か二度!

「闇米」というのは、「販売統制が行なわれていた時代に、決められた販路によらず、密かに売買されていた米」のことです。

 違法行為ですが、当時法律を守って「闇」に手を出さなければ餓死すると言われていました。

「年に一度か二度」、ようやく手に入れた、たった一個の玉子を、小三治の家では家族七人で食べていた、というのです。

 一個の生玉子を、いったいどうやって七人で分けて「玉子かけ御飯」にして食べるのでしょうか。

 いや、そもそもそんなことが可能なんでしょうか。

 そのやり方を、小三治は「玉子かけ御飯」の中で()()(さい)穿(うが)って語ります。

 すごくおかしいのですが、でもこれ、考えてみたら途轍(とてつ)もなく悲惨な話ですよね。

 それでお客を「泣かせる」のではなく、「笑わせる」ことができた小三治の凄さというものがよくわかるお話です。

 え? どうやって一個の生玉子を七人で分けたのか教えろって?

 それはぜひ、『ま・く・ら』を読んでみてください。

 ――って言ったら、

 ふざけんな、南ノ‼

 と怒られそうですよね……。

 でも、ご安心ください。

 これもYouTubeで「柳家小三治 玉子かけ御飯」と検索すれば出てくるはずです。

 このお話は文字ではなく、やはりぜひ実際の高座の声で聴いていただきたいと思います。

 それにしても――

 計四回(三回の予定が四回になってしまいました)に渡って落語家エッセイのレビューを書いてきましたが、取り上げた三冊に共通するキーワードは、もうお気づきとは思いますが、「戦争」です。

 小三治が「玉子かけ御飯」を初めて高座にかけたのは、1992年。

 バブル経済が崩壊した直後でしたが、それでも世の中にはまだまだ余裕があった時代です。

 それから30年、日本社会は大きく様変(さまが)わりしました。

 人間国宝・柳家小三治が逝ったのは、去年——2021年10月7日のことです。

 享年八十一。

「こども食堂」などへの取り組みが大きく注目される現代の世相を、晩年の小三治はどのように見つめていたのでしょうか。

 今回三冊の落語家エッセイを再読し、わたし自身、いろいろ考えるところがあったのですが、それはブックレビューとはまた違ったものになってしまいますので、いつか別な形で書いてみたいと思います。

 今日はクリスマス・イヴ。

 京都の清水寺で発表された「今年の漢字」が「」であった2022年も、もうすぐ暮れようとしています……。

                         (柳家小三治『ま・く・ら』篇・了)
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