第7話 狂っているのは誰か?(村田沙耶香『殺人出産』篇2)

文字数 2,453文字

『殺人出産』の主人公は、会社で事務職に就いている育子。
 彼女には、他人に語ることをはばかる秘密があります。それは――

 育子の姉・(たまき)が「産み人」だということ。

 殺人出産システムで産まれた子供はセンターで育てられます。環は元々、そういう「センターっ子」のひとりでした。
 一方の育子は、母親が人工授精で産んだ子供。自分でセンターから環を引き取っておきながら、母親の姉妹に対する態度には違いがありました。自分の産んだ子である育子の頭や頬はよく撫でたのに、環の身体にはほとんど触れようとしなかったのです。

 こうした差別待遇を受けて育ったせいか、環は成績優秀で美しい少女であるにも拘わらず、「殺人衝動」を秘めた子供に育ってしまいます。
 最初はその衝動が自分に向き、自傷行為となって現れますが、自分の体を傷つける姉を見ていられなくなった育子が、自傷行為の代わりに蜘蛛や蝉などの虫を殺すことを環に提案します。

 姉より私のほうが残酷だったのかもしれない。私は虫が死ぬことを何とも思わなかったが、姉は、自分の指で潰された虫を見ながら、「ごめんね」と涙を流すのだった。※1 

 自分で殺しておいて「涙を流す」のは奇妙に思われますが、育子は次のようにこの姉を理解しています。

 姉にとって、殺すことは祈りだった。生きるための祈りだった。姉が生きたいと願うたびに、その白い手の中で小さな命が壊れた。そのことが、姉をかろうじて正気に保っていた。※2 

 狂っているのは誰なのか、そして、正気とは何なのでしょうか。

 環が小学五年生の時、事件が起きました。
 美人で優等生、クラスの人気者だった環に嫉妬した同級生が、環の「秘密の行動」を暴き、弾劾したのです。「殺人鬼」というレッテルを貼られてしまった環。母親はすぐに姉妹を私立校に転校させますが、以来環は、より強い「殺人衝動」に悩まされていくようになり、ついに「産み人」となる決心をします。

 姉が「産み人」になると言ったのは、姉が17歳で、私が14歳のときだった。中学生だった私は必死に姉を止めた。
「そんなことやめなよ。これから10人も産み続けるなんて、死んじゃうよ。いくら『産み人』なんて言葉で美化したって、要は前もって拷問を受けるってことじゃない。こんなのおかしいよ。死刑のほうがよっぽどましだよ。狂ってるよ」※3 

 それでも、環は「産み人」になる道を選びます。

 そして現在。
 ある日、同僚の瑞穂が会社を辞めます。彼女は「産み人」になる決意をしたのです。
 瑞穂の仕事を引き継ぐために、早紀子という女性がやってきます。早紀子は優秀でコミュ力も高い女性。最初、いい人が来てくれたと喜ぶ育子ですが、ふたりきりになった時、早紀子からこんなことを言われます。

「身内に『産み人』がいらっしゃるから。きっと、『産み人』の感情をよくご存じなんじゃないかと思って」

 思わず息を止める育子。姉が「産み人」だという秘密を、なぜこの女性は知っているのでしょうか。

「そう睨まないで、落ち着いて話を聞いてください。私は貴方たちの味方ですよ。私にはわかります。殺人を罪だと思うから、隠してらっしゃるんですよね。
 本当に酷い世界になってしまったものです。殺人をエサに産ませ続けるなんて、死刑よりずっと酷い拷問よ。でも誰も何も言わない。人類が滅びないために、ヒトが子孫を残し続けるために、『産み人』などと名付けて美化して、その上で犠牲にし続ける。自分たちはのうのうと、お腹を痛めることを忘れ、快楽だけのセックスに没頭しながらね。この世は狂ってるわ」※4 

 早紀子は、自分は「ルドベキア」(花の名前。花言葉は「正義」、「正しい選択」)という組織の会員だと言います。

「安心してください。私たちは、貴方たちのような方の味方です。狂ってしまった『正義』を改め、この世界を再び正しい世界にするために活動しています。(後略)」※5

 環に会わせてくれと言う早紀子。彼女の言葉は、育子がかつて、「産み人」になろうとする姉を止めようとして言った内容と同じです。
 でも、今の育子は、早紀子に賛同することができません。それなら姉は間違っていたのか、拷問のような苦痛に耐えて子供を産み続けてきた姉は狂っていると言うのか。育子には、もうすぐ10人目を産もうとしている姉の人生を否定することが、どうしてもできないのです。

 実は育子は、姉が「産み人」になると言った日から心の中にずっと、ある疑惑を抱えています。
 
 10人目を産んだとき、姉は誰を殺すのだろうか。母かもしれないし、私かもしれない。わかるのは、その死のために10もの命が生まれたということだけだった。※6 

 果たして、環が殺したい人間とは誰なのか?

 そしてついに、姉が10人目を産んだというメールが育子の元に届き……。

 ――この続きが知りたい人は、ぜひ実際に作品をお読み下さいませ!

 実際に、環が合法的な殺人を行う場面や、美容にいいという理由から虫を調理したお菓子が流行していて、事務職の女性たちが休み時間に「蝉スナック」をぽりぽり食べながらおしゃべりをするとか、ちょっとグロい場面があり、そういうのが苦手な方は要注意ですが、でも読み始めたら一気読み必至の作品だと思います。

 この『読書日記』の第一話で、世間一般の常識、道徳観、価値観に揺さぶりをかけるのが純文学だと書きましたが、そうした「揺さぶられ感」以外に、更にストーリー性のある作品を読みたい方には、この『殺人出産』、お薦めです!
 ちなみに講談社文庫版の『殺人出産』には、表題作の中篇「殺人出産」の他に、「トリプル」、「清潔な結婚」、「余命」という三篇の短篇小説が収録されています。

                          (村田沙耶香『殺人出産』篇・了)

※1 村田沙耶香『殺人出産』、講談社文庫、2016年、P42。
※2 同上書、P43。
※3 同上書、P28。
※4 同上書、P33。
※5 同上書、P34。
※6 同上書、P65。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み