第18話
文字数 4,096文字
その十八
「すいませーん、ちょっと仕事が入ってたものですから」
と約束より若干遅れてきた渡部さんの車で○○村へ向けてこののち出発すると、アクロバティックなポーズもとらされていたからだろうか、香菜ちゃんはかなり早い段階でぼくの肩にもたれて眠ってしまったのだけれど、ふと気がつくと、いつのまにか、ぼくのほうがパンのミミをかじっていた香菜ちゃんの肩にもたれていることになっていたので、なにげにぼくも各ポーズに興奮しすぎてエネルギーを消耗していたのかもしれない。
寝ているあいだに、われわれはどうやら○○村付近まで来ていたらしく、まだぼんやり協子さんを紅茶にひたした状態で香菜ちゃんにもらった食パンのミミをチュパチュパやっていると、
「はい、お疲れさまぁ。着きましたよぉ」
とやがて渡部さんが後部ドアを開けてくれたのだが、
「夜分ですが、ごめんください、ごめんなさい」
と史歩家のインターホンを鳴らすと、
「ワーオ!」
とダイアンが玄関を開けてくれて、
「ん?」
とぼくが一瞬ここがどこなのか、わからなくなっていると、ダイアンは、
「みんな、もう飲んでるのよ。あれ? なんか英国紳士みたいね、倉間さん」
と中に入るよう、われわれに手まねきをした。
史歩家の応接間にはみんみん氏も市長も小林さんもいて、三人はボロボロのはっぴを羽織った二人の男性をあいだにはさんで大いにはしゃいでいたが、ぼくに気づいた史歩さんが、みんみん氏に、
「ねえ、三原さん」
と呼びかけると、氏は、
「ああ、倉間さん、待ってましたよ!」
といって、若干よろめきながら抱きついてきた。
「みつけたのですよ! われわれは、大島さんも、それから南さんもみつけたのです。倉間さんの読みが当たったのですよ!」
「みみみ、みつかったんですか?」
「ええ。森中市長が○○村の村長をよく知っていたので、なにもかもが円滑にはこんだのです。ね! そうですよね、市長」
「倉間先生、わたしはねぇ、今回、ひさしぶりに、フットワークがよかった! 村長に電話して『わたしはねぇ村長、これこれこういう人たちを、現在捜している。ぜひ協力してほしい』と要請した。そうしたら村長は『森中市長からのお願いじゃあ、断れませんなぁ』といって、消防団をすぐ、出動させてくれた! わたしのお願いということで、嫁問題をちらつかせて、村の青年団に、はたらきかけてくれた! 獣を恐れている村役場の連中のために、旧家と取り引きして、もぐりの火縄銃を貸し出させた! 長期戦をにらんで、松明も用意してくれた! 川のなかを捜索する男たちの士気を高めるために、川のほとりでそれを見守る女たちに紅白粉を義務づけた! 倉間先生、これがビューティフル玲子だったら、どうなってましたか! あんなのは、ただガリガリなだけですから、きっと、あの体操を披露して、お茶を濁すだけです! わたしだから、融通がきいたんです! ですから、あんなもんに、市政はぜったい任せられない!」
史歩さんが出してくれた米焼酎を飲みながら、このあとお話をじっくりきいてみると、なんでも新キャン連時代は大島さんの兄貴的存在だったらしい南さんは例の全国行脚のすえにこの村で林業を営んでいる田中さんのところへ二十年ほど前に転がりこんだということだったが、南さんが寝起きしている田中さん所有の山の三合め付近にある小屋に先月大島さんがひょっこりあらわれると、行脚で燃焼したはずのキャンディーズにたいする想いがよみがえったのか、南さんは連日大島さんと揃いのはっぴを着て、DVDのランちゃんとスーちゃんとミキちゃんに声援を送りまくったらしくて、ちなみに史歩さんの、
「『年下の男の子』や『どれがいいかしら』も、連日うたってらしたでしょ?」
という問いには、
「いいえ。わたしも大島もキャンディーズに声援を送っていただけで、コーラスなんて、そんな恐れ多いことは、してないですよ。な?」
「うん。南さんは、ちょっとスーちゃんのものまねをしてたけど、それは山の仕事でいつもかぶってるヘルメットを、こうやって振り回してただけだし……」
とお二人はこたえていたので、もしかしたらこの村には、まだ身をひそめているキャンディー兵(?)が、いるのかもしれないけれど、小林さんに米焼酎のお湯割りをつくってもらって、
「すいません」
とそれを両手で受け取った大島さんは、
「あした家族のもとへ、かならず帰ります。みなさんご心配おかけしました」
とここにいる人間に何度も宣言していたので、ぼくは史歩さんほど残りの兵隊には、こだわらなくて、
「やっぱり大画面で観るといいですねぇ! おれたちずっと大島がもってきたポータブルなんとかっていう、こんなちっちゃいやつで観てたんですよ」
と南さんが感動していた史歩家の大型テレビに映し出されていたキャンディーズのお姿に、
「たしかにこれだけの大画面だと印象がまたちがいますねぇ。あっ、スーちゃん紙テープお腹に当たっちゃった。かわいそう。あーん」
と見入りながら、あるいは、
「ねえコーチ、この『アン・ドウ・トロワ』の振付、コーチが教えてくれたのと、まったくちがいますね――コンサートだからかなぁ……」
と香菜ちゃんに指摘されながら、ぼくは地位があがったのちに純朴なおはぎちゃんに尊敬されたり、権力をもったのちに奥さん日記の袋とじ部分を奥さん自身に実演させたり、ナンバーツーになったのちに肉汁を滴らせながらステーキを食べたりしている自分を想像していたのである。
大島さんは、ぼくがキャンディーズにかんしてはかなりのものだと肌で感じると、
「倉間さん、これをちょっと観てほしいんです」
といま映しているDVDを停めて、ほかのディスクと差し替えていたが、大島さん自身が編集したというそのDVDにはドラマに出ているランちゃんの各セリフシーンのみが、びっしり入っていて、大島さんがいうには、
「これは、ランちゃんがわれわれに送っているメッセージを、わかりやすくまとめたものです」
とのことなのであった。
大島さんはきっちり年代順にランちゃんの出演作を録画していたので、画面が電車に乗り込むランちゃんに切り替わると、
「はい、ここから九〇年代になりまーす」
ともいったりしていたが、九〇年代半ばくらいになってくると、あのランちゃんにも、たしょうの小じわが見え隠れするようになっていて、それが二〇〇五、六年くらいまで押し迫ってくると、さすがに少女の面影はかなり薄れていた。
ランちゃんが刑事のような役をやっている場面に映像が変わると、大島さんは、
「ほら、ランちゃんが害者の血を指さして、新米刑事役の若手の女優に、それを着目させているでしょ? これはつまり、わたしのキャンディーカラーはレッド。わたしのほうがあなたより国民的な存在なのよ、と遠回しに主張しているんですよ」
とわれわれに説明していたが、スーちゃん編のDVDでも編者のこういうスタンスは一貫していて、大島さんは姑役のスーちゃんが水色のハンカチを取り出すと、先の発言とおなじような視点で、その場面を解説するのだった。
「お腹すいてるんだったら、わたしのも食べていいわよ」
と香菜ちゃんにえびの天ぷらを分けていたダイアンは、スーちゃん編が終わると、
「ミキちゃんのはないの?」
と大島さんにきいていたが、ミキちゃんは女優としては、実質活動していないわけだから、大島さんも苦笑しつつ、
「残念だけど、ないんです」
としかいえなかった。
とはいえ、八〇年代前半に歌手としてミキちゃんが再活動したときの映像は、すこしあるようだったので、
「ねえねえ、ミキちゃん編が観た~い」
となぜか駄々をこねていたほろ酔いのダイアンのために、十分くらいで終わってしまうそちらのほうもいちおう何度か上映したのだけれど、ランちゃん編のように徐々に小じわが増えていくこともなければ、スーちゃん編のようにスーたらしめているなにかがじわじわ減っていくこともない、いわばぶつ切りのそのミキちゃん編をくりかえし観ていると、ぼくは神からの啓示というか、遮光カーテンを開けたら、おもいがけず朝日がつよくて、その光にしばし圧倒されるように、
「キャンディーズのミキちゃんも、いまでは五十歳をすぎているんだ……」
と感じて、それからキャンディーズのなかでミキちゃんだけが、われわれの知らないところで年齢を積み重ねていたんだと思った。
ランちゃんとスーちゃんは女優をしているから現在のお姿をいつでも拝めるし、太田裕美さんはいまでもうたってくれているのでコンサートに行けばあの歌声を聴くことができるけれど、ミキちゃんはこれだけ国民的な存在であっても公にはもう姿をみせなくなっているので、ミキちゃんが髪を切っても、われわれはそれを知らないし、ミキちゃんがバスタブを洗っていて、うっかりシャワーの水をあたまからかぶってしまっても、われわれはそれに励ましの言葉をかけることもないし、浴衣のミキちゃんが出店の綿飴にふと足をとめても、われわれはそのざわめきを感じることもない。
史歩邸に一泊することになったこの晩は、案の定「ミキちゃん編の続編がじつはあった!」という夢をみたけれど、その上映はいつのまにか史歩ちゃん編にディスクが差し替えられていることになっていた。
だからぼくは、
「さらなる啓示を受けたぁ!」
ととなりで寝ていたみんみん氏にまず報告したのだが、みんみん氏には最初の啓示すらまだ伝えていなかったわけだから、
「なるほど、年齢を積み重ねていたのですね、史歩さんも……」
とむにゃむにゃいったのちに、氏はまた大の字になって寝てしまった。
気の高ぶりが収まらなかったぼくは、とにかく本人にこの想いを伝えようと思って、今度は史歩さんの寝室がある二階へあがっていったのだけれど、裸で寝ていた史歩さんが、すばやくからだに毛布を巻いて、
「どなた?」
と暗闇のなかで瞳を光らせたとき、たしかに一瞬「史歩さん」が「史歩ちゃん」に若返ったのを、ぼくは見逃さなかった。
(第二部 了)