第1話

文字数 4,359文字

 
      第一部 冬

      その一

 つぎの休憩地点まで美咲愛子は二号車に乗っているので三号車のはっぴを着たおじさん連中は体力を温存するかのように沈黙していたけれど、ぼくのそばにすわっていたこわもての旦那さんだけは、最後部の座席を事実上独占しながら、
「あはは、あはは!」
 とつれの愛人さんと、しゃべりまくっていた。
 演歌歌手の美咲愛子と親しくお話などができるいわゆる応援バスツアーに参加するのは二回目で、最初のときはチケットをくれた義姉のつぐみさんの気をわるくさせないというだけのために、いわば仕事を休んで美咲愛子ファンの熱い想いでむんむんしているバスにぼくは単身で乗り込んだのだけれど、今回の場合は先行予約が開始されるのも待ちきれなくて二度もフライング予約を試みてしまったくらいだし、仕事のほうも、これはべつにこの日のためというわけではないけれど、双方の希望が合致したすえにいちおう円満解雇ということに先日なっていたので、ぼくはそわそわしていた前回とは打って変わって連中に匹敵するほどのむんむんをもまちがいなく放出していて、ガイドさんのちかくにいたもち肌女性のお着物なども、
「あの柄はきっと浦野だな」
 とそれでいて、したたかに観察できるほどなのであった。
 一回目のときのぼくは参加中はとにかく応援することになっている美咲愛子それ自体をほとんど知らなかったので、すこしでも美咲愛子のことを勉強しようと思って、まわりにいたおじさんたちに持参してきたおやつを、
「よかったら、どうぞぉ」
 などと分けたりしながらすり寄っていったのだが、美咲愛子論および健康論をはげしくぶつけあっていたおじさんたちは、くず餅や飲むヨーグルトなどはおのおのたのしんでいたけれど、やはり若者に支持されているベビースターラーメンやポタージュ味のうまい棒らにたいしては、ほとんど関心をもっていないようで、ぼくがさりげなく、おじさんのひとりにベビースターのミニパックをにぎらせて、情報を収集しようとしても、
「ああ、ボクの孫にですか、ありがとう。いやぁ、ウチのコーくんはねぇ」
 と話題がそれて、そのあとは、こちらがいくら話を美咲愛子関連にもっていこうとしても、
「ボクって、いくつにみえる?」
 という応対しかとってくれなくて、けっきょくそのおじさんは、ほかの連中とまた隔世遺伝論等でもりあがってしまったのである。
 うまい棒はともかくベビースターラーメンにかんしては一歩もゆずる気のないぼくは、食べやすく工夫されている六袋がなかよくつらなった例のやつをまたぞろ用意してきたのだが、出発日がせまってきて、いやがうえにも気持ちが昂揚してきた四、五日前だったかに、それとなくつぐみさんにおやつのことで相談してみると、義姉は、
「わたしのおじいちゃんは、干しぶどうが好きだったわ」
 というようなことをいっていたし、公的には一歩もゆずる気はないと発言しているこのぼく自身も、
「あまり意固地になって、あればかりバリバリほおばっているのも、倫理的にどうなのかなぁ」
 とときどき湯船にて長考することもあったので今回はその六連以外にもおじさんたちに好感をもたれそうなおやつをじつは持参してきていて、とはいえ、持参してきたものは、おやつといってもつぐみさんに分けてもらった一種の健康サプリメントなわけだから、ほんらいであれば昼食後を見計らって二、三粒、各おじさんに握手を装いつつにぎらせるのが無難なのだろうけれど、車内を見わたしてみると、たとえばカボチャの煮つけなんかをおやつとしてもちいているおじさんや、それから、これはどういう趣旨なのかはわからなかったが、早くもご飯ものに手を出しているおじさんなども若干いたので、
「よーし、おれだって……」
 といつしかぼくはそんな過激な連中のおこないに刺激を受けてしまって――で、そばにすわっていた先の旦那さんに、一種の“はくづけ”という意味合いもあって「赤まむし野郎」という栄養ドリンクを、とにかく一本さしだしてみた。
「どうぞ」
「おお、いいのか?」
 こわもての旦那さんはぼくがさしだした赤まむし野郎を受け取ると、となりの愛人さんに、
「な、やっぱり赤まむし野郎は人気あるだろ? ずっと売れてるんだよ、これは。あはは、あはは!」
 と話しかけていたけれど、こわもての旦那さんに小びんをさしだしながら、さりげなく素敵に最後部座席に席を移動していたぼくが、このあともひきつづきお二人のお話を拝聴してみると、どうもダイアンさんとおっしゃるこの愛人さんのような女性は、
「じゃあ、オーナーにとっては孝行息子なのね、この赤まむし野郎は」
 などと流暢に日本語を話していても、義姉からお借りした“ガルシア・マルケス”という女物のバッグに手を突っ込んで「あ、あった」ともう一本提供した赤まむし野郎に、
「ワーオ! わたしにも!」
 といい発音でワーオしていたので、やはり父西洋人母日本人のいわゆるハーフの子みたいで、それから、
「おれはちょうどダイアンの倍、生きてるんだぜ」
 というオーナーの発言と、
「はじめてベビースターを食べる人は、現在の歳の数だけぽりぽりかじると長生きできるともいわれてるんですよ。はい、どうぞ、ダイアンさん」
「ありがとう。じゃあ、わたしは、二十五粒、ぽりぽりすればいいのね、倉間さん」
 というダイアンとの会話からかんがみるに、オーナーがおそらく五十歳で、ダイアンがぼくより五つほど年下の二十五歳くらいらしい、などということがわかった。
 ダイアンはひざの下くらいまである茶色のブーツをはいていたので、ぼくは長靴つながりで、かつては出稼ぎ労働者さん用の寮だった母屋の斜向かいにある現在の住居のことをお二人に話してみたのだけれど、親父も叔父も継ごうとしなかったその商売は、もうずいぶん前に祖父の鶴のひと声によりやめてしまっているので、現在は冬でも出稼ぎ労働者はここに住んではいない。
 つぐみさんと結婚している兄貴とぼくとのあいだには紀子というぼくより三つ上のきょうだいがもうひとりいて、一時期はこの姉もこちらの二階に住んでいたのだが、紀子お姉ちゃんは六年ほど前に、つぐみさんとその実姉の藤原かおるさんが奔走してくれた縁で、スイカだかメロンだかで復権したらしい旧家に嫁いでいるので、ぼくは結果的に二階をすべて我が物としているのだった。
 もちろんあまり部屋を広々とぜいたくにつかっていると、エンゲル係数およびおこづかい感覚になにかしらのブレが生じてしまうので、ぼくは四畳半六畳八畳と襖をへだてて三間ならんでいる部屋の四畳半のみをあえて自室としているのだけれど、
「じゃあ、残りの部屋はがら空きなのかよ?」
 というオーナーにかんたんには、
「はい」
 といえない側面も最近はあって――というのは、六畳八畳のうちのとくに六畳のほうには、四畳半にとうとう置ききれなくなった十年くらい前から地道にあつめている天地真理さんとキャンディーズを軸とした七〇年代アイドル関連の古いレコードや書物がなにげに点在しているのだ。
 ぼくがこのようなものをあつめるようになったのは、秋田出身のホシさんという労働者が残していった桜田淳子さんのレコードジャケットに感化されたのがそもそものきっかけで、ちなみにホシさんは部屋にレコードプレーヤーがなかったからか、このレコードジャケットを壁にただ画鋲で貼りつけていたのだけれど、しかしぼくの知るかぎりでは、より田舎娘ナイズされている、そば処〈さわぐち〉のやすこちゃんに、ホシさんはいれあげていたので、秋田に帰るときにはだからもうこのアルバムのことは、わすれてしまっていたのだろう。
 つぐみさんにもらったチケットで参加した前回のバスツアー以降、美咲愛子に興味をもつようになったのも、けっきょくはこれに関係していて、それはひらたくいってしまうと、子どものころからキャンディーズが大好きだという美咲愛子が歌謡ショーのアンコールで『年下の男の子』と『暑中お見舞い申し上げます』を振付つきでうたってくれたから、ということなのだが、過激な連中がすこしずつぼくのはくがつきすぎるほどの偉業に尊敬のまなざしを向けているのをじわじわ感じながらお二人に先のような事情を長々と説明していると、こわもてのオーナーは唐突に双方の位置を独断で調節して、
「じゃあ、久積史歩っていう歌手は知ってるかい、倉間くん」
 と正対の状態できいてきたので、ぼくは固まってこちらをみつめているオーナーに圧倒されながらも、
「え、ええ」
 となんとかこたえた。
 見た目とはうらはらに、平淡な口調でオーナーがきいてきた「ヒサヅミシホ」というのは、キャンディーズや桜田淳子さんとおなじころにデビューしたアイドル歌手のことで、ちなみに久積さんはけっきょく最後までヒット曲というものは出せなかったみたいなのだが、ぼくは『さよならキャンディーズ』という写真集をみつけたときに、あまりのうれしさにその古書店への感謝の気持ちを込めて、ダンボールに雑に入っていた久積さんの『やし酒ハイボール』というレコードもいっしょに買ったのだけれど、それを聴くかぎりでは、彼女は太田裕美さんをしのぐほどの歌唱力をもっていたし、お姿だって、いちばんいいときの天地真理さんに匹敵するほどかわいらしかった。
 近辺の小物の配置なんかをミリ単位でなおしてから、あらためてぼくにおなじことをきいてきたオーナーに、この『やし酒ハイボール』と、あと『キャンディーズ卒業アルバム』という写真集をみつけたときにやはりおなじ理由で購入した『夜這いはバイバイ』という久積さんのシングルレコードを、
「に、二枚もっています」
 と先の感想もまじえて申告すると、オーナーはまた独断で位置を変えて、自身がもっている財力と人脈のいりくみ様や、ダイアンをかわいがるさいのとっておきの方法などを、こちらの耳もとに語ってくれるという福音をぼくにもたらしてくれたのだけれど、
「おお、この位置から観る煙突はいいな!」
 とさけんでいたことからもわかるように、オーナーは久積史歩を知っている同胞にこんなかたちで遭遇したからだろう、小津映画の口調を装っていても、やはり興奮はしていたみたいで、バスが休憩地点に到着して三人で軽食店に入ったあとも、われわれを撮ろうとしていたレンズ越しのダイアンに、
「もうすこし低い位置からだ」
 と指示を与えつつ、
「おお、おねえちゃん、みんなクリームソーダな――いいだろ、倉間くん」
「ももも、もちろんですもちろんです」
「史歩ちゃんは、クリームソーダが好きだったんだよ。だからおれも好きなんだ! あはは、あはは!」
 とさらに奉仕してくれたのだった。
 
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