第32話

文字数 4,837文字

 
      その三十二

 徘徊中のオーナーを目の当たりにしたぼくたち三人は、全員わなわなしながらオーナーのもとへ走っていったのだけれど、われわれの早合点に気づいたオーナーは、それぞれに正対すると、
「心配すんな。おれは徘徊してるんじゃない。徘徊している老人に用があるんだ」
 と平坦な声でいってきて、どうもオーナーは、むかし奉公していた造り酒屋の先代を捜すために夜な夜なここでラウンドしていたらしい。
 オーナーは、
「おお、たしか、あしたは〈三途の川〉にあつまる日だったな。倉間くん、みんみんくん、くわしいことはそのとき話すよ。ふたりに相談しようとは思ってたんだ。小林くん、来れるかい?」
「そりゃあ、なんとか都合つけますよ、オーナー」
「まあ無理すんな。アカマムシマンの撮影でいそがしいんだからな。とにかく今晩はもう寝ようぜ。おれもちょっとくたびれたよ。老人を相手にするのは疲れるな」
 といっていたので、この夜のわれわれはすみやかに帰宅することになったのだけれど、翌晩にごり湯で、
「実千代さんが贔屓にしてるエステサロンもあのドクターリリィをつかいだしたみたいですね。きょうママさんコーラスの稽古だったんですけど、実千代さん、とてもつやつやしてましたよ」
「あの人はなかなかですよ、みんみんさん。わがままなようでもけっこう几帳面だしね。YORIKOさんなんか、部屋のなかはごちゃごちゃだし、朝飯も、テーブルに出しっ放しのトマトだとかソーセージだとか、あとビンの牛乳だとかコンビーフだとかを、もうかたっぱしから食べてるんですよ、ソーセージと牛乳は、こうやって、歯で開けてたし……あれ、まえの晩に酒飲んでて、そのまま寝ちゃったんですね。だって、山崎くんが突撃していったとき、へんなゴーグルみたいなのつけてコタツで寝てたでしょ。コタツだってきっと一年中布団掛けっ放しですよ。まあいちおう、朝飯食べるときはナプキンかけてましたけど、でもあれだって、けっきょく新聞紙ですからね」
 とみんみん氏とお話していたときに、
「おお、早いな」
 と浴場に入ってきたオーナーは前夜の問題をさっそくわれわれに説明してきて、なんでもその先代は、散歩に出ていったきり一年ちかくも帰ってこないのだという。
「いまはだれが店をやってるんですか?」
「もうずいぶんまえから息子がやってるらしい。おれもずっと知らなかったんだけどな」
「散歩って……山のほうにでも行っちゃったんですかね……」
「そこの息子がいうには、パジャマのまま、ふらふら出てったんだってよ。たしょう認知症の兆候はあったとも、いってたけどな」
 オーナーは先代と些細なことでケンカして以来、店とはずっと疎遠になっていたので、ゴルフ練習場で息子とばったり会ってもすぐにはわからなかったといっていたけれど、息子に先のことを知らされたオーナーは「長年囲っている女のところで静かに暮らしている」説であることを願いつつも「夜中に徘徊しているのを見た」という近所の証言が「いちばんあり得る」と思っているようで、
「長年囲っている女っていうのは、知ってるんですか?」
 ときくと、
「ああ。そういう細かい用事もオヤジにたのまれてたんだ。当時からおれだけが、女の存在を知ってるんだよ。そういえば、あのオヤジはものすごい恐妻家で、女の家に行くときは異常にびくびくしてたな……」
 ともオーナーはいっていたので、いまでも元気だというその古女房を恐れて家出した可能性もすこしはあるはずだが、認知症の兆候というのは、自分の名前をわすれたり、過去と現在を混同したり、というものらしく、
「たぶん、あの徘徊してる連中と暮らしてんだよ。みんなで兵営に住んでるって、ゆうべの年寄りたち、いってたしな……」
 とオーナーはもうそれ以外の可能性にはほとんど食いついてこなかった。
 風呂あがりにオーナーだけが知っていたオヤジのその女を調べてみると、名取秀子という女性は三人ほど電話帳に載っていたが、ワープロ代行業(富士通オアシス)を営んでいる名取秀子さんに、
「そちらに七十四歳の先代お邪魔してませんか?」
 と電話するわけにもいかないし、また直接たずねていっても、
「イロ? ウチいま、カラーのワープロリボン切らしてしまってるんですよ。依頼もほとんどないから」
 といわれれば、それまでだった。
 とはいえ、ぼくはおもに図書館において、老人のしたたかさ、ずるがしこさをさんざん体感してきているので、「恐妻からのがれて、お秀さんとよろしくやっている」説を軸に動くという方針を変えようとは思わなかったけれど、二日後に楠木ヒデタが突撃訪問したF地区の名取秀子さんは先のオアシスお秀さんではなく、三十七歳独身で朝から冷凍食品を完全ガードして食べているほうの名取秀子さんで、朝飯のレポートを完封されたヒデタはこの体験により、原因不明の腹痛にまたぞろおそわれてしまっていたので、第三の名取秀子さん宅への突撃訪問は監察の山崎くんに、
「たびたびで申し訳ないけど……」
 とおねがいして、そのあいだぼくとオーナーは、もよりのファストフード店(オムオムバーガー)で、バニラシェイクをチューチューやっていることにしたのである。
「しかしなぁ、倉間くん」
「はい」
「あの徘徊してる老人たちの話は、ちょっとおもしろいな」
「そうですか」
「うん。大むかしのことを、いまのことみたいにしゃべったり、死んだ人間を、生きてるものとしてあつかったりな。あの世のことも、かなり具体的に知ってるみたいだぞ」
「そんなもんですかね」
「時間がなんでもありになってるのが、いいんだな。時間はどうにもならねぇだろ」
「うーむ……」
「K市で流行ってきたものだって、そうだろ――ダイエットだとか若くみせるメイク術だとか……『将来の夢は素敵なおばあちゃんになることです』なんていってたって、ほんとうはだれも歳をとりたくねぇんだ。おれだってけっこう気にしてるんだぜ、加齢臭とかな」
「はあ」
「倉間くんには教えるけど、金銭を得るのにおれが重要視しているのは、金を払う人たちに、歳とることをわすれさせてあげるってことなんだ。ただ今回のカレーライスファミリーは手強いな。ここだけの話、カレーは健康にいいぜ」
「そうですか?」
「ああ。ゴルフ場に行くとわかるよ。元気な爺様たちは、だいたいクラブハウスで、カツカレーを食べてるからな。カツカレー食べられなくなったらおしまいだ、くらいの勢いがあるんだよ。そういう爺様は一見よぼよぼしてても粘りがある。疲れてきても、残り50ヤードをバッフィーとかクリークでパンチショットして寄せてくる。まったくたいしたもんだよ」
 カレーライスファミリーにたいする威嚇作戦は近日中にかんがえます、とオーナーをはげましたぼくは、
「あそこのレストランで景気づけにカツカレー食べましょうか」
 とファストフードの向かい側にあるレストランを指さしたのだけれど、突撃訪問を終えた山崎くんが、
「やはり局長の勘が当たっていました。先代は恐妻からのがれるために家出したようです。認知症っぽい感じもカムフラージュだったみたいですよ。残りの人生は『お秀と、ちちくりあって過ごすんだ』とのことです――ワープロ代行業のほうは、もう突撃しなくて当然いいですよね」
 と報告してきて、
「オーナーさんのことを話しましたら『ここに連れてきてくれ、ずっと会いたかったんだ』とおっしゃっていました。どうされますか?」
「ほんとにそういってたのかい?」
「はい」
「よし、行く」
 とオーナーは先代をたずねることになっていたので、レストランの案はひとまず保留となった。
 Kの森テレビの「突撃K市民のお食事」は週に一回の番組なのだが、つぎの回が来るまでに再放送を八回ながしていて、さらに市民の要望があれば、それ以前の回もいきなり放送したりする。
 いま山崎くんが突撃訪問したのは、個人的な行為というか監察としてのニセ突撃レポートなので、先代にも、
「放送されないですから、恐妻にも知られませんよ。安心なさってください」
 とすでに告げてあるようだったけれど、YORIKO宅に訪問したときは、ほんとうにヒデタの代役として突撃訪問したわけだから、あの寝ぼけまなこのまま無言で食べだす映像はK市内全域に流れて――しかし再放送はザラザラの例の砂嵐を経たのちにテレビ局の社長が出てきて、なにやら謝罪めいたことを述べた一回だけにとどまった。
 YORIKO宅は、衣類や雑誌や食べたものがそこらじゅうに散乱していたから、観る角度によっては前衛的な芸術作品のような趣もないこともなかったけれど、山崎くんが大げさに褒めていた壁紙は本物のカビだかキノコだかの可能性もあったし、〈がぶりえる、がぶりえる!〉のショッピングカートも、一種の家具として何台かもちいられていたので、つぐみさんの、
「しかたがないわよ。子どもには衝撃が強すぎるもん」
 という見解どおり、やはりテレビ局の対応は適切だったのだろう。
 もどってきたオーナーは涙をながした痕跡をこわもてのお顔に残したまま、
「倉間くん、こういう機会をあたえてくれて、ほんとうにありがとう。かさねがさね感謝する」
 とぼくを凝視してきたが、
「これからは〈高はし〉の酒も、あそこから仕入れるようにする」
 ということは、先代とのわだかまりみたいなものはいちおうなくなったのだろうから、
「オーナー! カツカレーで、お祝いしましょう! あはは、あはは!」
 とぼくもついつい気分が昂揚してしまったのだった。
 みんみん氏に電話すると、みんみん家は今晩カレーとのことだったので、ぼくとオーナーは〈がぶりえる、がぶりえる!〉でとんかつを何枚か買って、みんみん邸に向かったのだけれど、
「あっ、倉間さん、もっとカツの肉の部分にも、カレーをかけたほうがいいですよ」
「こんな感じですか?」
「ええ」
 とカツカレーを食べたあとのわれわれは、いつしかカレーライスファミリー対策を話し合うことになっていて、食後のブランデーを用意してくれたすみれクンなども、
「Kの森少女歌劇団に、カレーライスを食べると死んじゃうっていうミュージカルを演じさせればいいんじゃないですか? 市長さんのときも、そんな感じでうまくいったんだし」
 と案を出してくれていた。
「それは駄目だよ、すみれ。やっぱり嘘はよくない。あくまでも事実にのっとって威嚇するんだ。みんみんくん、どうだい」
「わたしは吉野さんの報告書をまずは重視したほうがいいと思います。なんといっても三日間もカレーの旅をしてきたんですからね」
 吉野さんの報告書は「カレーを食べてばかりいると、ブラウスにカレーの匂いが染みついちゃう」という感じのものだったので、
「ねぇオーナー、威嚇するには、これにかかわると歳をとってしまうっていう雰囲気を、あくまでもフェアに出せればいいわけですよね? 歳をとるのをわすれさせる、の逆だから」
 とオーナーに確認をとったのちに、ぼくは、
「じゃあ『カレーを食べると、加齢臭がする』っていうミュージカルを、ほうぼうで公演させましょう」
 という案を出したのだけれど、
「でも、やっぱり嘘は……」
「いや、嘘じゃないですよ。タイトルを『カレーを食べると、カレーシューがする』って、表記すればいいんですから」
 と説き伏せると、
「それはすばらしい! その作戦でいきましょう!」
 とやがてみんなは、バンザイをしたり、謎の振付で謎の歌をうたったりしていることになっていたので、案の定、
「今晩はもうパーッとやりましょう、オーナー」
「よし。〈高はし〉に、水戸光子ちゃん呼んじゃうぞ、あはは、あはは!」
 と料亭に移行したわれわれは、ホントに来てくれた水戸光子ちゃんと戦友飲みをやったり、幸運を呼ぶネグリジェを着て、この席に駆けつけてきてくれた協子さんに、ノーパンになってくださるよう、本気で土下座したりしたのである。
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