第33話

文字数 3,769文字

 
      その三十三

 威嚇問題を解決した翌々日に、ビューティフル玲子から、
「史歩さんはここのところで体重を五キロ増やしてしまった」
 うんぬんという手紙が届いたのだけれど、その日も伝左川の土手で夕日をみつめていたぼくは、その文面を五回も六回も読みなおさなければならないほど一種のうわのそらになっていた。
 新妻の和貴子さんは、そんなぼくの様子を察して、
「どうなさったの? 和服より体操着のほうがよくって?」
 と声をかけてきてくれたが、まさか正直に協子さんのノーパン姿が脳裏に焼きついてしまったんだともいえないし、うわのそらを払拭するために、
「ネグリジェ越しでも表情を観ればノーパンか否かは、この男倉間鉄山はわかる!」
 と空威張りするわけにもいかないので、しかたなくぼくは、
「いや、伝左川にいるザリガニやアメンボやお魚さんたちの未来はどうなってしまうのかと思ってさ……オニヤンマも減ったろ――日本狼もちかごろぜんぜん見かけないし……」
 などといって、どうにかお茶を濁していたのだった。
 だから栗塚くんが、、
「倉間さん、森中市長が苦しんでいる。あの正義の騎士気取りの教師を、斬ろう」
 と旧出稼ぎ寮にたずねてきたとき、ぼくは市長のためというよりは自分のために、
「まあトシさん、そうあせるな。今晩蘭新組の隊士たちをあつめて作戦をかんがえよう」
 と依頼を二つ返事で引き受けたのだけれど、森中市長は再選したあともこの手のスキャンダルはけっこうあって、たしか八月にもビールサーバーを市長室に常備していたとかでたたかれていたからぼくは栗塚くんほど深刻に今回のことを捉えていなくて、永倉くんや山崎くんが夜更けにやってきたときも、まずは水戸光子ちゃんとの記念写真を、
「ねぇ観てよ、シンパッツァン。なにもいわないのに腕組んでくれたんだ。サービス精神旺盛だよ。水戸光子ちゃんは」
 と自慢したくらいリラックスしていたのである。
 九月十月の森中市長は各地区の小中学校の運動会に積極的に顔を出しているのだが、お得意の祝辞のほうはスケジュールに組み込むと各競技に狂いが出てしまうので、昼食時間に一時間ほどぶって、あとの一時間は放送部の実況のマイクに声を拾ってもらう、という形でおこなわれている。
 このように学校側と水面下で調整したのはわれわれまむしファミリーで、というのは、市長の長い祝辞に耐えられずに貧血や熱中症になってしまったお子さまがかつていたという情報をある筋より得たからなのだけれど、T地区小の運動会で二時間もの祝辞をぶったあとも案の定市長はひとりで手応えを感じていたようで、放送部のテントをやんわりと実質追い出されると、学校のまわりをずらりとうめつくしていた屋台のひとつにまたぞろ、
「ごくろうさん! うまそうなやきそばだ! わたしはねぇ、ざっくり切った、キャベツが、大好きだ!」
 と上機嫌で声をかけた。
 学校の些細な行事のさいにも屋台を出してよい、と決めたのは森中市長で、だから入学式や授業参観のときでもチョコバナナのキッチンカーくらいは校門の横っちょにかならず停まっているのだけれど、以前市長の酒癖問題をK市民新聞に投稿した経歴がある島田という教師は、市長がやきそば代を払わなかったのを埋め込んであるタイヤの陰に隠れてこのとき観ていて、で、
「ふだん多目的広場に屋台を出しているやきそば屋が、あんないい位置にポジショニングできたのは、キャベツたっぷりのやきそばなどを、それまでにワイロとしてわたしていたからなのです。当日も森中市長は、そのやきそばをうまそうに食べていました!」
 などとメガホンで怒鳴りながら駅前等でビラやポケットティシューをその後配っているらしい。
 われわれがもっている島田という教師のデータは、ナルシス輝男先生のモテモテ教室に通っていることくらいしかなかったのだけれど、
「おれも水戸光子ちゃんに会いたいねぇ」
 と脇差を腰から抜いた永倉くんは、
「局長、おれはいいことを思いついたんだ」
 と自分の胸を強めにたたいていた。
「局長、なまけものさん学部のやつらが、その体質を改善するために、ヤギを飼ってたの、おぼえてるかい?」
「うん。なまけてて、ほとんど世話してなかったけれどね」
「おれたち怒学の生徒は、よくあのヤギのところに行ってたんだ。どうしてか、わかるかい?」
「うーん、やさしい気持ちになるため?」
「証拠を隠滅するためですよ。ねえ、栗塚さん」
「おれたちは、テストや、お母さんにわたさなければならないお手紙なんかを、あのヤギに、よく、食わせていた。なまけものの連中はなまけてて、エサをあげてないもんだから、おれたちが行くと、あのヤギは、メエメエ鳴いて、やかましいくらい、歓迎してくれた。倉間さん、おれは武州サンタマの百姓のせがれだ。動物なんか、べつになんとも思わねぇ。だけど、あのヤギだけは、ちょっとかわいかったな。おれが書き損じた句も、むしゃむしゃよく食べてくれた」
 おこりんぼうさんたちが大勢休学(?)してしまっている現在では、あのヤギは当時よりもさらに空腹をおぼえているはずだから、
「ビラ配ってるところに、きっとアイツ突っ込んでいくよ。なんてったって、おれたちの答案用紙を食って柄わるくなってるからね、うはははは」
 という永倉くんの予想はまずまちがいなく成就されるだろうけれど、ひとつひっかかるのは、もともとあのヤギはKの森動物園から脱走してきたということで、
「コシガヤクジャクの捜索に連中はいま、躍起になってますからねぇ……へんに邪魔されなければいいけど」
 と山崎くんもそれを心配していた。
 栗塚くんたちはヤギを一番隊に入れてどうのこうのと話しだしていたので、ビラ咀嚼作戦は副長にすべて任せることにしたのだが、ヤギを同志として迎え入れるとなると例の水色のだんだら染も必要になるわけだから、そういう細かいことだけは――妻が呉服店に勤めてもいるので――この局長がいちおう引き受けておいた。
「動物園の連中は、わたしが孔雀に変装して、おびきよせます」
 という山崎くんをなだめてぼくが全面的にこの任務も担うことにしたのは、わざわざ記すまでもないかもしれないけれど、もちろんクジャク関係ならしっかりとした例のコネ(?)をわたくし局長はもっているからで、しかし翌日坂本家に交渉しに行くと、協子さんも香菜ちゃんもここしばらくは予定がびっしりつまっていて、ネグリジェにもノーパンにもなれないとのことだったので、おふたりに一筆書いてもらったぼくはしばし検討したすえに、いちばん演技に精通しているすみれクンに“ネグリジェ孔雀”をおねがいすることにした。
 ノーパンのことをも、
「一筆そえてください」
 とはさすがに頼めなかったので、すみれクンは普段着の上に例の“幸運を呼ぶネグリジェ”を着ることになったのだが、当日、
「みつけたぞぉ、あそこだぁ!」
 とわれわれに向かってきた捜索隊の何人かは、
「でも、孔雀があんなにむちむちしてるはずはないかぁ……」
 という率直な感想を述べていたので、ぼくはあらかじめ決めておいた実千代邸に逃げ込みながら、
「そういう口実もあったんだな……ボクサーも計量のとき、ぎりぎりだとパンツまで脱いじゃうもんな」
 と自分のあたまにかわいくゲンコを二つほどお見舞いしたのである。
 例のはなれで一時間ほど休憩したのちに集合場所のKの森総合公園に向かうと、隊士たちに囲まれた島田はなぜか墨で真っ黒な身なりでやぶもぐり先生にすりむいたひざの手当てをしてもらっていたが、
「倉間さん、この人、ビューティフル玲子とおなじようにPTAのなんとかっていう人にそそのかされたんだってさ。だけどねぇきみ、中傷のビラを配るなんて、やっぱりよくないよ」
 とやぶもぐり先生にいわれると、
「はい。今後はもうしません。ですから、おニャン子クラブの件だけは、どうか秘密にしておいてください……」
 と島田は残りのポケットティシューをきちんとビニール部分を取ってヤギに食べさせていたので、このあとはなんとなく好みの屋台でわいわいやる趣になっていて、たぶん居心地がわるいはずの島田も、やぶもぐり先生のとなりで猫背になりながら黙々とおでんを食べていた。
「ところで山崎くん、『おニャン子クラブの件』というのは、なんだい?」
「あいつはねぇ局長、『おニャン子クラブ大百科』っていう本を、愛読してたんですよ」
「べつにそれくらい、どうってことないじゃん」
「それがですね局長、じっさいにはおニャン子の表記は小さい“ャ”がぬけていて、さらに“ニ”の部分が“○”という表記になってるんです」
 島田が愛読している『お○ン子クラブ大百科』がどういうものなのかは山崎くんにこれ以上きかなかったけれど、父兄や生徒たちに知られるのをこれだけ愛読者は恐れているのだから、おそらく相当衝撃的な本なのだろう。
 衝撃といえば、このあとこの場に届けられた風車電報にぼくは卒倒しそうになっていて、ちなみに島田はのちに来たアマゾネスさんを見て、じっさいに気を失っていたのだけれど、四十九日関連で○○村に屯営している英光御一行は信さん夫妻の近況や史歩さんたちの現状をよく知っていて、電報には、史歩さんが今朝失踪したと記されていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み