第11話

文字数 4,881文字

 
      その十一

 五月の大連休に入るすこし前に届いた久積史歩さんの手紙には、あれから順調に落としているらしいダイエットのことや、川のほとりで練習しているという歌の調子のことなどが書かれていたけれど、だいたい月に二、三度のペースで送られてくる押し花付きの手紙には、当時の史歩さんにとっては雲の上の存在だったキャンディーズや天地真理さんのことなどもよくしるされていて、いちばん新しいこの手紙にも、
「最近、歌の練習をしていると、キャンディーズさんの曲が、遠くから、なぜか聴こえてくるんです。あの方たちの陰に隠れて、ずっと青春時代を過ごしたからなのかしら……」
 というようなことがブルーのインクでつづられていた。
 オーナーに史歩さんの曲をすべてMDに録音していただいたぼくは、いまではそれを自発的に聴いているのだが、史歩さんはデビューが同時期だったキャンディーズにたいしてまたぞろ神経質になっているみたいだけれど、よくよく楽曲を聴き込んでみると、史歩さんは史歩さん自身もデビュー前から大ファンだったという、天地真理さんにずっとちかいことがわかってくる。
 MDラジカセをぼくに貸しているということで(ぼくのプレーヤーでは残念ながらMDは聴けない)、このごろひんぱんに旧出稼ぎ寮にあがってくるつぐみさんもこれには同意見で、
「史歩さんは、中期になってくると、完全に真理ちゃんだよね。顔もよく似てるし」
 とこのあいだも義姉は早朝からこちらでいっていたけれど、つぐみさんは先日も娘の智美と、
「障害物があっても突進するのよ、ウラー!」
 と兄貴がなによりも大切にあつかっているラジコンカーで大門軍団なみの無茶をしていたので、隙あらばこっちに床をとろうと目論んでいるのは、おそらくMDのことだけが理由ではないだろう。
 そういえば、何年か前にもつぐみさんは兄貴に浮気の疑惑をいだいたことがあって、そのときは相談を受けたぼくが兄貴に直談判してみることによって、いちおう問題は解決したのだけれど、
「ええ! だって、スポーツクラブに行っただけだぜ。あそこの社長ほら、ああいうところ好きだから――つぐみ、そんなこといってるのか……」
 という兄の言葉をきかなくとも天地真理さんと栗原小巻さんの区別もつかない男が愛人さんだなんてそんな大層なものをもてるわけがないので、今回もおそらくつぐみさん特有の理論によって疑惑をいだき、そして生活のなかに不満をあらわしているにちがいない。
『むちむちしちゃう』の成功以来、Kの森少女歌劇団の主要メンバーになっているすみれクンは、今年からつぐみさん所属のママさんコーラスと週に一度稽古場を共同でつかっている縁でときどきウチに遊びにきているのだけれど、最近のつぐみさんは母屋にいないことが多いからか、こちらの旧出稼ぎ寮に、
「ごめんくださーい。ごめんなさい」
 ときょうは直接たずねてきて、
「あれ、つぐみさん、あっちにいなかった?」
 と教え子の前なので、演出家らしく祖父のグレーのセーターを肩にかけたぼくが旧出稼ぎ寮のなかにともかく入れてあげると、すみれクンは、
「きょうは、倉間さんに相談があって、来たんです」
 とむちむちしているからだぜんたいでしょんぼりを表現しつつ、いってきた。
 すみれクンがこのとき身につけていたものは舞台劇のさいにたしか葉子ちゃんという子が着ていたいわゆるメイド服で、ぼくはこのような服はきらいではないけれどもとくべつ想い入れがあるわけでもないので、紅茶の用意をしながら、
「ワンピースとまちがえたのかなぁ……」
 と最初は首をひねっていたのだけれど、やけにつつましくしているすみれクンに、
「相談てなんだい?」
 と演出家ぶってさらに腰にもチャコールグレーのカーディガンを巻いてミルクティーを出してあげると、それをふーふーしたのちに「おいしい」と飲んだすみれクンは、ハンカチでお口を拭くなり、
「ああ、どうか、わたしをここに置いてください」
 と片ひざをついて舞台劇ふうに哀願してきて、すみれクンはワンピースよりもむしろオーバーオールのほうがよく似合うので、じつはそれほど首をひねっていたわけでもないのだけれど、とにかくすみれクンはこの旧出稼ぎ寮に名目上は“お手伝いさん”として住みたいがために、舞台用のメイド服を着てきたみたいだった。
「わたしには七つ年上の姉がいるんですけど、その姉が最近義兄と別居して、実家にもどってきたんです。お姉ちゃんには子どもが三人もいるし、お父さんに『酒は四合までだぞ!』って、きつくいわれてキイキイしてるから、六畳のお部屋をひとりでつかっているわたしに攻撃してくるんです」
「キイキイしてるんだ?」
「はい。キイキイどころじゃないんです。もう、キイキ、キイキイなんです」
 旧家へ嫁に入った実姉が三段階に分けて嫁ぎ先の一族に抗議した通称「紀子三部作」の火の粉をあびた経験があるぼくは、一階にある旧作業部屋を片づけて、そこに住むとまで譲歩してきているすみれクンをできれば助けてあげたいな、とは思ったけれど、この旧出稼ぎ寮にはいまではしょっちゅう和貴子さんが泊まりに来るし、そうなると経験がまだないと八時間おきに申告しているすみれクンにとっては、あまりにも刺激が強い光景をどうしてもみせてしまうことにもなるだろうから、
「そんなすごいことを倉間さんがしてるなんて、わたし、信じないもん」
 とすねているすみれクンをなんとかなだめたぼくは、すみれクンが住むところをどうにかしてもらうために、
「いまから、うかがっても、よろしいでしょうか?」
 とオーナー邸に連絡を入れて、とにかくお袋の車でそちらへ向かうことにした。
 助手席に乗り込んでもまだ若干ほおをふくらませていたすみれクンのご機嫌をとるために、ぼくは例によって、すみれクンのむちむちしたからだをまたぞろ大げさにほめたのだが、いくら賞賛しても最初は、
「そんなこと耳もとで命令されたって、経験ないから、わかんないもん……」
 と上の空だったすみれクンも、つくしのこ通りの〈オムオムバーガー〉を過ぎるころには案の定、
「ねえ、倉間さん、このむちむちしたからだを見て、むらむらしちゃうんでしょ?」
「そうですよ」
「じゃあ、むちむちしてて、かわいいわたしが、水色のビキニを着ている姿を想像しながら、いまこの場で限界までむらむらしてください」
 というくらいには調子をとりもどしていて――それですみれクンも何回も泊まったことがあるというオーナー邸にそんな感じで到着して、
「どうぞ」
 と以前にも見たことがあるベレー帽をかぶった小柄な婦人に出迎えられて豪邸のなかに入ると、オーナーは外出中で百合子夫人とみんみん氏と美咲愛子さんの三人が応接間でくつろいでいることになっていたのだけれど、電話で事前にすみれクンのことを説明していた関係で、この三人はもうぼくたちが来た理由を知っていたので、みんなに励まされたすみれクンは、つぎにオーナー邸と愛子さん邸とみんみん邸のどれかを選ぶよう百合子夫人にあたまを撫でられ、で、けっきょくすみれクンは洋間が一室空いているという、みんみん邸に居候することを、
「まだわたし、知らないから……」
 と百合子夫人と愛子さんに弁明しつつ選択したのだが、そのみんみん氏はというと、なんだかお姉ちゃんの不機嫌の度合いに、
「キキイキ、キイキイなのかい? それとも、キイキ、キキキキなのかい?」
 となぜかこだわっていたので、先の希望をきちんと受けとめていたかどうかは、キイキイ問題と同様に、だれにもわからなかったのである。
 美咲愛子さんは森中市長の再選を祝うかたちで出した新曲がKの森界隈で大ヒットしていたためにゴールデンウイーク中も各方面で精力的にショーをこなしていて、
「やっと、お休みがとれたの。またすぐY市でうたうけど」
 とだから中学校ジャージをまくった色の白い腕でこぶのない力こぶをつくって、ぼくにアピールしてきていたのだが、みんみん氏が作曲した『義姉ありき』というヒット曲の詞は、オーナーと愛子さんに要請を受けたためにしぶしぶ引き受けた、わたくし倉間鉄山がじつは書いていて、
「わたしは、ギターとピアノにかんしては、あらゆることを知っていますが、言葉になると、どうしても駄目なのです。ですから倉間さんのことは、とても尊敬しています」
 などとみんみん氏はときどきいってくれるけれど、そもそもこの詞はカレンダーの裏に描いた智美の絵の自作解説からヒントを得て書いたものなので、
「どうやって書くんだ? 書く前に、和貴ちゃんに、なにかやらせるのかよ?」
 というオーナーの質問にも、
「あはは、あはは!」
 とお株を奪ってわらうしかないし、
「ねえ、あれ、倉間さんが作詞なの?」
 とスーパーでばったり会ったマキちゃんママにきかれても、
「あっ、きょう、お大根、とってもお得なお値段だったわよ」
 と話題をすりかえるしかないのである。
 百合子夫人はいちいち玉をつめる昔の手動のパチンコの感触が好きらしく(現代のパチンコは嫌いらしい。ぼくはパチンコに一切興味がない)、無党派層と世捨て人層の票を百合子夫人の力添えによって獲得したあの森中市長も、こんにちではこのパチンコサロンの会員に名をつらねているのだが、
「ねえ今晩、徹夜だいじょうぶよねぇ、あなた」
 と誘導されたパチンコルームで、お手伝いさんがパチンコ台の前のおそろしくせまいテーブル(?)に出してくれたラーメンを、玉をつめたり、パチンコ台に額をぶつけたりしながら、
「ふーふー、アーメン――ふーふー、アーメン、アチッ」
 と感謝して食べていると、夫人はおもむろに、
「ねえ、あなたたち、竹トンボつくれる?」
 ときいてきた。
 このパチンコルームには、百合子夫人、ぼく、みんみん氏、ベレー帽婦人の四人が横一列に並んでいて、ちなみに愛子さんとすみれクンはというと、べつの部屋でシエスタ商事の屋上でおこなわれたゴルフ打ちっ放し選手権の放送を観ていたのだが、ぼくもほかの二人も、やはり竹トンボをつくったことも、このあとアーメンをいう暇もなく詰問された洗濯板でのゴシゴシも、夜なべしての手袋製作も、まったく経験がなかったので、
「スタイリーにも、それほど深くコミットしてないしなぁ……」
 と箸をもった手を宙にうかせたまま、しばらくはテクノロジーに依存している現在の生活をみつめなおすふりをしていた。
 それでも転がり落ちる玉にするどい視線を向けたのちに、
「あなたたち、なにで洗濯してるの」
 とあらたな玉を詰めていた百合子夫人の問いには、
「くじで当たった二槽式の洗濯機で洗っています、アーメン」
 とまた額をぶつけながらラーメンを食べられるとあって、元気よくぼくはこたえていたのだけれど、
「倉間さんは、二槽式をまだつかっているのですか! わたしの家にも以前はありましたけど、もうずいぶん前のことなので、使い方などはすっかりわすれてしまいましたね。あれは全自動の洗濯機よりも、たしょう手間がかかりましたよね?」
 というみんみん氏の発言に着目した百合子夫人は、奉仕活動の一環として運営しているあの施設で二槽式洗濯機の使い方を生徒(?)に教えるよう、
「よし、ジャラジャラン! 来たわ!」
 をはさんだのちに突然要請してくることになっていたので、
「ずっとじゃなくて、臨時。あくまでも臨時講師よ、あなた」
 とコショウを手わたしてきた百合子夫人に、
「やりますよ」
 と施設には女子もいるときいて、つい反射的にこたえてしまったぼくは、
「女子か――検品のパートだって、女子がいたから続けられたんだもんな。女子といっても四十前後がほとんどだったけれど……」
 ともの想いにふけりつつも、とにかく食べられるときに食べておこうと思って、残りのラーメンをコショウを激しくかけたのちに猛スピードでたいらげたのだった。
「感謝しまーす、アーメン、感謝しまーす、アーメン、ん? ああ、じゃあ、ラーメンもうひとつ、おつゆたくさん」
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