第8話
文字数 3,364文字
その八
オーナーが指定してきた場所はいつでも大繁盛している〈三途の川〉という健康センターだったので、そこを知っているぼくとみんみん氏は、いったん家にもどって支度をしたのちに、
「あっ、もしもし、現地集合でいいんですよね、倉間さん」
「ええ」
ということにしたのだけれど、ぼくはこの〈三途の川〉にあるさまざまな風呂やサウナにじつはかなり精通していて、とくにサウナにかんしては、だれにも負けないという自負があったので、
「オーナーは、サウナにかんしてだけは、とてもきびしいんです。ですから、どうしても我慢できなくなった場合は『目の前に陽炎が、いっぱいゆれてる~』って、とりあえず半笑いしてみてください。そうすればオーナーは『じゃあ、ちょっと休憩しててもいいよ。いっぱい水飲めよ、あはは、あはは!』って、だいたい放免してくれますから」
という側近さんのこころづかいにも余裕で、
「じゃあ逆にオーナーのほうがふらふらしてきたら、こちらはやっぱりオーナーにつきあって休憩したほうがいいですかね?」
と質問しているくらいなのであった。
オーナーに呼び出しを受けていないつぐみさんも、
「実千代さんたちも終わったしね」
という感じで、けっきょくぼくといっしょに帰ることになって、
「ねえ、鉄山くん、缶みたいなのカチッとつけて、火が出るの、そっちにない?」
「ああ、あるある」
と車内できかれた、このあいだ借りたカセットコンロを帰宅後母屋にもっていくと、母も智美ももうぼくたちよりひと足早く家に帰ってきていたりもしたのだけれど(智美はおばあちゃんに買ってもらったらしいたぶんゲームウォッチだかDSだかというポータブルゲームを夢中になってやっていた)、またぞろぼくの部屋にやってきて、ゲームとあわせて買ってきたジャイアントフラフープをまわそうとしていた智美を、
「ほらほら、これからお仕事なんだから、あっちにもどりな」
とてきとうに追い返してから(智美は去り際にぼんくらどうのこうのと悪態をついていた)、オーナーにプレゼントするレコードなどをもって〈三途の川〉へ自転車で行ってみると、オーナーは、
「待ちくたびれたから、おれは先に入ってるぞ! あはは、あはは!」
と館内放送で大々的にお知らせしていることになっていたので、ぼくは受付に『やし酒ハイボール』のレコードなどを貴重品としてあずけたのちに、
「急がなくちゃ、急がなくちゃあ!」
と浴場に衣類を脱ぎ捨てながら入っていった。
「おお、来たか! 倉間くん」
「すみません、おそくなりました」
ここで落ち合おうと約束していたみんみん氏は、すでにオーナーのとなりで腕を組みながらすわっていて、氏は、
「倉間さん、わたしもいま来たところなのですよ。それからトランクスなのですけれども、まだ片足に引っかかったままですよ」
と土下座していたぼくに適切な助言などもしてくれていたのだけれど、からだをざっと洗ったのちにそのサウナ室に本腰を入れていよいよ勝負しに行くと、みんみん氏はあまりサウナは得意でないのか、
「オーナー、わたしは、もう出たくなってしまいました」
と早々にどこかへ退散していってしまって……それで側近さんがさっきおしえてくれたセリフとだいぶちがうわけだから、ぼくはみんみん氏に、
「陽炎、陽炎、かげろうとオニヤンマがいっぱい」
と口の動きだけでとにかくシグナルを送ってあげたのだけれど、大きいタオルをもちいて熱い風を送ってもらうサービスを、
「どなたか?」
「おお、もっとくれ!」
とハチマキをした店員さんにもとめていたオーナーは、
「おお、そうだったな、みんみんくんは」
とそれをわりとかんたんに了承していたので、ぼくのこのシグナルは結果的にもよりの店員さんへのさらなる催促として実をむすんだのであった。
側近さんから事前にきいていなくとも、お顔を見ただけで、
「サウナに強いだろうな」
とおおよそ見当がつくオーナーは、案の定良識ある市民にはとうていかんがえられないようなタイム設定でサウナと水風呂を往復しまくっていたけれど、水風呂でのダルマ浮き以外はすべてオーナーとおなじ道筋をたどっていたぼくにオーナーは、
「倉間くん、強いな」
ともう何回目なのかはさっぱりわからなくなっていた水風呂のさいにぽつりとお褒めの言葉をかけてきてくれて、それで消しゴムをもちいたシールはがしの技術をはじめて認めてもらった少年のように先の言葉によってダルマ浮きの必要性およびその技術的な指導をみずからすすんで受けることになっていたぼくは、
「おお、そろそろ風呂のほうに行こうぜ」
というオーナーに、
「はい!」
と元気よくお返事して、今度はやる気風呂というなんでも赤まむしエキスなどが入っている(らしい)お湯に浸かることになったのだけれど、これとはまたべつの滝湯というところで、湯に打たれていたみんみん氏もこちらに移ってきて、
「それでな……」
とオーナーのここを買収するにあたってのこぼれ話などを、赤まむしもまったく効果なし、といった状態で拝聴していると、いつごろからか、泡湯に入っていたとおもわれるユタカ叔父さんが全身をあぶくだらけにしながら「つぎはどの湯をたのしもうかなぁ」といわんばかりにわれわれの眼前をヘチマ片手にうろうろしていることになっていたので、ぼくは、
「ユタカ叔父さん!」
と声をかけて、それから、
「あっ」
と思いだして、きょう持参してきた久積史歩さんの『やし酒ハイボール』のことを、あたまの片すみで週三回ペースでステーキを食べている自分をイメージしながら善行をアピールする少年のように報告した。
「ぼくは、オーナーにあげよう、と思って、そのレコードを買いました。そして、想像ステーキを、いっぱい、食べました。四年四組、くらまてつざん」
「おお、そうかい! おれも『やし酒ハイボール』は十二枚もってるけど、でもその気持ちには感謝するよ、ありがとな、倉間くん」
「あ、はい……」
お客がリクエストするレコードをなんでも掛けてくれる例の喫茶店に精通しているみんみん氏は、このやりとりをきくと、オーナーにさっそく、
「あそこは、たいへんなものですよ」
という感じで一度〈ケニヤ〉に行ってみることを、おすすめしていたが、
「うん、おれも四郎の店なら知ってるよ。でもな、みんみんくん、おれは史歩ちゃんの楽曲はすべてもってるんだよ」
ということらしいオーナーはだから喫茶店よりもむしろぼくがそのときにさがしていた『クロスフィーバーズ』のほうになんだか興味をもっていて、それで、
「久積史歩さんだけではなくて、クロスフィーバーズをも、好きだったのですか?」
と様子を察したみんみん氏に質問されると、オーナーは、
「うん――いやな、史歩ちゃんが、雑誌みたいなもののインタビューでさ、クロスフィーバーズのトモコちゃんとお友だちなんですって、いってるんだよ……」
といつもより若干圧力をおさえて考え込むようにつぶやいていたのだけれど、
「これは自分へのクリスマスプレゼントなんだよ、鉄山。ほら、おれ大きい風呂好きじゃん。だからさぁ、とにかくアニキには、ここでおれに会ったこと、いわないでくれよ。アニキ、おれが、こんな道楽してるの知ったら、ぜったい、お説教してくるよ」
とこのやる気風呂に便乗してきていたユタカ叔父さんは、やはりたくみ叔母さんがいっていたように、クロスフィーバーズには並々ならぬ想いがあるらしく、
「クロスフィーバーズのトモコちゃんだったら、いまは××県のほうで、民宿をやってますよ。わたしも、アニキには研修だと偽って、一年に一回くらいのペースで、そこにお忍びで行ってるんですけど……でも、もともとわたしは、ケイコちゃん派なんですよね」
というようなことを、クロスフィーバーズが話題に出ていては黙っているわけにはいかない、といった趣でオーナーにおしえていたので、
「おお!」
とそれをきくなり浴場から迫力満点の状態でとびだしていったオーナーは、満点のままもどってくると、やはり虫の知らせ通り、
「倉間くん、あした朝イチで、そのトモコちゃんがやってる民宿に行って、史歩ちゃんのことをきいてきてくれないか!」
とぼくに特別の任務を命じてくることになった。