第10話

文字数 5,095文字

 
      第二部 春

      その十

 Kの森少女歌劇団が演じた『むちむちしちゃう』というミュージカルがじっさいどの程度貢献したかはわからないけれど、森中市長はビューティフル玲子を大差でふりきって再選をはたした。
 Kの森テレビの速報で当選確実を知った森中市長は、選挙事務所の裏の部屋で話し込んでいたぼくとみんみん氏とに、
「両先生! わたしを救ってくれて、ほんとうに、ありがとう! わたしは、あなた方に、かならず、恩返しをする!」
 とだれよりも先に抱きついてきたのだが、市長がそのほかの関係者にもあたまをさげたり、
「ビューティフル玲子なんて、ただガリガリなだけ! あんなものに、ぜったい市政は任せられない!」
 と連日主張しつづけていたので両手に花束という状態においてもまだアピールしていた先の決めゼリフなどをさけんだりしたあとに応援マスコットの「なまけっち」の胸に顔をうずめて泣いていたのは、なまけっちがやさしいからでも、なまけっちが佐久間良子トレーナーを着ていたからでもなく、そのなまけっちのなかにオーナーが入っていたからで、オーナーは市長との関係が明るみに出るのを懸念していたのだろうか、選挙期間中はこの格好でしか市長と接触しなかったのである。
 Kの森テレビから取材を受けたさいなどは、とくに現職を効果的に応援してくださった施設の方々に、
「おめでとうございます。今度、こちらにまた遊びにきてください」
 と招待された森中市長は、翌日Kの森総合公園のちかくにあるその施設にさっそく出向いていくと、
「みなさん、ありがとう! わたしは、みなさんのためにも、かならず、この夏に、なまけものカーニバルを盛大に開催する!」
 と宣言して、よく振った「トッツァンボーヤ」という子ども用のシャンペンをポンポンぬいていたが、シャンペンをかけあいながら市長の秘書に、
「これ、シークレットですよ」
 と耳打ちされた情報によると、なんでもこの施設にはオーナーの本妻の百合子夫人が相当深く関わっているようで、とはいえ、会合のとき、
「そういう情報がもれてますよ」
 といちおう報告してみると、オーナーは、
「そうなんだよ。あれも奉仕活動のひとつらしい。おれのおかげで経済的な恵みを受けてるから、そのぶん与えるんだとよ。あはは、あはは!」
 とこれをあっさり認めていたので、
「これ、シークレットですよ」
 と耳打ちしてきたのは「トッツァンボーヤ」にみせかけて何本か「オボコヌーボー」という本物のワインを仕入れていたことを指している、というのが、いまでは定説になっているのだが、小林さんというこの秘書は定着こそしなかったが一時期は「ずんぐりむっくりくん」というひねりのないあだ名までつけられていたのだから、かれが声をひそめていってきたのは、あるいは、
「これ、シークレットブーツですよ」
 ということだったのかもしれない――とも桜が咲いたあたりからは、ささやかれているのである。
 会合という名目で、いつのまにか定期的にオーナーと堪能することになっている〈三途の川〉では、ホントにただ大きい風呂が好きなだけなのかもしれないユタカ叔父さんとかなりの確率でかち合ったが、これはこの健康センターを牛耳っているオーナーにユタカ叔父さんもタダ券代わりの秘密の合言葉をきっと伝授されたからで、ちなみにその恵みによって旧出稼ぎ寮の風呂には、ほとんど入りにこなくなっていたので、こちらも、
「アニキにいうなよ」
 としかいわない叔父に、
「受付で、やし酒なんとかって、いってたじゃん」
 だとかと、とくにからんだりもしていないのだけれど、叔父はおそらくオーナーに、
「秘密厳守だぞ、ユタカくん、あはは、あはは!」
 と肩を抱かれた関係で、甥のぼくにもこのように口ごもっているのだろうから、かんがえようによっては、それだけユタカ叔父さんは義理堅いところがある、ということなのかもしれない。
 もっとも、ユタカ叔父さんがそれだけの持てなしを受けるのも、オーナーのスケールの大きさをかんがみれば、それほどふしぎなことではなくて、というのは、クロスフィーバーズのトモコが切り盛りしている民宿にぼくと和貴子さんとで情報収集を兼ねた慰安旅行に行って久積史歩さんの居場所を史歩さんと現在でも交流があるトモコ経由で知ることができたのは、もとをたどればトモコの民宿に精通していたユタカ叔父さんのおかげ、ということもできるからである。
 渡部さんの運転で行くことになったトモコの民宿は、近隣の住宅と見分けがつかないほど家庭的だからなのか、おもいのほか繁盛していて、事前に予約を入れることもなく、いきなりたずねていったわれわれは、
「ごめんなさいね。あしたになれば、二階Bの部屋が空きますから」
 という事情で初日の晩はトモコの娘さんの部屋に宿泊することになったのだった。
 浮世絵師を志しているという娘さんの部屋には、やはり各賞にも応募しているだけあって、自分の作品がたくさん掛けられてあったけれど、最初はなんとも思わなかった英泉ふうの一枚が、
「アーモンドチョコレートのように、固くて甘い気持ちになってきてよ」
 という和貴子さんの感想をきいたあとに、あらためて鑑賞してみると、なるほどたしかにこちらのスケベ魂をかきたてる趣もあるように思えてきて、だからそういう「三味を弾く芸者」だとか「お作りする年増」だとかという作品にも促されるようにして、この夜もわれわれは“ナニ”をしっかりおこなったわけだけれど、初日の晩に二度ほど私物を取りにきた娘さんは現在とりくんでいる「逢引き三十六景」の感想を和貴子さんにしきりに求めてもいたので、最中に起きたスタイリーという健康器具がひとりでに作動するあのギッタンバッコン現象は、ぼくのアグレッシブさがもたらしたのではなくて、向上心のある娘さんが身を隠すために手動で畳んだことによって起こった、という説も桜が散ったあたりからは出てきているのである。
 二階Bの部屋に移った日の晩にユタカ叔父さんのことを話題に出してみると、
「ああ、ユタカさんの甥っ子さんなのぉ!」
 とトモコは叔父をかなり知っていたが、かつてはアイドルだったことを感じさせる表情で、
「でもユタカさん、ケイコのファンなのよね」
 と首をかわいくかしげていたトモコがいうには、なんでもケイコとはもう二十年以上も連絡がとれないらしくて、トモコは、
「えっ! 仲悪かったんですか?」
 という失言ぎみのぼくのおどろきにも、
「後期のわたしたちは、後期のビートルズみたいにギクシャクしてましたね――わたしたちは女性版のビートルズ、日本のビートルズなのかもしれませんね……」
 とアイドルらしいけなげさで失言を返していたのだった。
 オーナーと美咲愛子さんが遊びにきたときに偶然みつけた例の雑誌のことを話題に出してから、さりげない感じで久積史歩さんのことをたずねてみると、トモコは意外とかんたんに、
「ああ、史歩ちゃんはねぇ――」
 と住所などをおしえてくれたのだが、オーナーにこれをすぐ報告すると、
「おお、そうか! じゃあ、いまから、そっちに向かってくれ! あはは、あはは!」
 と最後通告をつきつけてくる可能性があったので、ぼくたちはそれにそなえてまず睡眠をしっかりとったのちにオーナーに連絡することにした。
 それでも翌朝電話で吉報を伝えると、オーナーは、
「すぐ行ってくれ」
 などという指令は和貴子さんの予想通り出してこなくて、もう一泊させていただいたのちにK市に帰ると、オーナーはぼくと和貴子さんとを、
「おお、ふたりとも、ごくろうさん! これで、おれも夢に一歩ちかづけたよ、あはは、あはは!」
 とあたたかく抱擁などもしてくれたのだけれど、しかし十六時間後にすぐまた出発することになった久積史歩さんが暮らす○○村へは和貴子さんとではなく、みんみん氏と行くようにとオーナーからその場で宣告を受けていたので、ぼくと和貴子さんはひとまず、
「ユキちゃんの浮世絵集にそえる序文を書いて、待っててよ」
「アーモンドチョコレートをほおばりながら書きなさい(低音)」
 ということになったのである。
 こちらのケータイにメールを送信してきたみんみん氏に電話してみると、氏は、
「そろそろ電車も使ったほうがいいと思うのですよ、わたしは」
 ということだったので、われわれは、
「苦戦を強いられた場合、向こうで年を越すかもしれませんよ、倉間さん」
「そうですね」
 などとしゃべったり駅弁の選択に時間を費やしすぎて電車を一本乗り過ごしたりしながら久積史歩さんが住む○○村へと向かったのだが、村の人に道をきいても、
「あそこにある〈スーパーマーケットまるなか〉の通りをぐうっと入っていって、そのあと〈オムオムバーガー五十七号店〉の手前の畑を突っ切って……」
 という説明しか受けられなかったので事実上自力で探すことになった史歩さんの家にどうにか到着するまで、ぼくはみんみん氏の勘のよさによって、
「ずいぶん助けられたよなぁ――おれの勘にたよってたら、また駅にもどっちゃってたもんなぁ」
 という印象があるので、あれから月日も過ぎて、こんなふうに五月の陽射しのなかでうたた寝を決めたりまどろんだりしていると、みんみん氏を抜擢したオーナーの采配にあらためて感服してしまうのである。
 ぼくはトモコから、史歩さんは村でいちばん財産がある家のひとり娘で引退後は両親と三人で暮らしていたのだが両親はふたりともすでに老衰で亡くなっているので現在はひとりで生活している――ときいていたのだけれど、到着したのちにインターホンを押しても最初はまったく反応がなかったので、これもトモコにきいていた史歩さんの性癖からかんがみて、
「ちょうど、失踪でもしてるんですかね……」
 と到着後一時間くらいは落胆していた。
 ところが、みんみん氏が奏でるギターで『やし酒ハイボール』や『夜這いはバイバイ』等を、おしくらまんじゅうも兼ねて熱唱していると、ふいに史歩さん本人が門を開けてくれて、勝負どころとみたぼくが、たずねてきた理由をみんみん氏にハーモニカを吹いてもらいながら叙情的に説明すると史歩さんは、
「どうぞ」
 と家のなかにもすんなり入れてくれたのだけれど、広いお屋敷のはなれでは史歩さんいわく、
「うちの番頭です」
 という人が背中に「チュ」と入ったハンテンを着てせわしなく出入りしてもいたので、トモコが力説していたほど史歩さんは孤独な生活を送っているわけでもなさそうだな、とぼくは思ったのだった。
 史歩さんの家には立派な掘ごたつがあって、みんみん氏などはそのことにむしろ興味をもっていたけれど、史歩さんはわれわれがコートを脱ぐと、すぐぼくをキャンディー党だと見抜いて、
「やっぱりランちゃんがお好きなんですか?」
 と唐突にきいてきた。
「あっ、いえ、あのう……どちらかといえば、スーちゃんが好きなんですけど、でも栗原小巻さんも相当好きなんですよ。もちろん史歩さんが一番好きですけれどもね、ええ、ええ」
「キャンディーズさんは、いまでもたいへんな人気なんですね」
 後日どうしてわかったんですか、とうかがってみると、史歩さんはぼくが着ていたVネックセーターに傘のマークがついていたことから、傘=雨=飴=キャンディー、ということで、ぼくをそう判断したみたいだったが、
「わたしのこと、久積史歩ちゃんだって、すぐわからなかったでしょ?」
 という史歩さんの問いにたいしては、先のような発言(史歩さんが一番うんぬんというやつ)も場合によっては行使する簡単主義なぼくでも、
「いえっ、そんな、うーむ……」
 と言葉につまってしまうところがあって――というのは、むちむちを推奨しているぼくとしてはなんともいいにくいのだけれど、たしかに史歩さんは現役当時にくらべると、だいぶぽっちゃりとはしていたのだ。
 史歩さん本人もずいぶんそれを気にしていて、
「そのオーナーさんて方、いまのままのわたしじゃ、きっと、がっかりされるんじゃないかしら……」
 とグループをあげて(?)の要請を告げても、あまりその話には乗ってこなかったのだけれど、オーナーが熱望している史歩さんの復活コンサートはなにもきょうあしたということではなかったので、側近さんたちとも連絡を取り合って、けっきょく、
「それじゃあ、オーナーさんのお誕生日会を目標に、がんばってダイエットします――秋だったら、歌のほうも、きっと間に合うわ……」
 ということで、いちおう折り合いがついたのだった。
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