第31話

文字数 5,216文字

 
      その三十一

 二日酔いのほうは、朝寝と朝湯と朝マッサージによって昼にはすっかりよくなっていたのだが、
「ここが効くんですよ」
「んんっん~♪」
 と二日酔いに効くツボを圧してくれた山崎くんは、監察としてこの界隈の料理屋をゆうべはあたっていたらしく、
「今回は何に変装したの?」
「薬行商です」
「このへんの居酒屋、からあげ注文しても、ワニとか出てきちゃうでしょ?」
「ショウガが出てきました。でも情報を得ることはできました。ちょんまげ当番の伊東という男は、かならず今夜十時に来ます」
「じゃあ、トシさんにいわなくちゃね。トシいるか、おーい、トシ!」
「局長、栗塚さんにはもう伝えました」
 ということは、現在みかん箱などで所々にちっちゃい山をつくっているのは、きっと斬り込み(?)の人たちが身をひそめるためなのだろうけれど、腕におぼえのまったくない局長のぼくは、
「倉間さんは、ここにいるのが、いちばん安全でいいかもしれねぇなぁ」
 と原田くんにみつくろってもらって庭の西側にある道具小屋の上に身をひそめることにその後決まっていたので、ほろ酔いの体で来たちょんまげ(カツラ)の伊東氏を総勢二十三名でズタズタに斬った(?)ときには、お母さんこいのぼりの口から顔を出しながら、
「一種のチャンバラなんだから、べつにローアングルじゃなくてもいいわけだな」
 とぼくは見守っていたのである。
 もどってこないのを心配して、こちらにのこのこあらわれた伊東の飲み仲間の三人もズタズタにしておいたので、
「こ、こんな真っ黒な身なりじゃ、いくらなんでも、店に入れてくれんけろな……」
 と居酒屋にはもうもどらずに伊東たちは自宅に帰っていったが、翌日、
「いやあ、ほんとうにありがとうございました。のんからきいたんですが、伊東んところの甲子太郎、まだ顔の墨がとれねぇようです。まぁあの野郎も能書きだけ達者で、いまから夜遊びばっかりしてるんで、いい薬になったでしょう」
 と何度もお礼をいっていた油小路のあるじに英光御老公は、
「なんでも歴史上、最大の墨塗りになったそうじゃな。これで来年の豊作もまちがいなしじゃろ。はっはっはっはっはっはっ」
 と蘭新組にあげるお手当をそっと手わたしていたので、かたち上あるじからそのお手当を受け取ったのちに洗濯代としていくらか包んだ当局は、ここを立つ前夜にそれをのんちゃんに伊東サイドのほうへ届けてもらって、で、
「こんなんでいいけろか? 腹巻なら、もっと新しいのあるけろよ」
「いえ、これでけっこうです。じゃ、わたしたちはこれで。倉間さん、お先に」
 と揃いのだんだら染を着て、かれらはK市に帰っていったのである。
 四十九日うんぬんというさおりさんの都合で御一行は○○村につぎは向かうみたいだったけれど、さおりさんとユタカ叔父さんと南さんはここに滞在中、ほとんどUFOの話しかしていなかったので、昼飯のときも演出家はなるべく目をあわせないようにして、
「御老公お気をつけて。伝くん、運転よろしくね」
 とやはりぼくのほうも御一行よりひと足早く油小路を後にした。
 だいぶ日が暮れたころにようやく実家に着くと、和貴子さんが旧出稼ぎ寮の玄関で、
「おかえりなさいまし」
 とどうしてもやめてくれない三つ指をついていたが、食堂ではさっき帰還したばかりだという吉野舞香さんが、バッグをがさごそやっていて、
「あの、これ、お土産です」
 とレトルトカレーの詰め合わせと高級カレーせんべいを、ふるえながらさしだしてきた。
「ありがとう。ところでどうだったい、カレーの旅はおもしろかったかい」
「はい。三日間、三食カレーで、おやつもぜんたい的にカレーものだったんですけど、でも、思っていたほど、あきませんでした」
「三食カレーかぁ。たいへんだったねぇ」
 参加者のなかには“松山容子Tシャツ”を着ていた人もいたとのことだったので、吉野さんの体験談を参考にしながら、どこかでカレーライスファミリーの対策会議を開くことにしたのだけれど、
「じゃあ四郎さんのために、今回はあそこにしますか」
「ええ。倉間さんさえ、よければ」
 と電話でみんみん氏と会合場所を決めたのちに吉野さんと〈ケニヤ〉へおもむくと、みんみん氏と渡辺さんはもう手前のテーブルでインベーダーゲームをやっていて、
「倉間さん、さっき栗塚くんからききましたよ。またたいへんでしたね」
 と案の定ちょんまげ祭りの結果を知っていた氏は、ティーカップとソーサーをもちながら奥のソファーの席に先陣を切ってさがっていった。
 昼間は撮影に使われることが多い最近の〈ケニヤ〉は、オーナーの提案で夜は「軽くお酒も飲めるような洋食屋」として店を開けているのだけれど、〈ケニヤ〉で出している赤ワインは、オーナーが若いころに奉公していた造り酒屋からなんでも取り寄せているみたいで、渡辺さんがいうにはその造り酒屋にオーナーは、これまでどうも複雑な思いをいだきつづけていたらしい。
 とはいえ、赤ワインはかなり安い値段で卸してもらっているようで、
「どうぞどうぞ」
 と四郎さんは樽から注いできたピッチャーをチーズとともにわれわれのテーブルに置いてくれたが、てきとうなコップに氷をいれてグビグビやるぼくのワインの飲み方をいつごろからかファミリーの人間は見習うようになってしまっていて――この日もみんみん氏は、たぶんアイスティー用のコップで赤ワインをカランカラン飲みだしていた。
 参考にしようと思っていた吉野さんの報告は、けっきょく、
「カレーばかり食べていると、ブラウスにカレーの匂いが染みついちゃう」
 という感じのものばかりだったのだけれど、蘭新組の世話係を務めることに決まっている吉野さんのために先ほど和貴子さんが、
「こういう着物でたすき掛けなんかすると、舞香ちゃん、とってもかわいくってよ。蘭新組の方たち、きっとクラクラにおなりになるわ」
 と和服を着せてあげていたので、吉野さんはこのときブラウスのボタンをはずすことはなかったのだった。
 吉野さんは蘭新組のだれかにちょっと気があるようで、
「こういうかんざしが好きなんですか? わたしはベレー帽のほうがいいと思うんですけど……」
 などとワインがすこし入るといっていたが、閉店間際に小林さんの大ファンだという若い女の子が〈ケニヤ〉にいきなり入ってきて、お年をきくと、
「十九です」
 とその女の子はいっていたので、渡辺さんに吉野さんをまかせたわれわれは、
「いま、どこにいるんですか?」
「まだ撮影してるんですよ」
 と小林さんと連絡をとって、十九の女の子とともにその撮影現場まで、
「今度こそ、ぜったいよろこびますよ」
「ええ、あの人はわたしとは逆で、若い子が好きですからね」
 とともかく出向いていくことにした。
 つくしのこ通りをグイグイッと入ったあたりでは監察の山崎くんがあたまにネクタイを巻いて千鳥足で歩いていたので、ぼくは仕事の邪魔をしてはわるいと思って声をかけずにすれちがったのだけれど、ふたたび千鳥足でバックしてきた山崎くんは、ぼくに道をきくふりをしながら、
「局長、あの娘、間者かもしれませんよ」
 とすばやく耳打ちしてきて、
「えっ、じゃあ、あの子、十九歳じゃないの?」
「いえ。それはほんとうです」
 なんでもこの女の子は、カレーライスファミリーの幹部の従妹の娘のご学友だという。
 このあと小林さんは「百歩譲っても一つ歳がいっちゃってる」というのを理由に、この子との交流をその場で断っていたので、間者問題はそれほど大きくはならなかったのだけれど、いくらかタクシー代をわたすと、
「あのう、正直にいいます。あたしの家、ここからそれほど遠くないんです。だけど、今夜はセンチメンタルな女の子になってるんで、お夜食をおもいっきり食べたいんです。だからこのお金、それにつかってもいいですか?」
「カレーうどんを食べるのかい?」
「い、いえ、カレーうどんは、食べないです。ききき嫌いじゃないですけど……」
 と女の子は若干動揺(?)してもいたので、仮に小林さんがもうすこし謙虚であったならば、われわれはきっとこの問題に悩まされていたにちがいない。
 仇役の「アマゾネス」とアカマムシマンは、撮影をはなれるとけっこう仲がいいみたいで、
「ねぇ小林くん、今夜もラーメン食べにいこうよ」
 とアマゾネスさんは小林さんの肩をトントンたたいていたが、Kの森総合公園の多目的広場には最近うまいラーメンを食べさせる屋台が出ているらしく、
「えっ! 水戸光子ちゃんも、たまにそこで食べてるんですか!」
 ときいたわれわれは、だからとうぜんお供することとなった。
 朝の四時からまた撮影があるらしいアマゾネスさんは、
「メイクだけでも三時間かかるのよ」
 ということで、アマゾネスの格好のまま塩ラーメンを食べていたが、
「倉間さん、このラーメンはねぇ、おつゆがうまいんですよ。ちょっとやってごらんなさい」
「うん、うまい」
「ね! ラーメンはねぇ倉間さん三原さん、うまいだけじゃ駄目なんです。安くなくちゃ」
 とお話していたわれわれの後方ではサラリーマンふうの紳士が泡をふいていて、アマゾネスさんがいうには、
「これで六人め」
 とのことなのであった。
 二本の(ツノ)に黒マントという格好のアマゾネスさんは、
「じゃあ食べ終わったら、やぶもぐり先生のところに連れていきましょ」
 と慣れているだけに落ちついてラーメンを食べていたが、われわれは、そのやぶもぐりさんという医者に、
「場所はどこなんですかぁ!」
 とすぐ診せに行く態勢になっていたので、食べかけのラーメンはそんなわけで小林さんにお盆ではこんでもらうことにした。
 やぶもぐり先生はこのKの森総合公園のテニスコートそばの更衣室に診療所をかまえているらしく、
「ごめんくださーい。ごめんなさい」
 と戸を開けると、先生は、
「じゃあ、そこのゴザの横に寝かせておきなさい」
 とすぐ指示をあたえてくれたが、先に診察してもらっていたグラウンドゴルフ用のクラブを杖代わりにしていたお年寄りに、
「うん、これでだいじょうぶだ。包帯がよごれたら、家の人に取りかえてもらいなさい」
 とほほえみかけると、いよいよ泡ふきサラリーマンを診てくれて、そのあと先生は、
「いま薬を飲ませたから、一時間もすれば元気になるだろう。おや、きみたち、ずいぶんうまそうなものを食ってるね」
 とひかえめにラーメンをチュルチュルしていたわれわれにいってきた。
「そういえば腹減ってるなぁ……なぁ、きみたち、そのラーメン、すこしわたしに分けてくれんか」
「じゃあ先生の分、たのんできますよ」
 ぼくがさっきの屋台にもどろうとすると、
「こんばんは」
 とアマゾネスさんが、みそラーメンをのせたお盆をもって診療所に入ってきたので、
「アマゾネスさん、ほんとうに水晶玉でこの状況を見てたんじゃない」
 とみんなで牧歌的にわらったのだけれど、
「やっぱりきみだったかぁ――あっ、かたじけない」
 とラーメンのラップを取っていたやぶもぐり先生は、やはりアマゾネスさんにおどろいて気を失った患者を何人か診ているようで、
「慣れてしまえばどうってことないけど、やっぱり暗闇でその角を見ると、一瞬びっくりするんだね。ははははは」
 とうれしそうにラーメンを食べだした。
 われわれが暮らすK市は近年、深夜に徘徊するお年寄りが多いことで知られているのだけれど、その対策としてKの森総合公園の第一グラウンドを一晩中照明を点けて開放すると、今度は深夜にグラウンドゴルフをやりにくるお年寄りが増えてしまったようで、
「灯が点いてるっていっても、たかがしれてるだろ。だからどうしても、つまずいたり転んだりして、ケガをするじいさんばあさんが出てくるわけさ」
 とむずかしい顔をしていたやぶもぐり先生はどうやら森中市長の許可を得て、この更衣室を深夜帯だけ診療所としてつかっているみたいだったが、診察料をほとんど取らない先生は、
「わたしの痩せ我慢も、そろそろ限界に来てるんだ。なにしろお茶の葉にも、事欠いているんでね」
 といいつつも、
「よし! 腹ごしらえも済んだし、うずくまってるお年寄りがいないか観てくるか」
 とふたたびグラウンドのほうに歩きだしていて、
「ほら、大勢いるだろ、夜中に遊んでるじいさんばあさんが」
 と指さしていた芝生では、たしかにたくさんのお年寄りがふわふわした表情で試合に勤しんでいたけれど、それでもただひとり、ショットだかパットだかのたびに「あはは、あはは!」と威圧的にわらっていたプレーヤーだけは、ときどきまわりにするどい視線を向けながらラウンドしていた。
「みんみんさん、いま『あはは、あはは!』って、きこえましたよね!」
「ええ。わたしもたしかに例の『あはは、あはは!』をこの耳でききました」
「あのオーナーが徘徊……えっ……ええっ……」
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