第14話

文字数 5,904文字

 
      その十四

 キャンディーズの曲を一日中聴きつづけても、けっきょくぼくも旦那を捜索するのにどこから手をつけていいか、わからなかったので、百合子夫人に、
「いつから教えるんですか?」
「それはあなたの自由よ」
 と翌朝問い合わせてみたのちに、たしょう気にはなっていた例の施設へともかく一度顔を出しに行ってみることにしたのだけれど、つぐみさんに、
「これなんか、いいんじゃない」
 と選んでもらった祖父のモーニングをきちんと着て、三時すぎくらいに、
「ごめんください、ごめんなさい」
 と受付のようなところにいた男性にまず声をかけてみると、男性はぼくをこれから施設に入るあたらしい生徒だと勘違いしたのか、名調子でこの施設の規則や派閥編成などを講釈しだした。
「ほおほお。じゃあ、仮にオレンジのつぶつぶジュースが飲みたかったら、オレンジつぶつぶジュースって書いて、このポストに入れれば、いいわけですか!」
「そうです。しかし場合によってはご用意できないものもありますよ。たとえば一昨年限定販売された『水戸光子ちゃんチョコレート』とかね」
 男性の説明によると、この施設(大学校)には、大きく分けると「なまけものさん」と「恥ずかしがりやさん」と「おこりんぼうさん」という三つの学部があるらしく、生徒たちは学部名になっているそれぞれの特徴を改善するために、どうやらここでキャンパスライフ(?)を送っているみたいだったが、
「『なまけものさん』に入られるんですよね?」
「やっぱり、わかりますか?」
「そりゃあ、わたしもここに来てけっこう経ちますからね。雰囲気で、だいたいわかりますよ」
 と悦に入っていた男性にタイミングを見計らって吉野さん経由の封筒に入っていたベンソンの懐中時計を赤べこのように首を揺らしゆらし提示すると、パチンコサロン体験も間接的ににおわせていたこともあいまって男性は、
「あ、百合子先生からじきじきに要請されて、し、失礼いたしました。あっ、あの、いま、つぶつぶジュース、ご用意いたしますんで……あっ、オレンジですよね?」
 とその後は丁重に接してくれることになっていたので、施設の図書室で本を読んでいた生徒のひとりにも男性は、
「なまけものさん学部の臨時講師の倉間鉄山先生です。あっ、そうだ、大河内さんのところに寄ったら、あのブザーの鳴らしかた、倉間先生におしえてあげてよ」
 と親切にわざわざ紹介してくれたのである。
 本を読んでいた生徒に、
「やあ」
 と声をかけると、
「こんにちは。坂本香菜です」
 と髪を右斜め下の位置で結んでいた生徒さんはきちんとあいさつを返してくれたが、
「あっ、香菜ちゃん、初対面の人にも、しっかりあいさつできるようになったんだね、すごいよ!」
 と男性にいわれて、
「はい――まだ恥ずかしいですけど……」
 とお顔をあかくしていた香菜ちゃんは、ざんねんながらぼくが教える学部ではなく、やはり恥ずかしがりやさん学部に所属している子のようで、とはいえ、ぼくが担当するなまけものさん学部の生徒たちは、おこりんぼうさん学部の子たちとともに、いまは修学旅行(?)で、シンガポールだかマーライオン博物館だかに行っているみたいだったので、ぼくは香菜ちゃんと今度はダイニング〈SA膳〉という食堂に移って、本格的にお話することになったわけだけれど、
「ええと、ホットミルクティーは、このブザーをツーツツって、押すんだね――あっ、香菜ちゃんは、アイスミルクティー党かい?」
「はい。男の人の前で、ふーふーするの、ちょっと恥ずかしいものですから……」
 ということだった香菜ちゃんは、ふーふーの課題はまだ残っていても、初対面のぼくといちおうこうやってお話ができるくらいだから、すでにここの寮生活は終了しているようで、
「じゃあ、おうちから、通ってるんだ?」
 とぼくがきくと、幼くみられるので、おしえるの恥ずかしいんですけど、今年で二十三歳なんです、といっていた香菜ちゃんは、
「いいえ。恥ずかしがりやさんを改善する最終仕上げとして、いまは、うなぎ食堂に下宿させてもらっているんです。知ってますか? うなぎ食堂」
 とお顔をまた、あかくするのだった。
 うなぎ食堂というのは駅周辺のごたごたした場所で大昔から暖簾を出している老舗の店で、ぼくが小学生だったころでも「チビッコたちが夏休みに連れていってほしいところ」のナンバーワンの座に六年間ずっと君臨していたほどなのだが、曾祖父が青年時代にここのお刺身で食あたりしたことがあるという歴史的な事情で倉間家はうなぎ食堂を利用しないという方向で漠然と暮らしてきたからぼくも〈どぜう家〉という居酒屋で飲んだことは何回かあっても、いまだにうなぎ食堂自体には一度も入ったことがなくて……そのごたごたしている駅周辺へも、おもえば三年ほど前に〈カロリー軒〉という店がどうにも気になって、
「中華料理店ですよね」
 と立ち寄って以来、疎遠になっているのだった。
 カロリー軒体験の割合がかなり多くなってしまったが、とにかく香菜ちゃんにそのような歴史をきちんとていねいにおしえると、
「でも、お友だちがみんな作文に書いていたくらい人気があった店なんだから、ちょっと入ってみたいなぁって、思いませんか?」
 とさらに聞いてきたので、
「そうだね」
 と今度は「バタークラッカー」のブザーの鳴らしかたに気を取られていたこともあってぼくはあっさりこたえたのだけれど、それを受けた香菜ちゃんは意外なことに、
「だったら今夜はうなぎ食堂で夕飯を食べてください。わたしの暮らしぶりも見てもらえるし」
 と恥学の生徒だとは思えないほど積極的な提案をしてきて、だからここでやることもとくになかったぼくは、百合子夫人に電話して許可をもらったのちに、うなぎ食堂へ家庭訪問という名目で、とにかくおもむくことにした。
 自転車通学だった香菜ちゃんに、手旗信号の必要性やブレーキ音での威嚇の仕方などを道々説いていると、
「あっ、こっちのわき道に入っていったほうがちかいですよ、恥ずかしいけど」
 という感じで、そのうち間口が極端にせまいうなぎ食堂にも到着したわけだけれど、まだ五時ちょっとすぎだというのに食堂はそれなりにお客さんで賑わっていて、香菜ちゃんが、
「ただいま」
 と入口の引き戸をがらがらっと開けたあとにもすぐ、
「大将、いつもの」
 と座敷にすわるサラリーマンふうの三人組が来ていた。
「いまでも繁盛してるみたいだね」
「どうなんでしょう――ここのおかみさんは、以前にくらべると常連さんはずいぶん減ったって、こぼしてましたけど……」
 貼りだされてあったおしながきをすばやく見てみると、うなぎ食堂には蒲焼き等のうなぎ関連のものはいっさいなかったので、やはりこの名前は店の構造にちなんで付けられたのだろうが、
「こういうの、たしかうなぎの寝床って、いうんだよね」
「どじょっこだの、ふなっこだのじゃ、駄目なんですか?」
 などとおしゃべりしながら、ひたすら奥へすすんでいくと、
「ここです」
 とようやく香菜ちゃんの部屋にたどりついたので、ぼくはとりあえず先のサラリーマンふうの三人組とおなじようにちゃぶ台の前にすわって、それから、
「ん?」
 と小首をかしげた。
「ここ?」
「はい」
 香菜ちゃんが自室だといい張るこの部屋は、襖を開け閉めしつつ延々と歩いてきた店の座敷のつづきだったので、
「四畳半しかないけど、わたしの部屋なんです」
 と顔をあからめていた香菜ちゃんに、
「いいかい。四畳半で暮らすというのは、おこづかい感覚を研ぎ澄ますためには、とっても有効なのさ!」
 と英知をあたえながらも、客がこのちゃぶ台をつかうことはないのか、そんなとき恥ずかしくないのか、といった素朴な疑問をしっかりぶつけてしまったのだが、
「忘年会のときは、あまりにもたくさんのおじ様たちがいらっしゃったので、このお部屋もつかってましたけど……」
 と片方のほおをふくらませて思案していた香菜ちゃんは、カバンを隅っこに置くと、
「でも、ここより、さらに奥の部屋に住んでいる方が、いつも夜おそく帰ってくるんです。そのときは、この部屋をどうしても通るから――ぱっと目をさまして、寝相とかが乱れちゃってたりすると、まだちょっと恥ずかしいです……」
 と恥学の生徒だけに反省している趣で報告してきて、ぼくがさらに「女の人?」と、なにをもとめているのか自分でもよくわからなかったが、とにかくたずねると、香菜ちゃんは、
「はい、女性です」
 と水戸光子ちゃんの写真入り色紙で補強してある障子を、すこし開けつつこたえてくれた。
「ほぉ、女性。いくつくらい? ワンピースとか、けっこう着てるかな?」
「うーん、よくわからないけど、三十ちかいと思います――たしかOLをしてるって、いってました」
「ワンピースは?」
「うーん、着てたかなぁ……とにかくいつも派手なんですよ。真っ赤なミニだったり、タイツだったり、あと、ああいうのボデコンて、いいましたっけ?」
「ボデコン?」
「はい。ぴちっと、からだにくっついてて、すぐパンツがみえちゃう感じの」
 香菜ちゃんは自身がつい発してしまった“パンツ”という言葉に気づいたのか、
「やだ、わたし、恥ずかしい」
 といって、端に畳んであった布団にお顔をうずめていたが、ぼくは香菜ちゃんの説明をきいてこの謎のOLには興味をなくしていたので、寝相の乱れ具合を真摯な態度でうかがったのちに、
「じゃあ、そろそろなにか食べようかな」
 という課目に移ることにしたのである。
 香菜ちゃんになにがおすすめなんだろう、とたずねると、
「ええと、いちばん人気があるのは――あっ、お刺身定食、ですけど……」
 と先ほど曾祖父のエピソードをきいたばかりだったために「お刺身」のところだけは、こころもち小さい声でいっていたが、この問題は曾祖父の逆鱗にふれることにはもはやならないだろうとぼくは思っていたので、香菜ちゃんにも、
「なに食べたい?」
 ときいたのちに、
「じゃあ、二人前ね」
 とそのお刺身定食を注文した。それでそれを、
「たしかに、おいしいな……」
 と集中して味わっていると、話題はさっきもすこし触れた忘年会のことにどうも移行していたみたいで、
「『二次会に行こうぜ!』って、出ていったから、ホッとして眠ったんですけど『三次会はやっぱりここだな』って、またもどってきちゃったんですよ……」
 などと香菜ちゃんは夢中になってしゃべっていたのだけれど、三次会になっても香菜ちゃんのお部屋を貸してもらわなければならないほど大勢だったこのおじ様たちは布団で寝ていた香菜ちゃんに気をつかいながらも要所要所でデビルポーズやひじ鉄をみんなで決めていたようで、
「デデデデ、デビルポーズデビルポーズ!」
 と自問自答していた職務中のおビール問題もどこかに吹き飛んだ状態で香菜ちゃんの話に身を乗り出すと、
「はい。キャンディーズが『やさしい悪魔』をうたうときに取るポーズなんですけど、知ってますか?」
 と立ち上がった香菜ちゃんは、じっさいにあのデビルポーズを、ぼくに魅せてくれたのだった。
 デビルポーズ後、
「あっ、やだ、わたし、体内の水分が蒸発しちゃうほど恥ずかしい」
 と顔をあからめていた香菜ちゃんに、
「もう一回やってみるんだ!」
 と改善へのスパルタ教育をほどこしていると、
「はい、もっとスタンスを広くとって『体内の水分が蒸発しちゃうほど恥ずかしい』というセリフをはさんだのちに親指を噛んで、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 と現在蒸発中の例の旦那を思いだすことになったので、
「ところで、そのおじ様たちなんだけど――」
 とぼくはきびしいデビルをいったん休止して、ともかく香菜ちゃんにおじ様たちとのあいだを取り持ってくれるようおねがいしたのだけれど、いままで熱血指導を受けていた香菜ちゃんは反撃するこんなチャンスがおとずれてもとくにもったいぶるわけでもなく、
「じゃあいま、おかみさんか大将にきいてきますね、コーチ」
 とハンカチで涙をぬぐいつつすぐ入口のほうへ小走りで向かってくれて、クリーニング〈しみず〉のビニール袋に包まれた派手な服を片手に帰宅してきたOLさんが、
「ただいまぁ!」
 とぼくに元気な声でいって香菜ちゃんの部屋よりさらに奥のほうへ消えていくのを呆然と見送ったりしていると、そのうち香菜ちゃんは、
「く、倉間さんの、ご、ご親族の方で?」
 となにやら帳簿のようなものを片手にもった大将とともに、もどってきた。
「あっ、どうも倉間鉄山です。ええ、倉間寅之助の曾孫になるんですかね、ずいぶんごぶさたしてます」
 帳簿をひざの上にのせて正座した大将にぼくがまずこう自己紹介すると、大将は明治三十五年にやはり実際に起きていた寅之助の食あたりにたいして、
「その節は、うちの曾祖父が、寅之助さまに、たいへんなものを……」
 と丁寧にあやまってきたのだけれど、
「いやいやいや、寅之助のことはどうでもいいんですよ、大将」
 と誤解を解いたのちに、ベンソンの懐中時計と百合子サロンのメンバーズカードをためしにちらつかせると、そのあとは、
「ああ、あの方たちにはずうっとご贔屓にしてもらってましてねぇ……」
 と話はすんなりつくことになっていたので、大将にここで毎年忘年会等をしているという新日本キャンディーズ連合の一人に、
「もしもし、あっ、新キャン連の山下さんですか。うなぎ食堂です」
 と連絡をとってもらったあとに、
「じゃあ、いまからうかがいますんで、よろしくどうぞぉ!」
 と満足のいく約束をおかげさまで取り付けることができて――それで(まあ、とうぜんではあるが)このミッションの全貌を知らない香菜ちゃんは、となりで案の定きょとんとしていたので、ぼくは理由を話して、
「そんなわけだから、とにかく話だけでもきいてくるよ」
 と香菜ちゃんの背中にしたたかに触れてみたのだけれど、先ほどのスパルタ教育にかこつけての大道楽のさいにはあんなに「恥ずかしい」を連呼していたのに、この行為にたいしては、からだをビクンとさせるどころか、
「これくらい、もう恥ずかしくないですよ。だからもっとすごいの、おねがいします」
 と笑顔をみせていて、ぼくが、
「そういえば、顔もあまり、あかくなってないなぁ」
 と感心していると、香菜ちゃんは、
「はい、わたしコーチのおかげで、なんかふっきれたみたいです」
 とぼくから湯飲みをうばいとって、
「のど渇いちゃった」
 とお茶をふーふーするのだった。
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