第4話

文字数 4,867文字

 
      その四

 すみれクンが帰るとぼくは母屋にひきかえして、つぐみさんにこういうことになった経緯をくわしく説明したりしつつ、夕飯を食べたのだけれど、
「すみれちゃんて、男の人をまだ知らないんだって」
「あっ、そうなんですか」
 などとひと通りおしゃべりをしてから、ふたたび旧出稼ぎ寮にもどって、一階にある風呂の用意をしようとすると、馬七銭湯を真似たのだろうか、象が地上を支えている絵なんかも描かれている風呂場の浴槽には、きのう栓はぬいたはずなのに、もう湯がはられてあって、温度を確認したのちに、いちおうシャカシャカと音のするほうに目を向けると、近所に住んでいる関係でこの風呂をひんぱんに利用しているユタカ叔父さんが、
「元気かい」
 と洗髪しながらいってきた。
 ヘチマでからだを洗わないと気がすまないたちのために、この風呂に入りにくるときはかならずそれだけは持参してくる親父のおとうとのユタカ叔父さんという人は、すくなくともぼくが子どもだったころまでは現在は小児科になっている土地に出してもらったいわゆる分家でなかなか立派に所帯をかまえていたのだけれど、かれこれ十五年ほど前に何らかの原因で奥さんと離婚してその屋敷を売却してからは、可愛がっていたひとり息子にも会えずに、この近所にある〈倉間荘〉という親父が大家のアパートに一人で住んでいて、それでそんなユタカ叔父さんは、ぼくにとっては実の親父、叔父さんにとってはおっきいお兄ちゃん兼大家にあたる「千代之介」と遭遇するのをやたらにおそれているので、どんなことがあっても母屋のほうへは入ろうとしないのだけれど、それでもまあ、これはたぶん息子と縁遠くなったということからなのだろうが、とにかくこのように千代之介と鉢合わせする危険をおかしてまでも、おもてむきは大きい風呂に入りたいだけれど、じっさいはぼくに会いにくる――という一種の親戚付き合いを叔父はつづけていて、もう嫁に入った紀子お姉ちゃんなどはときどき、
「叔父さん、わたしのバスタオルの上にこんなの置かないでよ」
 と裏庭にヘチマを放り投げたりもしていたけれど、ぼくはなんだかかわいそう、というか、じつはおなじ穴のムジナなのでは、とも思っているので、ずっとこの習慣を黙認しているのである。
 着ていた服をカゴに放りこんで、
「寒い!」
 とぼくのほうもからだをかがめて入浴に加わっていくと、あたまを洗いおえたユタカ叔父さんは湯船に、
「ううううう」
 とうなりながら浸かろうとしていたけれど、からだを淡々と洗いはじめたぼくの背中にユタカ叔父さんが訴えてくるには、なんでも叔父はおとといの晩にもこの風呂に入りにきたらしく、もちろんおとといといえば例の美咲愛子の応援バスツアーに参加している最中なのだから、ぼくがその気配を感じとれなかったというのもべつに反省することではないだろうけれど、話の流れで応援バスツアーおよび美咲愛子さん総体のことを、
「一回目のときはつぐみさんにチケットをもらったから行ったんだけど、おじさん連中って、ベビースターとか食べないじゃん」
「食べるよ、このまえ食べてたよ公園で。でもさ、鉄山は、いまでは美咲愛子のファンなのかい?」
「まあ、好きなことは好きなんだけど……なんていうのかなぁ、アンコールでね……」
 とともかく説明してみると、ユタカ叔父さんは二言目にはジューシージューシーいっているからあげクン信者たちを連想させるほどキャンディーズに精通していることになっていたので、ぼくは先日ダイアンに振付を仕込んだりしたがためにキャンディーズにかんしてたしょう天狗ぎみになっていたとハッと気がついて、こちらのほうは深く反省したのだった。
 しかしユタカ叔父さんは、このあといくらぼくが鞍馬天狗のように水鉄砲を乱射してキャンディーズのことをきいても、なんだかもぐもぐいっているだけで、なにも講義してくれず、叔父さんより若干おくれて湯からあがると、いつもはマミーなんかを勝手にぐびぐび飲んでいるのに、この日はもうアパートにさっさと帰ってしまっていたのだけれど、それでも翌朝つぐみさんにそのことで相談してみると、つぐみさんはすぐ、たくみ叔母さん(親父の妹、ユタカの姉)経由で情報を仕入れてきてくれて、で、なんでもそのたくみ叔母さん情報によると、いまから三十年くらい前のユタカ叔父さんは、キャンディーズと同時期に活動していた『クロスフィーバーズ』というアイドルグループを応援する組織みたいなものに入っていたようなのだ。
「それでユタカ叔父さん、きっとキャンディーズのことも知ってるのよ」
「なるほどね」
 ぼくの知るところでは、クロスフィーバーズというのはたしかほとんど無名のまま解散してしまった三人組のグループで、レコードとかブロマイドの売り上げなんかもオーナーが着目している例の久積史歩さんよりもさらにすくなかったはずだけれど、つぐみさんからこのことをきいたのちに昼飯をささっとすませておもむくことになったK市立図書館のインターネットブースで操作に苦労しつつ検索してみても(レファレンスの砂田さんに勧められたので、いちおうやってみた)、クロスフィーバーズのメンバーはトモコとケイコとミドリで、レコードデビューしたのが昭和五十一年の二月十八日で、そのシングルが『勇者たちのダンスパーティー』で、そのB面が『稲妻が走るとき』ということくらいしかわからなかったので、ぼくはこんなパソコンでパタパタやるよりもずっとしっくりくる“とにかく歩いてさがす”という作戦に本腰を入れていよいよ乗りだすことにしたのである。
 それでぼくは図書館のウォータークーラーで水分をすみやかに補給してから、まず手始めとして行きつけの古書店をあたってみることにしたのだが、ダンボールとかコンテナボックスとかに順列おかまいなしに入っている古いレコード群のなかにお目当てのクロスフィーバーズはざんねんながら紛れ込んではいなくて、店のオヤジにいちおうたずねてみても、山口百恵関連のものばかりを高々と祭っているこのオヤジは、
「さあ――洋楽ですか?」
 とグループの立場すら、まったくわかっていないのだった。
 とはいえ、コンテナボックスのほうでぼくは久積史歩さんの『やし酒ハイボール』をまたみつけて、もう一つのコンテナにあった桑江知子の『私のハートはストップモーション』とともに、おかげさまで購入させていただいたので、つぎの発掘現場へ向かうまでのあいだは、
「オーナー、よろこんでくれるかなぁ……」
 という感じで気持ちのほうはなにげに充実していたのだけれど、二軒目三軒目収穫なしを経たのちに、さらに作戦をつづけるために大型ショッピングモール〈がぶりえる、がぶりえる!〉の一階のベンチでしばしの休息をとりながら手持ちのレコードをふたたびみつめて最終的にはオーナーが指揮する組織のナンバーツーにまでのぼりつめていると、
「ああ、倉間さん!」
 となにかのパンフレットを手にもった四つ年上のみんみん氏が、こちらに近寄りながら声をかけてきたので、ぼくも、
「ああ、みんみんさん、しばらくです」
 と想像ステーキを切る手をやすめて、氏に長椅子をすすめた。
 この大型ショッピングモールの三階にある〈ヨーアヒム〉というチーズフォンデュー専門のレストランは、いまでこそお好きな時間にお好きなだけお食事がたのしめるけれど、たしかあれは十二月だったから、ちょうど一年前ということになる開店当初は、もうたいへんな盛況ぶりで、それは連日K市民新聞がその熱狂ぶりを一面に載せたり、Kの森テレビが特集番組を組むほどだったのだ。
 そのような凄まじいチーズフォンデューフィーバーがこの界隈を席巻していたさなかにぼくもつぐみさんにつきあわされてじつはこの〈ヨーアヒム〉の列にならんだのだが、つぐみさんは持参してきたランチョンマットにすわって順番がくるのを待っている最中に〈たこやきエッちゃん〉の大タコ6Pパックを食べてしまって、
「おなかいっぱいに、なっちゃった」
 と急遽おウチに帰っていたので、このときぼくはひとりでチーズフォンデューを体験することになったのだった。
 しかし、ひとりでテーブルや専用の鍋(?)を使うなどということは、ブーム中だっただけに、やはり許されるものではなかったらしく、単独でチーズフォンデューに挑むという孤独な偉人たちがあつめられたテーブルにぼくは、
「お客さまのような方はこちらになります」
 とけっきょく手を引かれて案内されたわけなのだけれど、その偉人用のテーブルで、たまたま相席になったのが、いま声をかけてきてくれたこのみんみん氏で、みんみん氏とはそれ以来、双方の行動哲学が似かよっているのだろうか、こんなふうにときどき“ご対面”することがあるのだ。
 三ヶ月ほど前にみんみん氏とKの森総合公園でばったり会ったとき、ぼくは散歩コースを歩きながら氏にわたくし倉間鉄山はキャンディーズがとっても好きなんです、ということを、それとなく伝えていて、
「あっ、キャンディーズですか?」
 とだからこそ、みんみん氏もステーキの鉄板に見立てていたレコードをちらっとみて、こうきいてきたわけなのだけれど、
「これはちがうんですよ、みんみんさん」
 とこたえたぼくがこのあと、クロスフィーバーズのレコードをさがしているのだが、いまのところたいへん苦戦しているんだうんぬんと、みんみん氏に説明してみると、どこかの奥さまに、
「三原さーん」
 と手を振られて、それにやはり手を振ってこたえていた氏は、
「だったら、あそこに行けば、とりあえず曲は聴けるかもしれませんよ、倉間さん」
 とつくしのこ通りをずうっと行って〈オムオムバーガー〉の先の道をぐうっと入っていったあたりにある喫茶店のことを挙げてきた。
 みんみん氏によると、なんでもそこは、どんな曲でもお客がリクエストすればたいてい聴かせてくれるらしいので、ぼくは誘ってみると、
「わたしも行きますよ。クロスフィーバーズというのがどういうものなのか、興味が出てきましたからね」
 とのことだったみんみん氏とともに、さっそく〈ケニヤ〉というその喫茶店に向かったのだけれど、店内にカラカランと入って、紅茶を注文するより先にクロスフィーバーズの『勇者たちのダンスパーティー』をマスターにやや興奮ぎみでリクエストしてみると、しずかに、
「はい」
 といったマスターはすぐ指定したレコードを棚からひっぱりだして掛けてくれていたので、ぼくはマスターに事情をだいたいユタカ叔父さんがなかなか立派に所帯をかまえていたあたりから説明したのちに、
「いやぁ、こんな素敵な店は、はじめてだなぁ、んー」
 と店のコーヒーカップをマスターが自発的にクロスフィーバーズの曲をカセットテープに録音してくれるまで、みがきつづけたのである。
 録音してもらっているあいだ、紅茶一杯で待っているのも、けっこう気まずいものがあったので、ぼくはみんみん氏が、
「わたしは定期的に食べているのですよ、倉間さん」
 と推奨するサンドイッチをお礼代わりにここで食べることにしたのだけれど(これから約束があるというみんみん氏は、コーヒーのみの注文だったが、そのかわりテーブルのインベーダーゲームをやって店に寄与していた)、マスターに貸してもらったレコードジャケットについ見入ってしまっていて、サンドイッチが出来上がってきたことも気づかずにいたぼくの肩をトントンとたたいて、
「もう召し上がれましてよ」
 とおしえてくれた親切なお客さんは、先日の歌謡ショーのアンコールでキャンディーズのミキちゃん役を務めていた、たしか愛子さんとは親戚の、いわゆる謎のウーマンさんということになにげになっていたので、ぼくはウーマンさんのもち肌に一瞬「めめめ娶りたい娶りたい」と思いつつも、ともかく椅子から立ちあがって、
「ああ、ミキ! ありがとう」
 といちおうスーになって、首をかわいくかしげた。
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