第19話

文字数 4,956文字

 
      第三部 夏

      その十九

 おはぎちゃんが仮面ライダーに出ている若手俳優の大ファンだと知ると、
「あんな美男子が好みなんじゃ、どうにもなりませんよぉ」
 と小林さんは肩を落としていたが、みんみん氏が、
「わたしはほとんど仮面ライダーを観たことはありませんが、スパイダーマンは好きだったのです。三十年くらい前にたしか12チャンネルでやっていた東映のスパイダーマンです。あれは仮面ライダーよりもファンキーですよ」
 とビールを飲むと、
「じゃあ三原さん、スパイダーマンだったら仮面ライダーに勝てるんですね?」
 と小林さんは、ふたたび焼き芋ルアーを装着した。
 赤まむし野郎などの滋養関連は、つぐみさんの予想通りいよいよKの森テレビにも広告を出すことになって、当初は、ときに一週間もぶっつづけでおこなわれることもある伝説的な討論番組のスポンサーになる予定だったのだけれど、われわれ側の意向にそった発言をそこでするはずだった某料理研究家がビューティフル品子のメイク術に傾倒していることが判明したためにこの計画はいったん白紙になっていて――そんな折りだったからだろう、オーナー率いるわれわれまむしファミリーは、ヒーローものの冠スポンサーへと躊躇することなく鞍替えしたのだった。
「スパイダーマンですか? オーナー」
「いや、さすがにスパイダーマンというわけにはいかないよ、小林くん。だが、ある意味ではスパイダーマンよりも、もっと強力なヒーローを、かならずかれらが創ってくれるだろうよ。どのヒーローよりも、ビンビンなすごいやつをな、あはは、あはは!」
 われわれスポンサーの看板商品でもあるだけにヒーローのほうはすんなり『アカマムシマン』で了承されたのだが、そのアカマムシマンに変身する山城浩介という普段は議員秘書をしている主人公の役に小林さんを起用させるのは、
「じっさいに秘書みたいなことやってるんだから、OK出すだろう」
 というわれわれの予想に反して、なかなかすんなりとまではいかなくて、とはいえ、
「どうしてこの人なんですか? もっと若くてかっこいい俳優、いますよ」
「でもですね、プロデューサー、それじゃあ、ちょっとありきたりだと思うんです。やっぱり赤まむし野郎というドリンクは、錠剤なんかもそうですけど、おもに中年たちに愛飲されているものなんですから、こういう小林さんみたいな、ずんぐりむっくりしたおじさんが飲んで、こんなふうにビンビンに変身してもらわないと」
「なるほど、そうか……わかりました、じゃあ、この人で行きましょう。それでヒロインは水戸光子ちゃんでいいとして、フィルムなんですけど、やっぱりアグファですか?」
 という感じで最終的にはおかげさまで小林さんに納まり、秋の放送に向けて小林さんはだから毎日朝から晩まで撮影に没頭しているわけだが、それでも俳優業に専念しているのはかんがえてみれば森中市長が夏休みをとっているここ何日かだけで、それまではいちおう本業(?)の秘書としての仕事も小林さんはぼちぼちこなしていたのだった。
 重要な公約の一つでもあった「なまけものカーニバル」を八月の最初の土曜日に無事成就させた市長は、
「わたしはねぇ、倉間さん、つぎは、村長とかわした約束を、かならず、はたさなくてはならない」
 ということで現在は○○村の温泉旅館で静養しているのだが、そのあいだでもオーナーはバーベキュー大会をKの森総合公園で開催させるためのPR活動をしたたかにおこなっていて、だからいま、すみれクンが所属しているKの森少女歌劇団は『鉄板をカバンにしのばせた少女』というミュージカルを各市町村の公民館や体育館で連日演じているのである。
 今回のミュージカルでも重要な役所を任されているすみれクンは、もうかれこれ二ヶ月以上もみんみん邸に居候しているので、
「そろそろ経験してもいいのにね」
 とつぐみさんとぼくはときどきお話していたのだけれど、六月の誕生パーティーのさいにも、すみれクンは、
「きょうで二十二歳になったけど、まだ知らないんです」
 とわれわれに公表していたので、ぼくはみんみん氏にそのあたりのことを率直におうかがいしてみた。
「みんみんさん、すみれクンのむちむちしたからだを見て、むらむらしたりしないのですか?」
「します。ですから居候はまったくかまわないのですが、結果的にわたし自身の悩みの種は、またひとつ増えてしまいました。わたしは毎晩、悶々としているのですよ」
 みんみん氏はもう七、八年、すみれクンは知らない子でいたほうが豊かな人生を送れるとかんがえているみたいだったので、そのあたりのことも氏をとどまらせている一因におそらくなっているのだろうが、生活ぶりをたずねてみると、すみれクンはどうも和装の女性が好きらしいみんみん氏を意識してか、街頭テレビ時代のように稽古帰りに着付教室の授業を窓越しにのぞいているみたいだったので、ぼくは誕生祝いのときに愛子さんが熱心に手拭いの噛み方をすみれクンに伝授していたのを、
「そういえば……」
 と思いだしつつも、すみれクンのがんばりとみんみん氏のある種の誠実さとに、
「着付教室に山本富士子さんによく似た婦人がいるのか――おれも習いたいなぁ……」
 と目頭をおさえたのだった。
 居候といえば、久積史歩さんも越谷の元師匠さんのお宅にあれから居候することになって、なんでもその家にはデビューするまでの二年間くらいのあいだ、歌の稽古をつけてもらうために住み込んでいたということだったけれど、当時は四十代だったその森田先生もいまでは孫夫婦とも同居しているくらいだからさすがに高齢になっていて、われわれが赤まむし野郎半年分をもってあいさつにいくと、森田先生はダイアンを史歩さんだと思い込んで、
「ちがう! 二小節めの『夜這い~』のところは、恥じらいながらも興味があるという感じで『♪ 夜這い~』とうたわなくちゃ。はい、もう一度」
 とピアノを弾き弾き、歌の稽古をしばらくつけていたくらいなのであった。
 先日届いた手紙にも、
「森田先生のおかげで、歌のほうはだいぶ自信を取りもどしました」
 と書いてあったので、当初はかなり心配していたわれわれも、
「まあ史歩さんは、あの先生を信頼してるんでしょうからね」
「そうですよ。ちょっとよぼよぼしてたけど、でもほら、サイダーなんか、けっこうゴクゴク飲んでたじゃないですか」
 と最近はすっかり安心しているのだが、そんなわれわれには、オーナーの誕生日に予定している史歩さんのいわゆる“ビッグイベント”をついついわすれてしまうくらい気掛かりなことがじつはあって、それというのもここにきて、ビューティフル品子の影響力が市内においてますます強まってきているのである。
 ビューティフル品子は先月「だれでも綺麗にみえるメイク術」というDVDを発売していて、それをすぐさまチェックしてみると、お顔のしわとシミに悩む七十八歳の婦人が品子にメイクをほどこしてもらったすえにR指定の映画館で身分証明所の提示を求められるまでに若返ったりしていたけれど、われわれは、
「婦人がこうなるまでに十七時間も三人がかりでぬりたくっているんだから、きっと市民は評価しないよ」
「ええ。それにこの婦人はセーラー服を着てますよね。ですから券をもぎってる人は、このトリックにもひっかかったわけですが、DVDを観た市民は、これにもおそらく気づくと思いますよ」
 という趣で発売当初はわりと楽観的にかまえていて、具体的な対策というのは、だからとくべつとらないでいた。
 しかしそうこうしていると、たちまち品子のDVDは凄まじい勢いで市民に受け入れられることになって、先日のなまけものカーニバルの成功ですらもK市民新聞の一面を飾ることができないくらい(その日の一面は品子が素敵にカフェでコーヒーを飲んでいるスクープ記事だった)、こんにちでは一種の品子フィーバーにK市は沸いているのだが、ところで、姉のように政治の世界に進出するつもりはない、と何度も公言している品子をなぜこれほど警戒しているのかといえば、それはひとえに森中市長がビューティフルときくと例の話法中であっても情緒不安定になる傾向があるからで、オーナーも、
「たしかに品子は放っておいても安全かもしれない。しかしなぁ倉間くん。市長が心配でたまらないのであれば、品子が遅かれ早かれ自然消滅する存在だとしても、やっぱりおれたちは動く必要があるんじゃないか?」
「借りをつくっておく、ということですか?」
「いや、友だちだからだよ。あはは、あはは!」
 とこのまえ肩を抱いてきたので、いずれわれわれはなにかしら反撃(?)に打って出るのだろうが、しかし最近のわれわれはというと〈三途の川〉にあつまっても夏休み合宿と称してすぐカプセルルームへと移行してしまう状態にあるし、オーナーも小児用の赤まむし野郎の開発に時間を割いていたので、この問題はいまのところオーナーの別荘で品子対策を練るさいには腰を据えてこれを飲む、と投票で決めた「せんぐり本醸造」という地酒すら用意していない有様なのである。
 百合子夫人にたのまれた二槽式洗濯機の講義は、なまけものさん学部の生徒が修学旅行から帰ってきたのちにすみやかにおこなって、あっというまに一学期が終わると、ぼくの臨時講師としての任期もおかげさまで満了していたわけだけれど、赴任した初日に知り合ったあの香菜ちゃんとはその後も親交がぼちぼちあって、もちろんなまけものさん学部の生徒ともそれなりに交流はあったのだが、かれらはぼく自身のなまけ伝を聴くとやはり感化されたのか、よりなまける方向にドロップアウトしていったので、放課後はなまくらするのにきっといそがしくて、新米講師のぼくと伝左川の土手で夕日を浴びまくりつつダンボール製の金ぱっつぁんが使っていたような変な橇(ソリ)みたいなやつで風を共有するまで親交を深めることはけっきょくなかったのである。
 夏休みなので実家に帰っている香菜ちゃんは、つい最近も、
「おうちにいると、また恥ずかしがりやさんに逆もどりしてしまいそうなので、今度また徹底的に指導してください。
 PS 市長さんが泊まっている温泉旅館には混浴があるってきいたんですけど、本当ですか?」
 という内容のメールをよこしてくれたが、森中市長に電話してみると、たしかに〈まるなか〉という温泉旅館の露天風呂は混浴になっているみたいで、
「わたしは、村長と連日長湯をして、日頃の疲れをとっている! 今朝もわたしは、岩影にいた女性と市政の話をした! タオルなんかで隠すのは、ここではエチケット違反だと、その女性はいっていた! その姿に、わたしは感動した!」
 と市長は声をはりあげていた。
 史歩さんが森田先生のお宅に居候しているあいだの史歩邸の管理はわれわれやわれわれの親戚などが順番に何日か寝泊まりする、という方法でおこなわれているのだけれど、第十一代史歩邸管理人吉野舞香の後任はわたくし倉間鉄山という予定になっていたので、
「もうすぐ○○村に行くんで、ちょっと寄ってもいいですか?」
 とこのときぼくは、ついでにきいてみた。
 すると市長は、
「わたしは、倉間先生に恩があるのを、わすれる男ではない。ビューティフル玲子はただガリガリなだけ!」
 とすぐ村長に話をつけてくれて、結果的にこちらの露天風呂にもぼくはシャンプーハット代のみで入れることになったのだけれど、香菜ちゃんにこれらのことをメールで伝えると、
「じゃあ、そこで特訓もできますね、コーチ」
 と管理のアシスタント(?)に香菜ちゃんは名乗り出てきたので(この希望を表明したときにはすでに香菜ちゃんは百合子夫人にも史歩さんにも了解を取っていた)、もちろん香菜ちゃんが管理のお手伝いをしてくれるのはたいへんありがたいことではあるのだが、愛想笑いをしながらも虎視眈々と好機をうかがっていた、
「あの村には山があって川があって、だからいい絵が描けますよ、画伯!」
 というアプローチからの協子さんとの小旅行計画は――どちらにしてもむずかしかったかもしれないが――とにかく立ち消えとなってしまったのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み