第24話

文字数 4,850文字

 
      その二十四

 香菜ちゃんにおしえてもらった例の裏道をぬけてやがて住宅地に出ると、ある家の庭先では新キャン連の山下さんが黙々と“流し釣り”の反復練習をしていたのだが、
「いっしょに、どうですか?」
「ええ」
 とその練習につきあいつつお話すると、なんでもきょうは新キャン連のメンバーでバーベキューをやるのだそうで、
「いま〈がぶりえる、がぶりえる!〉の朝市に行ってきたんですけど、いやぁ肉、すごく安くなってましたよ」
 というのはだからきっとそのバーベキューのために買い込んだのだろうが、山下さんは鮠や鮎を釣るコツを伝授しつつお肉コーナーでスクールメイツ時代のランちゃんにちょっと似ている子がはたらいていたという情報もこちらに提供してくれていたので、キャンディーがからむと、どうしても血が騒いでしまうぼくは、もはやこのお肉コーナーに行かないわけにはいかなくなってしまった。
 そんなわけで、このあとぼくは巨大ショッピングモール〈がぶりえる、がぶりえる!〉にまで、わざわざおもむくことになったのであるが、駐輪場にキーキーママを停めたのちにお肉コーナーにカムフラージュとしてのお買い物カゴをひじのあたりにひっかけて入ろうとすると、ぼくとおなじくらいの背丈でなかなか骨格もいい女性がショッピングカートを押しながら出てきて、
「ああ、先日はありがとうございました」
 とぼくをみるなり、おじぎをしてきた。
「ええ……あの、たいへん失礼ですけど、どちら様でしょうか?」
「わたくし、近藤山の母でございます」
「近藤山」というのは、色紙に手形いりのサインを書いてくれた例のチビッコ横綱くんのことで、あのサインをもらったとき、たぶんこのお母さんはそばにいなかったはずだが、横綱くんのお母さんは、どうもぼくが阪急ブレーブスの帽子をかぶっていることから、
「こんなふうに、谷町の旦那さんとお会いできるなんて」
 と気づいたようで、しかもつまりぼくはいわゆるタニマチだからだろう、
「ぜひ、チビッコ力士たちの稽古を観てやってください」
 ともお母さんはいってくれていたのだった。
 Kの森部屋(?)は、ここからすぐのところにあるみたいだったし、お母さんもこれからチビッコたちにぶつかり稽古をつけてあげるとのことだったので、スクールメイツ期のランちゃんは、
「つぎの機会だな」
 としたぼくは、メモ帳にざっと書いてもらった地図をたよりに稽古場へも、のこのこ行ってみたのだけれど、ぼくがおそるおそる稽古場に入ると、シコをふんでいた、あんこ型のチビッコ力士が、
「あっ、谷町の大旦那、ごっつぁんす」
 とすぐあいさつしてくれて、指定された座布団に、いちおう谷町の旦那らしく、どっかとすわっていると、車で先にショッピングモールを出ていたお母さんもそのうちまわしを締めて、
「さあ、ぶつかり稽古はじめるわよぉ!」
 と奥から力強く歩いてきた。
 お母さんは上下そろいのスポーツウェアのうえにまわしを締めていたので、
「チッ、そういうことだったかぁ……」
 と落胆を隠すためにきつく腕組みをしながらぼくは谷町らしくうなずいていたのだが、近藤山関がお母さんのまわしを取って、つり出しを試みているのに、
「そうだ!」
 と眼光をするどくしたりしていると、やがてK市立D中学校の新聞部が夏休みのクラブ活動なのだろう、この相撲部屋に取材をしにやってきた。
 ふたりの中学生記者は近藤山関やチビッコ大関くんなどにインタビューみたいなことを初々しくすると、
「じゃあ、その大好物のポテロングを、かじってもらえますか?」
 とおねがいして写真も何枚か撮っていたが、それがおわると、ふたりはもう万策尽きてしまったのか、ただその場でもじもじおどおどしていて、筆記係だったおはぎちゃんなども、ときどき横にながしている前髪を気にしながら、
「すごーい」
 と砂だらけになっている力士たちを見て、つぶやいているだけだった。
「好きな女の子は?」
 という質問に近藤山関が、
「伊東さんと、長島さんと……」
 と五、六人の名前をあげたとき、カメラをもったもうひとりの女の子は、
「やっぱり大物はちがいますね」
 と感心していたのだけれど、首をかわいくかしげながら口もとに人指し指を当てて、しばしかんがえてみると、わたくし倉間鉄山も先のような質問をされたら、
「えーと、協子さんと、和貴子さんと、香菜ちゃんと、YORIKOさんと、奈津美さんと、天地真理さんと、栗原小巻さんと、水戸光子ちゃんと、ん? いちばん? まあ、けっきょくいちばん好きなのは、なんといっても四十前後の松尾嘉代さんですけどね――うーむ、それからクレープ売ってるあの婦人と……」
 と軽く百人くらいは名前をあげることができるわけだから、谷町然とふるまっていたこともあいまって、
「あっ! 倉間さん!」
 とこちらに寄ってきたおはぎちゃんたちに、ぼくは、
「昼飯おごってあげるよ」
 と大物ぶって、ついいってしまった。
 中学生の女の子というのは個人個人はいい子でも、二人以上になるとじゅうぶん悪ノリする可能性があるので、大物ぶったそばから、
「な、なにがいい……」
 とぼくは両手で胸をおさえているほど心臓をドキドキにしていたのだけれど、しばらく相談していたふたりは、こちらのドキドキが最高潮に達したころ、
「〈ケニヤ〉のナポリタンが食べたいです」
 とホントにかわいらしい選択をおかげさまでしてくれていたので、その後〈ケニヤ〉に移動すると、ぼくはここでのお食事なら、ちょっとくらい追加されても、あとでコーヒーカップをみがきまくれば、たいした痛手にはならないと思って、
「デザートもいいよ。おじさんも食べるから」
 と性懲りもなく、また大物ぶっていたのである。
 喫茶店のマスターが、
「なにを掛けますか?」
 と耳もとにきいてきたので、ぼくはこれくらいの女の子にたいしては古いロックみたいなものの教養をひけらかせておいたほうがいいだろうと思って、
「ファンキーなやつ」
 ととりあえず小声でリクエストしたのだが、ぼくの好みをいまではよく知っているマスターは、たしかにある意味ではファンキーなのかもしれないけれど、桜田淳子さんの『夏にご用心』を大音量で掛けていたので、
「靴下にワンポイントマークがついているだけで『コラーッ、コメッチ!』って、追いかけてくるんだもん。信じられない」
「あっ、このまえクミコも、ただの若白髪なのに、バルタン先生に呼び止められてた」
 とふたりがさかんにやっていた生活指導の通称バルタン先生にまつわる不満話にも、
「あとさぁ、あのバルタンの野郎さ、毎日こんなふうにピースしてやがってさぁ――」
 と便乗することすら動揺してできなかったのだった。
 カメラ係のお米ちゃんのお母さんは紀子の友だちでよくウチに遊びにきていた多美子ちゃんだった、ということでも動揺していたので、つぎの取材現場に、
「ごちそうさまでしたぁ。さようならぁ」
 と去っていくまで、けっきょくこの子たちにぼくは好きな色だとかそういう有意義なことはなにひとつ聞けなかったのだが、紀子お姉ちゃんと同級生だった多美子ちゃんは小学生時代の記憶しかないからイマイチしっくりこないけれど、とにかくもう三十四歳くらいになっているわけだから、二十歳まえに子どもを産んでいれば、まあ中三の子どもがいてもいいわけだ。
 ほかのお客さんがリクエストしていた間宮貴子の『渚でダンス』を聴きおえてから帰ろうと思っていると、赤いネッカチーフを巻いた小林さんが、
「ね! 脚本の感じとピッタリでしょ?」
 などと例のプロデューサーにいいつつ〈ケニヤ〉に入ってきたのだが、
「はい四郎さん、約束してたやつ」
 とマスターにアカマムシマンのマスクをさしだしていた小林さんは、
「あっ、倉間先生!」
 と案の定テーブルの席にいたぼくにすぐ気づいて、それで、
「撮影ですか?」
 ときいてみると、この〈ケニヤ〉をアカマムシマン側の秘密基地にしてどうのこうのとふたりは同時に熱弁をふるっていたので、おそらくいまぼくがテーブルとしてつかっているインベーダーゲーム機のボタンだかレバーだかを「レッドスネーク、カモン!」と操作すると基地に入っていける秘密のドアが開いたりすることになるのだろうけれど、アカマムシマンがスクーターに乗るさいにマスクの上からかぶるフルフェイスのヘルメットを、
「これだとアカマムシマンのマスクが隠れてしまうんで『カリメロ』みたいなヘルメットに第五話から変えることにしたんです。だからよかったら、このメットあげますよ」
「ありがとうございます」
 とサッポロビールのTシャツを着たプロデューサーにぼくはいただいていたので、
「似合いますねぇ」
 とコーヒー豆をひきながらも、すこし物欲しそうにしていたマスターに、
「昔はよくそんなものかぶってたな……ねぇ、ちょっと蒸着させてくれませんか?」
 といわれないうちに、とにかくカラコローンと店を出ることにしたのである。
 真夏の、それもいちばん暑い時間帯だったので、さすがに〈オムオムバーガー〉を通過したころにはヘルメットのなかは蒸し風呂のようになっていたけれど、家に到着したのちに、このヘルメットとそれから阪急の帽子をもって、旧出稼ぎ寮に入っていくと、食堂では、つぐみさんが地球防衛軍スーツを着たさおりさん相手になにやら雑談をしていて、ぼくが、
「あれ? 熱中症かなァ……」
 と帽子をうちわがわりにしつつふたりをぼおっとみていると、つぐみさんは、
「さおりさん、楠木ヒデタさんの歌謡ショーを観るために、わざわざ○○村からこっちに来たんですって。泊めてあげることになってるんでしょ?」
 といってきた。
〈三途の川〉でおこなわれる楠木ヒデタの歌謡ショーはたしか再来週のはずだから、さおりさんはここに半月くらい宿泊するつもりなのかもしれないが、
「じゃあわたし、先に〈高はし〉に行ってるね。モーニング、八畳のフックに掛けてあるから」
 とすでに支度もしていたつぐみさんがひと足早く家を出ると、さおりさんは、
「ここは一泊、おいくらなんですか?」
 と前金で宿泊代を払おうとしていたので、お金なんかとりません風呂でも二槽式洗濯機でもてきとうにつかってくださいうんぬんとこの建物を説明したぼくは、
「しばらくぶりに遠出したので、疲れたわ」
 といっていたさおりさんのために夏用の布団を、
「すこし寝ますか?」
 と出してあげて、それから先ほどもらったヘルメットを智美にちょっとみせてやろうと思って、母屋へ行ってみた。
「レッド・スネーク・カモン! あれ?」
 ところが母屋の玄関は鍵が掛かっていて、しかもお袋の車も車庫になかったので、
「おもちゃでも買いに行ったのかな――あっ、つぐみさん、今晩はいないから、お袋と智美で夕飯も外で食べてきちゃうかもしれないなぁ……あっ、さおりさんの夕飯、どうしよう」
 とヘルメット越しのおでこをパチンとたたいたぼくは、とにかく「今夜はウチにだれもいないかもしれません」と、さおりさんに報告することにしたのだけれど、そば処〈さわぐち〉や〈芳ずし〉のおしながきをもって、さっき布団を敷いてあげた二階の八畳にあがっていくと、さおりさんは悪戦苦闘しながら汗でムレムレになっている地球防衛軍スーツを脱いでいて、お顔も首すじも汗でびっしょりだったさおりさんは、ヘルメットをかぶって呆然と突っ立っていたぼくを付けまつ毛をさわりつつ凝視すると、はいているものすべてを一度に降ろしたために足首が抜けなくなる例の状態のまま立ち上がって、こちらにピョンピョン近寄ってきた。
「ああ、古代くん」
「こ、古代くん? ぼくのこと? あっ、ヘルメットかぶってるからかな……」
「ああ、古代くん、やっとわたしに会いにきてくれたのね。わたし、あなたが生きてるって、うすうす気がついていたわ。だってあなた、あの特攻のあと、何本も映画に出演なさってるんですもの……」
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