第27話

文字数 5,982文字

 
      その二十七

 先月から追い込みでIBCの会長にガンガン接待した甲斐あって、バーベキュー大会はKの森総合公園で開催されることにおかげさまで決まっていたのだけれど、これはあくまでも森中市長の顔を立てるために奔走したのであって、とくにバーベキュー大会自体にわれわれのもくろみがあったわけではなかったので、きのうの本戦にもぼくはけっきょく出席しなかったのだった。
 もちろん欠席したのにはそれなりに理由があって、それは先週の予定だった智美の運動会が雨天で延期になってバーベキュー大会の日と重なり合ってしまったため、ということなのだけれど、徒競走で一等になった智美は、
「おい約束だろ、買ってくれよぉ」
 ともうぼくの部屋にあがりこんできていて、姪っ子はあのジャンボフラフープも持参してきていたから、
「わわわ、わかった、買うよ買うよ。だからそれ、まわすなよな。この絵、せっかく描いてくれたんだから」
 とぼくはもったいぶるのはやめておいた。
 新婚旅行としてトモコの民宿に泊まったさい、
「それじゃあ、お祝いになにか描きますね」
 といってくれたユキちゃんは、三日ほどまえに「ようやく完成しました」うんぬんという手紙をそえて自作の浮世絵を送ってきてくれたのだが、「いさり火お紺」という題のその絵に合う額縁のようなものはぼくも和貴子さんも持ち合わせていなくて、だから暫定的にそれを唐紙に貼り付けているのである(こちらの唐紙は、智美のジャンボフラフープによって、かなりのダメージをうけている)。
 和貴子さんは今月からオーナーの口利きで呉服店に勤めていて、まあ呉服店といっても、これから智美と行く大型ショッピングモール〈がぶりえる、がぶりえる!〉の二階に入っている絨毯屋のテナントの余り部分を使わせてもらっているような感じのところなので、それほど本格的な店でもないのだろうけれど、それでもこれは一種の決まりなのか、和貴子さんは毎日きものに“桃結い”という髪型で出勤していて、昨晩も、
「わたしが着てるきものを気に入ってくださったお客様がいらっしゃったんですけど、あすこには浦野置いてないでしょ。和貴子困ってよ」
 と最近凝っている“おび”を寝床に用意していた。
 ショッピングモールの駐車場に車を停めると、智美は、
「こっちこっち」
 と植え込みをとび越えてキッズ館に駆けていったが、ゲームのソフトを買う予定だった智美は館内をぐるぐるまわると、
「やっぱりこれがいい!」
 と土壇場でアカマムシマン大百科をぼくに手わたしてきて、それで、
「偉い!」
 と気をよくしたぼくは水戸光子ちゃん大百科も買ってあげたり、〈オムオムバーガー〉でお昼をごちそうしてあげたりしたのだけれど、渡辺さんの超あねさん女房(二十一歳と四ヶ月上)が経営しているもんじゃ焼き屋をサービスしてもらえるにもかかわらず利用しなかったのは、先ほど蘭新組の山崎くんが、
「局長……じつはあの店で、三原さんとかおるさんが、お食事してます」
 と通りすがりに耳打ちしてきたからで、山崎くんは監察部として日夜カレーライスファミリーの動静をさぐっているのだが、きょうはどうも試食コーナーで「カレー鍋の元」を売りさばいている男をマークしていたらしい。
 みんみん氏とかおるさんは、またぞろ新たな縁組にでも取り組んでいるのか、このようにしょっちゅういっしょにいるのだが、つぐみさんに知れると話がめんどうになるかもしれないし、
「わたしが朝食のとき志願したら、『いまはエネルギーを出し尽くしてしまったあとなので、どうにもなりません。わたしには休息が必要なのですよ、すみれちゃん』って、ふらつきながらいったんです――朝までどこで、なにをしてたんでしょうね……」
 というすみれクンの報告もまったく気にならないわけでもなかったので、ぼくはこのように智美とかおるさんの鉢合わせを念のためにさけたのである。
 帰り際に浮世絵のことを思いだしたぼくは、フランク・シナトラみたいな格好をしていた山崎くんに売っている場所をきいて、
「ちょっとおれも買うものあるから付き合えよ、智美」
 と額縁コーナーみたいなところに向かったのだけれど、大小さまざまな額がならんでいたそのコーナーで、
「このあたりかな……」
 とてきとうなものを物色していると、
「まあ谷町の旦那さん、しばらくです」
 と近藤山関のお母さんが声をかけてきた。
「額縁をお探しですか?」
「ええ。ちょっと絵をいただいたものですから。親方も額縁ですか?」
「はい。横綱がまた賞状をもらってきまして」
 結婚祝いとしてほうぼうからたくさんベビースターラーメンをいただいたぼくは、それを連日食べつづけたために鬼の形相がしばらく直らなかった、というアクシデントなどもあって、
「ごめんください。谷町の倉間の大旦那です。これ、どうぞ」
 と残りをKの森部屋に寄付していたのだけれど、
「おかげさまで、横綱もポテロングやベビースターをバリバリ食べて、保健の先生から警告状をいただくまでに目方を増やしております。ああいうものも横綱にとっては賞状みたいなものですからねぇ」
 といっていた親方(お母さん)は、そのお返しだろうか、お肉コーナーでもらったという、くじ引き券をぼくにさしだしてきて、
「これはこれは、すみません。でもいいんですか? 一万円以上買わないと、もらえないんですよね」
 とぼくが券を光にかざしたりしながらみていると、お母さん(親方)は、
「ええ。ですけどわたし、一回も当たったことがないんです。このまえもエリマキトカゲの下敷き、あっ、じゃがりことファンタのタイムセールが始まるわ。ごめんなさい」
 とすり足ぎみで去っていった。
 一階の抽選会場で智美にくじを引かせてみると、目にしみるほど口紅をあかく塗った女性が、
「おめでとうございまーす」
 と鐘をカランカラン鳴らしたが、「カレー食べ歩き三日間の旅」などというのは例のカレーライスファミリーの策略にちがいなかったし、だいいち目にしみる女性が手わたしてくれたチケットも、お一人様無料という湿地戦を想起させる厳しい条件のものだった。
 そんなわけでぼくは家にもどると、そのチケットを、
「ユタカ叔父さんも旅に出ちゃってるしな……」
 と引き出しにいったん放り込んだのだが、夕方M村産のキノコをもってきてくれたすみれクンのお母さんとお茶を飲み飲みお話していると、お母さんは、
「まあ心配といえば心配ですけど、でもほら、かわいい子には旅をさせろっていうでしょ。すみれもそろそろ経験しないとねぇ」
 というようなことをいっていたので、ぼくは保護者としてちょっと甘やかしすぎていたのではないかと「ハッ」と気づいて、けっきょく先の食べ歩きに吉野舞香さんを保護者として旅立たせることにしたのである。
 吉野さんはKの森少女歌劇団がオーナー邸に本陣をかまえることになったために(すみれクンだけは経験がないというのを理由にみんみん邸に留まっている)、いまは和貴子さんの実家に居候しているのだが、しかしこれはあくまでも間に合わせの住居であって、いずれ蘭新組の本陣が決まったら、そこに世話係として同居してもらおうと、われわれはかんがえている。
 われわれがそういう構想をうちだすことになったのは、巡察の原田くんが、
「みそ汁なんかおかわりするとね、あの子ほら、緊張してガクガク震えちまうでしょ。おれの袴なんかにも、やっぱりみそ汁をこぼしちまってね、それで『あっ、すすす、すみません』なんていって、ブラウスだとかを脱いで拭いてくれようとするんだけど、そんとき、こんなふうにおれと手がふれちまったりすると、あの子もういけねぇんだ、さらにガクガクしちまって、このあいだなんて、もうすこしでおでん、鍋ごとシンパッツァンのあたまにぶっかけそうになっちまったんだ。でもね倉間さん、おれはああいう娘、けっこう好きだねぇ……」
 とニワトリを七輪で焼きながらいっていたからで、後日オーナーに相談すると、
「おお、なるほど、やっぱり四郎んところの婆さんなんかより、舞香みたいな若い子のほうが、かれらの士気も高まるか。まあ小林くんにいわせれば、舞香も歳がいっちゃってるんだろうけどな」
 とあははあはは了承してくれたので、そのときはすぐ、
「そうだ! 樹里さんは嫁いだから、部屋は空いてるんだ」
 と思いついて本陣の交渉をしにうなぎ食堂に向かったのだが、そこでたまたま昼飯を食べていた栗塚くんに「うなぎ食堂本陣案」と「吉野さん世話係内定」をさっそく告げると、栗塚くんは、
「吉野さんの話はありがたい。しかし……ここはたしかに長いには長いが、奥の部屋はもう人が入っちまってて、香菜さんが下宿してた部屋と樹里さんが間借りしていた部屋の二間しか、おそらく空いてねぇ。倉間さん、おれたちは、もう武州サンタマのおこりんぼうのあつまりじゃねぇ。蘭新組は、いまでは二十人を越えてんだ。二十人で二間は、いくらなんでも、せまい……」
 と渋い顔をしていて、もちろん二十人で二間というのは無茶な話だから「うなぎ食堂本陣案」は、
「そそそ、そりゃあ、そうだよそうだよ。なんか奥に長いじゃん。だから、イケるかなぁって、ちょっと勘違いしちゃったんだよ」
 とすぐ却下となり、それから市長がよこしてきた「わたしの知り合いの議員が安土城クラスの別邸をもっている」という案も……まあこちらは裏を取るまでもなく、自然消滅することとなっていたのであった。
 今月中にはなんとか蘭新組の本陣を決めるつもりなので、その報告もふくめてぼくはチケットを渡しに妻の実家におもむいたのだが、
「ああ、お義母さん、お世話になってますゥ」
 と居間にあがると、
「いえいえ舞香ちゃんは家事もやってくれるんで、これからも居てもらっていいんですけどね」
 と吉野さんの問題よりむしろわれわれ夫婦の現在の住居について不満があるようで、
「あの旧出稼ぎ寮は……お義母さん、どうですかねぇ、いってみれば、なんですか、べべべ別荘みたいなものでして……いずれは、もちろんあのう……まあ、ある程度の……」
 とムコ殿がしどろもどろになっていると、お義母さんは、
「うちのお父さんも別荘だなんていって、アパート勝手に借りて、そこに三年も女を囲ってたんだよ」
 と恒例の苦労のカタマリだった人生の思い出を話していた。
 吉野さんに例のチケットを手わたすと、
「ああ、そうだ。今晩うちカレーだよ。鉄山さん食べてくかい? 辛くておいしいんだから。カレーは汗が出るくらい辛いほうが、うまいんだよ」
 とお義母さんは台所にさがっていったが、和貴子さんに「若松家で夕飯をごちそうになる」うんぬんとあいかわらず操作に苦戦しながらメールを送ると、もうすでに吉野さんは――激辛対策だろう――タンクトップ一枚という身なりになっていたので、おそらくこちらが苦戦しているあいだにふるえる指でブラウスのボタンをはずしたのだろう。
 カレーの雰囲気をかぎつけた監察の山崎くんは楠木ヒデタに成り済まして若松家にあがりこんできていたのだが、汗だく後のタンクトップをどう着がえさせようかと思案していたぼくに気づくと、
「ああ、局長じゃないですか!」
 と山崎くんは“ヒデタ”を一瞬おろそかにしていた。
 ヒデタは秋からKの森テレビの「突撃K市民のお食事」という番組の突撃レポーターをつとめているのだけれど、YORIKO宅の朝飯をレポートした回は、この山崎くんがじつはヒデタの代役で突撃していたのだった。
 アカマムシマンの主題歌をうたえなかったヒデタは、その代わりとしてファミリーに先の仕事をあてがってもらったのだが、神経の弱いヒデタはこの仕事により腹痛に苦しんだり、めまいに悩まされたりしていて――そんなわけで、けっこう何度も山崎くんに突撃レポートの代役をたのんでいるのだ。
「あれっ、これは監察かい? それとも本当にヒデタの代役?」
「監察です。監察のために変装してヒデタさんをやってるんです。あっ、ヒデタさんはもう元気になりましたよ。やっぱりただの腹痛だったみたいですね」
 お義母さんに監察の仕事を説明するのはめんどうだったので、山崎くんにはひきつづき“突撃レポーターのヒデタ”を演じてもらうことにしたのだが、
「ごちそうさまでした。いやぁ、ホントおいしかったです」
 とカレーライス(ご飯超少なめ)をたいらげた山崎くんは、帰り道で、
「たまにはどこかで一杯やるかい?」
 とこちらがねぎらいの意味も込めてきくと、
「局長、わたしはまだ〈三途の川〉に行ったことがないんです」
 と“突撃”のタスキを小さく畳みながらいってきて、副長の栗塚くんとはときどき〈高はし〉や〈うなぎ食堂〉などでぼくは一杯やっているのだけれど、かんがえてみれば、たしかに山崎くんとは、一杯やったり、サウナや滝湯の手合わせをしたことは、まだ一度もなかった。
 山崎くんは蘭新組のなかでは数少ない非おこりんぼうさんOBのひとりで、なんでも栗塚くんとは怒学の修学旅行先で知り合ったみたいだったが、流派がちがうとはいえ、ぼくもかつては市民講座で勉強していたことがあるわけだから、
「ほおほお、天然中野流は、そんなふうに揉むんですか」
「そうなんです。局長はどうされるんですか?」
「いやぁ、ぼくのは天然谷崎流だから、こうやって、まずほぐすんですよ」
 と滝湯に打たれつつもいつのまにか話は指圧マッサージのことになって、それで山崎くんは、
「原田さんは、たいへん太い筋肉をお持ちです。永倉さんもがっちりされてます。栗塚副長はなんていうか、猫のようにやわらかくて、しなやかな身体なんです。腰を落としてすべるように歩きますでしょ。ああいう動きはいくら稽古してもなかなかできるもんじゃない」
 というようなこともいっていたので、天然谷崎流のぼくは腕のちがいに完全に萎縮してしまって、
「ランちゃんはこんなふうにひじ鉄を打つじゃん? ああいうやわらかさは、いくら稽古してもね、なかなか出せないよね……」
 とあごをさすって局長としての体面を保つのがやっとだったのだけれど、やがて宴会ホールに移行して、
「森中市長のやきそばスキャンダル。あれ、どうなったんですかね」
「ああ、あの屋台のやつ? なんか再選するまえも、あの教師に市長いろいろつつかれてたみたいだけどね。まあそのうちまるく収まるんじゃないかな、だいじょうぶだよ」
 などとお銚子を空けていると、英光御老公がまたぞろ金にものをいわせたのだろう、風車電報をこの場によこしてきて、赤い風車にはさまれた便箋には「おとっつぁんの病気を看病している娘とかが、ぜんぜん出てこんぞ。総合演出を任されてるんだろ。なにやってんだ」うんぬんと記されていた。
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