第29話
文字数 3,406文字
その二十九
紀子姉さんが油小路家の一族に三段階に分けて報復した通称「紀子三部作」の火種は、たしかナマハゲだか獅子舞だかにお尻を噛まれるのを拒否したらグズ嫁扱いされたとかそういうたぐいのものだったけれど、あの当時はまだよちよち歩きだった誠太郎くんももう幼稚園に通っているし、十一月に出産予定の紀子姉のおなかもずいぶん目立ってきたとゆうべ電話でいっていたので、たしょうおてんばな面もある紀子でもそうそう一族に反旗をひるがえしはしないだろう。
紀子がかおるさんの奔走によって油小路に嫁いだころにはもうすでにあの旧家は復権していたので、結婚式なんかも牛車に花嫁を乗せて村中をまわる本式のものでおこなってくれて、
「鉄山くん、これだったら安心ね」
「ええ。牛車に乗ろうとしてバランスくずして田んぼに落っこちたときは、どうなるかと思いましたけど」
「あれは向こうが用意した角隠が大きすぎたからいけないのよ。ノリちゃんのせいじゃないわ」
とだからぼくもつぐみさんと当日はなごんでいたわけだけれど、先に述べた三部作の一件もそうだろうが、地方にはその地方独特の習わしがやはりあるみたいで、
「旧家っていっても、そういうのがいちいちたいへんなのよ」
と姉は実家に来るたびにこぼしている。
誠太郎くんが生まれた年か翌年だったかにぼくも一度この村の“こいのぼり祭り”というのを経験したのだが、子どもの健康を祈願してなのか、男の子のある夫婦は三メートルもの巻き寿司を双方から食べなくてはならなくて、それから……たしかいちばん大きいコイには腹巻みたいなものをさせていた記憶がある。それから行事関連ではないけれど、刺身のことをからあげと呼んでいて、最初「からあげ食べろ、からあげ食べろ」といわれても、どうしたらいいのか、さっぱりわからなかった。それからワッフルみたいなお菓子のことをタッパーと呼んでいた。
昼飯時に油小路に到着すると、姉にとっては小姑にあたるのんちゃんが、
「おじちゃま、はやかったねぇ、運転、疲れたけろ」
と真っ先に出迎えてくれたけれど、いつごろからか、ぼくを先のように呼んでいるのんちゃんは、特大リボンで髪を結んでいてもこのおじちゃまよりたったひとつ年下なだけだったので、居間にあがると姉にとっては姑にあたるここのおばあさんに、
「おじちゃまおじちゃまって、おめぇと年、いくつも違わんでけろ」
とさわるだけのゆるいゲンコをもらっていた。
今朝、紀子に連絡は入れておいたので、やはりけっこうなお食事を用意してくれていて、「からあげ=刺身」などをすでに学習しているぼくは、
「おじちゃま、ショウガ食べてけろ」
というのんちゃんにも、
「うん」
と正しく反応していたのだけれど(ショウガ=唐揚げ)、
「もなかも食べて」
「うん(もなか=生姜)」
「ヤキメシも食べて」
「うん(ヤキメシ=もなか)」
となんとか対応していると、そのうち刺身のことを「ワニ」ともいっているような気配がじわじわ伝わってきたので、だんだんめんどうになってきたぼくは、クリキントンも食べてけろ、というおばあさんにも独断で、
「ええ(クリキントン=ご飯)」
キュウリも食べてけろ、というのんちゃんにも、
「うん(きゅうり=みそ汁)」
というふうに給食作法的に対応していたのである。
先に紹介した健康を誇っている頑固おじいさんのことをたずねると、
「それがここんとこ、ひざが痛いひざが痛い言うちぇ、寝てるけろよ」
とおじいさんは、おそらく歩数計の数値にこだわりすぎて逆に健康を損ねていたが、お食事後にいかにも金のかかった襖を、
「ごめんくださーい。ごめんなさい」
と開けてみると、おじいさんは、
「おお鉄さんか――しかしまあ、おれもいくじなくなったけろよ……」
となんとか起き上がってくれて、それでおじいさんは、ひざよりもコタツダイジンのほうが心配だうんぬんとくよくよしていたので、
「若い人たちがやってくれますよ。けっこうつかってるんでしょ、近所の人とか」
とぼくはともかくはげましてみたのだけれど、おじいさんが心配していたのは畑での作業ではなく「ちょんまげ祭り」という豊作不作を左右する伝統行事のことで、
「おれがこんなふうに動けねぇから、来年は不作になっちまうけろよ」
とその行事をかなり重要視していたので、おじいさんにまず、
「これから英光御一行っていうのが来ますから、とにかくはじめにその英光御老公に行事のことをお願いしてください」
といったぼくは、つぎに渡部さんにたのんで栗塚くんをみつけてもらって、で、渡部さんの携帯に出た栗塚くんにも、
「おおトシさん、急でわるいが――」
と瞬時に構想した作戦をざっと説明したのである。
蘭新組は山崎くん以外だれも携帯電話をもっていないので、
「じゃあトシさん、目印のほうは決まりしだい、実千代さんに伝言しておくよ」
と最後にいって電話を切ったのだが、電車で来るという栗塚くん一同は駅員さんにもおまわりさんにも極力たずねずにこの油小路家をみつけねばならなくて――というのは、かれらの存在が村人たちに知れると、ぼくが構想した作戦にひびが入るかもしれないからなのだ。
のんちゃんは三時になると、いつも幼稚園に誠太郎くんを迎えに行っているとのことだったので、ぼくも散歩がてらそれに付き合うことにしたのだが、小林さんに以前もらったアカマムシマンの変身セットを、
「ほら、すごいだろ」
とわたしても誠太郎くんは、
「かっこよくない」
という感じでほとんど興味をしめさなくて――まあアカマムシマンはこちらでは放送されていないのだから誠太郎くんの感想ももっともではあるのだけれど、しかし誠太郎くんはキャンピングカーが庭先に入ってくると、
「あっ、カッケェー!」
と補助輪付きの自転車を見捨てるようにうっちゃっていたので、ときに「アカマムシマシンGP7」というクルマにも乗り込むアカマムシマンを一度でも観たならば、
「カッケェー」
と全身がじんじんしびれるにちがいない。
キャンピングカーの助手席から元気よく出てきた原田くんは、
「うひゃー! しかし広い庭だな。ああ倉間さん、車このへんに停めていいだろ?」
と庭をうろうろしていたぼくにきいてきたが、車からぞろぞろおりてきた英光御一行はどうも様子では四話ごろにはすでにこのキャンピングカーを常用していたみたいで、後部座席で一悶着あったらしい助さん役のユタカ叔父さんと英光御老公も、
「もう御隠居のとなりにはすわりませんよ」
「ふん! わしもじゃ!」
というセリフ(?)を慣れた感じでいい合っていた。
英光御老公に、おとっつぁんを看病する娘は工面できなかったけれど、そのかわり不作を案じているおじいさんは用意できたうんぬんと説明すると、
「うむ。それでよい」
と御老公はむしろ四時から放送される『大岡越前』の再放送にすでに意識が集中していたが、あてがってもらった応接間のテレビのまえで、
「こっちでは『燃えよ剣』をやってんだ!」
などと自分の家のようにくつろいでいても、油小路のあるじがのんちゃんの手を借りて起きてくると、御老公は、
「旦那さま、おじゃましております。わたくしはひょうたん問屋の東野という隠居でございます」
とすぐ役に入り込むことができていたので話はおかげさまで段取り通り進むことになって、とはいえ、蘭新組として作戦に参加しなければならない原田くんはまだ、
「なんのことだか、さっぱりわからねぇなぁ」
という感じだったので、ぼくは別室でこの原田くんに行事のことをていねいに説明したのだけれど、
「じゃあ夜中にたずねてくるマゲを結った男に、墨をつければつけるほど、つぎの年は豊作になるってわけかぁ。ふーんなるほど、こいつはおもしろくなってきた」
とすっかりやる気になった原田くんは、
「そうと決まったら腹ごしらえだ! 局長、ひさしぶりに、一杯やりましょう」
とのんちゃんに七輪の有無を確認していたので、これならだいじょうぶだと自信を深めたぼくは、油小路一族と交渉したすえに例の“こいのぼり”も、季節はずれかもしれなかったが、あげてもらうことにして、で、実千代さんにもすぐ、
「あっ、鉄山です。栗塚くんに、こいのぼりをあげておくから、それを目印に油小路家に来るようにって、伝えておいてください」
と伝言をおねがいしたのである。